女性のコミュニケーション能力

 私がスーパーで会計ををすませ、カゴの中の商品を袋詰めしているときの話。すぐ横のパン屋さんが、閉店間際で、値下げセールをやっていた。パンを詰め合わせして売っていたのだ。

 その特売のワゴンの前に、一人の女性がやってきた。詰めあわされたパンの種類は、袋によって微妙に違う。女性はしばし袋を見比べた後、こう言った。

「奥さん、このパン屋さんのパンて、おいしいの?」

 

 話しかけられたのは、すぐ近くでやはりそのパンを見比べていた年配の女性。

「けっこうおいしいわよ」

「ふーん。それで、これはかなりお得なの?」

「入ってるパンは全部、半額なのよ。絶対お得よ」

 私はこの会話を聞いて、なんだか笑えてきてしまった。そして、女性のたくましさをつくづくと感じたのだった。なぜなら、この2人はまったく赤の他人。ついさっきまで全然接点のない両人が、今はパンを通じて立派に情報交換をしている。

 この能力、女性ならではのものかもしれない。これ、男性だったらありえないものね。おばちゃんパワーというのだろうか。女性のコミュニケーション能力には、卓越したものがある。全く知らないもの同士でもすぐに仲良くなり、親しげに話し始め、互いの情報を有意義に活用するのだ。

 まるで古くからの友人のように、気楽に話し始める女性と、違和感なくそれに答える女性。その様子がおもしろかった。女性は太古の昔から、こうして共同で子育てをしてきたのだろうか。そうした横のつながりで、自分たちの子供を、地域ぐるみで守ってきたのか。

 人間は群れる動物であると思うが、特に、女性は同性同士の壁が薄い。すぐにうちとける傾向があるような気がする。井戸端会議という言葉があるが、2人以上の女性が集まれば、そこには活発な会話がうまれるのだ。

 女性のコミュニケーション力の高さを、実感する出来事であった。

禁煙の温泉宿へ行く

 週末、温泉に行ってきました。

 2泊3日の、のんびり旅です。案内されたお部屋が、素晴らしかった!

 本館と別館がありまして、私が泊まったのは別館なのですが、部屋が6つしかない古い建物。もともと老舗旅館だったものを、経営難からオーナーが変わって、数年前にリニューアル。

 3階建てで、エレベーターがないんです。本館の方が大浴場も近いし、最初は本館の方がいいかなと思う気持ちもあったのですが。チェックアウト時にはすっかり、別館のファンになってしまいました。宿の人に聞いたところ、やはりリピーター客には、別館が人気だとか。

 とにかく、静か。音がほとんど聞こえない。隣室の音も、外の音も。

 6部屋しかないから、廊下に出ても人と顔を合わせることが全くなかった。本館はかなりの客室数なので、大浴場へ行けば当然、それなりに人がいるんですけども。別館をうろうろしている分には、本当に静まり返ってました。

 観光用の温泉というより、湯治場として営業している温泉なのです。だから、子供はほとんど見ませんでした。のんびりしたかったから、それもありがたかったなあ。

 唯一、泊まりではなく日帰り入浴のお客さんと思われる家族連れがいて、その人たちは子供連れでした。かなり周囲から浮いていました。

 子供も、可哀想でね。普通の観光地の温泉なら、子供向けのゲームコーナーとかあるし、お土産コーナーも充実していて、飽きないと思うんですが。

 ここはお風呂がメインの湯治場だから、子供はつまらなかったらしく、駆け回ってそのたびに親に「おとなしくなさい」と怒られていて(^^;

 連れて来る場所が違うような気がしました。

 ここの温泉は、効能が抜群と言われていて、本格的に病気治療に来る人も多いんです。だから、年配の人ばっかりなんです。長期滞在用のプランもあるくらいで。

 子供は、うれしくてはしゃぐのが当然だと思うから、ちょっと場違いで可哀想でした。これは親が、もうちょっと考えてあげた方がいいと思いました。ファミリー向けの温泉は、他にいろいろあると思うので。そうすれば、ある程度子供たちものびのびできるのではないかなあ。

 とはいえ、お風呂場で子供に会ったのは唯一、そのときだけ。私もいろんなところに旅行しましたが、こんなに落ち着いた場所は、初めてです。ファミリーも、カップルもいない。平均年齢60才の静かな温泉宿。

 客層は、年配のご夫婦だったり、おばちゃんの友達同士だったり、そんな感じです。それに混じって、湯治に専念する長期滞在の独り客がいます。

 私はなにが気に入ったって、この宿の落ち着きと、それから建物(別館)の趣ですね。階段に敷かれた赤じゅうたんが重厚な雰囲気で、「千と千尋の神隠し」を思わせるような、不思議な気分になります。

 古い建物だから、リニューアルしたといっても、窓の木枠なんかが年代もので、そこがまたいいのです。部屋の前の廊下の窓を開けたら、そこに広がる景色にうっとり。

 廊下の窓からは、今は使われてない、さらなる別館の姿が見られるのです。廃墟、とまではいきませんが、人の気配の途絶えた背の高い建物が、夕闇せまる空の色をバックに佇んでいるその様は、私の心の琴線に触れました。

 そして、私の泊まった別館から渡り廊下を通じて、離れになっている平屋の一軒家へ屋根が続いているのですが、離れは一つだけじゃないのです。山の斜面に沿って、何軒かの趣の異なる家が見えて。

 ほとんどが、現在は客室として使われていないらしく、人の気配はありません。

 なんといいますか、長らく人が住まない建物特有の、侘しさが漂っていて。私はこの雰囲気が大好きなのです。かつては賑わったという余韻を残した建物の、セピア色の情景。老舗旅館の最盛期には、この離れにも、別館にも、多くの人が溢れたでしょう。そして今、人の気配のないこれらの建物に、静かに時だけが流れていく。

 建物はどれも、凝った作りでした。私の泊まった別館も、ただの長方形の建物ではありません。壁の凹凸や、ドアの向きが変わっていて、廊下を歩くだけで楽しかったです。階段を下りる途中に、いかにも部屋の入り口のようなものがあるのに、そこには壁しか見えず。

 部屋の避難図を確認してみました。それを見れば、建物の全体像、他の部屋のつくりなどもある程度わかります。それによると、階段途中にある壁の向こうには、もう一つ部屋があるということが判明しました!

 改装したとき、一部屋をつぶしてしまったんですね。板で壁を作ってしまった。でも、この向こうにはたしかに部屋がある。開かずの部屋です。この部屋の中は今、どんな状態なんだろう。どんな時間が流れているんだろう。そう考えると、壁の向こうに入ってみたいような気持ちになります。

 この宿のもう一つの特徴は、全館禁煙。なんて素晴らしい! 温泉地で全館禁煙というのは、珍しいのではないでしょうか? でもこれからは、禁煙が当たり前だと思います。たばこ臭い部屋になんて、泊まりたくありません。百害あって一理なしのタバコ。それに悩まされなくてすむのは、本当に嬉しいことです。オーナーは先見の明がある方なんだなあと思いました。

 タバコといえば、東海道新幹線のタバコはなんとかしてほしいです。いまだに喫煙車両があるのはどういうことかと。とっくに全車両禁煙になっているのかと思ったら、喫煙車両の案内があったので驚きました。

 公共の場は、全面禁煙にしてほしい。。

 誰にも迷惑のかからない場所ならともかく、公共交通機関での喫煙が許されるのはどうかなあと思います。

 今まで出会った人を思い返してみると、タバコを吸う人で尊敬できる人は一人もいませんね。逆に、ああ、この人はすごいなあとか、さすがだなあと思う人は、みんなタバコを吸わないです。それがわかると、やっぱりなあと思います。

 吸う人と吸わない人の間には、はっきりした境界線があり。

 喫煙の有無に、人生観が出ているのでしょう。

 素敵な温泉宿で、ゆっくりできた週末でした。 

塵が彗星を想う話

彗星が太陽に近付いたとき、一部の塵(ちり)が放出されて。

その塵が、地球の大気に突入したとき、光を放ちます。

塵の故郷は、遥か遠い彗星。

彗星の公転軌道はさまざまですが、なにぶん宇宙のことなので、

とんでもなく大きいんです。

彗星の落とし子である、小さな塵。

それが光って、流れ星として私達の目に映るとき、

母天体である彗星は、はるか彼方。

再び太陽の近くにやってくるまでに、数百万年かかるものもあるとか。

彗星の軌道は不安定で、二度と太陽のそばへ

戻ってこないものも、あるんだそうです・・・。

大きな彗星から、はぐれてしまった一部の塵。

それが地球の大気に突入したとき、ほんのつかの間、光を放つ。

それを見て、私達は「きれいだなあ」と心を躍らせます。

心の中で、願い事を唱えたりして。

でも光が消えないうちに、3度唱えるのは難しい。

つかの間の、とても美しい光です。

暗い夜空で、私達の目を釘付けにさせる光です。

見た人の心に、暖かな灯りをともすような光です。

たとえ、3度の願いを言い終えるまでに消えてしまっても、

明日はなにかいいことがあるかもしれないと、

そう思わせる光なのです。

塵は、彗星のことを思い出すかもしれません。

自分達を放り出し、そのまま振り返らずに行ってしまった

母天体の彗星のことを。

母天体には、圧倒的多数の塵がある。

わずかな塵がなくなったところで、

大きな母天体、彗星にはなんの変わりもない。

いえ、もしかしたら、塵は自分から飛び出したのかもしれないですね。

太陽に近付いたとき、その光に憧れて。

暗い大きな宇宙空間の中で、太陽の光はまぶしく、

塵を魅了したのかもしれません。

理由がどちらであったとしても。

彗星は、一部の塵を残したまま旅を続ける。

塵は思うのです。

取り残された自分達こそが、マイノリティ、異端者、はぐれ者。

ときに、塵は寂しいような気持ちにもなるのです。

いつ戻るかもわからず、もしかしたら二度と戻らないかもしれないけど、

でもどこかで待ち焦がれ、求めてしまう。

彗星の帰る日を。

いつか、そんな日がくるかもしれない。

去っていくのと、見送る方と。

どちらが寂しいのかなあ、なんてことを考えてしまいました。

私が塵だったら、太陽の傍で、やはり彗星から飛び出したでしょう。

彗星から見れば、去っていくのは塵の方で。

塵から見れば、去っていくのは彗星の方で。

塵が流れ星になって。

それを見た大勢の人がほんわかと幸せな気持ちになったこと。

塵に伝えられたらいいのになあと、そう思いました。

ゾンビの夢

 ゾンビの夢を見ました。

 ゾンビが古い家の壁の隙間から、次々と侵入してくる夢。倒しても倒しても、尽きることなく現れる。

 バイオハザードやパラサイトイブにはまっていた後遺症なのか?

 夢の中では学校のようなところに逃げ込むのですが、ゾンビはぽつり、ぽつりと現れて、そのたびに戦わざるをえず。

 どうしようかな。これじゃ眠れないよ。と考えているところに、大勢の子供たちを連れた仲間が現れる。

 「交代で眠れば大丈夫」

というその人の言葉にうなずくのですが、大人は3人くらいで残りは30人ほどの子供。この子供たちを守らなければ、と思います。

仲間が増えて嬉しいというより、守るべき対象が増えてプレッシャーが・・・という感じでした。

 

 子供たちはみんな幼稚園児くらいで、ゾンビを恐がりもせず無邪気にはしゃいでました。

 目が覚めてから、パラサイトイブ2のことを思いました。主人公アヤは強かったなあ。たった一人で、どんな化け物相手にも恐れることはなく。

 映像が綺麗なゲームでした。

 シャンバラと名づけられた偽りの楽園。地下にまばやく輝く人工光源。訪れる人がいなくなってからも、無機質に流れ続ける入場者向けのアナウンス。

 アヤがシャンバラに到着する前に通り抜けた、研究室の雰囲気も好きです。誰もいなくなって、ガランとした空気。

 でも、夢でゾンビに襲われるのは勘弁です。いい夢をみたいものです。

初夢

 こんな夢を見ました。

 学校です。ああ、これよくあるパターン。最近はかなり頻繁に学校の夢を見ます。たいてい私は高校生位の年齢で、でも学校は実際に通っていたところとはまた別で。

 夢をみるたびに、違う学校に通っている。 

 どの学校も、凝った内装で、複雑に入り組んだ構造。歩いていると迷子になりそうです。

 今回見た夢の中で、私は教科書を忘れて他のクラスに借りにいくところでした。国語の授業なのです。最上階のクラスから、1階へ降ります。その途中、とある教授の研究室へ。

 まるでお茶の水博士のような容貌の教授は、おしゃべり好きらしく、私にノートを見せながらいろいろとレクチャーしてくれます。

 内容は詳しく覚えていませんが、唯一印象的だったのが「中性子爆弾」という言葉。その教授が私に何度も念押しするように言いました。「中性子爆弾です」「中性子爆弾?」「そう、中性子爆弾」

 その会話のくだりを、覚えています。

 場面は変わり、私は10人くらいのグループで研修を受けています。ダムのような場所、コンクリートの岸で水面を眺めていると、人の体ほどもある金色の折り紙が次々と流れてくる。

 折り紙は、鶴を折る途中のものです。

 だんだん完成間近になるものが、順に流れてくる。

 

 場所は変わり、高いフェンスの上から子どもが降りてきます。小学5年生くらい。その子は降りながら私に向かって石を投げるのです。

 私も応戦して投げ返しますが、引力があるのでかなり不利。

 もしこの石が当たれば、大怪我だ・・・。そう思った私は、投げつけられる石の軌道をしっかりと見てよけます。

 恐いけど、見なければよけられないから。

 私は仲間に助けを求めて大声をあげるけど、仲間は仲間で、その小学生の一団にやられて全滅の様子。

 お正月からバイオレンスな夢でした。