映画『永遠のゼロ』 感想

 映画『永遠のゼロ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 この映画も泣きました。
 原作の小説を読んだ時にも泣きましたが、映画も握りしめてたハンカチが重たくなるほどに泣きました。

 戦闘シーンや零戦の映像はさすが、映画ならではの迫力で、小説では想像できない部分も見事に描かれていました。

 ただ、全体的な感想としては、やはり小説には敵わない、と思います。無理ないことではありますが、小説のエピソードをたくさん削ってしまっているんですよね。すべてを描けば長時間になりすぎてしまうので、仕方ないことだとはわかっていますが。

 それと、この映画はエンドロールが流れ始めても、誰も席を立ちませんでした。私が今まで映画を見た中でも、こんなことは初めてで、驚きました。同時に少し、嬉しかったです。みんなが同じ思いを共有していたのだと思って。

 よかったのは、なにより宮部久蔵を演じた岡田准一さん。まさに宮部のイメージでした。優しくて丁寧な言葉遣いがよく似合う。キャスティングした人はいい仕事したな~と思います。なにより、宮部が小説のイメージ通りの人でなかったら、他がどんなに完璧でも、この映画は失敗していたと思います。
 岡田さんは宮部久蔵、そのものでした。

 そして景浦役の田中泯さん。あまりにもハマりすぎていて、もしかして本当にそういう経歴のある人なのか?と思ってしまうくらいでした。
 死線をくぐり抜けてきた凄みと影を感じます。

 ただ、小説と違うのは、健太郎は景浦邸を二度訪ねているんですね。私は小説の描き方の方が好きです。映画と違って、小説では

>俺は奴を憎んでいた

 と、宮部に対する反感や憎悪をはっきりと口にする景浦ですが、景浦がそういう男だからこそ、その過去の行為がまた際立つと思うので。
 映画だと、最初から宮部に対する好意が浮かび出て、それがちょっとどうかなと思いました。
 あと、小説にあった、景浦の用心棒の青年が、「いい話を聞かせていただきました」と深々と頭を下げるシーン、これも大切な情景だと思うのですが、映画だと省かれていたのが寂しかった。
 とどめに、映画では、健太郎が借りた名簿を雨に濡らすのが、ありえない~と思いました。景浦が何十年も大切に保存してきた名簿を借りておいて、あの扱いは失礼すぎます。いくら驚いたとしても。自分が雨に濡れたとしても、あの名簿を雨に濡らしてはいけない。
 健太郎は若いですが、それくらいの礼儀はわきまえた青年だと思います。あの演出はどうかと思いました。

 若い頃の景浦を演じているのは新井浩文さん。景浦の荒れた心をうまく表現していたとは思うのですが、惜しいのは、宮部に対する敬服や懺悔、言葉にならない激しい感情が、少し弱かったような。
 荒ぶる心は見えたけれど。そこから変化していく宮部に対する気持ち、というのが見えづらかったです。
 私が思っていた景浦の表情とは、少し違ったかなあと。

 松乃役の井上真央さんは、ミスキャストだと思いました。美しさは松乃にぴったりなんですが、なにより汚れていなさすぎます。髪も肌も、貧しい暮らしには似つかない輝きで、違和感がありすぎです。
 女優さんなので、あまり汚い荒んだ姿をさらすのは、事務所的にNGだったのかなあと想像しますが、だったら松乃役はやれないです。
 あのように、ちっとも生活に疲れていない姿で松乃を演じたのは、気の毒にも思いました。作品から浮いてしまっているようで。本当はご本人も、もっと髪を乱してでも、ちゃんとした松乃をやりたかったのではないかな。

 松乃が生活に疲れ果てていない、という点で。大石が訪ねてくる場面の感動が、半減してしまっていました。
 艶やかな肌、ふっくらした頬、きらきら輝く瞳。それで松乃の追いつめられた暮らしぶりを描こうとしても、無理があります…。
 どん底の中で、もし宮部の外套を着て現れた大石を見たら、彼を宮部と見間違うシーンはもっと、激しいものになったのではないかと、そう思います。暗く沈んだ瞳が、激しい歓喜で見開かれる瞬間。松乃の爆発的な喜びは、一層、観客の胸を打つものになったのではないかと思うのですが。

 あと、この映画の中で一番「これはない」と思ったのは、「許して下さい」と頭を下げる大石に対して、松乃が「帰って下さい」というシーンです。

 

 これは本当に、あり得ないと思いました。
 宮部が心から愛した松乃です。その松乃が、夫が命を託した青年から夫の最後を聞いて、いくら動揺したからといって、このような冷たい言葉を吐けるでしょうか。
 大声で泣いてしまうかもしれない。取り乱して、みっともない姿をみせるかもしれない。それはわかります。けれど、自分を責める青年に対し、「帰ってくれ」などという言葉は、決して投げつけない女性だと思います。

 あれでは大石が気の毒すぎです。

 慶子と、新聞社に勤める高山のエピソードは、映画ではごっそり削られていて残念でした。その代わりに、三浦春馬さん演じる健太郎と、仲間たちの合コンシーンが撮られていました。
 三浦春馬さんには岡田准一さんの面影があって、健太郎の感じた憤りが、画面からストレートに伝わってきました。
 祖父を、そしてあのとき命を落とした日本人を、侮辱する発言。席を立って当然です。私が健太郎でも、席を立っていたと思います。

 エンドロールの背景には、美しい雲の映像。宮部が飛んだ空を、観客も疑似体験する演出なのでしょうか。飛行機から撮ったと思われる雲の姿は、まるで夢のような美しさでした。この雲を抜けて、空を自由自在に駆けた宮部の生涯。彼は最後の出撃のときも、この雲を見たのだろうかと、そんなことを思いました。

 そして流れるのはサザンオールスターズの『蛍』という曲。

 サザンは好きですが、この曲は映画には合っていないかなと思いました。曲はいいのですが、この映画と合っているかと聞かれたら、それは違うかなと。

 零戦は蛍ではないし。宮部も蛍ではないと思うからです。
 じゃあどんな曲がよかったかと言われると、難しいのですが…。
 空をイメージした曲がよかったかなあと思ったりします。せっかくあれだけ美しい雲の映像があるのだから、それに似合う、空の曲がいいなあ。穏やかで、温かくて、壮大な曲。
 空の曲だったらよかったのにと思います。

 映画は素晴らしかった。そして、原作の小説は映画よりさらに、素晴らしかったです。
 日本人であることを誇りに思います。

映画『容疑者Xの献身』 感想

 映画『容疑者Xの献身』のテレビ放送がありました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 東野圭吾さんの原作も読んだことありますが、映画も素敵だなあと思いました。福山雅治さん演じる湯川先生が、いかにも理系の変人(褒めてます)(^^)という感じで、湯川先生がみつめるからこそ、堤真一さん演じる石神の悲しみが、より一層胸に迫ります。

 湯川先生の目線が、いいんです。
 同情に似た、でも同情とは違う、悲しみに似た、でもそれとも違う、なんだかわけのわからない、でも、温かいもの。

 石神は、自分を救ってくれたと感じた花岡靖子(松雪泰子さん)に、恋していたんですね。一方的で、どうしようもない、終わりの見えてる思い。

 靖子の知らないところでもう一つの殺人を犯し、同じ立場、殺人者となることでひそかな陶酔にひたっていたのだろうか、と思いました。あの殺人は、必要のないものだったような気がします。
 完全犯罪を目論むなら、もっといい方法があったはずなのに。なぜ彼は、ひそかに殺人者になったのだろうと。

 春琴抄の佐助のことを、思い出しました。そうすることでしか、同じ舞台に上がれなかったのかな、と。

 靖子は、石神に犯行を隠蔽してもらったことで、彼に負い目を感じることになります。その負い目がある限り、石神が夢見たであろう、対等な関係の二人にはなれない。

 キャスティングに関しては、松雪泰子さんはあまりに明るくて、翳がないように思えました。暴君の元夫から逃げ出した悲壮感がないというか。元ホステスにも見えなかったな…。
 やさぐれ感がもう少しあると、石神との関係ももっと、複雑になったのかもしれないです。

 石神が靖子を見初めたのには、彼女の持つ暗さも、一因ではないかと思うので。これはもう完全に、私見ですけど。
 もちろん、親子のにぎやかな明るさに惹かれつつも、その一方で、靖子の苦労の過去や、苦い後悔を、どこかで嗅ぎつけたからこその恋、だったのではあるまいかと。

 ただ明るくて楽しいだけの人だったら、石神はあそこまで、親子に執着したのかどうか、疑問です。

 そしてもう一人。キャスティングが合わないかもと思ったのが、工藤邦明役のダンカンさん。

 すみません、私の目には怪しい人にしかみえない~(^^; 画面の中にいるダンカンさんの雰囲気は、誠実というよりも得体のしれない不安をかきたてるもので、その人に靖子を託そうとする石神の天才性には大いなる疑問がわいてしまうわけです。
 いいの? あの工藤さんを見て、本当に大丈夫って思ったの?と。聞きたくなってしまいました。
 目が笑ってない怖さがあるというか。役作りだったのかな? でも工藤は、石神が認める「花岡親子を幸せにできる器のでかい男」であるわけで、そうするとちょっと、雰囲気違うかなと思いました。

 この映画、以前にもテレビ放送されていて、私はこれ見るの2度目だったんですが。最初に見たときは、結末を見たときに、号泣する石神の心にはほんの少しの、嬉しさみたいのもあったんじゃないかな、と思ったんですね。
 いや勿論、すべてを墓場までもっていくつもりで組み立てた、完璧理論ではあったんだけれども。湯川のおせっかいで靖子が自分の真心を知ってくれた、そのことに対する嬉しさも、ほんの一かけらだけ、存在していたんじゃないかと。

 でも2度目に見た今回。違った感想を持ちました。石神は、あのような謎解きを、全く望んでいなかったんではないかと。
 それは、すべてに完璧を求める人だったから。自ら組み立てた理論の、ほんの小さな綻びも見逃すことはできない、完全なる美を求める性格の人だったから。
 心から愛する人のために、人生をかけて作りあげた壮大な脚本。それを完璧に演じることで、ある意味、石神の恋は成就していたんだろうなあと思いました。一生、本当のことが靖子にわからなくても、それでよかったんだと思います。真相を知っているのが自分だけでも、そのことを思うだけで、長い刑務所での生活を幸福に送ることのできる、自信があったのではないでしょうか。

 私も罪を償いますからと靖子に泣かれたとき、計画が崩れたショックと、とうとう彼女を守れなかったという絶望で、石神の精神は限界を迎えてしまったのでしょう。

 だって、石神が求めていたのは単純に、靖子の愛だと思うんですよ。でもそれが無理だとわかったとき、彼が次に目指したのは、靖子を守る騎士の役だった。決して知られることのない思いで構わない、それが石神の美意識だったわけで。

 助けてくださってありがとう。私たち親子のためにそこまでしてくださってありがとう、と二人に感謝されること。そして、申し訳ない、石神さんにそこまでさせてしまった、と親子の心に一生消えない影が生まれること。それは最も、石神が望まない結末だったのではないかなあ。

 石神は、感謝なんて要らなかっただろうし。(愛なら欲しいけど)(^^;
 靖子の心に負担をかけるようなことなど、したくはなかっただろうし。だって、目指すはナイトですから。

 殺人を犯すことで、歪んだ共犯者意識に、酔っていた部分はあるのかなあと想像しますが。完全犯罪が湯川によって崩されたのも、勧善懲悪の観点からみれば当然かな。
 もし殺人ではない別の方法で、石神がその身を生涯、密かに靖子のために捧げたなら。湯川もその秘密を、きっと守ってくれただろうなあと思います。

 主題歌の『最愛』もいい歌ですね~。

>愛さなくていいから
>遠くで見守ってて

 なんだかここの、つよがりが泣けます。愛さなくていいからなんて、絶対思ってないくせに~っていう。言えば言うほど、別の思いがあふれだしてしまうような。

 ここの「愛さなくていいから」っていうところがいかにも石神の気持ちを彷彿とさせるのです。

 石神のその後…。きっと最後まで、自分の計画の破綻を、認めることはないだろうなあと思いました。それを認めることは、靖子を永遠に失うことだからです。

映画『テルマエ・ロマエ』感想

 映画『テルマエ・ロマエ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

 古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、タイムスリップして日本へやって来る。現代日本でお風呂の技術やアイデアに触れ、それをローマに持ち帰り再現し、大評判になる・・・というお話です。

 もう、この設定聞いただけで面白そう(^^)と思っちゃいます。
 実際、前半部分は笑える場面がたくさんありました。私たちにとっては当たり前だけど、そりゃ古代の人から見たら不思議だろうなあっていうことが、銭湯にはたくさんあって。

 描かれた富士山の絵を、ベスビオ火山と勘違いするところもよかった。出会う日本人の顔を、「平たい顔族」と表現するセンスも凄いです。
 ルシウスは、平たい顔族を、ローマが征服した異民族、奴隷と思っていて、「奴隷のくせになんて進んだ文明をもっているんだ」と、あくまで上から目線なのも笑えます。

 人のよい銭湯の常連らしきおっちゃんたちが、あれこれルシウスの世話をやくのが微笑ましかった。そうですよね~。あれだけ濃い顔の人で、どうやら言葉も通じなくて、銭湯のこともよくわかってなさそうだったら、気になってつい面倒みちゃいますよね。

 フルーツ牛乳に感動するルシウス。

 牛の乳なのに果実の香りがして甘いって・・・。その発想はなかったなあ。うん、でも確かにその通り。

 映画見てたら、フルーツ牛乳飲みたくなりました。お風呂の後に飲むと、美味しいんだよね。コーヒー牛乳もいいし、マミーも好き。

 ヒロイン真実(上戸彩)さんが勤める、浴室のショールームにタイプスリップしてくる場面も最高でした。

 そこで、ジャグジーにも出会っちゃうのね。
 ルシウスの脳内では、ショールームで知る最新機能のほとんどは、その裏で奴隷が大勢働いていることになっていて。そこらへんの、事実とのギャップが面白かった~。
 トイレに入れば音楽が流れるんだけど、ルシウスは当然、隣室で奴隷たちが演奏していると思っていて・・・。そういう勘違いがいちいち、笑えました。

 前半は本当にコミカルなシーンが多かったのですが、その分後半は、少し間延びしてしまったようにも感じました。

 歴史が変わってしまうことに、なぜ真美はそこまで危機感を抱き奔走したのかなあ、とか、そのへんも謎です。真美が古代ローマ史マニアで、あのへんの時代のことをよく知っていて、というなら話はわかるのですが、そうでもなさそうだし。

 後半はもう少し、なんとかならなかったのかなあと思いました。前半のテンポがすごくよかっただけに、残念な感じがしました。

 ルシウスと真実を、変に恋愛モードにさせなかったところは正解だと思います。ちょっとした憧れというか、ほんわかしたムードがとても可愛かった。それくらいでとどめておいたところが、好感持てました。
 だからこそ、真美の体が透き通り、別れが近付いたときの切なさが美しかった。

 満点の星空。揺れる炎。初めての笑顔。

 泣きながら、だけどちゃんと、真美も人生におけるお守りのようなものをしっかりと、ルシウスからもらって、現代に帰って行くんだなあと。だから、安心して見ていられました。

 ルシウスはたくさんのものを、真美やおっちゃんたちから学んだけれど、その逆もしかり。
 真美は、ルシウスの生き方に、大きな感銘を受けたのだと思います。

 見終わってつくづく思ったんですが、この映画、阿部寛さんなくしては成立しなかったな~と。もう、ルシウスが愛しすぎる(^^)

 平たい顔族とのギャップがすごい。そして、筋肉質で美しい体。まるでギリシャの彫刻のようでした。ルシウスの生真面目で、仕事に対しては妥協を許さない生き方。それは、素の阿部寛さんにも通じるものがあるのかなあ~、なんて、考えてしまいました。

 思い返してみますと、阿部さん。映画は『はいからさんが通る』の少尉役でデビューでしたね。あの役は正直、あまり合っていなかったと思いますが(あれは、キャスティングした人に責任があります。ドイツ人とのハーフで、色素の薄い美青年って、その設定からして無理があると思う)、このルシウス役はもう、阿部寛さんがぴったりすぎて、他の人など思いつかない。

 ルシウス役をを阿部さんがやってなかったら、映画のよさは半減してたと思います。

 真実役の上戸さんも可愛かったなあ。普通の格好しただけで、なんでこんなに可愛いんだろうっていう。
 実家の旅館に帰ってくるシーン、いろいろ着こんで大変なことになってるんですが、普通だったらむさくるしい感じになるのに、上戸さんだとオシャレなんだな。

 あと、ケイオニウス役の北村一輝さん。異彩を放ってた。
 女好きの設定なんですが、女性を口説くそばから、殺してそうなオーラが出てるのは何故~(^^;
 恐いんです。狂気のようなものを感じて、ゾクっとしてしまった。青ひげ、みたいな・・・。
 味のある役者さんなのですね。本当に独特で、目立ってたと思います。

 それから個人的にすごく驚いたこと。旅館のおっちゃんたちの一人、館野を演じた竹内力さん・・・いつの間にこんなに貫録がついたんだろうっていう・・・・。

 私の知ってる竹内さんは、アイドル枠だったんです。たしか、セーターの本とかにも載ってたような。例えるなら、野村宏伸さんみたいな感じだったのに、いつのまにこんなにイメージ変わったんだろう。同一人物です、と言われても、にわかには信じられないくらいでした。

 この映画の中で、私が一番綺麗だなあと感動した場面は、ルシウスがアントニヌスに大事な話があると告げる前の、回廊シーンです。

 映像の、光と色の加減がなんとも言えず素晴らしかった~。

 古代の荘厳な建築に射す、夕暮れ、少し手前の光。(あれ、夕暮れだと思うけど、違うかな~)
 柱の表面の凹凸が、絶妙な影を作っていて。

 胸を打つ光景でした。その向こうになにがあるのか、そこは映し出されてなかったけれど。きっとあそこは小高い丘で、あと1時間かそこらで、辺りはもっと赤く、染まり始めるのかなあって。

 正確には、まだ夕焼けって時刻ではなかったのかもしれないですが。ほどなく始まる夕暮れの寂しさを、その色を、想像させる光の色だったんですよね。昼の眩しい、透明な強い光とはまた違っていたような。

 『テルマエ・ロマエ』、見に行って良かったです。

映画『はやぶさ』感想

 映画『はやぶさ』を観た後、プラネタリウムで星空を堪能しました。

 以下、映画の感想を書いていますが、ネタばれを含んでいますので未見の方はご注意ください。

 映画は、竹内結子さん演じる水沢恵が、とてもいい味を出していたと思います(^^)
 元々好きな女優さんだったんですが、可愛いのに地味、そして挙動不審、というキャラを見事に演じてらっしゃいました。

 人の目をきちんと見られない気弱さ、その一方で好きなものに一直線になれる情熱、不可能な量の翻訳をきっちり期限までに仕上げてしまう天才ぶり、いろんな表情を見せる水沢に、どんどん惹きこまれていきましたよ。

 そして、水沢だけではなく、「はやぶさ」プロジェクトを成功に導いた多くの人たち。水沢以外は、みんな、モデルの方がいたみたいですね。誰もが本当に魅力的で、みんなの努力が実り、無事打ち上げとなったときの映像では、思わず涙が出てしまいました。

 ここまで来るのが、大変だったんだなあって。

 当たり前ですけど、一人の力じゃなくて。
 宇宙が好きで、「はやぶさ」に託したそれぞれの熱い夢が、結集してやっと形になった瞬間だったから。

 鹿児島の内之浦で打ち上げがあったとき、それを現地の方々が、老若男女、みんなわくわくして嬉しそうに見上げてるんです。それを見たとき、胸が熱くなりました。

 無数の力が合わされば、奇跡が起こる。

 目に見えない人の思いも、重なれば大きな流れをつくる。

 ロケットの発射を、みんなが子供にかえったような無心な目でみつめている姿。

 開発に携わった方々の思いも、もちろんですが、その他にもたくさんたくさん。いろんな人の気持ちが、「はやぶさ」を応援していたんだなあと。

 宇宙はあまりにも大きくて、謎だらけで。

 私も日常に疲れたとき、ふと宇宙のことを考えると、不思議な気持ちになります。
 人はどこから来たのだろう。
 この世界は、なんなのだろうと。

 そして、たまにプラネタリウムへ行って星の話などを聞きますと、自分が悩んだりしていたことが、とても小さなことに思えてきます。

 宇宙の大きさに比べたら、どうでもいいや(笑)という。

 あんまり、あんまりにも圧倒的で。宇宙凄いよ。本当に。

 頭のいい科学者が、全力で立ち向かっても、なかなかその全貌をつかめないほどの巨大な宇宙。調べても調べても、答えはもっともっと、その奥、もっと深くへ。

 だから宇宙は、多くの人を魅了してやまないのでしょう。

 この映画は、人間賛歌だなあ、と思いました。
 登場人物一人一人が、愛おしくなります。

 皆さんそれぞれ、すごい科学者だと思うのですが、一方で日常生活は科学とはまったく関係のないところでの葛藤があったり。

 私が印象深く覚えているシーン。鶴見辰吾さん演じるエンジン開発担当責任者の喜多が、マンションの理事会?に出席している最中、携帯に仕事の緊急連絡が入る、という場面です。
 どうみても、高級マンション、という感じではなくて。
 本当に庶民的な、よくあるマンションの会合、という風景の中。

 喜多さんは、周囲に謝りながらその場を抜け、職場へ一直線に向かうのですが。どこにでもありそうな理事会の平凡な風景と、電話の内容、最先端科学の対比がとても、強烈なインパクトでした。

 世界でも有数の最先端の技術を扱う人であっても、人間で。一歩、仕事を離れれば、私たちと変わりないような日常の生活があるんだなあって。

 夢を追い続けることの素晴らしさ、も、この映画を見て思いました。

 どんな仕事も、結局は、「夢」とか「好き」という気持ちがあってこそだと、そう思いました。だからがんばれるのだと思います。
 この、「好き」という気持ちだけは、その人本人にもコントロール不可能な、不思議な感情で。

 この映画を見たから、というわけではないのですが、実は私も最近、自分がずっと憧れていた職場に、就職しました。覚えることも多くて大変なのですが、やはり「好き」という気持ちがあると、がんばれてしまいますね。
 「好き」という気持ちは魔法のようなもので。
 仕事を進めていく上での、尽きないガソリンのような感じです。

 映画の中で、高嶋政宏さん演じるカメラチームリーダーの坂上は、水沢にとても素敵なアドバイスをしていたと思いました。

 水沢は、最初は兄のために宇宙関係の仕事を選んだのかもしれませんが、実は自分自身も、宇宙のことが大好きだったんだと思います。でも、それに気付いていなかった。

 映画の冒頭で、西田敏行さん演じる的場と、講演会後に嬉しそうに言葉を交わす水沢の姿に、それは表れていました。あれは兄のために、的場に近付いたのではなく。水沢自身が講演の内容に興奮し、思わず話しかけずにはいられなかった、そういう場面だったと思うのです。

 兄のためではない。自分が宇宙が好きで、この仕事を選んだのだ。
 水沢がそれに気付いたとき、彼女はもっともっと、大きな力を発揮できるんだろうなあと思いました。

 そして、そんな貴重なアドバイスをしてくれた坂上自身は、プロジェクト途中で契約終了となり、はやぶさの成功をスタッフとして見届けることもできず現場を離れるという現実・・・。

 映画の終わりの方で、なぜか坂上が砂漠に現れたシーンは、余計なものだったと思います(^^;
 あそこは、水沢が坂上の不在を意識するところがあれば、それだけでよかったなあ。
 坂上が再登場してしまうと、いかにもテレビ的というか、映画的なハッピーエンディングのようで。
 あのまま、ほろ苦い砂漠シーンで良かったような気がします。

 ところで、坂上が契約切られた(というか、契約終了で、再契約がなかった?)のは、やはり上の人間に予算のことなどで噛みついていたからでしょうか。
 登場するなりいきなり、くってかかるシーンだったので、恐いキャラだなと一瞬思ってしまったのですが。でもよく考えると、上に盾突く人は、部下にしてみたら頼りになる上司だなあって。
 坂上が率いるカメラチームは、上からの無茶な要求に四苦八苦していたわけで、でも末端の部下が上層部に物は言えないし、あそこではっきり意見を言った坂上の行動は、中間管理職としては立派なものだったなあと思います。

 坂上が、マイ定規で焼き魚の身をほぐすシーンは、大好きでした。科学者にありがち(といったら偏見か)な変人ぶりが、面白すぎます(^^)

 坂上は、はやぶさプロジェクトの成功を見届けたいという気持ちは大いにあったでしょうが、契約終了で現場を離れることになっても、さばさばと割り切っていたのが素晴らしかった。彼のような人なら、この先どこへいってもいい仕事をしてくれそうです。
 とはいえ本当は、彼のような人ほど、残って日本の宇宙開発のために働き続けてほしかったですが・・・。

 この映画で一番不満だったのは、冒頭の的場の講演場面。講演を聞きにきた人達を、「興味ない人たち」に描いてしまったことです。これはちょっと見ていて、あまり気分のよいものではありませんでした。
 たしかに、一般人は宇宙のこともよくわからないし、専門的知識もないし。
 でも、ああいう場にわざわざ出てくる、というのは、宇宙に関心の高い人たちだと思うんですよね。それを、いかにも「なんとなく来たけど、宇宙のことなんて興味ないし、な~んにもわかりません」的にデフォルメして描いてみせるのは、馬鹿にしてるようにもみえて、なんだかなあと。

 生瀬勝久さん演じる、謎のはやぶさファンの姿は面白かったです。はやぶさプロジェクトの成功後、なぜかきっちりと片付いた素敵なお部屋。あれ、この人、もしかしてちゃんとした人だったのかな~と思いきや、「明日ハローワーク行こう」発言に、プッと吹き出してしまいました。いや、明日じゃなく、今日行こうよ、みたいな。

 『はやぶさ』、上演時間は長めですが、かなりお勧めの映画です。これを観た日の夜は、絶対星空を眺めたくなります。

 私は映画の後、ご飯を食べてプラネタリウムへ直行しました。

映画『エクリプス』の感想

映画『エクリプス』見てきました。

以下、感想を書いていますがネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

『エクリプス』です。トワイライトシリーズの第三弾。一作目の『初恋』は見たのですが、二作目の『ニュームーン』は見ませんでした。原作を読んだので、ニュームーンの回は滅入るなあと思ったのと、その頃ちょうど、仕事が忙しい時期だったので。

そして『エクリプス』。

先日プラネタリウムを見たときに、星空の説明で今月21日に皆既月食があることを知りました。そうかー、eclipseか。そういえば、今ちょうど映画でやっていたんだっけ? 見に行ってみようかな。

そんな軽い気持ちで、あまり期待せずに映画館へ向かいました。

夜の回です。カップルが多いかな?と思いきや、館内は99パーセントが女性。これは、エドワード役のロバート・パティンソンの人気によるところが大きいのでしょうか?

私の右隣には、身を寄せ合ったカップル・・・もとい、親子でした。なんと、小学2年生くらいの女の子と母親。

いいのかなー。この映画、恋愛ものだから男女の際どいシーンもあるし、上演終わるの9時過ぎるんだけど。おまけにこれ、戦闘シーンとか、怖いと思うよ。一応吸血鬼ものだし、子供には刺激が強すぎるんじゃ・・・

などなど、私は余計なおせっかいとは思いつつ、子供のことを心配してしまいました。子供が見たがる映画とも思えないし。これはやっぱり、お母さんの趣味なんだろうね。

家で一人にさせとくより、連れてきたほうが安全と思ったのかなあ。でもでも、これを子供に見せるのはかなり、まずいんじゃないかなあ。

そして、私の左隣には、私と同年代の女性二人組。

大きなポップコーンと飲み物をしっかり用意して、鑑賞準備は万全。

内容は、ほぼ原作どおりでしたけど、『初恋』のときとは大分感じが変わっていました。なにより、せつなさがない(^^;

このトワイライトシリーズ。一言で表せば、人間の女の子ベラと吸血鬼の男の子エドワード(永遠の17歳)の恋物語なんですけどね。簡単に成就するわけではなく、そもそも人間のまま吸血鬼と添い遂げることなんてできないということで、女の子は苦悩するわけですよ。

吸血鬼になり、永遠の命を手に入れれば、家族とは離れざるを得なくなる。友人たちにも本当のことは言えない。すべてを捨てて、吸血鬼になる覚悟はあるのか?という。

そして、吸血鬼の男の子も難しい選択を迫られる。

愛する人を、人間のまま見送るべきか、それとも永遠の命を与え、ともに生きるか。

永遠の命=永遠の幸せ、ではない。というところがポイントだと思います。永遠であることは、むしろ究極の牢獄にも匹敵するのではないか、という。

そこらへんは、ミュージカルの『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観たときにも、すごく考えさせられましたね。

まあ、根底にはこの、吸血鬼になるべきか、ならざるべきかという命題があり。それを彩るかのように、さまざまな難題がベラに降りかかるのです。狙われるベラ。それを守るエドワード。ベラを愛するエドワードのライバル、オオカミ族のジェイコブの存在。

『エクリプス』では、『初恋』のときと監督が変わったので、その影響もあるのでしょうか。あの一作目の初々しさはどこにもありませんでした。

ベラがたくましくなっている(^^;

強いです。精神的に、完璧にエドワードを超えちゃってるよ、という。

ベラとエドワードが見つめあうとき、安定感があるんですよね。なんていうかこう、長く連れ添った夫婦的な。

一作目のときは、まだまだ二人はお互いに、不安感をにじませていたんですけど。相手の愛情を無条件には信じられないですから。瞳を探りあう、その悲壮感がとても純粋で、美しいと思いました。心を打たれた。

初めて誰かを好きになったときって、こんな感じだよねーと。

でも今回の作品では、二人の間に強い絆を感じました。

ベラとエドワードを演じた二人は、プライベートでも付き合っているという噂がありますが、それもうなずける感じです。勝手な憶測ですが。

そして、エドワードが、完全にお尻に敷かれちゃってます。ベラが握った主導権。エドワード、逆らえません(^^;

エドワードのライバル、ジェイコブを演じたテイラー・ロートナー。いい感じにたくましくなっていたと思います。筋肉が素晴らしい。ベラを軽々とお姫様抱っこしたのがすごいです。いくら軽くても、大人の女性をひょいと抱き上げてすたすた歩くなんて、なかなかできません。

対してエドワード役のロバート・パティンソン。いい人っぷりが全面に現れてました。きっと役を離れても、優しいひとなんだろうなあ。

ただ、永遠の高校生、17歳にしては少し、大人びてみえたかも。外見がもう少し幼いままだったら、永遠の命を生きる葛藤も、より強く伝わってきたはずだと思いました。

それと、原作のイメージである、ミステリアスな部分があんまりなかったのが残念でした。

原作だともう少し、謎めいた感じがあるのですが。

ベラと相思相愛になってなお、ベラを不安にさせるような。

心の奥に隠す本心を、観客もベラと一緒に手に汗にぎりながら追い求めるような、そんなエドワードだったらもっと、よかったなあと思いました。

本当に個人的な感想なのですが。心を完全に許しあい、安心しあったベラとエドワードだと、魅力が半減してしまうのですよね。もうちょっとだけ、ドキドキしたかったです。

ベラを演じたクリステン・スチュワート。一作目のときより、ずいぶん強くなったなあと。それは、全身に自信がみなぎっているからかもしれません。

エドワードとジェイコブ、二人に愛されてる、それは間違いないっていう自信。だから、心の揺れをあまり感じませんでした。そこが残念。

顔立ちは、原作のイメージそのものなんですけども。一作目のヒットで一気に人気が出たことも、この作品での自信あふれる演技につながっているのかな。

映画の中では、戦闘シーンの迫力がすごかったです。CGを駆使したリアルな映像。耳をつんざくような悲鳴。

そのたびに、隣の小さな女の子のことが心配になってしまいました。

この子、大丈夫かなあ。こういうのって、夢に出たりしそうだよね。ゾンビみたいな吸血鬼のオンパレード映像。

そして、映画の中ではベラが、エドワードとジェイコブを二股にかけ、女王様状態だったわけですが。それをあんまりだと思ったのか、私の左隣の女性が、そのさらに左に座る、自分の連れに向かって愚痴る、愚痴る(^^;

気持ちはすっごいわかりますけども。要所要所で、ベラに対する不満をぶちまけるのは、笑えてきてしまいました。自宅でテレビを見てるのとは違うんだよ~、と、心の中でツッコミを入れつつ。

たしかにね。ベラの仕打ちはあんまりですもん。

一番ひどかったのは、エドワードがすぐそばにいるのに、怒ってるジェイコブを宥めようと、彼にキスをせまる場面。

>I’m asking you to kiss me.

いやー、すごいです。ある意味。普通言えないですよ、こんな台詞。こんなこと言っちゃったそのすぐ後じゃあ、エドワードにあわせる顔がない。普通の人なら、ですけど。でもベラは特別な血を持つだけあって(褒めてます)(^^; 平然とこんなこと言っちゃうんですね。

私は心の中で、叫んでました。

あれーー!! ジェイコブにはきっぱり友達だって言ってたじゃん。恋人とかそういうのは無理とか、そういうのはっきり言ってたのに、なぜキスしろと? 訳わかりません・・・。そりゃ、ジェイコブも混乱するって。

私の心を代弁するかのように、私の左隣の女性は憤懣やるかたないといった様子で、友人にベラの悪口をまくしたてていました。

まあ、そりゃあそうですよね。誰だって同じことを思いますよね。きっと左隣の女性はエドワード役のファンなんだろうし。そしたらベラの振る舞いには、我慢できませんよね。

『エクリプス』、もし副題を付けるとしたら、『ベラと二人の下僕たち』かもしれないと思いました。

愛しちゃったほうが負けなんですね。許さざるをえないということで。

結婚している友人が、力説していたのを思い出しました。

「女はねえ、自分が好きな相手と結婚するより、好きだと言ってくれる相手と結婚するほうが、幸せになれるのよ」

好きな相手だと、わがままでさえも、新鮮な魅力になるのかもしれません。

次回作、見に行くかどうかは、未定です・・・・。