遠野なぎこさんの毒親

遠野なぎこさんの自宅で、遺体が発見されたというニュース。痛ましいです。個人事務所だからなのかその後の発表もなく。NHKの朝ドラで一世を風靡した人の最後としては、あまりにもさびしい。

遠野さんは、母親から虐待を受けていたそうですが、それでも母親に愛を求め続けた。

ただそれは、無理だったと思う。どうあがいても愛をくれない相手から、愛を求め続けても自分が傷付くだけだから。お母さんは変わらなかったでしょう。

最後、お母さんは自死されたそうですが、もし遠野さんが献身的にお母さんの面倒をみていたとしても、結果は変わらなかったと思います。だから、遠野さんは絶縁していて正解だった。離れていれば、それだけ傷が少なくてすみますから。

遠野さんは兄弟とも絶縁していたそうですが、兄弟は結局、お母さんの子供なので、それも無理はないというか。お母さんの遺伝子を受け継ぎ、お母さんに育てられれば、それはもうお母さんのような兄弟になってもおかしくない。

遠野さんとわかり合えなかったとしても、当然だと思います。そのことによって遠野さんはとても孤独を感じたでしょうけど。

どんな親に当たるかというのは、運です。親に限らず、家庭環境含め、すべてが運。生まれてきたときにある程度決まっている。

何不自由なく愛されて育つ子もいれば、極貧の中、虐待されて育つ子もいる。理不尽だといえばそれまで。でもそれがこの世の理だと思う。

もし遠野さんに相談されたら。私はきっと、諦めと、妥協を提案していました。まず、諦めること。

もう仕方ないですから。幻を求めても、余計に傷付くだけ。もはや諦めるしかない。認めたくないけど、認めるしかない。自分の親が毒親であると。

それから、妥協、ですね。できる範囲で、自分を褒める。自分の人生に意義をもたせる。

遠野さん、妹や弟の面倒をみたそうです。自分だけが虐待されて、それでも、虐待されない妹や弟を虐めるのではなく、食事や生活のお世話をした。立派です。

たとえ誰が褒めなくても、素晴らしいことだったと思う。当の妹や弟は、遠野さんが除外された、母親の再婚相手の籍に入り、そのことで遠野さんは弟妹が裏切ったように感じたようですが。

仕方ないです。母親も、弟妹も。人の気持ちを変えることはできない。

遠野さんには、自分で自分をほめてあげてほしかった。よくやった。すごいと。弟妹は遠野さんに助けられて、普通の人生を歩めた。そのことだけでも素晴らしいじゃないですか。そう考えると、遠野さんも救われたんじゃないかな。

生まれた時から家庭環境を選ぶことはできず、親兄弟も選べない。だから、後は妥協するしかないです。いいところを見て、ちょっとでもいい方向を選ぶ。そして自分を褒める。

遠野さんは家族には恵まれなかったかもしれないけど、そのぶん幸運だったことは、芸能人としての成功でしょう。どんなにお金やコネを積んでも、売れない人は売れない世界。本人の努力や才能とは別に、運が大きく左右する芸能界。

遠野さんはNHKの朝ドラで、主役を務めました。それって、ものすごく稀なことであり、幸運だったと思います。家族に恵まれなかった分、そういうところで運がまわってきたのかも。

朝ドラの主役をやって、それっきり・・・ということもありませんでしたね。いくつかのドラマに出て、テレビのバラエティーでも毒舌を買われ、一定の知名度がある女優さん。芸能界を目指す人は多いけれど、こうやって実績を作り、代表作もあり、名前を挙げれば多くの人が、ああ、と思い出す女優さんになったのは、すごいことだと思う。

だから、諦めて、妥協してほしかったなあと思ったりします。絶対に手に入らないものを求めて求めて、傷だらけになってた気がする。

親との関係性が悪い人って、結構多いと思います。いちいち口に出さないだけで。そして、虐待は受けていなかったという遠野さんの弟妹だって、遠野さんに知らないところで、いろいろあったと思います。遠野さんにあれだけの虐待をしたお母さんが、弟妹だけには何一つひどいことをしない、なんてことはないでしょう。

遠野さんの前では、遠野さんだけを虐めたかもしれない。でも、遠野さんがお母さんから離れたら、ターゲットは弟妹に向かっていたのではないかなと思います。自死されたお母さんを発見したのは弟さんだったようですが、弟さんもまた遠野さんとは別の、虐待を受けていたのではないでしょうか。そして弟さんは、有名人である遠野さんが発信する、「母からの虐待」という言葉に、傷ついていたと思います。

今も、虐待に傷付き、毒親との関わりに悩む人は多いと思うので、考え方として、「諦め」と「妥協」を取り入れてほしいです。

あなたの人生には意味がある、と思います。自分が傷付いたから、誰かを傷付けまいとした、優しくした、そしてあなたの犠牲の上に、誰かの「普通の人生」が成り立ったなら、それは素晴らしいことだと思います。誰が知らなくても、それはすごいことなのです。

遠野さん。発見された遺体が本人なら、今は苦しみを忘れて、安らかに眠っているのでしょうか。生きていてほしかったけれど、今安らかな気持ちでいるなら、苦しみがなくなったことをよかったと思います。どうか、安らかに。

米が高い

お米が高いですね。今年の1月に農協直営のお店に行って、対面販売のお米を買おうと思ったらなかった_| ̄|○

農協でお米がないってどういうこと?と思いましたよ。値段がどうとかではなく、その時(2025年1月)には米そのものが存在していなかったのです。張り紙がしてあって、しばらく米の入荷がないことが告知されていました。対面販売で計り売りしてくれるので、それをその場で精米してもらうのが楽しみで、10年ほど前から利用していたけどこんなことは初めて。

まあ、量り売りのお米はないとはいえ、それ以外の、すでに精米して袋詰めされた普通の商品は売ってましたので、困ることはありません。それを2キロだけ買って帰りました。

3月の頭にもう一度、出かけたのです。そしたら今度は量り売りのお米がちゃんと入荷していました。びっくりしたのはその値段。1キロ800円でした。これは玄米でのお値段なので、精米すると実質はもっと高くなりますね。5キロで4000円を超えるお値段です。去年の同じ時期の、2倍近いです。

これは政府の失策ですし、このままじゃダメだと思います。大問題です。だって、お米は日本の主食だから。嗜好品と違って、高いから食べるのをやめる、というわけにはいかないんです。

代用品として、パスタやうどんを食べてる方もいらっしゃるようですが、小麦粉はお米とは違って、グルテンがあるから日本人には向かない食べ物だと思います。日本人の腸にはお米が一番合っていますし、お米を食べている限り健康でいられます。

東城百合子さんの「自然療法」という本をご存知でしょうか?すごくいい本なので、お勧めです。

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私はこれを読んで、玄米を食べるようになりました(^^)毎日、玄米と、精米したお米を混ぜて食べてます。スーパーで売ってる白米を食べるときもあるし、農協直営のお店で、好みで精米してもらって(3分づきなど)、お米の大切さにも、あらためて気づけたし。日本人はたぶん、お米さえあれば大丈夫。

だからこそ、お米が高いのは困るし、これは何とかしなきゃいけない。今は、お米はどに行っても買えるし品不足というわけじゃないのよね。ただ、高い。去年の約2倍。主食が去年の2倍って、どういうことだろう。

備蓄米の放出が決まっても、入札が終わっても、備蓄米が3月下旬にはスーパーなどの小売りに出回るだろうと言われても、値段は下がりませんね…

主食が1年で2倍になるって、そりゃダメでしょう。嗜好品じゃないんですよ。誰もが安心して、いつでもお米を買える世の中でなければだめです。世の中貧富の差はあるけれども、どんなに貧しい人だって、日本人である限りお米だけはいくらでも自由に買える世の中であってほしい。

お米の高騰を招いた、政治ももちろん悪いけど。

でも私には、お米に関して、日本人に関して、少し思うことがあるのです。

日本人も、一部の人たちはお米に対する敬意を忘れていないか?ということ。

日本人が、お米に対する感謝を忘れたことが、今日のお米不足、高騰を招いている原因の一つではないか?

私の周囲では、次々と田んぼが埋め立てられて、それが野立ての太陽光発電に変わったり、住宅に変わったりしています。そんな中で残った田んぼは、本当に貴重ですし、大切な日本の風景です。だけどその田んぼ道に、平気で犬にフン尿させている人たちが多いんです。

見かけると、本当に嫌な気持ちになります。うちの畑の前を犬のトイレにさせろと、とんでもないことを言ってきたいつかのおじいさんも、田んぼには犬のフンを投げ捨ててましたよ。投げ捨てるというか、自分がついている杖で、犬のフンを田んぼに弾き飛ばすんです。

そういう光景をみて、本当に腹が立ったのを覚えています。今はそのおじいさん、犬が老犬で死んだのか、この頃は姿をみかけなくなったけれど。

お米を作る田んぼに、散歩している犬のフンを放り込むなんて、あまりに傲慢な行為です。もちろん、フンの他にも、尿やマーキングは、し放題ですよ。田んぼの周りは、ちょうどよく草が刈りこんでありますからね。でもその草、お米を作っている田んぼの持ち主が、一年を通して一生懸命刈ったものなんですよ。そこを、犬の散歩の人たちが、自分の犬のトイレにしてしまっている。

私は、自分の畑の前を犬のトイレにされたのも腹立たしかったけれど、田んぼ道で犬の散歩中の人が傍若無人にふるまうのも、本当に許せなかったですよ。だって、お米ですから。人が食べるお米、それを作る場所への経緯が何もない。草が生えているから、犬の散歩の人はそこを自分の犬のトイレと決めて、毎日自由に振る舞わせているわけです。いつかバチが当たるんじゃないかと思ってました。犬のフンは、拾えばいいってものではないですし、尿は回収できないですし、そもそも田んぼでさせるべきではないです。

このお米の高騰がその、罰という側面も、あるんじゃないかな?と、ふと思ったりするんです。荒唐無稽ですかね?でも、因果は巡ります。

犬を大切にしすぎる世の中も、間違っているのでは?よその土地を、そしてお米という神聖な食物の場を、「都合のいい犬のトイレに使っている人」。私の周りだけではないと思うんです。

犬のフンという究極に汚いものを、人間の口に入る食べ物を育てる場所(田畑)に置く。これは、罪深いと思いますよ。犬や猫は、あくまで犬や猫だと思います。可愛がるのはいいけれど、だからといって、人間とは全然違う。

世の中、少しおかしいのではないか?と、思っていた今日この頃です。お米が高くなったのを見て、なんとなく、因果が巡ってきたのかなとおもいました。犬に、田んぼ道で、フン尿マーキングさせていたツケが、きているのでは?

日本は豊かになりました。貧しくて、食べていくのに精いっぱいだった時代とは違います。だけど豊かになったとき、食への感謝、お米への感謝がなくなってしまったんじゃないのかな?

そんなことを思いながら、この米騒動を考えています。これだけ長期的な大問題になったのには、それだけの根がありますし、複合的な原因があるでしょうね。お米について考え直す時が、きているんだと思いました。

フジテレビとか宝塚とかジャニーズとか、ひどすぎ

フジテレビの騒動を見ていて思うのですが、問題が本当に根深い。個人のトラブルとかではないですよね。長く続いてきた伝統があって、反社会的な行為を告発する人たちをもみけす上層部がいて、その上層部にはもっと上の、暗い闇がある。

宝塚の事件では、宙組のトップスター芹香斗亜さんが退団公演をされたそうですね。東京公演はこれからみたいですけど、ニュースを読んでびっくりしたのは、「私は、幸せでーす!」の言葉。

亡くなった方のことを思うと・・・。

それを無邪気に喜ぶファンの人達。本当にそれでいいのか。批判してる方もいたけど、まるで何事もなかったかのように、芹香斗亜さんを応援している人もたしかにいて。人それぞれとはいうものの、応援している人の気持ちが全く理解できません。

トップスターには責任があったと思いますよ。もちろん、彼女だけの問題ではないけれど、「私は、幸せでーす!」はあまりにも無神経な言葉。結局、そういうことだから事件は起きたのだな、と納得しました。

フジテレビもそう。中居正広さんのファンの一部が、被害者を責めているようですが。なんの釈明もせず引退したというのは、よほどの行為があったということで、中居さんをかばう人の気持ちがわからない。なんの釈明もしないから無実とかではなく、むしろ逆で、釈明できない事情があったのだと思いますが。

そういうふうに、ファンだからと盲目的に信奉することが、結果的に加害者を応援し、被害者を傷付けることになるのだと思います。

だから、フジテレビも宝塚も一緒なんだろうな。

許されると思ってるから、被害者の声を封じ込めて、悪しき伝統が続くわけです。結局問題が露わになるまでには、似たようなことが何度も起きていたんじゃないですか?声をあげても、握り潰されてきた被害者が、たくさんいるんじゃないかな。初めてじゃないはず。

大きな問題だからこそ隠しきれず今回明らかになったけど、そうなってなお、加害者をかばう人たちがいるのは理解できないですね。

私だったら大ファンだったとしても、起きた出来事を考えたら、完全に冷めます。人として尊敬できない相手を、好きにはなれない。

フジテレビも、宝塚も、政財界のつながりがあって、善悪ではなく自分達のルールでここまで来たのかもしれませんが。今後は今までと同じとはいかないと思います。いろんなことが暴かれていくはず。

長谷川豊さんが堀江貴文さんと対談した動画を見ると、フジテレビのあの変な記者会見の謎が解けます。トップの日枝さんがなぜ出てこないか、なぜあの記者会見でずっとかばわれていたのかも。

いろいろつながります。ジャニーズもそう。なぜ問題が発覚しないか。握り潰されてきたんです。声を上げた人が、追放されてきた。知ってて、知らんぷりする人たちが業界に残った。そして、ファンと称する一部の人たちが、加害者をかばい、被害者を責めた。

その業界内にいて真実を知っているのに、保身を考えて声を上げない人の気持ちは、わからなくもない。会社をやめれば生活が成り立たない。家族がいれば弱みになる。

でも、まだ黙っているだけなら理解できるけれど、積極的に被害者を追いつめる側にまわるのは違うよなあと思う。

今回長谷川豊さんが発言したのは衝撃的な内容で、これが嘘なら訴訟になる。相当な覚悟で、発言されていると思う。それに対して、長谷川さんに即反論したのは、笠井 信輔さん。

2人の発言を照らし合わせると、どちらかが嘘ということになる。これは勘違いという話でもない。意図的な嘘がある、と思う。いったいどちらが?いろんな状況を重ね合わせて総合的に見た時、私には長谷川さんの話の方が真実に思えるし、いろんな事実とも符合する。

フジテレビの実質トップは日枝さんみたいだけど、そのまた上がいますよね。そしてそのまた上が。巨大なマスメディアの権力。これを利用する政治家がいる。

単なる芸能スキャンダルではなく、日本を揺るがす話です。上のそのまた上を、明らかにしない限り、この問題は終わらない。そして、フジテレビもジャニーズも宝塚も、元をたどっていくとすべてつながっていますよね。

フジテレビもジャニーズも宝塚も、傷つきながら声を上げた方がいたから、いろいろ明らかになりました。そういう方たちの勇気は素晴らしい。現場にいる、真実を知る方たちにしか、語れないことがあるのです。

ジンジャーリリーの贅沢

少し冷たい夜風に吹かれながら、ジンジャーリリーの香りに包まれる贅沢を堪能しています。この季節のお楽しみです。

秋の月は蒼く寂しく、風の中にはたくさんの植物の香気が混じり。玄関をあけて庭に出ると、もの悲しいような、ノスタルジイを感じながら、過去を思い返しています。香りと雰囲気が、一気に記憶を過去へと押し戻すのです。

一方、隣のおうちの、窓をあけた風呂場から漂う化学香料の匂いは、強烈です。シャンプーやボディソープに、なぜそこまでの強い匂いを持たせるのか。メーカーの考えることは、全然わかりません。このところ、香害の話をよく聞くようになりましたが、まさに香害です。強烈な香料を毎日使っていると、自然と鼻が麻痺してしまうのでしょう。これだけの強い香りを日常的にまとうのは、体によくないと本能でわかります。

知らず、息をとめて早足で裏庭へ。そこは楽園です。そこかしこに、ジンジャーリリーが咲き誇っています。葉っぱはまさに、しょうがそのもの。けれど我が家の庭は、季節がくれば確実に、白い清らかな花が開き、辺り一面が芳香に包まれる。

月明かりに、落ちて転がったフェイジョアの実を拾いながら、しばし庭を散策します。うっかり踏めばつぶれて、食べられなくなるのがもったいない。フェイジョアの酸味と甘みの入り混じったおいしさは、この季節だけの特別なもの。

風も吹かないのに、深まる秋の空気の中で、フェイジョアはひとつ、またひとつと重たい実を落とし。地面に転がったフェイジョアの実が、やるせなげに煌々と冴えわたる月を見上げているのです。

夜目にも白い、ジンジャーリリーの花。花嫁のブーケによく似あう、やわらかで清純な白です。咲き始めの、まだつぼみがいくつかついたジンジャーリリーを切り、玄関に飾れば、家中が香気に満たされます。大きな葉を落とし、いつも茎を短くして飾ります。葉は葉で、大きな花瓶にはよく似合うのですが。

昔は、きんもくせいの香りが好きでした。秋の定番。けれど今は、きんもくせいの香りのなかに、くどい甘さを感じてしまう。いい香りだとは思うけど、昔よりは、好き度が下がってしまったかな。きんもくせいの香りを厭う人の気持ちが、すこしわかる。強引すぎて、甘すぎて、辟易してしまうんだろう。

現在私の好きな香りを3つあげますと。

・ジンジャーリリー

・みかんの花

・ビワの花

これらが三本の指に入りますね。花瓶に飾って楽しむのには、ジンジャーリリーが一番合っているのかも。まるで蘭の花のように気品があります。

香りの女王、バラが入っていないのは、きんもくせいと同じく、そこに濃厚な甘さと強引さを感じてしまうから。香りは好きだけど、胸いっぱい吸いこむけれど、いつまでもいつまでもその場にいると、少し酔ってしまう。

ジンジャーリリーが終われば、やがてひそかにビワの花が咲く。小さな目立たない花だから、香って初めて、「ああそうか、ビワの花の季節なんだな」と思う。

自然の香りに勝る、人工の香りはありません。香水なんて不要だよなあ、と思うこの頃。今や、洗剤メーカーも、シャンプーも、ボディシャンプーも、競って強い香りをセールスポイントにしているけれど、人工的な香りの押しつけは、もはや暴力なのです。

こうして秋の夜更け、ジンジャーリリーの前に立ち、深く息を吸い込むとき、私はそんなことを思うのです。

甚振る

9月はなかなか、いろいろあった1ヵ月でした。打ち合わせで東京へ2度ほど出かけました。2度目が9月30日(月)だったのですが、この9月30日の打ち合わせがひどかった。悪い意味で(^^;

詳細は書けないのですが、権力者に甚振られる(いたぶられる)というストレスフルな経験をしました。(苦笑)

「いたぶる」って、「甚振る」って書くんだなあ。勉強になった。どんなことにも、ポジティブな一面を見つけて、前向きに考えて行こうと思う。

1時間強の話し合いでしたが、終わった後ヨレヨレになりました。その1時間で私がされたことって、どういう表現が近いのかなあとずっと考えていたのですが、そうだ、「甚振られた」だと気付いて、気に入ってこの言葉を使っています。

というのは、その話し合いには、絶対的な権力者Aさんがいるのですね。本来は自由なはずの結論を出すのに、私はめちゃめちゃAさんの意向に沿うように強要されたのです。終始一貫して。

9月30日の話し合いが、そういうものになるであろうということは、予想していました。でも、私が私なりの考えを述べることは自由ですし、そういう場であったはずなのですが、権力者Aさんの圧がすごかった(^^;

なかなか、あそこまで独善的にはなれないかなーと思いました。

9月30日の打ち合わせの目的は、そもそも私の意志表明(方向性の表示)だったんですよ。私が結論を出す日だったんですね。私とAさん以外に、3人参加して、計5人での話し合いです。

A「で、どうするんですか?」

私「いろいろ考えましたけど、〇〇に決めました。理由は〇〇と○○です。詳しくは~」

で、いろいろ説明したんですけどね。私としては、別に感情的に衝動的に出した結論ではなく、いろんな条件を理解し、検討した上でのことです。それを説明するために、理由も詳しくお話ししました。なぜ私がその結論に至ったのか、納得してもらえると思って。

そもそも、本来は説明をしなくても別にいいし、結論だけで押し通してもいいことだったんです。私が「ともかくこれに決めました」と、押し通してもよかった場でした。けれど、理由や経緯をお話しした方が、Aさんも納得しやすいかなと思って、きちんと説明はしました。

その後が、すごかったのです(^^;

考えをあらためるよう、同じ話で繰り返し説得されました。

A「でも~だから~でも~だから~それに~だし~」

B「全部承知しています。その上で、よく考えて自分で決めました」

おかしいのは、上記会話を5回以上繰り返したんです。5回は異常でしょう?

実はこのケース、最終的な判断を出すのは、Aさんなんですね。だから別に、私の意志がどうであろうと、AさんはAさんで判断すればいいだけの話だったんですけど。このAさん、どうしても私から、自分の思い通りの言葉を引き出したくて、ずっと同じ会話を繰り返すんですよ。

途中でさすがに、その異常性に気付いた私です。

だって、大の大人が、同じ内容を5回繰り返すって、どうかしてますからね。私もさすがに、

「だから何回も同じこと言ってるじゃないですか!」と言ってやりたくなりましたが、なにぶんAさんは権力者なので、私は立場上絶対に逆らえないポジションでして。だから、馬鹿みたいだなと思いながら、ほぼほぼ同じ会話を繰り返しましたね。

たださすがに、5度目には、私も静かに(できるだけ感情を抑えて)言いましたよ。

私「さっきから、同じ会話をずっと繰り返しています」

A「あなたのためを思って、これが最後の忠告なんです」

あなたのためを思って、というのは嘘です(^^; Aさんは自分の言う通りの結論を、私の口から言わせたいだけ。けれど、ここは私が自由意志を表明する場所ですから、屈するわけにはいきません。

結論から言うと、私は最後まで、妥協しなかったです。脅すようなことを言われても、最後まで自分の自由意志を表明しました。それでよかったです。というか、それが目的の場だったはずなんですけど。私の出した結論を、確認する場だったのでね。

権力者のAさんには、権力者のAさんの考え方がありました。それはいいんです。でも、それを私に押し付けて、私の意志としてその言葉をいわせようとする、それは違います。

権力者のAさんは、自分の出したプランαを飲め、と言うのです。私は、「あなたはどう思いますか」と問われて、「私はこのプランαは受け入れられないです」と言いました。普通はそこで終わりです。プランαをどう思うか、私の意志を確認する場が、9月30日だったから。

プランαを飲みこませようとするAさんの態度があまりにあからさますぎて、私はAさんにこう尋ねました。

私「私はこのプランαを受け入れられないんですが、受け入れることは強制ですか?」

A「いえ、強制ではありません。受けるも受けないも、あなたの自由です」

私「では、私は受け入れられないです」

それで終わると思いません? しかしAさんは違う。Aさんはひたすら繰り返すわけです。

A「プランαは~だし~だし~だし、だから受け入れてはどうですか?」

私「おっしゃったデメリットは全部承知していますし、よく考えた上で、私はαの受け入れはしたくないです」

本当に不毛で、苦痛な1時間強の打ち合わせでした。

私に、なんとしてでも「αを受け入れます」と言わせたいAさんの思惑がみえみえで、本当に不愉快でした。でも最後まで、私は自分の意志に反した嘘はつきませんでした。

思ってもないことを言わせる、というのは、嘘をつかせるということですよ。人の思いはそれぞれ自由なのではないでしょうか?「どう思いますか?」と聞くのですから、正直な思いを話してOKだと思いますし、Aさんの思い通りの答えを言わせようとするのは、あまりにも傲慢です。

もしAさんが権力者でなかったら、私も不毛な会話はもっと早く、切り上げていました。時間の無駄ですから。同じ会話を、100回、200回繰り返したら、私の考えが変わる? それは強制や嫌がらせでしかありません。

Aさんは、これまでもこういう行為を繰り返してきたのかな?と思いました。普通の人なら、屈していると思います。あなたのために、とAさんは言うけれど、それはつまり。

「あなたが自分でする判断より、私のアドバイスの方が正しい。だから私の言う通りに言え。あなたの判断は間違いだ」と言っているのと同じこと。

相手が自分に逆らえない、自分の方が立場が上、それを踏まえて相手に言葉を強要するのは、本当にゲスな行為だし、やってはいけないこと。

私の意志を確認するための打ち合わせだったのに、なぜか、Aさんに、Aさんのアドバイスに同意するよう、強制されるという1時間。よく耐えたよ、自分。

自宅に帰ってきたその晩は、悔しさでなかなか眠れなかったし、いったん寝た後も3時頃に目が覚めてしまい、それからまた眠れなくて、外に出て庭で空を見ながら深呼吸をしたり、体操したり。

ずっと頭から消えることはありませんでしたね。Aさんは本来、私がプランαを受け入れるか受け入れられないかを確認するだけだったのに、なぜここまでの強引な行為に出たのか。

感情を沈め、冷静な判断をしなければなりません。まだ終わりではなく、この件は解決までもう少し時間がかかりそうです。