2016年を振り返る その4 明治神宮と預言カフェ

今年も数回、東京へ行く機会があった。私は、東京へ行くと必ず立ち寄る場所がある。それは、代々木の明治神宮と、高田馬場の預言カフェ。

明治神宮では、社務所のそばを通りかかったとき、あまりにも窓からこぼれる明かりが素敵で、一枚写真を撮った。暖かな橙色。こんなふうに光がこぼれてくる雰囲気が好きだ。どんな人が集って、どんな話をしているんだろうなあと思う。

窓越しに見える灯りは、やっぱり暖色系がいいのだ。いつか、どこかの公園の脇を散歩していた時。古い洋館の窓の向こうにも、やっぱり、オレンジ系の照明が見えた。その部屋には無数の時計があって、今もときどき、その部屋のことを思い出すことがある。普通の民家のようで、時計屋さんでもないのに、なぜあんなに部屋の中に時計があったんだろうと。

そして、高田馬場の預言カフェにも、今年は計3回も通ってしまった。ウェイティングリストに名前を書いて、席に着くまでは長いけど。コーヒーを飲み預言をいただいたら、余韻は一切なしですぐにお店を出る。

預言カフェの何が嬉しいって、とにかく神様からの言葉として、すごく褒めてもらえること。落ちこんだときは、書き起こした言葉を読み返して、元気をもらっている。

今年は高田馬場だけでなく、赤坂にも預言カフェの2軒目がオープンしたのだ。高田馬場店で預言を受けた後、さっそく赤坂にも行ってみた。雰囲気はよく似ているけど、赤坂の方は窓がない分、少し暗くて圧迫感があるような。

この赤坂店は、私が行ったときには全く並ばずに入れた。私が入ってちょうど満席となった感じ。高田馬場はいつも待ち時間があるのだけれど、こちらはすいているから、急いでいるときにはありがたいなあ。

赤阪店では、抽象的ではあるけれど、「もっと書け」的な預言があったので、そのことが少し気になっていて、年末になって立て続けにブログを更新しているわけです。たしかに、思ったことは文字にしておくと、後で振り返ることができるし。今年もあと4日ですが、できる限り、いろいろと書いてみたいなと思います。

2016年を振り返る その3 鳴子温泉と松島

2016年初夏には、東北へも行きました。

まずはフェリーで仙台港へ。そこから作並温泉で一泊。翌日は鳴子温泉で一泊。最後に松島で一泊です。

この旅で印象に残ったのが、鳴子温泉。そして松島の島巡り(嵯峨峡までいく長いコース)でした。

鳴子温泉では、温泉パワーを満喫。これぞ本物の温泉、という地球のエネルギーをまざまざと見せつけられたような気がします。たとえばうちの近所の温泉だと、掘削して汲み出す作業、また所によっては、加温したり、湯量が足らなければ継ぎ足すなどの加工が必要なのですが、鳴子温泉周辺では、ぽこぽこ豊かなお湯があちらこちらに沸いているのです。

それはまず、匂いでわかります。

私は作並温泉を出発した後、尾花沢市を経由してぐるっと、車で47号線を東へ向かったのですが。鳴子温泉に近付くと、鳴子温泉ではないけど、○○温泉、△△温泉、と、次々と温泉の看板が並んでいて、硫黄の匂いが漂い始めました。

これだけ強い匂いだと、普通にちょっと山の中とか、ふとしたところに自然と湧いているのかなあと。それくらい強烈でした。

鳴子温泉では、ホテル亀屋に宿泊。源泉露天風呂を目当てに泊まったのですが、期待を裏切らないお湯の良さで大満足。

熱めのお湯なのですが、肌に柔らかい。最初熱いなと思っていても、不思議に長く入れてしまうお湯なのです。そして、湯上りはいつまでもぽっかぽか。

鳴子温泉に泊まるときは、昼間のうちにすぐ近くの鬼首(おにこうべ)温泉郷の「地獄谷遊歩道」に行ってみることをお勧めします。ここを見学してから温泉に入ると、大地のエネルギーを肌で感じることができ、その後の温泉もまた、一層感慨深く楽しむことができます。

吹上温泉「間欠泉センター」の間欠泉の方が有名かもしれませんが、大自然の迫力では断然、「地獄谷遊歩道」に軍配が上がりますね。ただ、道の案内がわかりづらいのが惜しい。間欠泉センターで間欠泉は見学したけど、地獄谷遊歩道には寄らずに帰ってしまう人も多いのではないでしょうか。

私は宿のチェックインまでまだ時間があったので、その時間を利用してまず、車を走らせて間欠泉センターへ行きました。間欠泉センター内にある露天風呂。すっごく入りたかったけど、混浴ということで諦めました。そんなにきちっと整備する必要はないけど、狭くていいので男女別で簡単な目隠しをして、通りすがりの人の目線を遮ってくれたら、喜んで入るのになあ。センターの入場料とは別に、入浴料をとってもいいので、それをやってくれたらいいのに。混浴、しかも通りすがりの人の視線も気になるということで、諦める人は私だけではないはず。

その後、センターの駐車場から地獄谷遊歩道を目指します。が、どうやって車で地獄谷遊歩道へ行けばいいかわからず、迷いました。もう少し看板や地図の掲示などでわかりやすくすると、観光客も増えるのになあと。センターは有料でしたが、地獄谷遊歩道は無料です。でも、地獄谷遊歩道は有料にして、観光地として整備する価値が、十分にあると思いました。

地獄谷遊歩道とは、要するに川沿いの散歩道なんですが。行ってびっくり。歩いていくと、川から湯気が上がっているし、時間とともに、小道のわきから熱湯が噴き上がるではありませんか。場所によっては、かなり大規模な噴き上がりもあって、道に注意書きもあります。ここは、すべて自己責任の世界です。熱湯に直撃されたら確実にケガをします。

一番危険な箇所は、何十秒かおきに熱湯が道を直撃するので、まずそのタイミングをじっくり見定めて、お湯が出ない間隔を見計らって道を渡りました。でもこれも運ですね。渡り始めたときに直撃されたら、逃げようがない(^^;

地球は生きていて、その内部は煮えたぎっていて。小学生の頃に図鑑で読んだ知識が、今さらですが蘇りました。地熱ってすごい。本物の温泉は、掘らなくても自然に湧いて出てくる。というか、とめても無理。次々と湧き出し、湯煙を上げ、人が利用しようとしたら加温どころか、むしろ冷ますのが大変なくらい。

鳴子温泉、鬼首温泉郷で、温泉の神髄に触れることができたような気がします。温泉は、大地のエネルギーそのものだということがよくわかりました。

ただ、これだけ素晴らしい温泉なのに、人出が少ないのがちょっと寂しかった。泊まったホテルの近辺に、温泉街としての賑わいはあまり感じませんでした。もったいないなあ。温泉の質は最高なので、これは他の観光地にはない大きな宝だと思います。

翌日、鳴子温泉を後にして、47号線をひたすら東へ。松島へ向かいます。松島では松島センチュリーホテルに泊まりましたが、観光船の乗り場も瑞巌寺も徒歩圏内でかなり便利。

松島の島巡りの観光船。私は、松島湾の奥をぐるーっと周って、嵯峨峡まで見せてくれる、「嵯峨峡コース」を選びました。1時間40分ほどかかりますが、50分の「仁王丸コース」では行かない場所もたっぷり楽しめるのでおすすめです。この「嵯峨峡コース」は、参加する人が少ないせいか、「仁王丸コース」より本数は少ないですし運航日時が限られていますが、もっともっと船に乗っていたいなあと感じる、快適で楽しいひとときでした。

船内放送があり、丁寧に島の説明をしてくれます。右を見たり左を見たり。島というより、岩という感じの奇妙な形の無人島や。湾の奥に進むにつれ現れる、人が住む、生活の匂いの感じられる大きな島の影。

島での生活は、どんな風なのかなあと想像すると、不思議に胸が締め付けられるような、なんともいえない感覚に捉われました。島の、波打ち際の砂浜。そこに立てば、目の前には大海原。子供達は、自然いっぱいの中で育つんだろうなあ。人によっては、生まれてから死ぬまでずっと、その島の中で生活することもあるでしょう。

太陽と、風と、海と、砂浜と。想像すると、胸がぎゅっとなるのです。島で暮らした経験はないけど、遠い昔、どこかでそんなことがあったような。あるいはこの感覚は、原始からのDNAが見せた錯覚なのか。甘酸っぱくて、懐かしくて、この感覚をなんと表現するべきか。

私は、昔からこの不思議な感覚に、時々捉われることがあり。それは、景色をみたり、音楽を聴いたり、なにかを想像したときに不意に、湧き上がる気持ちです。一番近い言葉は、ノスタルジイなのかな。

その砂浜に立ったこともないのに、自分が立っているような錯覚を覚えました。辺りには誰もいない。太陽が降り注いでいる。良く晴れた日で、私は海を見ている。小さなプライベートビーチ。空気の匂い。いつかそこを出ていく日。帰る予定のない、胸をチクリと刺す痛さ、寂しさ。

船での島巡りは、とても楽しかったです。私が乗船した日は、乗船人数も少なくて席も広々していたので、まるで貸切のようで、ゆったりできました。途中うとうとしたり、想像にふけったり、ぼんやりしたり。波も穏やかで、船酔いもなく。

良い旅になりました。

石鹸シャンプーより湯シャンがおすすめ

年末ということで、年内のブログは、今年を振り返るブログにしようかなあと思います。

今年私が挑戦して、なかなか気に入ったのが「湯シャン」であります。もともと、髪にいいシャンプーを探していて、オーガニックとか自然素材とかこだわったものを選ぶようにしていたのですが、そのうちまず試したのが、「石鹸シャンプー」、そして、最終的に「湯シャン」へたどり着きました。

まず、自然素材のシャンプーを選んでいたときには、あまりピンとくるものがなかったですね。髪の調子はどれを使っても同じで、普通のシャンプーとあまり違いが感じられず。それで、毎回よさそうなものを探すのが面倒くさくなってしまい、じゃあ、石鹸シャンプーにしようかなと。

石鹸シャンプーは、原材料が石鹸オンリーということでそういう安心感はあったのですが、とにかく髪のべたつきが気になってしまい、ギブアップ。後に、リンスをたっぷり、多めに使うとべたつきが解消されることに気付きはしたものの、石鹸の洗浄力の強さに不安を覚えてしまい。これだけ油をがっつりとったら、肌も痛むだろうなあという気がして。

石鹸シャンプーを使っていたときには、べたつきが気になるあまり、2度洗い、3度洗いしたときもありました。地肌をごしごし、きちんと泡立てて洗えばいいのかと思ったのですが、洗いたてでも乾かすとべたつきが出てしまい。途方に暮れました。

そして最終的に湯シャンを試してみたのです。。湯シャンのいいところは、なんといっても楽ちんなところ。

今までどんなシャンプーを使うにしろ、すすぎが気になるので、十分すぎるほどのお湯を使わねばならず、時間も労力も使って洗髪は一仕事でした。

けれど湯シャンの場合、よけいな成分が髪に残ることもないし、その点はすごく気楽です。温かいシャワーで髪を優しく洗い流し、地肌もそっとお湯で押し流すようにしました。あまり地肌に刺激を与えたくないので、ごしごし洗うのではなく、指でそっと撫でるくらいにしましたが、お湯のおかげで余分な脂はすっきり落ちます。

なにより、地肌から出る油の質が変わったのに驚きました。今までだと、朝シャンプーしても夕方にはなんとなく脂っぽくなってしまったのが、湯シャンしてからは、脂っぽいのではなくしっとりという感じなのです。すぐに脂っぽくなっていたときは、毎日シャンプーしないと気持ちが悪くて毎日シャンプーが当たり前でしたが、今は一日おきで十分にサラサラですね。

ただ、このサラサラという感覚も、普通のシャンプーを使って、天使の輪(陽射しを受けてキラキラ光る)ができる、その艶やかさとはまた、全然違うのです。そういうサラサラは、湯シャンでは実現できません。普通のシャンプーとのときは、化学製品の作用だったのかなあと思いますが、湯シャンのサラサラは、適度に湿り気がある感じです。油っ気ではなく。

さわってみると、しっとりすべすべ。湯シャンの効果を実感しました。これは地肌にいい!

脂の分泌の問題なんだろうなあと。強力な洗浄成分で洗うのに慣れていると、肌は必死になって脂を分泌する。それがなければ、脂の分泌は適量になる。

人によっては、湯シャンにした直後にトラブルがあったりもするみたいですが、私の場合は最初からすんなり、効果が実感できました。気に入ったので、続けています。

私は温泉に行くのが大好きなのですが、温泉でも湯シャンのおかげで、髪にかける手間を省略できて本当に助かっています。髪を洗うのって本当に一仕事ですから。きちんとすすげたかどうか気にしながらだと、それだけで疲れてしまうのです。

湯シャンおすすめですよ~。

ちなみに、使いかけで余った石鹸シャンプーはもったいないので、お風呂でメイクを落とすときに使っています。洗浄力がすごい。一度洗いでメイクだけでなく、顔の脂まですっきりとれます。石鹸シャンプーっていいというけど、本当はメイク落としの方が合っているんじゃないかな、と思うこの頃です。

洗いすぎって、髪にしろ顔にしろ、気をつけなきゃいけないのではないかと。洗いすぎると肌を傷めるし、脂の分泌が異常になってしまうと思うので。

この脂の分泌って、実は肌にとって一番の鍵だと思うのです。自分の脂が最高の美容液、だと思います。

よく温泉から出た後、化粧水や乳液をしっかり使ってる方を見かけますがもったいない。せっかく温泉成分があるのになあと。とはいえ、そういった入浴施設の湯上りコーナーでは、各社のクリーム等、試供品が山ほど置いてあるんですけどね(^^; あれいつも矛盾を感じるなあ。温泉にたっぷりつかって温泉成分を肌につけたのに、なぜ湯上りに化学製品つけさせようとするのか、販促はわかりますがそれは違う~。

今年は湯シャンに出会った年になりました。

福井駅には恐竜がいます

所用で金沢に行った帰り。福井で一泊したのですが、福井駅前に恐竜がいました!

何も予備知識なしで行ったので、最初は気付かなくて。信号待ちのとき、妙な鳴き声が聞こえてキョロキョロしてたら、なんと! 大きな恐竜が三体も!

声も出るし、動くのですよ、このモニュメント。観光客もそうですが、出張と思われるお父さんたちが、キラキラした少年の目で、何枚も写真を撮っているのが印象的でした。恐竜を見ると、みんな童心にかえりますなあ。

私も興味津々で、しばらく恐竜の前に佇んでおりました。月には月見草だけでなく、恐竜もよく似合います。暗くなり始めた空、昇り始めた月、そして、恐竜の影。

恐竜も、遥かな昔に、やっぱり月を眺めて物思いにふけっていたのかなあ、とか。

学術的に的確な恐竜の動くモニュメントが、駅前広場に設置されるのは世界初だそうです。これ考えた人、アイデアマンだわ。センスが素晴らしい。

恐竜と月を見上げていたら、なぜか懐かしいような気持ちになる。なんだろう、このノスタルジイ。そんな時代に生きていた記憶などないのに。

恐竜が生きていた時代のことを、想像しました。豊かな植物と、温暖な気候。地球上が今とは違った景色でも、月だけは変わらず空にあって。

福井駅には浪漫があります。

秋の植物園へ行く

今年も秋薔薇の季節がやってきた。毎年春と秋には必ず出かける場所。今年はちょっと遅いかもしれないかもしれないと思いつつ出かけたら、やっぱり遅かったみたいで。

薔薇のコーナーはずいぶん寂しかった。盛りを過ぎたからなのか、秋だからなのか、春の日差しの中で燃え上がるようなイメージの薔薇はそこにはなく。ぽつん、ぽつんと隙間も多い。

秋の薔薇は、春の薔薇に比べて色が鮮やかだという。紫外線の関係らしい。けれど、私が見た薔薇はみんな、すこしくすんでいるように見えた。そんな中でも、存在感の大きかったのが、京成バラ園芸で1981年に作られた品種、『芳純』。ネーミングがいいね。芳醇じゃなくて、芳純。確かに、熟成した美しさというより、ピュアなイメージがある。

雨に打たれた薔薇はまた、その風情がなんとも言えず、心にしみる。晴れた日に見るのとは、また違う表情。立ちどまり眺めていたら、ホロリと花弁が何枚か崩れ落ちた。湿った地面に落ちるときには、やわらかな、湿った音がした。

薔薇とは別に、今回目を引かれたのが千日紅。ローズネオンという品種の色が、深い。ネオンという言葉から連想するイメージにぴったり。どこか秘密めいた、艶やかで、でも落ち着きも感じさせる色。


薔薇のような激しさはないけど、印象深い花だった。

この植物園は、春以外はあまり人気がない。平日の、まして雨混じりの日には、お客さんの姿もまばら。だけど、それがまたいいのだ。花がない、樹木のコーナーもまた、散歩道としては最高だ。目的も定めずゆっくりと歩く。空を見る。鳥の声を聴く。空気の匂いを嗅ぐ。
人気がないとはいえ、管理された場所だから、園内はどこでも安心して歩くことができる。広大な敷地には、池もあり、小川も流れている。楽園だ。

一角には温室があり、中には小さな人工の滝があって、それが透明な水のカーテンのようで見ていて飽きない。滝の前に立って、じっと目を凝らす。透明な滝の向こうにある壁の色。どこまでも透明な水を通して、その壁の模様を見る。水音に包まれて、そこにいるだけで、無心になる。非日常の、異世界にいるような気分になった。