手作りのお茶

 お茶の新芽が目にまぶしい~! ということで。

 一芯二葉をつみとり、手作りのお茶を作りました。売り物というわけでなく、単に自分で飲むだけなので、気楽に作れるし、しかもおいしい。

 五月のうららかな空気の中で。麦わら帽子をかぶって、ひたすら新芽を摘む作業は、それだけで楽しいものです。無農薬で育てているお茶なので、アブラムシもときどき見かけます。すかさず、指先でちょいちょいとつぶす。

 アブラムシの気持ちが、よくわかる。

 だって、黄緑色の新芽は見た目にも柔らかく、いかにもおいしそうだから。お茶の木の下の方は、固く、艶のある濃い緑の葉だけど。

 今年出た新芽は、いかにもみずみずしい。自分がアブラムシなら、絶対この新芽を食べます。

 生で食べたらどんな味がするのかな。と興味をもったので、一枚柔らかそうな葉を選んで口に入れてみました。味は・・・生の葉はさすがに苦いし、美味というものではないかも・・・。

 摘み取ったお茶の葉は、すぐに水洗い。そして、フライパンに放り込みます。熱を加えて、水分を飛ばすのです。本当は揉捻(じゅうねん)という葉っぱを揉む作業もあるのですが、私はパス。

 この揉みこみによって、お茶の成分がお湯に溶けやすくなるそうですね。一部のお茶では、試しに少し揉んでみたのですが・・・。手間の割りに、味の違いがよくわかりませんでした。なので私は、基本的にはフライパンで炒って、乾燥させるだけという超簡単な方法をとりました。

 熱が加わった葉は、水分を蒸発させながら一層、鮮やかな色になり。やがて、表面がかさかさしてくると、台所にはお茶の葉のいい匂いが漂い始めます。この匂いを嗅ぐだけで元気になるような、そんな香りです。

 この葉のどこに、そんなにも水分があったのだろう、と。驚くほどに水分は多いです。乾燥には、少し時間がかかります。指で触ってみて、少しまだ、しんなりした葉もあるかな?くらいのところで、私は火をとめてしまいます。

 長期保存するなら、完全に水分を飛ばしたほうがいいのでしょうが。どのみち短期間で飲みきってしまうので、これくらいで十分です。

 後は、お湯をわかしてお茶を淹れるだけ。

 甘いです。飲んだ後にも、さわやかな甘みがじんわりと広がってきます。疲れのとれる一瞬。

 この時期だけの、特別な贅沢をかみしめます。

 新茶の甘く、繊細な味を楽しんだGWでした。

 GWの新発見といえば、もう一つ。素敵な温泉をみつけました。そこの特徴は露天風呂。なんと、露天風呂は庭付きで(ここまではよくあるパターン)、その小さな庭園の中には、人工の川が流れているのです。

 川があるのは珍しいかも~。さすがに魚は泳いでいませんが。やはり、金魚や鯉を飼えば水が生臭くなってしまうのか?

 夜になれば、庭園の中には小さな明かりが灯り。川の前に置かれた椅子に座って、夜空を眺めることができます。

 サウナに入った後。露天風呂につかった後。

 その椅子に座って涼みながら、川の流れる音を聞きます。ザーサーと絶え間ない音を聞いていると、不思議に心は静まってくるのです。

 雲が出てきて、星が隠れて。首が疲れたので下を向くと、そこには一群のクリスマスローズ。

 どうしてクリスマスローズはみんな下向きに咲くんだろう、なんてことを思いながら、夜は更けていったのでした。

春なのに草一本生えない土地の謎

 最近お散歩のときに気になるのが荒地。

 荒地といっても、草ぼーぼーという土地ではなくて、春だというのに

 草一本、緑の一筋も見えないような土地なのです。これ、かなり異様な光景。

 除草剤、ですね。草を生やさないためには必要な措置なのかもしれないけど、できるだけしてほしくないなあ。

 一度気になると、目に付くようになるものです。あっちにもこっちにも。

 立ち枯れた草。地面からは、なにも、あのスギナでさえ生えてこない。

 周りの土地にあふれる緑とは対照的な、荒涼とした風景。それが、けっこう多いのです。

 除草剤の怖いところは、無臭であるという点。だから、撒かれてしばらくは気付かない。草が一斉に枯れて始めて気付く。

 ああ、ここ撒かれてるって。

 私がよく通る道にある、荒地。

 きっと持ち主も、もてあましている土地なんだと思う。そこには、いくつかの木が植えられている。

 ただ放っておくわけにもいかなくて、たぶん木を植えたんでしょう。

 木を植えたからといって、雑草は容赦なく生えるので、次には除草剤が撒かれた。

 そして今は、足元に広く茶色い光景が広がっている。

 除草剤は木にまで効かないのか、木の生命力が勝っているのか、木は枯れていない。だけど影響はあるだろうな。

 土地の奥の方は、竹が無数に生えている。手入れされた竹ではなくて、もうのびたい放題、どうにも人間の手がつけられないほどはびこってしまった、竹林。

 雑草が生い茂るのも問題かもしれないけど、ご近所から苦情が出るのかもしれないけど、でもでも、除草剤はやっぱり怖いなあ、と思う。

 だって、普通の土地なら、どんなにやせた地質だって、草は芽吹くから。

 それが、何一つ生えないって、これ異常事態だよ。

 夏の午後、風になびく草の色とか、好きなんだけどな。

 ある程度の高さになったら、刈ってしまえば、その草はいい肥料にもなるのに。

 草刈は体力が必要だから、それができないのかな。でも、土地に除草剤をまくのは、やはり怖いことだと思うけれど。

 除草剤は、雨に溶ける。

 溶けて低い位置に、流れていく。

 大量にまいた除草剤の成分は、近隣の田に流れていく。

 その田で実る稲。

 

 家と家の境だって、怖いよね。

 雑草を枯らす目的で除草剤をまく。

 それを知らない隣のうちでは、家庭菜園をやっている、とかね。

 まいたばかりの除草剤の成分が、強い風にあおられて舞うのにも気付かず、

 窓を全開で涼んでいたり、とかね。これは普通にありえると思う。

 私が荒地の隣の家だったら。

 草ボーボーの方がまだいいなあ。強い除草剤を使われるより。その方が自然だから。

 そりゃ、できれば草刈はしてほしいけど。

 春なのに、草一本生えない土地には、恐怖を感じます。

桜吹雪

 お花見、行ってきました。

 近所の公園で、桜吹雪を見ました。

 風が吹くたびに、ハラハラこぼれおちる花びらを見て思ったこと。

 それは、「なるようにしかならない」っていう言葉でした。

 咲くなって言ったところで、時がくれば蕾は膨らむし。

 散るなってとめたところで、風が吹けばどうしようもなくこぼれおちてしまう。

 それって、誰にもとめられないなあと。

 さらさら、さらさら、砂時計のように。

 とめようがなにしようが、なるようにしかならない。

 物事をどこまで、自分の自由にできるものか、などとぼんやり考えていました。

 

 人生とは、いったい何なのだろうと。

 答えの出ない、考えても仕方のないことをもうずいぶんと長いこと、考え続けていますが。

 この間、おもしろいことに気付いたのです。

 それは、夢の中ではそんなこと、一度も疑問に思ったことがないんですよね。

 

 夢の中の自分は、自分の存在理由なんて、その概念すら持っていないような。

 だからただ、そこにいるし、なにも不具合なんてないし。

 そのことを考える自由すら、そこにはないのです。

 だとすると、現実世界ではなぜ、そんなことを考えたりするんだろう・・・。

 それを考えさせるもの、その自由を与えたものって、一体何なのだろうかと。

 

 考えれば、きりがないですね。

夜と昼、それぞれの風景

 仕事が終わり、明日はお休みという日の夜。

 街灯もほとんどないような、暗い夜道を自転車に乗っていたら。

 車の音も聞こえなくて、空には上弦の月。

 星もキラキラ瞬いて、なんだか非常に、いい感じ。

 不意に、少し離れたところにある工場群から聞こえてきたのはオルゴール曲。

 きっとシフトの交代を知らせる音楽なんだろう。そのときの空気が、とてもせつなくて

胸にぐっとくるものがあった。

 その音は、優しくて温かかった。私はそこで働く人たちのことを想像して、

その一人一人の人生のことを思った。

 

 そういえば、こんなことがあった。

 昔。バス停でいつも会う女の子がいた。セーラー服を来た高校生。私は

その子のことなんて、名前も住所も、なんにも知らない。だけど、

1年以上毎日会えば、自然と慣れる。見知ったその顔がバス停にあるのは、私にとっての日常だった。

 やがて春が過ぎた頃。その子の姿は見えなくなった。どうしたのかなと気になっても、

確かめるすべなどあるはずもなく。やがて、私自身がその子のことを忘れかけた頃に、

私は同じ道で、別の時間帯にその子と再会した。

 再会なんて大げさなものではないけど。単にすれ違っただけ。でも、

顔立ちも歩く姿も、全然変わっていなかった。その子は、高校を卒業して

すぐに近くの工場に勤めるようになったらしい。

 もう、セーラー服ではなかった。会社の作業着を着ていた。

 私は感傷的な気分になって、その子のセーラー服姿を思い浮かべたのだった。

そうか。卒業したんだ。じゃあもう、あの制服でバス停に立つことはないんだね。

当たり前のように目にした風景も、もう永遠に、戻ってくることはないんだね。

 工場のオルゴール曲。夜の空気を震わせる澄んだメロディ。

 あのときの子が、そこの工場で働いてるわけじゃないんだろうけど。

 でも、想像してしまった。夜勤で働くその子のことを。

 淡々と、表情一つ変えずに、黙々と働いている幻の姿を。

 いろいろ考えながら自転車のペダルを漕いだ。

 家に帰ると、その日はすぐに寝てしまった。

 翌朝目覚めると、なんと11時過ぎ・・・。

 目ざましをかけない、自然の目覚めというのは、真に気持ちのよいものである(^^)

 あんまり天気がいいので、家でぼーっとするのももったいない気がして、買い物を兼ねて

散歩に出かける。2月なのに、気温が高くて春の気配。

 冬のコートを羽織ってきたけど、それが重く感じられるような、うららかな空気。

 ぶらぶらとお店をまわり、大好きな明治のチョコレートを買った帰り道のこと。

 昼下がりの道を、向こうから自転車がやってきた。人気のない道である。

ゆっくりとしたスピード。遠目には、少しふらついているようにも見えた。

お年寄りなのかな? そう思ったけれど、近づいてみれば、それは高校生のカップルだった。

 男の子は、同級生?の女の子を後ろに乗せて、とても嬉しそう。

 女の子の声が聞こえた。

「ねえ、どこかへ行こうよ」

「え?」

 男の子は、戸惑ったように首を傾ける。

 きっと、彼女は何処に行きたいのだろうかと、真剣に頭をめぐらせているのだ。

もしも具体的な場所を挙げてくれたら、彼はどんなに遠くであっても、

厭わず走ってくれるだろう。

 走り去った自転車。それ以上の会話を、聞くことはなかったけれど。

 微笑ましい光景だなあと、私まで温かい気持ちになったのだ。

 たった一瞬でもね。付き合い始めたばかりの、幸福感が伝わってきたから。

男の子は、ペダルに感じる彼女の重さが、嬉しくて仕方ない。

大好きな人が自分のすぐそばにいて、自分の自転車に乗ってるんだからね。

だから、なんでもしてあげようって、本当にそう思ってるんだよね。

彼女の望む場所なら、それこそ地の果てだって、遠くはないはず。

 だけどね。彼女の言葉の意味は、そういうことじゃないだろうなあって

私は思ったのでした。

 どこでもいいんだよね、たぶん。

 だって、本当にいい天気だったからさ。

 公園とか、湖とか、見晴らしのいい丘とかさ。

 付き合い始めたばかりの恋人となら、どこへ行ったって、そこが特別な場所になる。

のどかな空気。平和な田舎の午後。

 だから彼女は、学校から家までの距離じゃなくて、とにかく

どこかへ行きたかったんだよね。彼と。

 どこかへ行きたいっていうのは、彼女の本音。

 だって本当に、素敵な午後だったんだもの。

 彼が必死になって考える必要はないのに、でも、

その真剣さが、いいなあと思ったのでした。

 夜と昼、それぞれに。私は、胸に残る風景を見ました。

偶然の再会

 私が会社の同僚と歩いていて、その同僚が通りすがりの人の落し物をみつけ、声をかけ。

その通りすがりの人がお礼を言って、ふと私を見た瞬間。

 二人とも同時に叫んでました。昔の同級生でした。

 ドラマかい!!と思うような、偶然の再会。

 仲良しだったんだよね~。でも、ある時期を境に全く連絡をとらなくなってしまっていた。

 ただ、その日の朝。急にその子のことを思い出してた。

 どうしてるかな。元気にしてるかな。

 風の便りに、子供を生んだと聞いたけれど・・・。

 そんなことをふっと、思い。でも、日中になれば、すっかり忘れていた。

 彼女は全然、変わっていなかった。中学生のときのままの顔で、本当に嬉しそうに笑ってくれて。

 なにか言いかけて、でも懐かしすぎて、言葉にならないという感じで。

 ただただ私たちは、ニコニコ笑いながらみつめあっていた。

 一瞬で、時間はさかのぼる。

 ああ、本当に、私たちは純粋でオバカな中学生だった。

 あの頃の自分たちを思うと、胸が痛い。

 貴重な時間だったな。よく遊び、よく語り、毎日を全力で駆け抜けていた。

 「電話、変わってないから。電話してよ」

 彼女はそう言ってくれた。

 そうだ。以前、黙って引っ越して、住所も電話も知らせなかったのは私の方だ。

 それでも彼女は変わらない。

 不思議である。

 なんだかとっても、一瞬で気持ちは戻るから。

 あの頃、彼女は親友だったのかもしれない。一番長く、一緒にいたのかもしれない。

 別段、重大な秘密を打ち明けあった仲というのでもなく。

 話す内容なんて、他愛のないものだったけれど。

 気が合う、なんだか安心できるという点において。

 そういう人と、一度の人生、何人にめぐり合えるだろう。

 仕事中で急いでいたので、私はそのまま手をふった。

「ごめん、仕事中だからさ」

「うん」

 私は、待たせてごめんと同僚に詫びて、また歩き始めた。

 まだ心臓はドキドキしていたし、感情は大きく波打っていた。

 

 こういうのって、すごいかも。

 なにか一つでも違う要素があれば、お互い気付かずに終わってただろう。

 私はすれ違う人の顔など、ほとんど見ないし。彼女も、

どちらかといえば、キョロキョロしながら歩くタイプではないし。

 人との出会いは、不思議なもの。

 会いたいと願っても、縁のない人とは出会うことはないし。

 逆に、会いたくないと思ったところで、運命の歯車がピタリと合わされば、

嫌でも、会う状況が作り出されてしまう。

 思いがけない再会でした。