遅い時間に投票所へ向かったら、雨だった。一日家で寝てたから、雨が降っていることにも気がつかなかった。玄関のドアをあけたら空気がひんやりしていて、秋だなあとしみじみ。
そう。もう8月も明日一日で終わり。空気の匂いは、すっかり秋である。
投票を終えた後、お気に入りの緑道を通ってスーパーへ買い物に行く。ここの緑道、最近みつけたのだけれど、かなり雰囲気がいい。車が来ないから、ぼーっとしながら散策するのには最適。立ち並ぶ家々から、食器の音がしたり、夕餉の匂いが漂ってくるのを楽しむ。
ときどき、はっと胸をつかれるような家がある。私が気になるのは、どうも廃墟というか、人の気配のない家が多い。
まだ新しい家なのに、ひっそりしずまって、両隣のにぎやかな話し声の中、そこだけがぽっかりと、異質な空間となっていたり。
要塞のように固く閉じられた雨戸を見ると、ここが最後に開いたのはいつだったのだろうと、意識が空想に飛んでしまう。
そして、ツタの這う家。窓も半分はツタに覆われて。やがてすべてが覆い尽くされるのも、時間の問題かと思われるような、人々から忘れ去られたような家。
あるアパートの2階に、ふと目がとまった。古びたドア。なにか気になる。
ドアに続く外階段を見たとき、その理由がわかった。なんと、錆びて崩落した部分があるのだ。かろうじて残った部分も、人の体重がかかれば、たやすく崩れ落ちてしまうだろう。
つまり、そのアパートの2階には、もう誰も住んでいないのだ。かなりの時間、そこには誰も立ち入っていない。立ち入ろうとしてもできない。唯一の道が、途切れているのだから。
扉を開ければ、どんな風景が広がっているのだろうと思った。時間がとまっているはずだ。最後にそのドアを出た人は、どんな思いでそこを出ただろう。一度は振り返っただろうか。その眼には、どんな光景が映ったんだろう。
それとも。新天地へ向かうあれやこれやで精一杯で。振り返る余裕もないまま、慌しくそこを出て行ったのだろうか。思いなど欠片も残さないで。
夜の緑道は、雨ということもあって、人気がなかった。傘に当たる雨の音が心地よかった。昼間の喧騒も埃ぽさもすっかり洗い流されて、まるで異次元に迷い込んだように思えるほど、静かだった。
私は一年前に、ある人がつぶやいた言葉を思い返していた。
その人は、こう言った。
「とりたくない人は、とらなくていい」
内心嫌なことがあっても、いつも笑顔で、気持ちを決して露にすることがない人だった。私はその人が笑顔でいるところしか見たことがなくて、だからその人が初めて口にした辛辣な言葉を、そして一瞬の不機嫌な背中を、驚いてみつめていた。
面と向かって言われたわけではないけれど、それは私に向けられた言葉だと直感した。だって、私は「とりたくない人」だったから。
とりたくないものは仕方ない。だってそれは苦痛だった。とりたくない気持ちも理由も、わかってくれているのではないかと、甘い期待を寄せていた。立場が逆なら、その人だって、とりたくないのではないかと勝手に想像をしていた。
でもそれは違ってたんだなあと、今日しみじみ思った。
冷たい言葉を口にしたその人は、次の瞬間、何事もなかったかのように笑顔の仮面をつけていた。私も、ただ、笑ってた。辺りにいた他の人たちも、うきうきとはしゃいでた。
誰も、その言葉の意味に気付かなかったのではないだろうか。その人と、私以外。
いや、そう思うことさえ、もはや私の思い過ごしなのかも、しれないけれど。
初めて本音をみせてくれた。それくらい、あの瞬間には気を許してくれたのかもしれない。だけどその本音は、はっきりと私を拒絶していた。
自分ではけっこう、空気を読めるつもりでいたんだけれど。その人のことも、わかっているつもりでいたけれど、あのとき聞いた言葉は、どんな推測よりもパワーがあった。
だとしたらずっと、私は勝手にいろんなことを思いこんでいたんだなあと、今はそれがわかる。
雨の中で、その人のことを考えていた。一年もたって、やっとその言葉の意味が、ちゃんとわかった気がする。
ただ単純に、聞いてみたいことも、話してみたいことも、いっぱいあったんだけれども。それは私の勝手であって、相手の気持ちに背いたことだったと。
なんで私はこの緑道で、一年も前のことを鮮明に、今になってこんなにも考えているのだろうと、冷静に考えれば笑ってしまうような話なんですが。心に残る言葉というのは、あるものです。たとえその場では流してしまっても、深く残った言葉は、なにかの瞬間にふと、浮かび上がる。
この緑道や、ツタの絡まる家や、壊れた外階段に、感慨深い夜でした。