ゴミ置き場のマナー

我が家は今週、ゴミ置き場の当番である。当番は、ゴミの分別とゴミ置き場の清掃を担当する。

今日はビンや、かん、ペットボトルなど、資源物の回収日だった。当番は、朝6時に5色のコンテナを並べる。ゴミの種類によって、入れるコンテナの色がそれぞれ違う。

ゴミは8時30分までに出すことになっているから、8時30分になったら当番はゴミ置き場へ行き、分別を確認する。それぞれの色のコンテナに、間違いなくゴミが入っているかの確認だ。収集対象でないゴミが入っていると、業者の方はそのゴミを残していってしまう。その場合、当番はそのゴミをいったん持ち帰り、その種類のゴミが収集される日に、自分で出し直さなければならない。

前から思ってたことだけど、ゴミ収集のマナーが悪い人が多くてびっくり。いや、正確には、「多くて」というのは間違いかも。「一定数」のマナーの悪い人が、いつもゴミ置き場を汚すのだ。

私が8時30分にゴミ置き場に到着し、分別していると、立て続けに6人ほどの人がやってきた。時間を過ぎて出すことに対する申し訳なさ、みたいのは一切ない(^^;

そしてそのうちの一人は、すでにいっぱいになっているコンテナに、山盛りに入れようとして四苦八苦している。山盛りになってこぼれれば、道路を汚す。風が吹けば飛んでいってしまう。それ以上入らなければ、伏せておいてある予備のコンテナを出して入れればいいのに、面倒なのか山盛り。

「もう一つコンテナ出しますね」と声をかけて、私は予備のコンテナを出した。そして思った。

この人、当番がいなかったら、自分のゴミを出すだけ出して、コンテナに収まりきらない山盛りの汚い状態でも、構わずそのまま行ってしまうんだろうなあと。

ある男性が私に聞いた。

「割れたビンはいつ、どうやって出せばいいの?」

自分が出そうとしたビンが割れているので、私に聞いたみたい。すぐに、割れたビンの正しい出し方を教えてあげたけど、当番の私がいなかったら、きっと勝手に置いて帰ってしまったのだろう。当番がいるから、一応遠慮して、置くのをやめて聞いたみたいだ。

私は内心、この男性がゴミを捨てにきたときに居合わせてよかった~と胸をなで下ろしていた。知らない間に割れたビンなんか捨てられていたら、分別にどれだけの手間がかかっただろう。危険だしなあ。

その男性は、車でゴミを何種類も持ってきていた。5分以上うろうろゴミ置き場をさまよい、色別コンテナをそれぞれのぞきこんで、どこに何が捨てられているかを見ながら、迷いながらゴミを放り込んでいく。じっと見ているのも失礼かと思って、ずっと見ていることはなかったけれど、私は内心イライラした。さっさと分別して家に戻りたいのに、時間過ぎて捨てにきている人たちのせいで、なかなか帰れない。

結局、6人ほどの人が、決まりの時間を過ぎて入れ替わり立ち代わり捨てていったのだけれど、その後をチェックしたら予想通りというかなんというか、非常に汚い(^^;

やはりルールの時間過ぎて平気で捨てにくる人は、捨て方が間違っていることが多いのだ。きちんとした人は、ちゃんと時間内に捨てるので。

今日は資源ごみの日なので、中身をきれいにすすいだものしか捨ててはいけないのに、食品の汚れがそのまま入ったビンがいくつか捨てられていた。これは回収されないので、仕方なく私が自分で持ってきた袋に入れて、家に持ち帰る。後日、燃えないゴミの日に出さなくてはならない。

うちは一戸建てなので、持ち帰ったゴミを屋外に保管しておけるのでいいけど、マンション住まいの人は、ゴミ当番のときでも違法ゴミを持ち帰らないことが多い。(さすがに部屋やベランダに、人のゴミを置くのは衛生上ためらうもんね)。そうすると、ゴミ置き場にいつまでもゴミが置きっぱなしで、そういうゴミはどんどん増えていく。

不思議なもので、ゴミはゴミを呼ぶんだよね。ゴミ置き場が汚かったり、違法ゴミが置きっぱなしになっていると、どんどん違法ゴミが増えていく。私は自分がゴミ当番のときは小物の違法ゴミは全部引き取って、きれいに片付けて次の当番に引き継ぐけど。

なにも違法ゴミが置かれていないゴミ置き場は、たいてい綺麗なまま次の収集日を迎える。マナーの悪い、ところかまわず捨てる人も、綺麗なところに自分が一番乗りで何かを捨てるのは、気がとがめるらしい(^^;

我が家がいつも使うゴミ置き場は、近所のおよそ70世帯が使う大きなもので、使う人が多い分、当番がまわってくるのはだいたい9ヶ月に1度。当番は1週間を2世帯で担当する。

小さなゴミ置き場だと、当番がまわってくる間隔は頻繁だけど、その分みんな顔見知りで、あまり常識外れな捨て方はないのがいいところ。うちのように、70世帯以上が使う場所の場合、顔がわからないのをいいことに、けっこういい加減な捨て方をする人が一定数いて悲しい。

そして、おそらくある一部の人は、近所の人ではなく、遠くに住んでいる人だ、そこも問題。本当は、ここに捨ててはいけないけれど、車をとめやすい大きな道路沿いだからとか、そういう理由で来ている。そして、そういう人ほどいい加減に捨てていく。

本当は、会社など、事業で出たごみは別の回収で、このゴミ捨て場に捨ててはいけないんだけど、堂々と近所の会社の車で捨てに来てた、若い女の子もいたなあ。それも、8時半までという時間を守らずにやってきて、45リットル2袋ぶんという大量のペットボトルを置いていった。コンテナはまたも足りなくなり、私が予備を出した。45リットルの袋ごと置いていこうとしたので、「私は今日ゴミの当番なんですけど、袋は持ち帰ってくださいね」と声をかけた。今日は資源ごみだから、袋のままだしてはいけないのだ。

会社に言われて、仕方なくやっているんだろうけど、住民からしたらたまったものではない。当番が8時30分の締め切りの時間に来て、しっかり分別した(違法なものは持ち帰り)その後に、続々とそういう、ルール破りの輩がやってきて、勝手な捨て方をする。そしたら、業者の回収後、違法ゴミとしてごみ置き場に残されてしまうものが出てきてしまうではないか。それに、コンテナの中にちゃんと置いたペットボトルは風に飛ばされにくいけど、山盛りで放置されたら少しの風でも飛ばされたり崩れたりしてしまう。

8時30分のゴミ出し時間を絶対に厳守せよとまでは言わないけど、当番はその時間にきちんと分別、整頓をするんだから、その後に出すときはよくよく気を付けて、業者が収集できないような違法な出し方は、してはいけないと思うんだよね。

なんのかんので8時30分の締切時間後、6人ほどの人たちが入れ替わり立ち代わり、マナーの悪い出し方をしたので、私は結局、ごみの収集車がくるまで、1時間近くその場で待機していた。この後もぞくぞくと、そういう輩が来るんじゃないかと思って(^^;

一台、ゴミ置き場近くに停車しようとした車がいて、たぶんゴミを捨てようとしたんだろうけど、私がいるのを見て、去っていった。通りすがりに捨てるには、ちょうどいい場所なんだろうね。いつもやっているんだろうけど、今日は人がいたから、遠慮したのか。まあ、実際のところは別に確かめたわけではなく、わからないけれど。

1時間、収集車を待つ間、ゴミ置き場におけるマナーの悪さを考えていた。なんとかならないかなと思って。きちんとルールを守って捨てている人がほとんどだけど、ある一部の人たちはたぶん毎回、勝手なことをやっている。そしてその後始末は、まじめな誰かの仕事となる。

本当は、当番がずっとゴミ置き場に立って、ゴミ出しをチェックすべきなのではと感じた。管理する人がいれば、変な捨て方はしないから。誰が捨てたのかもわからないゴミを、違法ゴミで収集されなかったからといって、いくら当番だからといって、持ち帰るのは正直、嫌なんだよね。かといって持ち帰らなければ、違法ゴミはどんどん増えるし。

住民が当番でそこまでやるのが負担なら、お金を出して人を雇うのも手だと思う。1世帯当たり月に2000円出せば、70世帯で月に14万円。人が雇える。この金額できれいなゴミ置き場が手に入り、気持ちよく暮らせるなら、安いものだと思うし、そういう話があれば私なら喜んで賛成する。

ただ、まあ、本来はお金で解決とかじゃなくて、自分たちのゴミ置き場くらいは、自分たちの手できれいにすべきだとは思う。自分が捨てるものだもんね。当番で苦労すれば、捨て方にも気を遣うようになるもんだと思うけど、マナーが悪い人はそもそも当番が回ってこない遠くの人(そこに捨ててはいけない人)だったり、当番回ってきてもなにもしない、無視して次に回すだけの人なのかもなあ。

集団回収は効率的だけど、各家ごとの、個別回収というのにも憧れる。それぞれが、それぞれの家の前に出せばこれは自己責任。もし違法な出し方をして回収されなくても、自己責任で自分の家の前に放置されるだけ。

以前、他県に住むいとこAと話したとき、その子の住んでいる地区では戸別収集をしているということを聞いて、うらやましく思った。燃えるごみは、それぞれ自分の家の前に出せばいいらしい。ビンやカンなどは、指定日に指定場所に当番がずっと立っていて、出すのをチェックするとのこと。だから違法に出されたゴミが放っておかれることもないし、当番が残された違法ゴミを持ち帰る、なんてこともないそうだ。

きちんとルール通りにゴミ出しをする、ということ。そんなに難しい話では、ないと思うんだけどなあ。

きれいに暮らす、ということは大切なことで。

自分の家を清潔に、整頓して暮らすのは勿論のこと。近所の、ゴミを出させてもらう不浄になりがちな場所は、汚くなりやすいからこそむしろ、自分の家以上に気を遣うべきだと思う。

自分の家さえきれいならいい、汚いゴミが、自分の家からなくなればそれでいい、ということではなく。

自分が使わせてもらっているゴミ置場は、自分の家以上にきれいにしたいなあと思う。

あと何度、桜を見るのだろう

桜は恥ずかしがり屋の花だと、どこかの本で読んだ。そう言われてみると、確かに、うつむいて少し体を傾け、必死にこちらの視線を外しているようにもみえる。まるでどんな賞賛の声も、聞こえないように、見えないようにと。

そして、桜はまた、ネガティブな気を持った花らしい。確かに、陰と陽で言えば陰なんだろうな。

明るい陽射しの下で見る満開の桜は素晴らしい。あまり人が来ない場所でみる桜は、ひときわのびのびと、素直な姿で寛いでいるように見える。人目に触れないから、リラックスしているのかな。今年はまた、素敵な場所をみつけてしまった。

人がほとんど来ない。静かな場所。そこに座って、ぼんやりと桜を眺めていた。ときどき、風が吹くと花弁が舞った。

思い出すのは、もう何年も前の、新宿御苑の光景だ。私はその近くの英会話学校に通い、帰りは新宿御苑で、習ったフレーズをぶつぶつと呟いて、復習に勤しんでいた。

桜が咲き始めるとそわそわして、一度は見ないと落ち着かない。2017年、今年も無事に、花見をすることができてよかった。

2017年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年末にはもっと更新しようと思っていたのに、いつのまにかお正月の三が日が過ぎてしまったという(^^;

月日の流れは早いものです。小学生の頃は、1年がとんでもなく長くて、5月くらいにお正月のことを思ったとき、遥か彼方の、とんでもなく先の出来事のように思えて、そのときの気持ちがとても印象深く、今でも覚えているのですが。

今、1年が早いです。あっという間。

2016年は、思いのままに生きる、というのを実践してみた年でしたが、結果どうだったかというと。思いのままって難しいなーと感じました。やはり、生きているといろいろしがらみがあったり、役割があったりで。面倒くさくてもやらなくてはいけない仕事も、けっこう多くて。

そういうのを一切放棄して、仙人のような暮らしをするわけにもいかず。やはり、人間社会の中で暮らす以上、最低限、自分の果たすべき役割というのは、ありますから。

ただ、そういう中で、自分の選択が許される範囲では、実践することができました。「感情に素直に従うこと」、です。

それで、何を思ったかというと、感情もそうですが、流れに沿うといろんなことが上手くいくなーと感じました。なにかしようとしたときに、障害が多発したら無理をせず諦めて、別の道を選ぶのです。そうすると、スムーズに流れる。最初の道より、案外こっちの道の方がよかったんじゃないか、みたいなことが多い。

あと、2016年に確信したこと。私、体質的に牛肉が苦手みたいです。去年、素敵なレストランでいいお肉を食べる機会が2度ありました。そのとき、味はもちろんおいしいのですが、その後で、どうも調子が悪い。体が、肉を受け付けない感じなのです。昔はそんなことなかったんだけれど。

今年、2017年に実践しようと思っていることは、やっぱり、「自分の感情に素直に生きる」ことです。このブログも、書きたいと思った時に書きたいことを、どんどん書いていきたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。

2016年を振り返る その4 明治神宮と預言カフェ

今年も数回、東京へ行く機会があった。私は、東京へ行くと必ず立ち寄る場所がある。それは、代々木の明治神宮と、高田馬場の預言カフェ。

明治神宮では、社務所のそばを通りかかったとき、あまりにも窓からこぼれる明かりが素敵で、一枚写真を撮った。暖かな橙色。こんなふうに光がこぼれてくる雰囲気が好きだ。どんな人が集って、どんな話をしているんだろうなあと思う。

窓越しに見える灯りは、やっぱり暖色系がいいのだ。いつか、どこかの公園の脇を散歩していた時。古い洋館の窓の向こうにも、やっぱり、オレンジ系の照明が見えた。その部屋には無数の時計があって、今もときどき、その部屋のことを思い出すことがある。普通の民家のようで、時計屋さんでもないのに、なぜあんなに部屋の中に時計があったんだろうと。

そして、高田馬場の預言カフェにも、今年は計3回も通ってしまった。ウェイティングリストに名前を書いて、席に着くまでは長いけど。コーヒーを飲み預言をいただいたら、余韻は一切なしですぐにお店を出る。

預言カフェの何が嬉しいって、とにかく神様からの言葉として、すごく褒めてもらえること。落ちこんだときは、書き起こした言葉を読み返して、元気をもらっている。

今年は高田馬場だけでなく、赤坂にも預言カフェの2軒目がオープンしたのだ。高田馬場店で預言を受けた後、さっそく赤坂にも行ってみた。雰囲気はよく似ているけど、赤坂の方は窓がない分、少し暗くて圧迫感があるような。

この赤坂店は、私が行ったときには全く並ばずに入れた。私が入ってちょうど満席となった感じ。高田馬場はいつも待ち時間があるのだけれど、こちらはすいているから、急いでいるときにはありがたいなあ。

赤阪店では、抽象的ではあるけれど、「もっと書け」的な預言があったので、そのことが少し気になっていて、年末になって立て続けにブログを更新しているわけです。たしかに、思ったことは文字にしておくと、後で振り返ることができるし。今年もあと4日ですが、できる限り、いろいろと書いてみたいなと思います。

2016年を振り返る その3 鳴子温泉と松島

2016年初夏には、東北へも行きました。

まずはフェリーで仙台港へ。そこから作並温泉で一泊。翌日は鳴子温泉で一泊。最後に松島で一泊です。

この旅で印象に残ったのが、鳴子温泉。そして松島の島巡り(嵯峨峡までいく長いコース)でした。

鳴子温泉では、温泉パワーを満喫。これぞ本物の温泉、という地球のエネルギーをまざまざと見せつけられたような気がします。たとえばうちの近所の温泉だと、掘削して汲み出す作業、また所によっては、加温したり、湯量が足らなければ継ぎ足すなどの加工が必要なのですが、鳴子温泉周辺では、ぽこぽこ豊かなお湯があちらこちらに沸いているのです。

それはまず、匂いでわかります。

私は作並温泉を出発した後、尾花沢市を経由してぐるっと、車で47号線を東へ向かったのですが。鳴子温泉に近付くと、鳴子温泉ではないけど、○○温泉、△△温泉、と、次々と温泉の看板が並んでいて、硫黄の匂いが漂い始めました。

これだけ強い匂いだと、普通にちょっと山の中とか、ふとしたところに自然と湧いているのかなあと。それくらい強烈でした。

鳴子温泉では、ホテル亀屋に宿泊。源泉露天風呂を目当てに泊まったのですが、期待を裏切らないお湯の良さで大満足。

熱めのお湯なのですが、肌に柔らかい。最初熱いなと思っていても、不思議に長く入れてしまうお湯なのです。そして、湯上りはいつまでもぽっかぽか。

鳴子温泉に泊まるときは、昼間のうちにすぐ近くの鬼首(おにこうべ)温泉郷の「地獄谷遊歩道」に行ってみることをお勧めします。ここを見学してから温泉に入ると、大地のエネルギーを肌で感じることができ、その後の温泉もまた、一層感慨深く楽しむことができます。

吹上温泉「間欠泉センター」の間欠泉の方が有名かもしれませんが、大自然の迫力では断然、「地獄谷遊歩道」に軍配が上がりますね。ただ、道の案内がわかりづらいのが惜しい。間欠泉センターで間欠泉は見学したけど、地獄谷遊歩道には寄らずに帰ってしまう人も多いのではないでしょうか。

私は宿のチェックインまでまだ時間があったので、その時間を利用してまず、車を走らせて間欠泉センターへ行きました。間欠泉センター内にある露天風呂。すっごく入りたかったけど、混浴ということで諦めました。そんなにきちっと整備する必要はないけど、狭くていいので男女別で簡単な目隠しをして、通りすがりの人の目線を遮ってくれたら、喜んで入るのになあ。センターの入場料とは別に、入浴料をとってもいいので、それをやってくれたらいいのに。混浴、しかも通りすがりの人の視線も気になるということで、諦める人は私だけではないはず。

その後、センターの駐車場から地獄谷遊歩道を目指します。が、どうやって車で地獄谷遊歩道へ行けばいいかわからず、迷いました。もう少し看板や地図の掲示などでわかりやすくすると、観光客も増えるのになあと。センターは有料でしたが、地獄谷遊歩道は無料です。でも、地獄谷遊歩道は有料にして、観光地として整備する価値が、十分にあると思いました。

地獄谷遊歩道とは、要するに川沿いの散歩道なんですが。行ってびっくり。歩いていくと、川から湯気が上がっているし、時間とともに、小道のわきから熱湯が噴き上がるではありませんか。場所によっては、かなり大規模な噴き上がりもあって、道に注意書きもあります。ここは、すべて自己責任の世界です。熱湯に直撃されたら確実にケガをします。

一番危険な箇所は、何十秒かおきに熱湯が道を直撃するので、まずそのタイミングをじっくり見定めて、お湯が出ない間隔を見計らって道を渡りました。でもこれも運ですね。渡り始めたときに直撃されたら、逃げようがない(^^;

地球は生きていて、その内部は煮えたぎっていて。小学生の頃に図鑑で読んだ知識が、今さらですが蘇りました。地熱ってすごい。本物の温泉は、掘らなくても自然に湧いて出てくる。というか、とめても無理。次々と湧き出し、湯煙を上げ、人が利用しようとしたら加温どころか、むしろ冷ますのが大変なくらい。

鳴子温泉、鬼首温泉郷で、温泉の神髄に触れることができたような気がします。温泉は、大地のエネルギーそのものだということがよくわかりました。

ただ、これだけ素晴らしい温泉なのに、人出が少ないのがちょっと寂しかった。泊まったホテルの近辺に、温泉街としての賑わいはあまり感じませんでした。もったいないなあ。温泉の質は最高なので、これは他の観光地にはない大きな宝だと思います。

翌日、鳴子温泉を後にして、47号線をひたすら東へ。松島へ向かいます。松島では松島センチュリーホテルに泊まりましたが、観光船の乗り場も瑞巌寺も徒歩圏内でかなり便利。

松島の島巡りの観光船。私は、松島湾の奥をぐるーっと周って、嵯峨峡まで見せてくれる、「嵯峨峡コース」を選びました。1時間40分ほどかかりますが、50分の「仁王丸コース」では行かない場所もたっぷり楽しめるのでおすすめです。この「嵯峨峡コース」は、参加する人が少ないせいか、「仁王丸コース」より本数は少ないですし運航日時が限られていますが、もっともっと船に乗っていたいなあと感じる、快適で楽しいひとときでした。

船内放送があり、丁寧に島の説明をしてくれます。右を見たり左を見たり。島というより、岩という感じの奇妙な形の無人島や。湾の奥に進むにつれ現れる、人が住む、生活の匂いの感じられる大きな島の影。

島での生活は、どんな風なのかなあと想像すると、不思議に胸が締め付けられるような、なんともいえない感覚に捉われました。島の、波打ち際の砂浜。そこに立てば、目の前には大海原。子供達は、自然いっぱいの中で育つんだろうなあ。人によっては、生まれてから死ぬまでずっと、その島の中で生活することもあるでしょう。

太陽と、風と、海と、砂浜と。想像すると、胸がぎゅっとなるのです。島で暮らした経験はないけど、遠い昔、どこかでそんなことがあったような。あるいはこの感覚は、原始からのDNAが見せた錯覚なのか。甘酸っぱくて、懐かしくて、この感覚をなんと表現するべきか。

私は、昔からこの不思議な感覚に、時々捉われることがあり。それは、景色をみたり、音楽を聴いたり、なにかを想像したときに不意に、湧き上がる気持ちです。一番近い言葉は、ノスタルジイなのかな。

その砂浜に立ったこともないのに、自分が立っているような錯覚を覚えました。辺りには誰もいない。太陽が降り注いでいる。良く晴れた日で、私は海を見ている。小さなプライベートビーチ。空気の匂い。いつかそこを出ていく日。帰る予定のない、胸をチクリと刺す痛さ、寂しさ。

船での島巡りは、とても楽しかったです。私が乗船した日は、乗船人数も少なくて席も広々していたので、まるで貸切のようで、ゆったりできました。途中うとうとしたり、想像にふけったり、ぼんやりしたり。波も穏やかで、船酔いもなく。

良い旅になりました。