秋の植物園へ行く

今年も秋薔薇の季節がやってきた。毎年春と秋には必ず出かける場所。今年はちょっと遅いかもしれないかもしれないと思いつつ出かけたら、やっぱり遅かったみたいで。

薔薇のコーナーはずいぶん寂しかった。盛りを過ぎたからなのか、秋だからなのか、春の日差しの中で燃え上がるようなイメージの薔薇はそこにはなく。ぽつん、ぽつんと隙間も多い。

秋の薔薇は、春の薔薇に比べて色が鮮やかだという。紫外線の関係らしい。けれど、私が見た薔薇はみんな、すこしくすんでいるように見えた。そんな中でも、存在感の大きかったのが、京成バラ園芸で1981年に作られた品種、『芳純』。ネーミングがいいね。芳醇じゃなくて、芳純。確かに、熟成した美しさというより、ピュアなイメージがある。

雨に打たれた薔薇はまた、その風情がなんとも言えず、心にしみる。晴れた日に見るのとは、また違う表情。立ちどまり眺めていたら、ホロリと花弁が何枚か崩れ落ちた。湿った地面に落ちるときには、やわらかな、湿った音がした。

薔薇とは別に、今回目を引かれたのが千日紅。ローズネオンという品種の色が、深い。ネオンという言葉から連想するイメージにぴったり。どこか秘密めいた、艶やかで、でも落ち着きも感じさせる色。


薔薇のような激しさはないけど、印象深い花だった。

この植物園は、春以外はあまり人気がない。平日の、まして雨混じりの日には、お客さんの姿もまばら。だけど、それがまたいいのだ。花がない、樹木のコーナーもまた、散歩道としては最高だ。目的も定めずゆっくりと歩く。空を見る。鳥の声を聴く。空気の匂いを嗅ぐ。
人気がないとはいえ、管理された場所だから、園内はどこでも安心して歩くことができる。広大な敷地には、池もあり、小川も流れている。楽園だ。

一角には温室があり、中には小さな人工の滝があって、それが透明な水のカーテンのようで見ていて飽きない。滝の前に立って、じっと目を凝らす。透明な滝の向こうにある壁の色。どこまでも透明な水を通して、その壁の模様を見る。水音に包まれて、そこにいるだけで、無心になる。非日常の、異世界にいるような気分になった。

坂口杏里さんの転落

 タレントの坂口杏里さんがホストクラブにはまり、借金を重ねた末に、アダルトビデオの出演が決まったとのこと。

 有名な女優さんの二世で、テレビでも顔が売れていて。なぜアダルトビデオの出演?と思うけれど、それを言うならなぜホストクラブ?だし、なぜそこまでの借金を?という話になる。

 借金してまでなぜホストクラブにのめりこむのか? 

 やはり愛情を求める、ということなのかなあと思ってみたり。お金と交換に、愛情がわかりやすくもらえる場所だから。お客さんの立場で入れば、初めて会った相手だとしても親しげに話してくれるし、うざがられることもない。優しく微笑んでくれ、また来てねと誘ってくれる。

 寂しい人にとっては、他に代えがたい場所なんだろうなあと思ってみたり。だって、道を歩いているときに好みの人をみつけて、「すみません。お金は差し上げますから今から私とお酒飲みにいってください。おしゃべりしてください」と頼んだところで、頭がおかしい人としか思われないわけで。

 でもホストクラブでは、お客さんだからね。好みの人をある程度選べるし、その人は決して拒絶しないとわかってる。まるで昔からの知り合いみたいに、親しく接してくれる。愛情を求めても変な顔をされないわけです。それが仕事だから。

 私はホストクラブって行ったことないですが。テレビで特集しているのは見たことあります。キラキラゴージャスな店内。髪も服もビシっと決めたイケメンがずらり。

 そうした非日常的な空間で、大勢にちやほやされること。寂しさを抱えた人にとって、それはまさに夢心地の体験だろうなあという、想像はつきます。

 私が杏里さんをとても気の毒だと思うのは、思春期に嫌いな男性が義父(籍は入っていませんが)として、同居していたことです。

 う~ん。これは本当に、キツイ体験だと思う。
 子供には逃げ場がない。離婚したことだけでも傷つくのに、お母さんが知らない男の人を連れてきて、仲良くしなさいという。そしてお母さんとその男の人が、仲良くする姿を見せられる。
想像しただけで、泣けてくるような話です。

 バラエティ番組で、坂口良子さんの再婚を特集したのを見ました。お相手のプロゴルファー、尾崎健夫さんは、とてもいい方だと思いました。一生懸命、本当の父になろうと努力されたのだと思いますし、真面目で優しい人柄も伝わってきました。

 でも、どんなに神様のように完璧な男性であっても。子供が嫌うのなら、同居してはいけなかったと思うのです。

 この件については、尾崎さんというより坂口さんの責任が大きいのかなと。

 借金返済で仕事が忙しく、子供達に構ってやれなかったというけれど、尾崎さんと付き合う時間はあったということですよね。
 でも、仕事の合間の限られた自由時間であったら、好きな異性と過ごすより、子供と過ごしてあげてほしかったです。

 百歩譲って、もし恋人ができたとしても。子供の見えないところで付き合う。家には連れてこない、という思いやりがあってもよかったのではと。

 杏里さんやお兄さんが、尾崎さんを気に入って再婚を望んだなら、また話は別ですが。

 杏里さんは尾崎さんを嫌って、オジサンとしか呼ばず、尾崎さんにはひどい言動を繰り返したとか。そんな状態なのに、坂口良子さんはなぜ、子供達のいる家に尾崎さんを同居させたのか。自分の気持ちを、子供より優先したのは間違いだったと思います。

 杏里さんは当時10歳くらい?でしょうか。それから約10年の同居。
 家に嫌いなオジサンがいるって、どれだけ絶望的な状況だったことか。子供は家を出ていくことができません。ただ耐えることしかできません。

 そのことは、杏里さんの人格形成に大きな影響を与えたと思います。子供にとって、一番大事なよりどころになるはずの家が。杏里さんにとってはそうではなかった。

 坂口良子さんに特別悪気があったわけではないと思いますし、尾崎さんがいい人であることもその通りなのでしょうが、杏里さんの立場になってみれば、孤独を感じたでしょう。

 お母さんは、自分よりも恋人をとったのです。

 子供だった杏里さんは、「大嫌いなオジサン」に物を投げつけたこともあったそうです。そのことを後悔し、詫びる発言もされていましたが、私はむしろ、そこまで杏里さんを追いつめてしまった大人二人の選択を、ひどいと感じました。

 そしてもう一つ。坂口良子さんが、病状の本当の深刻さを杏里さんにきちんと伝えずに亡くなってしまったこと。

 母心として、よかれと思ってやったことはわかります。たぶん、母として、本当のことを伝えたら杏里さんが精神的に耐えられないだろうという、その思いやりが生んだ決断だと思いますが。当時の杏里さん、21歳。
 小学生ならともかく、母が亡くなるのに、それを受け止められない年齢ではないです。

 弱い子でも、可哀想でも、事実として母が死ぬのが避けられないなら、その子なりに耐えていくしかないです。そして、先が長くないことが事前にわかっているのなら、母から子供に伝えたいこともあるだろうし、逆に子供として、母と話したいこともあるはずです。

 母親が亡くなったとき。悲しいのは当たり前ですが、自分なりに「やれるだけのことをやった」という満足感があれば、その悲しみを少しでも和らげることができます。

 でも杏里さんの場合、後悔と怒りばかりが残る結果となってしまったようで、お気の毒でした。なぜ母の病状を黙っていたのかと尾崎さんに対してずいぶん腹を立てたようですが、本当の責任は、母の坂口良子さんにあったように思います。
 尾崎さんにしてみれば、実の子供ではないし、良子さんから病状の口止めを頼まれれば、それを無視してまで勝手なことはできなかったでしょう。

 良子さんは、杏里さんを心配するあまり、見くびっていたのだと思います。この子には母の死があまりに重すぎる、受けとめられないと。でも私は、もし余命わずかを知らされていたら杏里さんは杏里さんなりのやり方で、杏里さんなりに一生懸命にそれを受けとめただろうし、死を乗り越えて成長しただろうと思うのです。

 結局、杏里さんにしてみたら、お母さんに対して思いが残る結果になってしまったような気がするのです。

 義理の父との同居も。お母さんは嫌がる私の気持ちよりも尾崎さんをとった、と心の奥に刻まれて。
 
 亡くなったときも。お母さんは私を信用してくれなかった。私には教えてくれなかった。尾崎さんは知っていたのに、私はなにも知らなかった、と。

 これは寂しいですよ。親の愛情を感じずに育ってしまったら、心にぽっかり穴が開きます。埋めても埋めても、埋まらない穴が。
 
 両親が二人いて、二人の愛情をもらって育つのが普通なら。離婚した場合は、なおさら気を遣わなくてはいけないかと。子供が成人するまでは、自分の気持ちや自分の人生より、子供のことを優先し、考えてあげてほしいです。成人するまでの子供は弱いです。逃げ場がない。家を出て、どこかで1人で暮らしていけない。どんな家でも、そこにいるしかない。

 良子さんは、尾崎さんが杏里さんの後見になってほしいと望んでいたのかもしれませんが、それは無理だと思います。良子さんが生きていたからこそ、かろうじてバランスを保っていた義父と義娘の関係。母亡き後に、尾崎さんの忠告を杏里さんが素直に聞くわけないと、誰だってわかります。

 それよりも、仕事の選択がこれでよかったのかどうか。結果論というわけではありませんが、華やかで誘惑の多い芸能界の仕事が、杏里さんに合っていたのかは疑問で。まして、所属事務所が、あまりいい噂を聞かないところで、真鍋かをりさんや小倉優子さんのトラブルの話もあり、なぜそこに所属させたのかなあ、と。

 多くの人が、杏里さんのことを心配しているのは、この先だと思います。このアダルトビデオの出演が底ではなく、この先もっともっと、転落してしまうのではないかと案じているのです。それを防ぐためにどうするか。お金だけでは救えないですね。もし一時的に大金が入ったとしても、ホストクラブで埋める心の穴は、底が見えない。きりがない。

 できればアダルトビデオ販売が、中止されればいいのですが。その上で杏里さん自身が、借金をしてしまう心の病を自覚し、治す意志をもてたなら。助けてくれる人は出てくると思います。ただ、治す意志を持つところまでもっていくことが、とても難しい。

 義父の尾崎さんが今何を言っても反発しかないだろうし、他人である元カレの小峠さんだって、そこまでの義理はない。身内の方が、自分の人生を賭けて生涯見守っていくぐらいの気持ちがあれば軌道修正できるかもしれませんが、実際、とても大変なことだと思います。

 複雑な家庭環境⇒情緒不安定⇒生活の乱れ⇒ホスト⇒借金⇒風俗
 よくあるパターンですが、どこかでとめることができたなら。

 杏里さんはおバカタレントとして活躍し、通知表のほとんどが1というのも笑いに変えていましたが、実際のところ知的に問題があると、生きていくのが普通の人より大変になるわけで。悪意を秘めた誘惑に気付かない。対処できないままずるずると。

 ホストクラブにのめりこむのには、人とコミュニケーションとれないことの寂しさもあるのかなあと思ったりします。たとえば、友人同士の関係も、「空気を読む」能力はどうしても必要になる。でもそこのところがうまくいかないと、同性の友人ができない。
 友達はボランティアじゃないですから。気が合わなければ、自然と遠ざかる。
 でもホストなら、疑似恋人でなく疑似友人にも即興でなってくれるわけです。お金を介してですけど。お金がなくなれば、消える関係ですけど。

 通知表のほとんどが1というのは、もはや笑えるレベルを越えています。もっともっとひどければ、福祉の助けもありますが。普通と福祉の隙間に、すぽっとはまってしまったグレーゾーン。誰かの支えと見守りが一生あれば、と思いますが。じゃあその役を誰が担うのかというと。

 杏里さんの場合、ここまでくるとなかなか、独りで軌道修正するのは難しいような気がします。

アマゾンCMのライオン犬が可愛い

AmazonのCM。ゴールデンリトリバーが名演技すぎて泣けます。

特に印象的なのが、いそいそ近付いたのに赤ちゃんに泣かれてがっくりその場を去り、離れたところからそっと家族をみつめるその表情。

何ですかあれは。見るたびに泣きそうになってしまいます。なんて寂しそうな佇まいなんだろうと。特別大げさな表情を作ってるわけじゃないのに、目がすべてを語っている。もはや犬というより、人間ですね。

赤ちゃんが泣いたとき、犬が、笑ったように開いていた口を、すっと閉じるのがまた、人間ぽくて。笑顔→真顔になった瞬間。そして誰に促されることなく、自らその場を立ち去る背中。

楽しそうな一家団らんを、少し離れた場所で無言でみつめるその目は、誰を責めているわけでもないのです。ただ、寂しく、哀しいのです。

赤ちゃんがまた可愛いんですよね。若夫婦の初めての子供という設定なのでしょうか? お父さんお母さんが赤ちゃんにデレデレになってしまうのも納得。でも、ぽつんと一人ぼっちになってしまった犬のせつなさも半端ない。

ライオンのたてがみを注文し、犬と赤ちゃんが仲良くなってめでたし、めでたし、というこのCM。短い時間の中でよくここまで物語を表現できたなあと思います。

引越して初めてのブログ

今日が、ワードプレスで作ったブログの初日になります。

ココログからの過去記事の引っ越しも無事に終了し、ほっとしました。ココログでは写真を載せることはなかったのですが、これからは、時々は写真もありのブログにしようかなと思っております。

もっとデザインもいろいろ編集してみたいのですが、迷っていると先に進めないので、設定も最低限の基本的なところだけを決めて、この最初の記事を書いています。

gooブログ→ココログ→Word Press と、渡り歩いてきました。Word Press が、きっと最後の地になるでしょう。

これからもよろしくお願いいたします!

2016年にやりたいこと

 年始にあたって、やりたいことを考えてみたのですが。
 今年は、「直観を大事にしよう」と決めました。一番最初の印象に基づいて、動いてみようかなと。
 たとえばAとB、どちらを選ぶのか迷ったときに、条件は関係なく、一番最初の感覚で決めるということです。これ、意外と今までやってなかったんですよね。これまでは最初の印象というよりも、両者をじっくり条件で比べて、総合的な観点で決めてきたことが多かったような。
 このシンプルな、「第一印象で決める」ポリシー。これを1年続けたら、どうなるんでしょうか。ちょっとワクワクしてきました(゚ー゚)
 なんだか素敵な年になりそうな予感がします。
 違う生き方をしたら、また少し、違う人生が開けてくるのかな。
 AとB。本当は、見た瞬間にどちらが好きか、無条件でわかってるんですよね。同じ「好き」でも、そこには必ず差があるわけで。両方全く同じに好き、というのはないと思う。
 
 どれが好きで、どれが嫌いか。
 ただ単純に、「いいな」とか、「大好き」と思う感情。それは、勝手に自動的にわきあがってくるもので、その感情をなくすことはできない。人に許されるのは、ただその感情を行動に結び付けるか否か。
 でも、その点だって深く掘り下げてみれば、どこまで行動の自由があるのかは、厳密には不明なわけで。
 私たちは、どこまで自由なのだろう。
 考えても、たぶん答えは出ない。わかるのは、ただ自分の心が叫ぶ、「好き」や「嫌い」の感情だけ。そう考えると、感情ってすごいなあと思います。そこに嘘はない。好きなものは好き、ということで。
 そんな感じで、今年1年を過ごしていきたいと思います。