まるで海のような、一面に広がる緑の光景を見たことがある。風に揺られて、水面は幾重にも、果てない繰り返しを描いていた。風に運ばれて、さざ波はどこまでも広がっていく。
五月の田園風景である。伸び始めた稲の、柔らかさとエネルギー。まだまだ、どこまでも伸びていくんだという若さと、希望に満ちた風景。
見渡す限り、緑の海。その海を、風が渡っていく。辺りには誰一人いなくて。私はその景色をとても美しいと感じ、見とれていた。その海の中、たんぼ道を歩いていた。その日のことを、今もよく覚えている。
それから時が流れ。私は同じような風景のことを描いた人の文章に、触れた。それが始まりだ。
読んだとき、私の目の前に現れたのは黄金の稲だった。五月の緑ではなく、九月の実りの秋。豊穣の季節。夕暮れ? セピア色? そして黄金の、懐かしい風景。
胸を刺す悲しみと寂しさを、圧倒的な力で押し流した、見渡す限りの稲。風に揺れている。
その人は、抽象的な言葉で書いていたから。それを、緑の若葉ととらえるか、金の稲穂ととらえるか、読み手によって解釈は分かれるだろうけど。私はそれを、まぶしい黄金の光だと感じた。実った重たげな穂が、風に揺れている。そこに、夕暮れの光が、重なっている。
私も、同じような風景を、見たことがあるんですよ。
私が見たのは五月、眩しい緑の田園風景でしたが、と。
実際、その人に話しかけたい衝動にかられた。
実際に会って、聞いてみたいと思った。あなたが見たのは、どんな色でしたか? それは秋ではありませんでしたか?
偶然手にした冊子の、短い文章。それから、その人の書く他の文章も手に入れ、夢中になって読んだ。
綺麗な言葉。綺麗な風景。その人の目に映るものは、どれも美しくて、書かれた言葉を通して、私はその人の見たものを追体験した。
その人は切れ切れに、いくつもの過去を浮かび上がらせた。
覗き込んだ相手の目の中に、宇宙を見たこと。白いドレス。夜明けの空。ぎゅっと握った手の力強さ。
オレンジに染まったアパートの中。テレビから流れたニュース。
その時間にしか見られない月のこと。何を意味するのかは、わかっている。
川を眺めた日に起こった出来事。なにが起きたのかは、知っている。だって私にも、同じような日はあったから。
たくさんの文章に酔いしれて、けれど実際に話す機会などなくて。
いつか偶然に会う日がもしもあるのなら、確かめたいと今でも思っている。
その日みた光の色のことを。きっと、黄金色だったと思うからだ。
言葉は不思議。ただの記号に過ぎないのに。並べれば、ときに無限の感情を引き起こす。自分でも思いがけない、過去の情景を蘇らせる。
それが、会ったこともない相手だったとしても。
カテゴリー: 日々思うこと
『殉愛』騒動を語ってみる
百田尚樹『殉愛』の真実、という本を読みました。百田さんが書いた『殉愛』ではなく、その検証本の方ね(ややこしいな)(;´▽`A“
実はこの話、金スマに百田さんが出たときからずっと気になっていたのです。
金スマ見たときに、「誰も知らない驚きの真実」みたいなことを謳ってたから、金スマ内でどんな衝撃の事実が出てくるかと思ったら、そのときは結局、
1.さくらさん(たかじんさんが死の2か月前に入籍した方)は、財産目当てではないよ。たかじんの元に舞い降りた天使。天使のおかげで、たかじんは初めて真実の愛を知って、幸せに旅立ったのです。その看病はとても人には真似できない、献身的なものでした。
2.財産目当てじゃない証拠に、さくらさんは遺産のほぼすべて?(正確な表現は忘れましたが、要はそんな感じで)を受け取っていません。
という、主に2点を強調した再現ドラマでした。
それで、衝撃の真実ってこれ? う~ん、それは言い過ぎじゃないかと、かなりの違和感を覚えたのでした(^-^;
看病がすごいといっても、お子さんや高齢者抱えた上での奮闘ではないし、経済的な負担もないし、身内が病院に重病で入院していたら、誰でもそれなりにがんばるよなあ、と思ったので。それに、病院に入院していたら、自分がすべてみるわけではないですしね。大変なのはわかるけど、それを「天使」とまで強調するのがちょっと…。この再現ドラマに、さくらさんが許可を出してしまう気持ちがわからなくて。自分をこんなにも褒め称えるドラマって、やりすぎで嫌じゃないのかなあ、と。
でも、出演した百田さんが涙目になってたんです( ̄○ ̄;)!
びっくりしてしまいました。これ、そんなに泣くところかなあと。さくらさんを天使、とまで言い切っていたから。
そして、遺産をほとんど受け取ってない、的なことを言っていたのもなんとなく違和感があって。正確な文言を覚えてないのですが。どういうテロップがでたのか。
でもそのとき思ったのが、「遺産目当て」という批判をかわしたいなら、全部放棄すればいいのに、と。生活力のない人ならともかく、海外でネイルサロンを経営していたほどの女性なら、「一切いただきません。一緒に過ごした時間だけで十分です」とか、言ってもよさそうなのに。その瞬間、すべての疑惑を完璧にはらすことができるんじゃないかと。
そして、金スマを見た後、なんとなくすっきりしない気持ちでいたのですが。この話は驚くほど、マスコミが沈黙してるんですね。週刊誌が一番興味を示しそうなのに。でもネットではいろいろ書かれていて、一番びっくりしたのが、実はさくらさんはたかじんと知り合ったとき、イタリア人と結婚していたという事実で。
嘘じゃ~ん、と思いました。話が全然違ってくる(;´▽`A“
金スマの再現ドラマでは、そんなこと一言も言ってない。いえ、別に結婚してるから悪いわけじゃなく、嘘をつくのがよくわからない。
結婚していて、それでも運命の人に出会ってしまった。離婚してでも、たとえ短い時間でも、この人と添い遂げたいと思った、とかならまだ、わかるのですが。そういうの全部隠して、物語を純な乙女と、年の離れたプレーボーイの出会い、みたいにするのは無理がある…。
その後出版された、百田さんの『殉愛』は読んでいません。その代わり、その検証本である、「百田尚樹『殉愛』の真実」を読みました。著者は、角岡伸彦さん、西岡研介さん、屋敷渡さん、そして宝島「殉愛騒動」取材班、です。
この検証本を読んで、思いました。金スマ、いい加減だなあ。話が全然違ってるし\(*`∧´)/
検証本にこそ、驚くような事実がたくさん書かれていました。
でも一番気の毒だったのは、たかじんさんの娘さんのことです。『殉愛』で、ひどい書かれ方をしていたようですが、なによりも、たかじんさんが亡くなる前に会えなかったのが一番、つらかっただろうなあと。
実の親子ですから。もし命が残りわずかなら、たかじんさんには娘さんに話したかったことがあるだろうし、娘さんだって、言いたかったことがあると思うのです。それなのに、連絡がつかなかった。何も知らされないまま、突然に親が死んだという連絡が入るなんて。
私はなにより、そのことが一番ひどい話だと思いました。
入籍して、それまでの家族関係、友人関係をすべて切ってしまうというのも乱暴な話だと思います。64年間の人生の最後の2年だけが真実だなんて、そんなことはないだろうと。
最後の2年の前には、ちゃんと62年間の軌跡があるはずです。ある日突然、出現したわけじゃない。生まれて、成長して、年をとって。
いろんな人と出会って、別れて。その過程を、最後の2年で全部否定するのは、傲慢だと思いました。
ブルーベリーケーキの思い出
ブルーベリーの季節です。食べていたら、ふと自分の中学時代を思い出しました。私が今まで食べた中で、一番おいしいブルーベリーケーキを作っていた、近所のケーキ屋さんのことを。
できたばかりの、オシャレな新築マンションの一階。まぶしい白の外壁は、ケーキ屋さんの雰囲気にとても合っていました。中学校に近い場所にできたので、生徒たちの間でも評判になっていました。
私が初めて買いにいったとき、最初ということで、まずはいろいろな種類を一つずつ買って試してみたのですが、一番おいしかったのがブルーベリーケーキ。とにかくブルーベリーがずっしり並べてあるのです。スポンジの間にもぎっしり。そして驚くべきはその重さ。ケーキを手に持つと、見た目との重量の違いに戸惑います。
それだけブルーベリーたっぷり使ってるんだなあ、と、私はすっかりそのケーキがお気に入りに。
(あ、でもブルーベリー自体はそんなに重いものではないし、もしかしたら他の材料の重さだったかもしれないです。ただ、当時はブルーベリーの重さがこれなんだと、思い込んでました)
当時はブルーベリーも、フルーツとしては珍しい部類で。そんなプレミアム感あるブルーベリーと、生クリームと、スポンジの相性が抜群!
ずっしりしっとりした重さも、好ましかったです。無意味に持ち上げてみては、「う~ん、やっぱり他と比べて重いなあ。さすがだなあ」と。
そして、楽しみに通うようになりました。お店はものすごくシンプルです。店内によけいな装飾はほとんどなくて、ガラスケースの前には年配の男性が一人。たいていケーキ屋さんというと女性の店員がほとんどなので、最初は違和感ありました。でもこの男性はとてもお話好きで、いつも誇らしそうにケーキの説明をしてくれました。
その男性によると、ケーキを作っているのは息子さんだそうです。その息子さんは、作る方に専念されていて、私が奥をのぞきこんでもチラっと背中しか見えませんでした。ショーケースの前に出てきて販売を担当することは、一度もなかった。
男性は、とてもうれしそうに息子さんの話をしてくれました。東京の有名なケーキ店で何年も修行して、このたび独立開店したんだと。この味が地方で食べられるのは絶対お得、と。
自慢の息子さんなんだろうなあ、と私はほほえましく見ていました。ちょっと親バカ入ってるところも、ご愛嬌です。
それに、そのブルーベリーケーキは本当に、よその店にはない味でした。他の店だと、ほんの少し、見栄えのために飾ってあるようなブルーベリーが、この店だと惜しげもなく使われているのです。それも大粒で、おいしいものばかり。材料を、相当厳選していたのだと思います。
おじさん息子さんのこと、誇らしいんだろうなあ。一生懸命だなあ。わかるよ。こんなおいしいブルーベリーケーキないもんね。
当時の私はそう思いつつ、いつもブルーベリーケーキを買いに行っていたのでした。
ところがそんな素敵なお店が、ある日突然閉店してしまい、私はびっくりしてしまいました。あんなにおいしいケーキを売る店がなぜ、と。
しかし、中学のクラスメートと話をしていて、その原因の一つを知ったのです。
友達Aの話
「あの店つぶれて当然だって。私1回だけ行ったことあるんだけど、嫌な思いしたから2度といかなかったもん。1種類のケーキを5個買ったら、説教されたんだよ。買い方がだめだってさ。こういうのは、違う種類を買って味の違いを見るんだってさ。そんなの客の自由なのに」
これは…(゚ー゚; たしかにお客さん怒らせちゃうだろうなあ…。
でもおじさんの気持ちもわかるのです。中学生の女の子が買いにきて、年齢的には自分の娘みたいなもので。ちょっと一言いいたくなったんでしょう。
うちの店は本当にどれを買ってもおいしいんだから、いろいろ味を試してみてねと。
きっと大人のお客さんだったら、思っていても言わなかっただろうけど、子供相手だからつい、お説教みたいな感じになっちゃったのかな。悪気は一切ないんだろう。ただ純粋に、おいしく食べてもらいたいという一心。
おじさんの態度も多分、まずかったんだろうな。
もともと、素人っぽかったんです。いや、悪気はないのはわかりますし、私自身は特にお説教ぽいことはなかったので、全然、腹が立ったこととかはないですけども。基本的に、態度が少し偉そうだったんですよね(^-^; いわゆる、サービス業慣れしていない感じ。
たとえば、会社の偉い人とかが、急に接客をやった場合。どうしても上から目線みたいになってしまう場合があるじゃないですか。客あしらいがうまくない。
おじさんの場合もそうだったのです。今考えると。
もしかしたら、息子が開業するから、ということで張り切って、会社を辞めて手伝っていたのかなあ。そして、もともと職業的に接客業とは違う会社だったり、それなりの地位の人だったら、どうしてもお客さんをうまくさばけない、というのも無理ない話で。
自分では普通に話しているつもりが、偉そうに映ってしまったり、相手に不快感を抱かせたり。
おじさんの空回りが閉店につながってしまったのは大きいかも、と、せつない気持ちになりました。どんなに息子が可愛くて自分が手伝いたくても、もしかしたら、販売に関してはバイトの若い女の子を置くべきだったのかな。
女性だと、お客さんもなんとなく安心感があったりして。
もう一つ、閉店の理由になったと思われるのは価格設定でした。田舎の街のケーキ屋さんとしては、高いほうだったから。もちろん、東京ではその値段が当たり前だったんだろうけど、でも田舎だとやっぱり、敷居が高くなってしまうこともある。おいしいし、いい材料使ってるからこの値段は妥当だと、そうわかってもらうまでにはまず食べてもらわないといけない。
そして食べる前の段階で悪感情抱かれてしまったら、これは厳しいかも。
息子さんが有名店で働いていたことは、お店の宣伝ポイントですが。もうちょっとうまく、他の方法でアピールできていたら、よかったのかもなあ、なんて、思います。たとえば、お店の前に、その有名店での修行のことを書いた、お知らせの看板置いたり。
開店したばかりのお店は、みんな興味津々ですから。通りがかりの人はまず、読むと思います。
そしてシンプルすぎる店内には、おすすめケーキのご案内のチラシを一枚だけ、貼ってみたらいいかも。目立って効果抜群ヽ(´▽`)/
新しいケーキ屋さんは、どれを買っていいか迷うことが多いから。お店のおすすめがわかれば、それを参考にする人は多いと思うのです。チラシに書いてあれば、売り子さんの接客の上手下手は関係なく、お店のイチオシをうまくアピールできるはず。
そのケーキ屋さんの閉店がもったいなくて、私は、どうしたらお店を存続させることができただろう、と今も思ってしまうのです。あれほどの味がありながら。悲しいです。一生懸命だった息子さんの後ろ姿も、おじさんの熱意も。
お店は本当にシンプルで。余計なところにコストをかけていなかった。ケーキの箱も袋も、真っ白なんです。それで、最後に箱に貼るシールだけは、お店のロゴが印刷してあって。これなら、オリジナルはシールだけだから、箱や袋は特注でなく、一般のものが使える。
たぶん、他の経費を全部削って、ケーキの材料を厳選していたんだろうなあと思います。だからこその強気の価格設定。絶対の自信を持ってお店の経営していただろうになあ。きっとお客さんには受け入れてもらえる、わかってもらえるって、信じてただろうになあ。
あの後、どうしたんだろうか。と今でも考えてしまうお店です。ブルーベリーを食べると、つい思い出してしまいます。
2015年 今年の私的春薔薇No.1
今年も春薔薇を鑑賞すべく、近所の植物園に行ってまいりました。
いつもこの時期になると、そわそわします。紫外線の強い時期なので、薄曇りの日を選んで出かけたところ、雨が…。
小雨がぱらつく中、薔薇のコーナーへ。遠くからでも、華やかにたくさんの種類が咲き乱れているのが見えました。そして微かに、薔薇独特の芳香。離れていても香ります。
まず目を惹かれたのが、シャンテ・ロゼ・ミサトです。濃いピンクから薄いピンクまでのグラデーションがとても綺麗。たくさんの花が咲き乱れていました。花弁は幾重にも巻いていて、けれど開花が進んでも反り返るほどには開かず、その形も気に入りました。
今年の私的No.1はこれで決まりかな。
そう思いながら歩き続けていると、園内でさらに、息をのむほどに咲き誇る、白い薔薇の一群を発見。
圧巻でした。
強い品種なのでしょうか。貴重な珍しい薔薇などが、どんなに手をかけても弱々しく、少しずつしか育たないのに比べ、この薔薇には圧倒的な勢いがあったのです。
その薔薇の名は、「マチルダ」。
雨が降った暖かい日です。
ほとんどの花が、つぼみではなく、ずいぶん開いてしまってはいたのですが、その開いた姿もまた風情があり。枯れた、とか、旬を過ぎた、という感じではありませんでした。とにかく一面。白。白。白。その中に、薄くピンクを差したような光景。
近寄ってよく見ると、つぼみはピンク。花が開くにつれ、白に変わっていくようでした。開ききった白い花弁の数枚に、うっすらとピンクがかかっていて。
でも、目の前の光景は、総じて白です。
それは、つぼみがほとんど残っていなかったせいでしょう。ほとんどの花が、開ききってしまって。その白が、清々しいのです。花弁は、シルクのワンピースを思わせます。
葉の緑を、完全に凌駕する白。これ以上花をつけることは難しいと思われるほどの、見渡す限りの白。
白い薔薇は地味で寂しい、という、私がそれまで思っていた概念を、打ち破る衝撃でした。
その白さに心を打たれ、じっと見入ってしまいました。その後も園内を回りましたが、やはり「マチルダ」が、私にとっては一番でした。
後でネットで確認したところ、解説ではマチルダはピンクの薔薇となっていましたが。私には、開ききって白くなった姿が、つぼみのピンク以上に美しく見えました。白でも寂しくないのです。むしろ、温かい。
イメージは、12,3才の、チュチュをつけたバレリーナの少女。清楚。無邪気。あどけなさ。無垢。すっきりまとまったシニヨンヘア。
ちなみに、シャンテ・ロゼ・ミサトのイメージは20歳前後の乙女ですね。ほんのり頬を染めて、片手には本を抱えて、緑のまぶしい丘、大木の影に座り込んで夢をみる、みたいな。
マチルダが1位。シャンテ・ロゼ・ミサトが2位。そして、今年の私的薔薇No.3は、バルカロール。
このバルカロール、まず色がいいのです。ダークレッド。まさに薔薇の中の薔薇。たとえば一輪だけ包んで誰かに贈ったとして、それが堂々と様になる。それだけ存在感のある薔薇です。
赤いビロードのような花弁。その赤も、歴史ある劇場の、多くのドラマを見てきた幕の色のように、決して新品ではないのです。浅くない。見つめれば、吸いこまれそうに深くて。
イメージとしては、中世の貴婦人。年齢は、少なくとも50代以上。少し不機嫌な様子でこちらを見返すような。身につけたドレスの重さを感じます。プライドと、威圧感と。気安く触れられない空気が漂っていました。
雨の日の薔薇鑑賞。花や葉に光る水滴が、晴天の日には味わえない味わいです。晴れた青空をバックに見るのとはまた違った、別の表情を見ることができました。
中村うさぎさんの降板騒動に思う
中村うさぎさんが、レギュラー出演していたテレビ番組を降板するそうで。背景には、同じ番組に出演していた美保純さんとの確執があるとか。
なんでも、うさぎさんから失礼な言葉を言われた美保さんが、番組プロデューサーに相談して、プロデューサーから話を聞いたうさぎさんが、「私そんなこと絶対言ってない」と明言したのに誰も信じてくれず、腹を立てて降板を決めた、とか。
ただ、うさぎさんと仲良しの美容整形のお医者さんの話を読むと、薬の影響で思ってもみないことを口走るってことは、あり得るようですし。うさぎさん、一昨年に倒れて命の危険があった状態から、まだとても全回復とは言えない状況で、いろいろ不安定な心の状態で、自分では何気なく言ったひとことっていうのはあるかもしれないなあと。
もちろん、そこに悪気は一切なくても。
これ、他人事だからよくわかるんだけども。
そもそも、他人の感情や行動を思い通りにはできないのです、これに尽きる。
親しいと思っていた美保さんだからこそ、うさぎさんは本当に腹が立ったんだろうけど、だからといって、美保さんはうさぎさんの思い通りにはならない。
うさぎさんがいくら怒ったところで、うさぎさんの気のすむような謝罪はないし、もし謝罪したとしてもそこに心がなかったら意味ないし、ここはやはり、うさぎさんが降板するのが一番いい方法だなあと思います。
腹の立つ相手と共演っていうのは、うさぎさんが一番つらいと思うからです。
誰が悪い、という犯人捜しは、この場合、無意味のような。
言った言わない、なんて水掛論だしね。
ちょっとした言葉のニュアンス、受け取り方も人それぞれ。
信頼してたのに、友人だと思っていたのに、なぜ直接自分に言ってくれなかったのか、とうさぎさんは怒っているのかもしれませんが。
美保さんにも、言い分があるのかもしれません。直接言っても、わかってもらえないと思ったから、とかね。だって、もしうさぎさんが悪気なく言った言葉なら、指摘したところで弁明されるのがわかりきっているから。
それに、直接言って大ゲンカになるのも嫌で、人を介したのかも?
そしてもし、万が一、仮に美保さんが意地悪で根も葉もないことを言ったとして、番組プロデューサーもそれを信じたとしたら、今さらそんな番組にしがみつくのもむなしいというか、意味のないことのように思います。
どちらにしても、怒っても無意味で。怒ればますます、自分自身を傷つけてしまうのではないか、という気がするのです。怒るっていう行為は、うさぎさん自身を痛めつけると思うのです。
なんだよー、信じてたのに。チェッ。もうとても同じ番組には出たくないから、降板する。ああ、これでせいせいした♪
そんな風に、吹っ切って次の楽しいことをみつけようとするうさぎさんなら、なんの心配もいらないのですが、今のうさぎさんは、痛々しいです。つらそうに見えてしまう。
ああ、本当に他人事だと、解決策がよく見えるような気がします(^^; これ、もし私がうさぎさん自身だったら、やっぱり怒って怒って、悔しくて悔しくて泣いてると思います。裏切られた~って。そしてどうして周りがわかってくれないのかと、それがまた悔しくて、情けなくて。一緒になって「お前は悪くない。彼女が悪いんだ」と。どうしてみんなそう言ってくれないんだろうと、必死になって自分の潔白を証明しようと、動き回ってると思います。
でもこれを他人事として考えたら。
たぶん一番スマートな方法は、美保さんにも周囲のスタッフにも、以下のように冷静に話すことではないでしょうか。
☆自分は全くそんな失礼なことを言った記憶はないが、言葉の使い方で、そんな風に不快な思いをさせてしまったのでしょうか。ただ、本当に自分にはその記憶もないし、そんなことを言う意志もない☆
広~い視野で考えると。体を休める時期なのかもしれません。うさぎさんは命に係わる大病を患ったばかりで、体調もあまりよさそうには思えないので。
後から考えると、降板は、ちょうどいいお休みのタイミングだった、ということになるのかも。
うさぎさんは、愛を求める人だなあと思います。買い物依存も、ホストも、整形も。愛してという心の代償行為。
愛って、たぶん求めるほどに遠ざかる。
欲しくて欲しくて、得られないからよけいに欲しくなって。
いや、そう考えると、愛を求めない人間なんて、いないわけですが。私だって、愛は欲しいもんなあ(^^)
だけど、誰かの愛、を求めると、いつも不安でいなきゃならないのも、事実。他人は動かせない。誰かの心も行動も、その人のもの。
誰かが愛してくれないなら、私という存在に意味はない、なんてもし定義したら。それはそれは苦しいと思います。
スピリチュアルの世界で、自己愛が大切だと言われるのはこのことかなあ、なんて思いました。自分を大切にする。自分を愛する、それは確実に自分の意志でできることだから。誰かに頼らなくてもいいし、裏切りもそこにはない。絶対的な安定感。
もし私がうさぎさんだったら、まず寝ます。とりあえず(^^;
私、昔からあまりにも腹立たしいことがあると、まず寝るんですよね。それで朝が来て、なんのかんの仕事して、夜になって。怒っててもお腹は減るし、こういうときだから自分にご褒美だ~って、好きなもの食べて。ああ、大人は幸せです。大人買いできますから。好きなものなんだって、買えますから。偏食だってへっちゃらですよ。
それでお腹いっぱいになって、テレビ見て、好きなドラマみて眠くなって。
どんな怒りも、一番の薬は時間です。
寝て起きて寝て。その繰り返しのうちに、いつか心が穏やかになれる時がくるから。
こういうとき、外交的な人だと旅行に出たり、ぱ~っとどんちゃん騒ぎしたりするんですかね。私は、寝ますね。何かをする気力がなくなってしまう。そしていろんな夢をみます。とにかく寝る。寝て寝て、布団の中は極楽です(^^)
私自身も、最近ものすごく腹を立てた出来事があって。だからうさぎさんの降板騒動に、うさぎさんの怒りの中に、なんとなく自分と重なるものを見ていました。たぶん私の悩みも、人からみたら、「そんなのこうすれば解決じゃん~」という、軽いものであると思います(^^;
自分のこととなると、真っ暗になってよく見えなかったりしますが。いざ他人事となると、わかりやすいものです。