前川清&藤山直美スペシャルコンサート 感想

 先日行ってきました。
 前川清&藤山直美スペシャルコンサート。大笑いして帰ってきましたよ。楽しかった~(^^)

 とてもいい席がとれたので、期待して出かけていったのですが。期待以上の面白コンサートでした。歌あり、ミニお芝居あり、トークあり。

 これ、お二人でやっているのが凄くいいですね。前川さんの良さを直美さんが引き出し、直美さんの良さを前川さんが引き出すということで。客席もほぼ満席に近い状態で、すごいなあと思いました。会場周辺では年配のお客さんがにこにこ大集合状態で、お二人の人気の高さがうかがえました。

  まず前川さん。直美さんも茶化してましたが、姿勢がよくてあんまり動かない~。ビシッと直立で歌う姿が素敵でした。でも、ずっと同じ場所にいるというわけでもなく、曲によっては、上手や下手にやってきてくれて、そこでじーっと客席をみつめながら歌ってくれるので、お顔がよく見えました。

 実は私、前方席ではあるけれど、端の方だったのですね。
 真ん中じゃないと、端からだと見にくいかなあと気にしていたのですが、前川さん自ら端の方にも心配りしてくださって、すごく見やすかったです。そして一階席だけでなく、上の階のお客さんにもちゃんと視線を送り、手を振る前川さん。素敵でした~。

 というか、もうイメージより物凄くかっこいい方で驚きました。ダンディなおじさまって感じです。ファンの方からはキヨ様と呼ばれることもあるそうですが、納得です。

 私はドリフ世代なので、ドリフのコントなどで、よく前川さんを見てました。志村けんさんと共演されることも多かったし、私にとっては、前川さんのイメージといえば、「長崎は今日も雨だった」と、「コメディアン」です。歌がうまくて、面白い方、という印象だったのですが、コンサートを見に行ってびっくり。

 なにより、素敵だなあ、かっこいい人だなあとうっとりしてしまいました。物腰が上品でしたし、会場の婦女子のハートを鷲掴みって感じでしたよ。

 私はなんとラッキーにも、メドレー曲を歌いながら客席下りした前川さんに、握手してもらっちゃいました(^^)相当ドキドキしましたよ~。

 よくテレビで、歌手の方が歌いながら客席をまわり、お客さんと握手するのを放送してましたけども。まさか自分が客席にいて、実際に握手してもらえる機会があるなんて。

 近付いてきたとき、手を出していいものかどうか、迷いました。よくテレビで見てると、歌手の方が違う方向に行こうとした瞬間に、奥から手を伸ばすファンの方がいたりして、歌手の方が慌てて戻ってその方と握手、なんてことがあったりするので。

 そんなに緊張することもないのかもしれませんが、歌ってる前川さんの邪魔をしたくないので、前川さんが本当に握手する態勢になるまで、手を出したらいけないかな~と思い、ガン見しながら様子をうかがってしまいました。

 私の隣の方は握手してもらったのですが、その後私も握手してくれるのか、それともくるっと向きを変えて次の列にいくのか、よくわからなくて心臓がばくばくいってました。
 次の列に行くなら、へたに手を出したら戸惑わせちゃうかなとか。でも手を出さないとそれはそれで、逆に失礼かな、といろいろ考えてしまい。

 でも、結果的には前川さんが握手してくれそうだったので、おそるおそる緊張しつつ手を出したら、ちゃんと握手してくれたので嬉しかったです。柔らかくて優しい感じの手でした。

 その後も、客席をメドレー曲が終わるまで、ずっと歌いながらまわり、握手し続ける前川さん。どんなに握手しても、歌声に全く影響がないのは、さすがプロだと思いました。

 歌いながら握手って、結構難しいと思うのですが。まさにプロの技です。

 きっと、握手する前川さんにとっては、大勢のお客さんの一人にすぎなくても。握手してもらったお客さんにとっては、一生の宝物ですよね。会場にいたお客さんの大喜びの顔が、とても印象に残ってます。
 もちろん私も、この先ずっと覚えてますし、テレビで前川さん見たら思い出して、笑顔になってしまうと思います。

 握手の途中、結構な数のお客さんから、差し入れの紙袋をもらってました。前川さんの「あ~下りてよかった」という言葉に、会場のお客さんも大爆笑。私は、ミュージカルは観に行ったことありますが、こういうコンサートは初めてなので、こういう風に客席下りのときにファンが物を渡すんだな~と、新鮮な驚きでした。
 もしかしたら、常連のファンの方で全国を追っかけてる方なのかな~とも思ったり。慣れてないと、なかなかそういう風習みたいなもの、わからないですもんね。

 歌はさすがの上手さ、でした。生歌は聴きごたえがあります。生バンドで音もよかった~。
 私が大好きな「ひまわり」も歌ってくださったので、大感激。

 福山雅治さんの提供曲「ひまわり」。とてもいい曲なのです。私がこの曲を初めて聴いたのは、某所でのプラネタリウム。満点の星空の中、流れてきた「ひまわり」のせつない歌詞に、涙がこぼれました。
 それ以来、この曲が大好きでした。そのとき聴いたのは、福山さんが歌っていたものなんですけども。実はこの曲、元々は、前川さんが同郷の福山さんに頼んで作ってもらったそうです。
 前川さんバージョン、福山さんバージョン、それぞれ素敵ですね。

 歌も大満足でしたが、コントもよかったですよ~。
 直美さんと絡むので絶対面白いだろうと思ってましたが、もう、前川さんが芸者姿で出てきた瞬間、笑ってしまった。思いっきり弾けてます(^^)

 ポスターに載ってた姿より、化粧も、着物のはだけ具合も、相当上でした。そして直美さんもさすがの演技。

 直美さんのすごいところは、アドリブでぼんぼん言葉が飛び出していくんですよ。たぶん台本はあるけど、その台本にない部分で、その回ごとに新鮮な言葉を入れていっていると思う。
 私はこの回の公演しか見ていないので、比較しなければ正確なことはわかりませんが。直美さんはアドリブで前川さんも、お客さんも笑わせているなあと思いました。さすがです。

 どんなに面白いお芝居も、たぶん出演者にとっては。何回も同じことを繰り返していたら、どうしても飽きてきますよね。そして、出演者が飽きてしまえば、それは敏感に、お客さんに伝わると思うのです。
 そうしたマンネリを打破するのが、直美さんの底力ではないかと想像しました。とにかく頭の回転が速くて、その場その場でツボを押さえたセリフを、ぱっぱと発する小気味好さ。

 前川さんが時々、本気でとまどっているのがまた、会場の笑いを誘っていたように思います。直美さんパワーすごかったです。毒舌なんだけど、嫌な感じはしないし、発した言葉だけとると下品だったりするのですが、直美さんのお人柄で、お笑いにも品があると思いました。

 直美さんは前川さんを上手に振り回してらっしゃいましたが、その根底には礼儀正しさだったり、気遣いが感じられて、安心して笑えるというか。そんな直美さんだからこそ、前川さんも信頼してお芝居ができるのではないかなあと思いました。
 お二人だけのミニお芝居なので、短い時間なのが残念でした。もっと見たいな~と思ってしまった。それぐらい笑えました。

 直美さんは、トークのコーナーでも冴えわたってましたね。もう言葉がぽんぽん飛び出てきて、あれは本当に才能だなあと思います。
 それと、着物姿が眼福でした。何回くらい着替えたのかな。数えてなかったのですが、少なくとも五着くらいは違うお着物で登場です。

 そのうち、二着目に着たものだけは、着物というより「衣装」という感じに見えてしまったのですが、その一着をのぞけば、すべてうっとりするような素晴らしい着物ばかりでした。(すみません、たぶん私の好みの問題です。二着目の着物だけは、あんまり好きなタイプじゃなかったです)

 直美さん、お着物がとても似合うのです。いざトークとなると、客席をがんがん笑わせる方ですが、舞台の上で着物姿で佇む様は、本当に上品で、素敵だと思いました。

 普段着物を見ることはあまりない私ですが、そんな素人目にも、相当に上質な着物であることはすぐわかりましたし、それがまたとても似合ってらっしゃったのです。内側から、輝くものがありました。
 きれいな着物を見事に着こなす直美さん。美しい方でしたよ~。

 前川さんも直美さんも、お互いを本当に信頼し、尊重し合っているのが客席にも伝わってきて、いいなあと思いました。

 お二人はこの先も、全国をまわって公演するそうです。
 もしお近くで公演がある方は、ぜひ行かれることをお勧めします。笑いがいっぱいの、とても楽しいコンサートです。

 


春の嵐その翌日

 春の嵐が通り過ぎた後の田んぼには、たっぷりと水が湛えられている。雲はもうない。青空が見えていたが、風はまだ強い。

 川沿いの道を歩いた。
 見渡す限り、田んぼには水が満ちていて、なんだか嬉しくなる。川も、いつもより水位が高い。

 小さな湖のようになった田んぼの水面を、風が吹きぬけると、まるで黒い雲が走ったかのようなさざ波。
 それは、一瞬のうちに、水面を走り抜ける。
 水は波となり、そしてまた、水へと還っていく。

 散歩しながら思った。
 人の一生も、そうなんだろうなあと。水から波が生まれ、また水に戻るのと同じこと。
 体は原子の集合体で、いつかはまた、原子に還る。その繰り返し。

 

 人と他の生き物との違いは、その体に宿る意識だろう。意識はどこから生まれ、どこへ還っていくのだろうか。
 動物にも心はあるけれど、それは人間とは違うものだという気がする。
 人間だけが意識に気付き、その源を追い求めている。

 私は誰? 
 この気持ちは、どこからやってくるのだろう?

 たぶん動物は、そんな疑問をもつことはないだろうなあ。

 たっぷり水を湛えた田んぼで、のんびりと一羽の鴨が体を休めていた。気持ちよさそうにぷかぷかと浮きながら、羽をつくろっている。
 昨日の嵐は怖かっただろう。気温も低かった。鴨は闇夜の中で、じっと体を小さくして、やり過ごしただろう。一夜明け、明るい日差しの中でたっぷりと餌をついばみ、風に吹かれて過ごす心地よさ。

 恐怖、寒さ、満腹の快。
 鴨にはそうしたものを感じる心はあるけれど。生きていること、その存在に対する疑問など、決して抱いたりしないだろう。
 鴨には今この瞬間しかない。

 たぶん人間だけが、自分の存在する世界に疑問を抱く。この世界はいったい、何なのだろうと。

 『The SECRET of QUANTUM LIVING』DR.FRANK J. KINSLOW 著 を最近読み始めた。だから余計に、今日のような風景を見て心がざわめくと、世界について考えてしまう。

 著者は QUANTUM ENTRAINMENT 提唱者として有名だが、複数ある著書のうちまずどれを読むべきか、迷った末に選んだ決め手は装丁だ。

 青のグラデーション。波の動きを模した白。曖昧な境界線がとてもきれいだったので、その表紙に惹かれて購入。

 しかし66ページ目でいきなり驚愕の言葉にぶつかる。

>I’ll explain it all in my next book….

(それらは全部、私の次の著書で説明します)

 瞬間、やられたーと思う。こりゃ信用できないわ、と思ったらすぐ次の言葉は、

>Just kidding.

(冗談です)

 この人は…(^^;

 まだ読み始めたばかりだが、なかなか面白い本である。

愛しい人の涙には勝てない

 川島なお美さんが、木村藤子さんに夫の健康のことを相談しているところを、テレビで見ました。

 木村さん、霊能者というより人生相談的な回答でしたね~。でも的を射てるな~と思いました。その一方で、なお美さんの気持ちも、すごくわかる(^^;

 夫が片目を失明した今、残された目を大切にしてほしいっていうのは、妻なら当然の願いですもんね。そして、夫の鎧塚さんに対して、言っても全然言うこと聞いてくれないから、敢えて言わない作戦に出てるっていうのも、よけいに、なお美さんの中のストレスを増大させてるんだろうなあと、そう思いながら見てました。

 なお美さんにしてみたら、「私、こんなにがんばってるのに、夫は全然健康のこと考えてくれない。じゃあどうすればいいんですか?」って、聞きたい気持ちになるのも無理ないことかと。

 でも。
 木村さんもやんわり批判してましたけど、態度が相手を追いつめてるんだろうなあと思いました。

 たしかに、言葉では具体的に「ああしろ、こうしろ」と要求はしなくても。無言の迫力がありましたもん。

 四六時中、なお美さんが全身から醸し出す「規則正しい生活をしてね」オーラを浴びたら、息苦しいと思う。それがいい悪いは別にして、ともかく、窮屈さを感じるだろうなあというのは、想像がつきます。

 言わなきゃいいだろうといっても、言ってるも同然、なんですよね。もう目で、体で、全身で訴えてましたもん。なお美さん。

 「あなた、絶対、健康的な生活してよ~!」っていう。

 しかもそれ、正論なだけに、たぶんなお美さんの中では、ゆるぎない自信があるわけですよ。私は妻として間違ったことは言ってないっていう。

 うん。本当に全然間違ってないし、その通りなんだし、鎧塚さんが健康的な生活をしてくれたら、なお美さんのみならずそれは、鎧塚さん自身の幸せでもあるんだろうけど。

 でも鎧塚さんはお酒、好きなんだろうなあ~。

 本人がその気にならなければ、なお美さんの「正しい主張」は、うるさいだけになってしまうのですよね・・・。

 これは第三者の立場だから私も言えるんですけども。もし私がなお美さんの立場だったら、やっぱり夢中になって、夫にうるさがられながらも「私のなにが悪いのよ~」って思っちゃうかもしれない。

 でも傍から見てるとよくわかる。
 本人が自覚しなきゃ、駄目なんだよね(^^;
 むしろ、なにかいうことで余計に、鎧塚さんはストレスを感じちゃうんだよね。
 言われたから「気をつけよう」と思う以上に、言われて「うるさいなあ」と嫌な気分になる方が多いわけで。そしたら余計に、お酒飲みたくなってしまうかも・・・。

 なお美さんは「言わない作戦に出てる」と言ってましたけど、傍から見てるともう、明らかに全身で、主張してると思いました。

 じゃあどうしたらいいかって話ですけど。
 もうこれは、ある意味、諦めるしかないのかな~、なんて、思ってしまいました。(まあ、これは私が妻ではなく他人だから言えるのかもしれないですけど)

 運命、といいますか。
 もうその人の、生き方、なのかもしれません。
 その結果、なにがおきようとも、その人が選んだ生き方なら、それはそれで仕方ないのかもしれないと。

 夫婦で居続けたいなら、その点についてはもう、諦めた方がいいのかなあ、なんて思いました。自分の思うとおりの行動を、相手が自主的にとってくれるとは限らないわけで。そのたびにイライラしてたら、自分がつらくなってしまう。
 そして、たとえ言葉に出さなくても「こうして。ああして」と強く態度で主張し続けることは、相手にとっても恒常的なストレスになってしまう。

 

 私がもし、なお美さんだったら、と考えてみたのですが。

 

 たぶん、何回かは、ちゃんと話をしますね。あなたの健康が心配だから、食べるもの気をつけてね~とか。飲みにいく回数、減らしてねとか。
 それもこれも、あなたが好きだから。ずっと一緒にいたいから。このままではあなたが病気になってしまいそうで私はすごくつらいのです。と、ストレートに訴えると思います。

 それでも相手が変わらなかったら、私はたぶん、別れを選びます。

 いや、もうこれは、愛情ないんだなあと諦めて。

 だって、愛情あったらやっぱり考えますもんね。相手に泣きつかれたら、やっぱり相手のために、行動したいって思いますもん。本当に好きな相手なら。

 ずーっとギスギスしてるのも嫌だし。
 そうか。私よりお酒が大事なのか。悲しいけど仕方ないなって、たぶんあっさり別れます。

 

 でも、なお美さんも実は、夫より仕事の方を優先してるのでは?と思う発言もあり、鎧塚さんもいろいろ言いたいことあるだろうなあと思ったりしました。

 結婚した後で、ベッドシーンのある仕事とか、私が夫だったら耐えられないです(^^;
 女優さんとはいえ、そういうシーンを避ける選択もあるわけで。
 私が夫だったら、「そうか、俺より仕事が大事なんだな」と思ってしまう。

 テレビを見ながら、あれこれ考えてしまう一日でした。

飛びこんできたピンクの花束

 花束をもらった。思いがけないおすそ分けなのである(^^)

 ご近所さんが持ってきてくれたのだが、退職のお祝いでもらった花束が2つあり、家で飾るには多すぎるからとのことで。

 

 それが、うっとりするような素敵な花束だったのだ。全体をピンクでまとめてある。薔薇、カーネーション、トルコキキョウ、ストック、それらの優しい色が、葉蘭の緑に映えている。物凄く、私好みヽ(´▽`)/

 

 同じピンクでも、薔薇のは青みがかっているし、カーネーションは珊瑚っぽい。トルコキキョウは白地に薄く紅を溶いたような清楚さで、まだ先の方まで咲きそろわないストックは下から上に向かい綺麗なグラデーションを描く。

 見ているだけで、うきうきしてくるような華やかさだ。

 ただ、惜しいのは、香りがない。なぜだろう。こんなにも生き生きと花を咲かせているのに。普通は生の花を飾ると、部屋中が花の香りでいっぱいになるのになあ。

 一番匂いがあると思われる薔薇に鼻を近づけても、驚くほどに無臭で。香りのない薔薇なんて、初めてだ。
 温室で育てられた花束用の薔薇。品種改良され、野性を失って最後には、匂いまで失くしてしまったのだろうか。

 薔薇の香りは嫌い、という人にとっては、有難い品種なのかもしれない。私にとっては少し、物足りなかったけれど。

 花束を飽きずに眺めているうちに、気付いた。

 

 そうか。今、秋バラの季節だなあ。植物園に行かなくちゃ。ふらりと、出かけた。

 毎年、出かける植物園がある。春と秋には、咲き誇る薔薇を楽しむことができる。春の薔薇に比べ、秋の薔薇は種類も量も少ないが、秋には秋にしかない空気、風情がある。

 年ごとに少しずつ、栽培する薔薇も入れ替わっていて。ここの薔薇園には、あまり古株というのがないみたいだ。寿命がくれば新しい品種がそれにとって代わる。

 青い薔薇(厳密には白に近い紫、というのが多かった)のコーナーを、まず見て回った。紫のバラはどれも、弱弱しい株のものが多くて、見ていて可哀想になってしまう。いつも、息も絶え絶えに、ひっそりと佇んでいる感じ。強い風が吹けば、そのまま消えてしまいそうだ。

 薔薇園全体の中で、気に入ったのは「香澄」という品種。
 香りに驚かされた。なんと、春の空気の匂いがする。

 自分の鼻が信じられなくて、何度も嗅ぎ直してしまった。そのたびに、春の空気が脳裏によみがえってくるのだ。春の空の色。暖かさ。目を閉じて、幾種類もの春の花々が絶妙にブレンドされたような、不思議な香りを楽しんだ。

 秋に咲く薔薇なのに、春の匂いをさせているんだなあ。まあ、この「春の匂い」というのも、私の勝手なイメージなんだけども。私にとって、「香澄」は春の空気、そのものだった。

 そして、もうひとつ。「和音」。日本で作られた品種だけあって、いかにも日本的だと感じた。中心が黄色で、外に向かって色が薄く、白くなっていくのだ。静かで、優しい花。和服美人を想像させるような、凛とした美しさ。自己主張しないのに、個性も意志も、ちゃんと存在していた。

 家へ帰って来てから、部屋ではまた、花瓶に入った花束を見てうっとりしている。薔薇園も素敵だったが、この花束の絶妙なバランスも、本当に素晴らしい。どの方向から見ても、それぞれの花が互いを引き立て合い、全体として完成されたハーモニーを作り出している。

 どんな人が、この花束を作ったのだろう。花束を作る人のセンスがいいと、1+1=2、ではなく。2以上になるのだなあと、花を見て思う。個々の花を単品でもらったのだったら、ここまでの感動はなかっただろう。綺麗な花束に、感激の週末である。

賢者の言葉

 この世で起きた出来事は、すべて、この世で解決できる by 私の知人

 これ、折に触れ、思いだす言葉だったりします。聞いたとき、ものすごく納得したもので。どんな状況で発せられた言葉かと言いますと、とある、よくあるタイプの痴情沙汰で、死ぬの生きるのと大騒ぎになったバカップルに対し、彼らの職場の上司だった女性が、冷静に彼らを諭したときのものです。

 知人と言っても、私が直接は存じ上げない、面識はない方なのですが。
 この一言はすごいな~と、感動しました。達観してますね。素直に、すとんっと落ちてくる言葉です。

 本当に、つきつめてしまえば、その通りだと思います。この世で起きた出来事に、この世で解決できないものなど、ないのだと。

 周囲を巻き込み、大騒ぎしたカップルは、クールな上司に諭されて現実を取り戻し、おさまるべきところに収まって、一件落着となったらしいですが。
 この言葉、すごいな(^^;
 インパクトと説得力が、半端ありません。

 熱くなって周りが見えないときには、解決策などどこにもないような気がしたり、そういうの、わからなくもないですが。

 本当は、道なんて無数にあって。
 本人が思うほど、他人にとっては、たいした問題でもなくて。

 もう無理、とか。どうすればいい?、なんて孤立無援に苦しむ人の嘆きを聞いていると。意外に、解決の選択肢を本人が狭めていることが多かったりして。

 いくらでも道はあるのに。「あたしはこれしか駄目。これ以外認めない」といって、自分が決めた選択肢の紙を、渾身の力で握りしめて、身動きとれなくなっていたり。

 そんなものかもしれません。