出光美術館「長谷川等伯と狩野派」感想

 久しぶりに東京へ行ってきました。引越してからほぼ、2年ぶりです。丸の内の出光美術館で「長谷川等伯と狩野派」を見ることと、上野の東京国立博物館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を見るのが目的です。

 2年ぶりに降り立った有楽町駅は、懐かしかった(^^)

 昔、観劇のために帝国劇場に足繁く通っていた時期があり、私にとってはおなじみの駅。人の多さは、相変わらずでした。

 まずは、帝劇ビル1階、帝国劇場正面玄関へ。12月に上演される『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のチラシをゲット。私、このミュージカルが大好きなんですよね。
 再再演の今回は、見に来られそうもないのが残念です。

 そして、エレベーターで9階へ。

 開館と同時に駆け込んだためか、人はあまり多くありません。じっくり鑑賞することができました。

 そして、見終わった率直な感想。

 芸術って、才能なんだなあ・・・と。

 狩野派と長谷川等伯のライバル関係は有名ですけど、私は長谷川等伯の絵の方が、すごいなあと思ってしまいました。
 これは、狩野永徳も危機感を抱いただろうなあ。

 なにしろ、自由でまったく力が入ってないんです。見ていると、この人は描くときに、「こうしなきゃ」とか、「うまく描きたい」とか、全く思っていないんじゃないか、という気がしました。

 絵が好きで、絵を描く衝動に駆られて、筆を動かさずにはいられない、という感じだったのかと想像しました。天の与えた才ですね。

 線を見ていると、なんだか楽しい気分になってくるのです。

 見た中で、一番好きな作品は「竹鶴図屏風」でした。
 鶴が、鼻歌をうたいながら歩いてるように見えました。フンフンフーンと。足取りの軽さが、伝わってくるような絵でした。
 なんの気負いもなくて。

 暖かい空気を感じました。

 勝手な想像ですけど、真剣に張り詰めた空気の中で描いたのではなく、筆先は軽やかに、自由に踊ったのではないのかと。そんなことをイメージしてしまいました。

 等伯の絵を、三つの言葉で表すなら。

 自由、気負いがない、温かい、ですね。笑みのようなものを感じる作風だなあと、そんなことを思いました。

 対して、狩野派の絵を表すのは、

 

 豪華、緻密、気合い、かなあと思いました。ゴージャスな大邸宅に似合う絵です。天下人の居城を飾るのには、ぴったりの絵のように思いました。
 ひとすじの欠けも許さないほどに、精密に描きこまれた、計算され尽くした作品。迫力が半端ないです。絵の前に立つと、その絵の放つパワーに圧倒される感じです。

 例えるなら、狩野派の絵は、大豪邸に飾りたい感じで。
 等伯の絵は、山奥の別荘に似合いそうだなあと。

 私は個人的には、等伯の絵の方が好みでした。
 等伯の、自由かつ魅力的な絵を見たとき、狩野永徳はどんなことを思ったのでしょう。

 会場には、等伯以後の、長谷川派の絵も飾られていましたが、それは等伯とは全く違うものだと、私は感じました。
 才能は、個人に宿るものなのだと思います。等伯の技術は、言葉を尽くしたところで、弟子に継承させられるものではなかったのではないかと。

 似たものは受け継げても。
 誰も、長谷川等伯そのものには、なり得ない。

 なぜその絵が描けるのか、等伯自身にも、わからなかったのかもしれません。持って生まれたもの。才能ってすごいなあと思いました。

 出光美術館は、展示室を出たところに休憩スペースがあって、そこから皇居の美しい紅葉が見えました。しかも、給茶機があり、無料です。しばらくのんびりと、高いところからの風景を楽しみました。

 ところで、こういう給茶機のお茶はたいてい味が薄く、あまりおいしいものではないのが常ですが、ここの煎茶は、かなり美味でした。二杯も飲んでしまいました。
 おいしいお茶と、美しい景色と。贅沢な時間を過ごせて、大満足の中、出光美術館を後にしました。

 さて、次は上野へ直行です。上野駅に近いホテルを予約してあったので、そこでチェックイン前にひとまず大きな荷物を預かってもらい、東京国立博物館へ向かいました。途中、お寿司を買って、上野公園の木陰でささっとお食事。

 東京国立博物館の中の平成館で、「法然と親鸞」展は行われています。チケットを買おうとしたら、係の方が「ただいま大変混み合っています」と、何度もアナウンスしていました。

 混んでるのか・・・と少し不安になりましたが、実際に会場に入ってみると予想以上の大混雑。
 すいている展示から見ようと思っても、すいているところは全くありませんでした(^^;
 法然と親鸞、大人気なのですね。
 どこの展示も、だいたい人の列が3列くらいにはなっていて、前の人の頭と頭の隙間から、ようやくちらっとのぞけるくらいの状態でした。

 じっくり見ようと思っても、たくさんの人がいるので、ひとつのところにとどまるのはちょっと無理で。よく見えないまま、人の流れに流される、という感じでした。

 よって、途中で諦めてしまいました。

 う~ん。法然と親鸞。興味はあるし、きっとじっくり見ることができたら、なにか感銘を受けたかもしれませんが、とにかく人が多くて身動きがとれなかった(^^;
 いくら有難いお経でも、聞こえなくては仕方ない、ということで。

 法然と親鸞の展示をやっていたのが、平成館という建物だったのですが。東京国立博物館には、他にもいくつかの建物があるとのことで、そちらを見学してみることにしました。係のお姉さんに聞いたところ、法然と親鸞の特別展チケットがあれば、本館や、法隆寺の宝物館なども行けるらしく。

 本館へ行ってみたら、ガラガラにすいていて、展示品をじっくり鑑賞することができました。品数の多さにもびっくり。これは、一日かけても飽きない豊富さです。もっと早くこちらにくればよかったと後悔しながら、それぞれの部屋をまわりました。

 この本館。北側にとても素敵なお庭がありました。館内から窓越しに眺めたのですが、紅葉もあり、息をのむような美しさでした。桜の時期なども、きっと素晴らしいのでしょう。

 本館は展示品が多く、今回、全ては見られなかったので、またいつか再訪したいと思いました。

赤茶けた畑の隣で、黄金の米は実る

 実りの秋。

 ずっしり実った米の粒。ゆさゆさと風に揺れる稲穂を眺めながら、川沿いに自転車を走らせるのは最高に気持ちいいです。

 お米の収穫ももうすぐね~♪、ふんふんふーんと、鼻歌気分で走っていると、一面茶色く枯れ果てた荒地を発見。

 米が収穫間近のこの時期に・・・・そのすぐ隣の土地で、なぜ除草剤をまくのか。謎です。謎というか、その神経が理解できないというか、除草剤に関してはなにかの規制が必要ではないかと、つくづく思ったのでした。

 この荒地。元は畑でした。田んぼに隣接してるんですけども、半年前くらいまではおばあちゃんがよく、手入れをしていました。そのおばあちゃんが亡くなったと聞いた頃から、誰の手も入らない畑は荒れ放題になり、雑草が跋扈する単なる草むらに変わってしまいました。

 草の丈がある程度高くなると、それでも2度くらいは、誰かが草刈りをしてたんですが。すぐに草はまた生えてくる。

 夏の草の繁殖スピードには、凄まじいものがあります。

 

 でもだからといって、一面その草を枯れさせるほどの薬剤をまいて植物は皆、茶色く枯れ果て。そのすぐ隣では稲が収穫を待っている・・・・この光景は相当シュールです。

 アスファルトのわずかな隙間にさえ蔓延る緑が、まったくなくなってしまった土地を目にすると、その不自然さにぞっとします。

 田んぼも除草剤は使いますが、この、収穫間近の時期にはありえないですよね。いくら隣の畑といっても、地理的につながっているわけで、その成分は容易に流れ込みますよ。そんなこと、わかりきってるのに。

 

 自分の土地だから、除草剤をまこうがなにをしようが、関係ないというのでしょうか?
 除草剤は、毒なんだけどなあ。人間にとっても、有害でないわけはない。

 作物を育てる上で、どうしても必要だというのならともかく、今この時期に除草剤で草を根絶やしにする、という行為。そこに緊急性は見出せません。

 荒れて雑草がはびこると、近所から苦情がくる、というのもわかりますが、この「除草剤使っておけばいい」という考え方は、なんとかならないものなのでしょうか。

 この荒地とは別に、その近くにもやっぱり荒れている一画があるのですけれど。

 もう数年来、そこは除草剤を使い続けてますね。

 人を頼んで草刈りをさせるのと、除草剤で草を一掃するのと、交互にやり続けてます。
 自然の回復力はたいしたもので、除草剤で根絶やしになった緑も、数か月たてばまた少しずつ回復していくのですが。
 繰り返される除草剤の散布は。
 数年間で、いったいどれだけの薬剤がこの土地にしみこんだのだろう、と心配になります。

 まったく、なんの利用もされていない土地。
 ただ草が生え、そして除草剤を撒かれる。その繰り返し。

 

 うちの近所、今、開発が盛んなので。やがてその土地も、宅地として買い取られる日がくるかもしれません。買う人は、その土地に何年も除草剤がまかれたこと、知らないでしょう。
 その土地で、小さなこどもが庭遊びをするんだろうか、と考えると恐い話です。そこで、家庭菜園なんかもやっちゃうかもしれないわけで。

 草刈りが、一番いい方法だと思うんですけどね。除草剤使うよりも。

 ただ、経費の問題なのかな。人を頼むと、お金がかかるから。

 除草剤だったら、高齢者でも簡単にできるから、そっちのほうを選ぶのか。やはり、除草剤は規制してほしいです。農業をやっていて、どうしても必要な場合を除いて。単に荒地の管理目的で、除草剤を使ってほしくないです。

 というか、荒地で自分が管理しきれないのなら、手放す道も考えるべきなのではないか、と思いました。ただ放っておいて草を生やすなんていうのはもったいない。利用されてこそ、土地の価値はあるのではないかと。

 先祖伝来の土地に対する執着、というのは、気持ち的にはわかりますが。土地は使わなければ意味がないし、まして管理のために果てしなく除草剤をまき続ける行為、というのはひどく有害だと思うのです。

 私が、その荒れ地の隣にある土地オーナーなら。
 隣地は、除草剤で定期的に綺麗にするより、むしろ草をぼうぼうに生やしてくれていたほうがいいです。薬剤が流れてこないぶん、その方がまし。

 匂いもなく、まかれた直後は除草剤の存在に気付けない、というのも除草剤の恐さです。草が一斉に枯れ始めて、その時初めて、「撒いたのだ」と気付きます。

 せめて、ガスのように臭い匂いが、薬剤についていたらなあと思います。

 見えない、わからないことが、危ないのです。

温泉と花火

 屋上から打ち上げ花火を見た。

 某温泉施設のサービスだ。わずか5分間のスターマイン。夏の間は定時に毎日開催される。

 この温泉にはよく来ているのだけれど、打ち上げ花火を見るのは初めて。

 あまり宣伝しすぎて客が殺到したらスペース的に困るだろうし(屋上はそんなにだだっ広いわけではない)、時間的にもわずか5分ということで、施設側はそんなに、この花火のことを大きく広報していなかった。

 まあ、温泉に入りに来たお客さんへの、ちょっとしたオプションサービス、的な扱いである。

 この花火自体、別に施設が打ち上げているわけではなく、近隣の遊園地でやっているのが温泉施設の屋上からちょうどよく、目の前に見える、という話なのである。

 というわけで、あまり期待せずに、予定時刻に屋上へ行ってみた。15分前に到着。誰もいない(^^;

 さすが、あまり宣伝していないだけあるなーと、変なところで感動。誰もいないので、数少ない椅子をしっかりゲットできた。それも、一番よさそうな位置のものである。

 椅子に座って、遊園地の灯りを眺めていた。観覧車も、ピカピカと明るく、光でさまざまな模様を描き出す。その隣は、名前はわからないが上下に大きく動きつつくるくると周っていく遊具。高いところがあまり得意でない私にとって、見ているだけで手に汗握る光景だった。見ている分にはまだ平気だけど、あれに乗ったら相当気分が悪くなりそうだな~、なんてことを考えていた。

 遊園地は光にあふれていて、それを見ていたら、過去の記憶とリンクした。そうだ。これは東京ディズニーランドのエレクトリカルパレード、みたいなもんである。光の渦は、どこか別世界の出来事のようで眩しい。

 夜空を見上げたが、星はあまり見えない。
 地上が明るすぎるからだろう。

 打ち上げ花火の予定時刻が近付くと、どこからともなく人が集まってくる。その数、およそ70人ほど。
 人はあんまり集まらないかと思ってたけど、これだけ来れば上等ではないか、そんなことを思う。屋上はぎゅうぎゅう詰め、とまではいかないが、ほどよい感じに賑やかになった。

 遊園地の灯りが消える。

 そして、大きな音と共に、夜空に大きな花火が打ち上げられた。近い距離で打ち上げているので、予想以上に迫力があった。屋上に集う人たちが、一斉にどよめいた。

 最初のうちは、スターマインではなくて、一発一発、丁寧に打ち上げていた。その間隔がだんだん狭まり、会場の期待は自然と盛り上がってくる。

 やがて始まったスターマイン。
 次々に、きらびやかな光の華が咲き乱れ、消え、その余韻を楽しむ時間もないほどにまた、新たな光の乱舞。
 一発一発は、単体で見てもさぞかし丁寧に作られた花火師の自信作だろうに、それを惜しげもなく連続で、ときには同時に爆発させる贅沢。

 花火を見ながら、日本て凄いなあ、と思ってました。

 なんだろう。この、こうした花火を愛でる感覚って、まさに日本人独自のものなんじゃないかなーって。もちろん西洋にも花火はあるし、東洋の他国にも花火はあるけど。

 日本人が花火に寄せる思いって、他国とは違うんじゃないかって、ふとそんなふうに感じたのです。

 こう、江戸から綿々と続く文化の継承というか。心意気。花火職人さんが伝えたいものと、観客の心がぴたっと寄り添う感じで。日本人て、いいなあって、単純にそう思いました。

 美しさと、繊細さと儚さと。そこに大胆さと、迫力をうまーくミックスして。

 色も形も。すごく迫力あるんだけど、同時にとても、細やかな気配りを感じるのです。そのセンス。これはなんというか、すごく独特で、まさにuniqueという言葉がふさわしいかと。

 日本の花火を見ていて、胸にわきあがるじ~ん、という感動。泣きたくなるのはなぜなんだろうなあ。少しだけ寂しさに似た感情も、そこにはある。そして懐かしいような。昔を思い出すような。

 私は花火大会の混雑が苦手なので、もっぱらテレビや、もしくは混雑などおきようもないような遠距離から、花火を観賞してばかりいたのですが。

 やっぱり近くでみる生の迫力には、混雑の不快さを乗り越えてでも、人を集めるパワーがあるのだと実感しました。だから人は、花火大会に出かけるんだろうなあ。

 それにしても、今日の打ち上げ花火を見られたのは本当に大ラッキー。椅子に座って、しかも大混雑という状態でなく、ゆったり楽しむことができました。今夜はいい夢がみられそうです。 

旅先で感じたこと

 先週、夏休みの旅行で、展望風呂のあるホテルへ行ってきました。ここのホテルは山のてっぺんにあるので、眺めが最高です。お風呂は1階ですが、露天風呂から海が一望できるのです。

 夏休みということで家族連れが多く、ほとんど満室でしたが、もともとお風呂はかなり広いので、いつ行ってものんびり入れます。

 夜は部屋から、暗い海を眺めていました。
 すぐそばに港があるのですが、さまざまな船が一晩中行き交っています。
 中でも漁船の出入りが激しい。

 真っ暗な海を、小さな灯りが行ったり来たり。

 沖にある島の灯台のあかりが、規則的に光ります。

 この島、前から気になってました。港からフェリーで15分。以前にこのホテルに来た時には、なにも案内などなかったのですが。今回は部屋に、島へ行くフェリーのチラシが置いてありました。

 島を、観光で売りだそうとしているのかな?

 翌日はまっすぐ家へ帰る予定でしたが、急きょ、計画を変更。チェックアウト後に、島へ行ってみることにしました。

 ホテルのフロントで、島に関するチラシがないかどうか聞いてみると、フェリーの時刻表と島の地図が印刷された紙をくれました。

 それを見たとき、少しだけ違和感がありました。

 あまりにも簡素すぎるような気がして(^^;

 本気で観光地として売り出す気持ちがあるなら、もう少し力の入ったチラシになるんじゃないかな~と。その疑問の答えは、実際に島へ行ってみてわかりました。

 島へ行く小さなフェリーは、ほぼ満席。
 といっても、60代くらいのおばさま10人くらいのグループがいたから、というのが大きいと思います。
 普段は赤字路線なのかな?という感じです。

 15分で到着して、まずは港に設置された大きな看板の地図をじっくりと眺めます。おばさまグループは、地図のそばを通りかかった地元の婦人に声をかけていました。

 「1時間後の便で帰るから、あんまり遠くには行けないんだけど、その時間で帰ってこられる観光スポットはあるかしら?」

 うおー、もったいないですね。
 と、傍で聞いていて思いました。せっかく来たのになあ。1時間で帰っちゃうのか。
 私は4時間滞在する予定だったので、地図を片手にあちこち歩き回ろうと考えていました。

 小さな島なので、2時間もあれば一周できると、地図には書いてありました。ただ、途中のぼり坂が続くところもあるようで、そうすると大変だろうから、楽な道だけをちょこちょこ、部分的に楽しめばそれでいいか、と。完全に一周しなくても、寄れるところだけ寄ればいいと、そう考えていたのですが。

 まずは、島内にある、海の神様をお祀りする神社へGOです。

 この地を踏ませてもらうご挨拶をしなければ、ということで、神社を最初の目的地にしました。

 階段が半端ないです。かなりの急角度で、200段以上。夏の日がじりじりと照りつけ、汗が流れました。

 やっとの思いで拝殿に到着。小さいけれど、霊験あらたかで、厳かな雰囲気。しっかりと手を合わせました。

 次には、灯台に行こうと思いました。拝殿を出て、灯台に行く道を探しましたが、小さなけもの道らしきものしかありません。案内板もありません。まさかこの貧弱な道が、地図に書いてある道じゃないよなあ、ということで、せっかく上がった階段を下りていきます。

 階段の脇に、わりとしっかりした横道があったのでその道を行ってみることにしました。どんどん下っていきます。ある程度下ったところで、通りがかりの地元の人らしきおばさまに遭遇。

 「こんにちは」と声をかけると、「こんにちは」ととびきりの笑顔を返してくれました。

 「もしかして、灯台へ行くの?」と聞かれたので、「そうなんです。今神社から来たんですけど道がわからなくて」と答えました。

 するとおばさまは、気の毒そうに、「灯台へいく近道は、神社の裏にあるんだよ。また戻らなきゃいけないよ」とおっしゃいます。

 うおおおー。下ってきた道を、また戻らなきゃならないのかーと悲しくなりつつ、詳しく話を聞いたところ、あの神社の裏手にあったけもの道らしき小さな道が、灯台へ行く道だと判明。

 「私も前から気になってたんだけど、案内がなにもないみたいだねえ。しょっちゅう、観光客が間違えてこの道を下りてくるんだ」とのこと。そのたびに、教えてあげているそうです。

 今来た道を、また戻らねばならないことにはがっくりしましたが。それでもおばさまの親切が身にしみます。もし声をかけてくれなかったら、このままもっと下の道まで、下りてしまっただろうから。お礼を言っておばさまと別れ、もう一度拝殿のところまでのぼります。

 あらためて、けもの道の入り口に立ちました。

 ありえん(^^; ありえないわ。案内板なしで、ここに踏み入る勇気はないよ。さっきおばさまに詳しく道を聞いたからここがそうだと確信できるけど、そうでなかったら、観光マップに載っている道には見えない・・・。

 うっそうとした森の中、小さな道をたどって灯台へ歩を進めます。ずっとのぼり坂が続きますが、途中、横道はありません。ひたすら前へ進むか、元来た道を戻るか、それしかできません。

 夏の草の繁殖力は凄まじい。数日前に、歩きやすいよう草を刈り取った形跡はあるのですが、それも部分的なもので。なかなか道の全てを整備するのは難しいようでした。両側から浸食してくる草に、道はともすればすっかり、覆われてしまいます。

 どのくらい歩いたのか。汗をぬぐいつつ、ようやく灯台に辿り着きました。昨日の夜、部屋から眺めたあの灯台の光がここだったのかと思うと、感慨深いものがあります。
 今後あのホテルに泊まるたび、灯台の光を眺めるたびに、思い出すことでしょう。

 灯台の脇には、打ち捨てられた小屋がひっそりと佇んでいました。今は灯台は無人で運営されているようですが、昔はこの小屋に、管理人が泊りこんでいたのでしょうか。

 ツタに覆われた小屋は、ずいぶん長いこと人の手が入っていないようです。すっかり廃墟です。内部は時間がとまったまま、静かに埃だけが積もっているのだろうかと想像しました。周りには背の高い雑草が生えそろっていて、玄関に近付くことすらできません。

 もし本当に観光地化するのなら、ここを東屋にして、休憩所として使ってもらえばいいのに、と思いました。山道をずっとのぼってきたのに、休憩スペースがないのは気になります。

 さて地図上ではこの先、さらに道を進むと、石灰岩が風化してできた白い岩肌と青い海が一望できる、絶景ポイントがあるとのこと。

 戻るか進むか迷いましたが、せっかくなので、さらに進んでみることに。

 すると、向こうから歩いてくる人影が見えます。
 挨拶して、この先がどうなっているか聞いてみました。すると、歩きにくい道なので、断念して戻ってきたとのことでした。

 たしかに、今までの道も、歩きにくいといえば歩きにくいかも。気軽にふらふらといく感じではないです。まさに山登り、という感じなのです。

 行けるところまで行ってみよう。
 私は歩き始めましたが、その後もしばらくのぼり坂が続き、決して楽な道ではありませんでした。

 そしていつしか。峠を越えたのか、ずっと下り坂が続きます。楽は楽ですが、怖くもあります。もし戻るときには、逆に、これがのぼり坂になるのですから。

 山の中で、一切横道はありません。

 もう、進むか、戻るしか選択肢はなく。
 途中、誰にも会いませんでした。道が厳しすぎて、観光客はここまで来ないものと思われます(^^;

 歩いて歩いて、ビューポイントの東屋に到着。少し休憩して、すぐにまた歩き始めました。港から離れてしまったため、船の出る時間に間に合うのかどうか、それが気がかりでした。
 肝心の景観はたしかに綺麗だったけれど、だからといってそこで1時間眺めているようなものでもなく。

 道は途中、さらに悪くなる個所もあったりして。
 水たまりを避けて、ギリギリ端っこを通るのはスリルがありました。

 背の高い草をかきわけて進んだときには、気分はもう、探検隊です。ホテルでもらった地図を見る限り、遊歩道的なものを想像していたのですが、それは違っていましたね。

 山を抜け、海岸沿いを歩いたときには広々とした海が気持ちよかったです。地元の方なのか観光客なのか、一組のカップルが楽しそうに波打ち際で戯れていて。それを高い位置から眺めていたのですが、ほのぼのとする光景でした。

 のぼったり、下ったりを繰り返して、ようやくまた街中の集落に戻ってきて、ほっとしました。ここまでくれば、安心です。港まですぐですから。これで船に乗り遅れることはないでしょう。

 結局、島を一周してしまいました。途中休憩を入れつつ、約3時間の行程でした。
 とにかく、これは途中でや~めた、というのができない道だということがポイントです。途中で横に抜ける道がない。山の中がほとんどなのでしかたないんですが、これは地図に注意書き入れておかないと、困る人もいるだろうなあと思いました。
 遊歩道的な感覚で気楽にチャレンジすると、しまった、ということになると思います。

 そして、島を一周した後、港の周辺をいろいろまわったりして思ったことなんですが。

 これはあれですね。
 観光地化を推進しようとする人たちと、それに反対の人たちがいて、一枚岩じゃないんですね(^^;
 だから、中途半端なことになってしまっているんだと思います。

 島の主な産業は、漁業です。

 豊かな海で、港には魚市場もありますが、観光客が買うことはできません。観光客向けに、時間を決めてフェリーの待合所近くで売れば、喜んでお土産に買う人はいると思うんですけど(私も新鮮な魚、買いたかったなあ)、そういうのは一切なしです。

 たぶん、漁業関係の方からすると、観光客は邪魔なだけなんでしょう。今のままで十分やっていけているのなら、観光地化することに、メリットはそれほどないわけで。

 港の周辺を歩いているとき、それはなんとなく感じました。冷ややかな態度、というか。

 別に観光地化しなくても食べていける、という方たちにとっては、観光客が増えればうるさい、というのはあるでしょうね。確かに、集落の中を見知らぬ人が歩き回るということ自体、ストレスといえばストレスになりうる。

 ただ、島を観光地として売り出すことで、活性化しようとする方たちの気持ちもわかります。おそらく、若い人なんだろうな。
 島に、漁業以外の道を作ろうとして、がんばっているんだと思います。

 しかし、この小さな島の中で、新しいことを始めるというのは、とてもとても、難しいことなのだろうと思いました。しがらみを無視することはできない。強引なことをすれば、狭い集落の中で居づらくなってしまいますしね。

 あの、草だらけの道も。
 観光地推進派の誰かが、黙々と草を刈っていたのかもしれません。すべてに手が届くわけではないから、草に負けている部分もあったけれど。島の、漁業関係の重鎮から怒られながらも、一生懸命アイデアを出して、ホテル関係者にもチラシを配って、がんばっているのかなと思うと、ほろりと感傷的な気分になりました。

 私はこの島が好きです。やっぱり、船でしかいけない島というのは、独特な雰囲気がありますし。人気のない山の中、自然の素晴らしさも堪能できます。
 だけど、また行きたいかと問われると、・・・・ですね。
 歓迎されてない感じがするので(^^;

 私が泊まったホテルにはチラシは置いてあったけど、チラシ自体簡単なものだし、ホテルがあまり積極的に島の観光を勧めてない理由も、わかりました。観光地としては、?マークがつく段階です。
 逆に、へたにお勧めしたら、後でクレームがついてしまうかもしれない。道の案内板の欠落も、痛い。観光地として最低限の土台が、整っていない状態なので。

 港の近くにある公園。そこのトイレの汚さも、問題の根の深さを表しているように感じました。

 きっと人間て、みんなが一丸になればすごい力を発揮するんですよ。豊かな自然に恵まれたあの島も、その気になれば、すぐに人気の観光地として、みんなに知られる存在になる。
 ちょっと足をのばしてみようか、そうやってみんなが、気軽に出かける島になれるのに。

 だけど、反対する人たちがいれば、前へ進もうとする力は打ち消されて、行きどころを失ったエネルギーは、中途半端にゆらゆらと彷徨う。

 観光地化することが絶対にいい、とは言いませんが。
 もったいないような気持ちになった、旅でした。

悟りの夢

 数日前に、面白い夢をみた。

 

 夢の中で、悟りのようなものを開いたのだ。今まで謎に思っていたこととか、全部わかって、「ああ~!!!そうだったのか~!!! でもこれって、もともとわかっていたのに、全部忘れていただけだったよな。そうそう、そうだったんだよ。これだったんだよ」と、ものすごく納得していた。

 

 なのに、起きたらその、悟りらしきものの内容だけが、すっかり抜け落ちていた(^^;

 

 どうしても思い出せない・・・・・・。

 思い出せるのは、その「わかった」ときの、「そうだったのか~~~!!!」という激しい感情の動きだけ。自分が自分でなくなったような、天地がひっくりかえるような、ものすごい衝撃があった。なのに。起きたら肝心な内容が思い出せない・・・というのは、残念でならない。

 

 いったい、夢の中で私は、なにが「わかった」んだろうか。

 わかって嬉しかったのは覚えているのになあ。

 思い出そうとすればするほど、そのときの興奮だけが蘇ってくるのです。

 

 中途半端に夢を覚えてることに、なにか意味はあるのだろうか。

 夢って不思議。だけど面白い。