スーザン・ボイルさんの歌声

 歌い手によって、曲の印象が全く変わってしまう、というのを体感しました。

 レ・ミゼラブルの「夢やぶれて」です。

 Britain’s Got Talent というオーデション番組で、審査員3人から、文句なしの合格をもらったスーザン・ボイルさん、47歳。

 見かけは、本当に普通の、どこにでもいそうなおばちゃんなのです。その番組に出演し、舞台の上に立ったとき、審査員だけでなく観客の反応も冷ややかなものでした。どうせ、不合格に決まってる、みたいな。

 まして、何を歌うのかと聞かれて、“I dreamed a dream” ですもん。この難曲を歌い上げることが、この素人のおばちゃんにできるはずがない。会場にいる誰もが、そう考えているようでした。

 でも、おばちゃんは全く動じません。会場の、どこか馬鹿にしたような雰囲気の中でも、卑屈になることなく、まっすぐ前を見ています。

 そして曲が流れ、スーザンさんの声が流れ始めたその瞬間! 誰もが息をのんだのです。私もです。目の前にいるこの人から、この声が出ているのか? それが信じられなくて、ただ呆然と、彼女の表情を見ていました。

 声は、20代の女性のものに思えました。それほど若く、力強いものでした。どよめく会場にも、スーザンさんは全く動じません。ただ淡々と、自分の信じる歌を、自分の歌を、歌い上げるのでした。

 審査員の顔つきが、豹変するのが見ものです。どうせたいしたことはないだろう、と鼻で笑っていたようなその顔が、見る間に、「本物を見た」という恍惚の表情に変わるのです。

 尊敬と、憧れが見てとれます。心を動かす存在を前に、ただ、敬服するしかないのです。特に、サイモンという毒舌で有名な審査員が、笑顔になるのがすごいんですよね。この方は、アメリカン・アイドルという番組でも審査員をしていて、すっごく厳しい批評で有名なんです。

 審査員なんだから、お世辞ばかり言っていられないのもたしかなんですけどね。見てる方が「もう少しオブラートに包んだ言い方をしてあげればいいのに」と同情してしまうくらい、思ったことをポンポン、遠慮なく言ってしまうという。

 アメリカン・アイドルを見ていた方ならわかると思うんですが、過去にはサイモンがあまりにひどい言い方をするので、他の審査員がたしなめることもあったり。

 そのサイモンが、笑ってるんです。とても満足そうに。こんな風に笑うサイモンを、初めて見ました。お世辞を言わないサイモンですから、本当に素直に、スーザンさんの歌が気に入ったんだと思います。

 私はレ・ミゼラブルという舞台を何度も見ましたが、そのときには、あんまりこの“I dreamed a dream” (邦題は「夢やぶれて」)という曲、ここまで綺麗な曲だとは思わなかったんですよね。落ちぶれた我が身を嘆くファンティーヌの、哀しみが伝わってくる曲だ、とは思いましたけど。

 綺麗だとか、優しい、とか、癒されるとか。

 レミゼの舞台のときには、全く抱かなかった感情がわいたのです。

 歌詞は、本当に悲劇なんですが。でもスーザンさんの声が伝えるものは、どこまでも優しい、まるで天上から降る音楽のようで。

 こんなに美しい曲だったんだなあと、その印象の違いに驚きました。そして、曲の途中で、スーザンさんがにっこり笑って、うなずくんですよね。その姿が、なんだか女神様みたいだなあって思いました。いいのよって、言ってくれているような。なんだか、自分の抱えてる全てのものを認めてくれて、許してくれて、いいのよって、そういってくれているようで。

 歌詞は全然、そんな歌詞じゃないんですけどね。

 でもその瞬間、本当に慈愛の表情で、うなずいてくれるスーザンさんの姿に、癒されました。

 震えながら消えていく、最後の音。

 スタンディングオベーション。会場に広がる興奮がリアルに伝わってきて、胸がいっぱいになりました。

 スーザンさんは47歳。未婚で、無職で、猫と一緒に暮らしていて。芸能人という容姿ではなく、どこにでもいる街中のおばちゃんで。

 この声、会場を熱狂させるだけの才能を持ちながら、誰にも見出されることなくひっそりと生きていたその人生を思いました。舞台上に初めて姿を見せたときの、あの、会場の蔑んだような空気は、今までの人生にもきっと、ずっとあったものなんだろうなあと。

 審査員の一人アマンダも、歌う前の会場の空気を指して、“I know everybody was against you”という言い方をしていました。against という言葉に含まれる強い響きは、そのままスーザンさんが生きてきた道のりに、重なるものがあったのかなと思いました。

 それでも、スーザンさんは全然、卑屈じゃなかったのです。自分に自信を持つ姿は美しいです。決して傲慢になることなく、かといって、卑下することもなく。私は私。その強さが、全身からあふれていたような気がします。会場の雰囲気がどう変わろうとも、内側にあふれる自分自身への信頼感は、決して揺らがなかった。

 歌い始めから最後まで、一貫してブレがありませんでした。

 だから、みんな聴き惚れたんだと思います。それはスーザンさんの世界だったから。みんながそれに飲み込まれて、スーザンさんの内面世界を垣間見たような。

 さっそくCNNのラリーキングライブに、ゲストとして呼ばれたスーザンさん。司会のラリーに、「髪形や服装、スタイルは変えるのか?」と問われて、「なぜそんなことをしなければならないの?」と、あっさり切り返していました。

 たしかに、スーザンさんが舞台で着ていたベージュ?金?のドレス、とっても似合ってた。

 スーザンさんが急に、まるでハリウッド女優のように大変身したら、きっと彼女固有の魅力は、薄れてしまうでしょう。

 ラリーキングライブに出ていたときの服装も、なにげない装いではありましたが、お洒落でしたね。落ち着いた茶色が、白い肌を引き立てていて。落ち着いた色だからこそ、大振りのネックレスが華美にならずに、ちょうどいいバランスだったような。

 その人にはその人にしか出せない美しさがある、そう思いました。

 スーザンさんの歌には、悲愴感がなかったです。

 まるでどこまでも、夢の世界のようで。歌詞にある“hell”(地獄)という激しい言葉も、スーザンさんの声にかかれば、淡い色彩の、夢の出来事だった。

 この日のために、この日の輝きのために、全部必要なものだったのかな?と思いました。スーザンさんが生きてきたその全ての、どれが欠けてもこの日はなかった。

 まるで魔法のような瞬間です。 

 この曲でなければ、これほどの感動はなかったでしょうし。その日のスーザンさんの服装も、声も、表情も。

 審査員も、会場の観客も、その全てが絶妙のバランスだった、と思います。

 レミゼを観にいって、聴き慣れたはずのその曲が。歌い手と場所によって、こんなにも印象を変えるのだと、それは新鮮な驚きでした。 

行く春に

 お昼休みにビルの外へ出たら、今にも降りだしそうな暗い空。その光の加減と、嵐の前のような静けさに、ふと胸を衝かれた。実際には、街には人のざわめきと車のエンジン音が、いつものようにあふれているのだけれど。

 まるでチャンネルを切り替えたみたいに、聞こえてるけど、聞こえてない、みたいな。日常の音はそこにあるけど、まるで別の次元にある、他人事のようだった。

 そんなことより、この暗い空。

 雨を予感させる灰色の雲。懐かしい胸の痛み。

 雷が鳴るんじゃないかと予感するほどに、辺りを支配する不穏な空気。

 ああ、あのときもこんな雲の色だった。

 雨が降り出すのを、軒下で眺めてたなあ、と思い出す。

 こういう感覚、好きなのである。痛いんだけど、嫌いじゃない。どこかでワクワクしている自分がいる。

 ときどきあるこの感覚は、本当に不思議だ。

 それは音楽だったり小説の一節だったり、誰かの語る言葉だったり。たまたま通りすがり、見かけただけの建物の佇まいにも、同じ刺激を受けることがある。

 郷愁というのが、一番正しい表現なのかなあ。ノスタルジィ。甘くて苦くて、時間も場所も全部、超越してしまうような感覚。

 そして、いつもと全然違う(ように私には見えた)街を歩き始めてすぐ、雨が降り始めた。最初は遠慮がちに、そしてすぐ、激しく叩きつけるように。

 道路に積もる細かな埃が舞い上がり、そしてまた、空中の雨に絡み取られて落ちる。独特の匂いがたちこめる。

 ああ、この匂いも好き。暗い空と、激しい雨と、降り始めだからこその、この埃臭さと。

 雨音は究極のヒーリングミュージックだと思う。

 信号待ちのとき、数秒間目を閉じて耳を澄ませた。傘を打つ雨の音が近い。

 雨が降っても、もう刺すような冷たさはなくて。冬は終わったのだと実感した。生温かいような空気。この雨で桜はほぼ完全に散って、また季節は動いていくんだなあ。陽光の桜の季節は終わり、すぐに新緑の眩しい、初夏がやってくる。

 今年は絶好のお花見ポイントを見つけたので、昼休みには毎日のようにお花見を楽しんだ。あんまり人もいないから、ゆっくりできる場所だ。

 一番よかったのは、散り始めの頃。よく晴れた日。ぼーっとしながら、座って桜を見てた。桜と、その向こうに見える青い空と。公園は学校に隣接していて、吹奏楽部の演奏がBGM。

 今演奏している生徒たちも、数年経てばこの学校を卒業し、ここにはいなくなる。それでも桜は、同じように咲くんだろうなあ。

 強風ではないけれど、風が吹くたびに花は、どうしようもなくこぼれ落ちた。そんなに急いで散らなくてもいいのに。花が次から次へ、音もなく舞い落ちるさまは本当に綺麗だった。それで私は、宇宙の始まりについて考えたりした。

 連続して、一つの物事が次の事象を引き起こすなら、その始まりはいったいなんだろう? 絶対的な無からはなにも生まれない。なにも変わらない。変化し続けるこの世界の始まりは、いったいなんだろうか。変化の始まりなど、あるのだろうか? 変化の向こう側にあったものとは、いったいなんだろうか。

 そもそも、こうして考えている今の私を生み出したものとは、何なのだろう???

 古来、桜を読んだ歌はたくさんあるけれど。

 万葉集の桜児(さくらこ)の話など、一見美談のようでいて、実はそうでもないなあと思った。

 昔、桜児という娘がいて、二人の男がどちらも彼女に惚れてしまう。二人が争うのを悲しんだ桜児は、「私が死ねば、争いはなくなる」と自ら命を絶つ。

 残された二人の男は、それぞれに彼女の死を悲しむ歌を詠んだ。

 私が男なら。彼女の傲慢さに唖然とするだろう。桜を偲ぶ歌を詠むことは、なかったかもしれない。だって、「彼女はただ選べばよかった」のに。なぜ選ぶことすらせず、気持ちを明らかにすることもなく、死んで解決をはかろうなどと愚かなことをしたのだろう。どちらを選ぶのも自由で、どちらを選ばないのもまた自由で。

 彼女が下した決断を、きっと、二人は受け入れただろうに。

 

 結局彼女は、二人をある意味、「どうせわかってくれない」相手だと思いこんでいたのではないかと。私が残された男の一人なら、ショックだ。彼女がいなくなったこともそうだが、それ以上に、自分はそこまで信頼されていなかったのかと嘆くだろう。

 そして、愛した人は、自分の心が作り上げた幻だったと知るだろう。「二人の人に愛された。争うのを見るのは嫌」そんな理由で死を選ぶような人だとわかっていたら、きっと好きにはならなかっただろうなあ。

 毎年桜の季節が来ると、去年はどう過ごしていたんだっけ?と思う。そして、ああ、また1年が経ったなあと思う。

水仙の芳香に包まれて

 水仙と菜の花の花束をもらいました。部屋の中はすっかり春になっています。

 水仙は部屋に、菜の花は台所に飾りました。

 菜の花の明るい黄色は、キッチンの片隅がよく似合う。大量の水仙は、部屋で眺めていたいなあと思ったので、クリスタルの花瓶にざっくり生ける。

 ちょっと壮観。水仙をこんなに飾ったのは初めてのことかもしれない。

 そして部屋中に満ちる芳香!!

 正直、水仙をもらったときは「あんまり好きな花じゃないのになあ」なんて思ってしまったのも確かで。そもそも、水仙の匂いは苦手な部類だった。

 なのに、漂い始めたその香りを吸い込んだとたん、アレ?と頭の中をはてなマークが飛び交う。

 あれ、この香り、私好きかもしれない。なんだか落ち着く。いつまでも、その中にいたい気持ちになる。穏やかな、優しい気持ちになる。

 昔は苦手だった水仙に、これほど心癒されるとは。

 好みは一貫したものでなく、そのときそのとき、少しずつ変化していくものなのだなあと、感動を覚えたのでした。

 週末は、2つの展示会に出かけた。

 まずはウィリアム・モリス。モリスのデザインには心惹かれる。多くのデザイン画を残し、アーツ・アンド・クラフト運動の源となった人。東京都美術館で、「生活と芸術 アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで」が開催されているというので、さっそく足を運んだ。

 これは、まず今回の宣伝のポスターがよかった。黒く、切り絵のような文字が「ARTS & CRAFTS」と、どーんと真ん中に描かれている。それだけでも、インパクトがあるのに、こんな言葉まで添えられている。

 「役にたたないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない。」

 この言葉を選んだセンスに、敬意を表する。まさにこれが、モリスを表現するにふさわしい言葉なんだろうなあ。

 

 日常の中に、芸術を取り入れようとするモリスの思想。手工芸のよさを訴え、大量生産で質の低下した製品を憂い、美を追求し続けた彼の思想は、うねりのように時を越え国を越え、広がっていった。

 身近にあるもの、いつも目に触れるものだからこそ、日常の品には気を配るべきなのかもしれないと思う。いかに自分の心が喜ぶものを、傍に置くか。毎日のことだからこそ、その品がその人を表し、生活を支配することにもなる。

 先月には汐留ミュージアムで開催された「アーツ・アンド・クラフツ展 −イギリス・アメリカ−」を見に行ったのだけど、このときに印象に残ったのは、「ローレライ」と題されたアルトゥス・ヴァン・ブリッグル作の小さな花瓶。色も地味だし、特別変わった形でもないのだが、よーく目を凝らしてみると浮かび上がるのだ。ローレライが。花瓶の表面に!

 花瓶の表面ある微妙な凹凸が、ローレライを表していて、一度それに気付くと、その繊細な表現にただただ、ため息をつくばかり。いろんな角度から、しげしげと眺めた。

 曲線だけでローレライを表現する。抽象的だからこそ、いくらでも美しい姿を想像することができるし、その瞬間ごとに違った像を描くことにもなる。

 花瓶の口を、ローレライの腕がちょうど、抱きしめたような形になっていた。本当はどうなのかわからないけど、私には二つの腕が、花瓶の縁に沿うような形に見えて、その曲線がいいなあと思った。

 こういう花瓶を、そっと飾ってみたい。

 誰も気付かないんだけど、実はローレライが宿っているという地味な花瓶。

 汐留ミュージアムで見た「アーツ・アンド・クラフツ展」では他にも、デザート用の小布(たぶん、食器の下に敷く布だと思う)がよかった。一見、なんの変哲もない白い布だけど、よく見ると僅かに色の違う、質の違う糸で、ちゃんと模様が織り込まれているという。

 デザートを出されたお客さんの、誰が気がつくのかな?とか、そんなことを想像するのも楽しい。

 東京都美術館の展示では、一番よかったのが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのステンドグラス。聖なる雰囲気に、身が清められるような心地がした。いつまでもそのステンドグラスを見上げていたいような、祈りを捧げたいような気持ちになった。

 週末、もう一つ出かけた展示会が、三井記念美術館の「三井家のおひなさま」である。私はお人形が好きなので、どんなお人形に出会えるのだろうと、かなりの期待をして出かけた。

 まずなにより、三井記念美術館の建物自体、雰囲気が抜群なのである。美術館は7階に位置しているのだが、そこへ向かうためのエレベーターが、レトロで素晴らしい。エレベーターの現在位置を知らせるのは、アナログの表示板。いざ扉が開き乗り込めば、なんと壁は木製。

 展示会場の、重厚な洋館の雰囲気。展示室1と2の、少し暗めの光の加減なども素敵だったなあ。

 おひなさまの展示室4は、他の部屋に比べて明るい照明だと思った。人形の顔や装束がよく見える配慮が嬉しい。お人形の展示、それもおひなさまは、やはり明るめが似合う。障子越しに差し込む春の陽光が、一番似合うお人形だもの。

 私が惹かれたお人形は、北三井家十代・高棟さんの最初の妻となった、貴登さんの内裏雛。古今雛の流れをくむというその顔立ちや、雰囲気がいいなあと。昔は、お嫁入りして最初に迎える桃の節句に、新妻のためにおひなさまを誂える風習があったのだという。女雛の宝冠、瓔珞が豪華だ。

 年表を見ると貴登さんは、17歳でお嫁入りしている。そして25歳で亡くなってしまう。どんな気持ちで、結婚式を迎えたのだろう。広いお屋敷の中、どんな気持ちで、この人形を見つめたのだろう。

 なんだかこの内裏雛には、貴登さんの心が残っているような気がして、不思議な気持ちになった。

 その他に心に残った人形は、風俗衣装人形の中の、「御殿女中」。細い目、凛とした佇まい、プライドが透けて見えるような、リアルな息遣いを感じた。黒の着物がきりりと美しい。うかつに手を伸ばせば、即座にぴしゃりと撥ねつけられそうな。

 この人形を真夜中に、お屋敷の廊下にそっと置いたなら。当たり前のように、すっすと歩き始めるかもしれないと思った。

 春はそこまで来ていて。ひなまつりに関連した展示があちこちで開かれているのが嬉しい。充実した週末を過ごすことができた。

本当は、最初から全部わかっていたのかもしれない

 知人からある相談を受けた。好意を持っている相手だったので、私は心底から役に立ちたいと願って、話を聞いているうちにふと、悟った。

 

 それ、絶対、本当の答えをあなたわかってるはず。

 気になって四六時中頭をめぐらせて、真剣に考え続けたはずだもの。私に聞くまでもなく、なにが真実か、ちゃんと見えているよね。自分に自信がもてないから、人にアドバイス求めているだけで。

 私も真剣に相談に乗ってあげようとして、一生懸命考えた末に、気付いたのです。ああ、そうだよ。答えはこの人自身が、わかっているはず。私よりよほど、当事者なんだもの。

 そして、その方には自分が思った通りのことを伝えたのですが、ふと振り返ってみて。

 うわ~、これ私自身にも当てはまる話だよなあと。しみじみそう思ったのです。むしろ、それを気付かせてくれるための運命的なものだったのかと(大げさか)。

 感情は全部、知っているのかもしれません。

 自分がどうしたいか単純に考えたら、答えは出てきます。

 いろんな条件、全部捨ててしまって無になって。その状態で自分がどうしたいのか考えてみると。答えはたいてい決まってる(^^;

 条件で考えると、たしかに迷うことは多いのかも。

 ただ、純粋な感情のみで考えると、答えは案外単純だったり。

 例えば仕事。どちらを選ぶか悩む、決断の時。

 誰かのアドバイスを受けたり、就業条件を比べてみたり、はたまた占いに頼ってみたり。重要なことであればあるほど、迷うことは多かったりするのですが、よくよく考えてみると。

 自分のやりたいことって、誰よりも自分がよくわかってる。

 それは、誰かに「こうした方がいい」と言われて、変えられるものじゃなくて。それが何かを知っているのは、自分しかいなくて。

 例えば恋愛。本当にこの人でいいのか、決断の時。

 実はとっくに、決着はついてる。自分の心に聞いてみれば、答えは明白。

 

 誰と一緒にいたいか、答えはもう出てるはずで。

 悩むのは、自分の感情以外の外部要因を、頭で計算しているから。心は素直です。

 こういうふうに考えていくと、迷いのほとんどは、解決できちゃうんじゃないだろうかと。人の悩み相談に乗ってあげたことが結局、自分自身の考えの改革につながりました。自分以上に、自分のことをわかってる人なんていない。自分がどうしたいか、わかっているのは自分だけ。

 もちろん、人から見た側面だとか、アドバイスは大事にすればいいと思いますが。でもその人の心の奥底、その喜びとするところを知る者は、ただ自分自身しかいないのだと。

 あなたが望んでいるものは、○○ですね、なんて。

 超能力者でもない限り、当てることはできない。

 でも自分のことなら、自分でわかる。なにが好きなのか。どんなときに喜びを感じるのか。

 そして、他人であっても。

 心からその人を大事に思って、いつもその人のことを考えていたら。なんとなくその人の気持ちが、わかる、ような気がする(^^;

 こういう考え方を、変にねじまげてとらえちゃうと危険だけどね。でも、その人が大事なら、やっぱり、伝わってくるものって確かにあると思う。

 私は以前に1度だけ、とある有名な占い師さんにみてもらったことがあって。そのときは自分でもすごく迷っていたし、答えがわからなかったし。たまたまそのとき友人が、「よく当たる占いに行ってきた」というのでその人を紹介してもらって。

 行ってみたものの、実はあまり信じていなかった。ただ、超常的なものではなく現実的に、「人をみる」能力には長けているのだろうと、その点に賭けていた。

 いわば、人生のカウンセラーみたいな。有名な占い師さんだから、年間に鑑定する人の人数も相当のものだろうし、そういう人の目に、私の姿はどう映るのだろうか、と。人生の先輩からアドバイスを聞くつもりで、出かけたのだ。

 私がその人から告げられたのは、驚きの具体的な日付。「あなたは○月までにこうなります」とズバリ。もっと曖昧な言葉で、複数の解釈が可能な、逃げの占いをされると思っていたので私はびっくり。

 ちなみに、とてもいいことを言われたのです。そして私が、「今は全然そんな予定もないし、信じられない・・・・。だけど、こういうのは信じないといけないんですよね」戸惑ったように笑って、そう問いかけると。

 占い師の方は、ニコリともせずに真顔でこう言いました。

「信じる必要はありません。これが事実だからです。信じようが信じまいが、あなたは○月までにこうなります。ただ、それだけです」と。

 友人に占いの結果を話すと、とても羨ましがられた。友人は、あまりいいことを言われなかったらしい。

 そしていざ、注目の○月が来て。

 占いは見事に外れた。私は苦笑いしつつも、ま、そんなもんだよなと納得して。

 今になって、つくづく思うのだ。

 それはたしかに、「いいこと」なのかもしれない。

 だけど本当に私はそれを、望んでいたのだろうか、と。

 自分の心の奥底を覗いてみると、正直な話、私はそれを望んでいなかったことに気付き、愕然とした!!

 運命とか、よくわからないけれど。でも私の心がそれを、拒絶していたのは確かで。そして現実も、それを否定した。占い師の自信よりも、私がそれを強く拒否する気持ちの方が、たぶん強かったんじゃないかと。その結果が、こういうことだったんじゃないだろうか。

 結局、自分自身以外に誰が、自分の幸せを知るのだろうと思うのです。答えはいつも、自分の中にあるような。ただ、見えていないだけで。 

泣いた理由

 泣いた理由が、「そりゃ、わかってもらえなくて当然だろうよ。私がその場にいたって、戸惑っただろうよ」という、忘れられない風景がある。

 あれは、小学校に上がる前だったはずだ。あるとき、両親に連れられて兄たちと、親戚の家へ出かけた。伯父と伯母には、子供がいなくて。伯父は大の子供好きだったから、いつも私たち兄妹を大歓迎してくれたけど。伯母は無口な人で、子供の扱いには慣れていないようで。

 今思うと、伯母は子供に対して戸惑いがあったんだと思う。特に、子供嫌いというわけではなかったはずだ。ただ、いつも無表情だったし笑顔を見せることもあまりなかったし。小さな子供からすると、なんとなく近寄りがたい存在だった。

 夕暮れになり、母が「伯母さんがお汁粉を作ってくれたから、行っておいで」と声をかけた。私は兄達と一緒に、遊んでいた離れから母屋へと向かった。

 伯母さんは相変わらず無表情で。作ってくれたお汁粉は熱々の作り立てだった。兄たちは無邪気にあっという間に食べつくして、「ごちそうさまでした!」と元気よく叫んで、両親のいる部屋へ戻っていった。そこに他意はない。別に、私が食べ終えるまで、残っていなければならない理由はないわけで。まして、私の胸中など知るよしもなく。

 しかしそのときの私の胸中たるや、今思い出すだけでも、心臓が早鐘を打ち始めるほどだ。

 たった一人。普段めったに会うことのない、いわば知らないおばさんと2人きりという、耐え難い状況。もうそれだけで、私の緊張は極限に達していた。そして目の前には、小さな子供には十分すぎるほどの量、湯気の立つお汁粉。

 少しずつ、息を吹きかけて冷ましながら。私は必死になってお汁粉を食べた。もう、味がどうとかそういう問題ではなかった。とにかく、目の前のこれを食べつくさねば兄達の元へは戻れない。

 伯母さんと一緒でも、兄がいれば心強かった。だけど兄達がいなくなれば、そこには私と、伯母さんしかいない。伯母さんは全く意識していなかっただろうが、私は伯母さんの存在を意識しまくりで、もう心臓が爆発しそうだった。

 そのときの光景をもし、第三者が見たなら。

 私の葛藤になど、絶対に気づかなかったと思う。伯母は、同じテーブルでなにか、雑誌でも読んでいたような気がする。小さな私は夢中になって箸をすすめ、そしてその場にはゆったりと、ラジオの音声が流れていたような。

 ラジオから聞こえるのは、私の胸中とは正反対の、緩やかな音声。耳に入っても、意味などなさない。私はお汁粉を食べた。食べ続けた。熱くて、口の中が痛かったけど、でも食べきらなければ部屋を出て行けない。

 伯母さんが、好意でつくってくれたお汁粉だった。別に、冷めるのを待ちながらゆっくり食べても構わないわけで。せかされるようなことは全然なかったのだけれど。それに、食べきれず残したとしても、それを責めるような伯母ではなかったのだけれど。

 そのときの私は、「このお汁粉を食べ終えれば、この場を立ち去ることができる」という、たった一つの選択肢しか持っていなかった。それがすべてだった。

 熱いお汁粉は、口の中では痛みに変わった。その痛みに耐えながら、とにかく喉の奥へ流しこんだ。食べても食べても、お汁粉は減らない。その絶望的な状況を心中で嘆きながらも、ただ食べ続けるほか、私には道がなかった。火傷の痛みを押し殺して、私は一秒でも早く食べ終えようと、ひたすら口を動かし続ける。

 やっとの思いで食べ終えたとき、口の中はヒリヒリと疼いていた。「ごちそうさまでした」急いで伯母にそう言うと、私は次の瞬間、もう部屋を走り出ていた。

 やっと母のいる部屋へたどり着き、母の顔を見たとたん、緊張は解けた。私は母に抱きつき、その感触に安心して、胸に顔をうずめた。涙があふれて、とまらない。

 急に泣き出した私に驚いて、母は、「お汁粉食べてきたんでしょ? どうしたの?」と当然の疑問をぶつけた。

 私は説明しようとしたが、あふれる感情がそれを邪魔して、ひたすら泣き続けた。うまく説明できるほど大人だったら、そもそも伯母と二人きりの状況を、こんなにも恐がることはなかっただろう。

 お汁粉を見ると、このときのことを思い出すのである。あの口の中の痛みと、母の胸に飛び込んだときの安心感を。母はびっくりして兄達に事情を聞いていたけど、兄だって、私の気持ちなどわかるはずはなくて。

 でも、泣いた理由は、確かにあったのである。