人の見る夢は

 こんな夢をみた。星空を眺める夢だ。

 潜在意識で、星をみたいって思っていたからなんだろうなあ。その夢の中で、私は坂道を上ったところで一息ついて、広がる夜空を眺めてた。

 左手に、カシオペア座を見る。

 そのカシオペア座を見ているうちに、今日は高校生活最後の日で、しかも文化祭だったことに気付くのだ。会場を抜け出て、独り、こんなところで星を眺めていることにあせる。

 「最後なのに・・・最後の日だったのに・・・」

 

 もう戻れない。今さら戻っても間に合わない。そうか、あの場所には戻れないのか。

 そんなことを思いながらさらに歩いていくと、傍らの自動販売機から、3本の缶ジュースが勝手に出てくる。

 仕方なく、そのことを知らせようと、自販機が設置された家のチャイムを鳴らすと。その家の人が出てきて、私の顔を見て驚く。

 「ああ、あなたでしたか。またお会いしましたね」

 言われて私も気付く。そういえば、何日か前に会った人だと。(夢の中のことである)

 目が覚めてから、あらためて考えてしまった。現実世界では、全然知らない人なんだけど。夢の中で再会っておもしろいなあ。

 その夢の中には、「原さん」というお家も出てきた。夢の中の私は、その家のことを昔からよく知っていた。現実には、原さんという知り合いはいないのだが。これもまた、夢の興味深いところである。

 今、Sound Horizonの『檻の中の遊戯』を聴きながら、このブログを書いている。

 この不思議なリズム、心地いいなあ。5拍子? 珍しいよね。これを聴いていると、散歩中に路地裏に迷い込んだときのことを思い出す。

 道が碁盤の目にはなっていないから。一定の方向に進んでいるつもりで、いつの間にか方向感覚を失っていて。ぐるぐると回っているうちに、自分がどこにいるのか、どちらが帰る方角なのかさえわからなくなってしまった。

 季節は秋で。キンモクセイの芳香が、どこへ行ってもついてくるような日。歩いても歩いても、見知らぬ家ばかり。閉ざされた門の向こうには、私の知らない秘密がありそうで。

 高い塀で、ぐるりと周りを囲ったお屋敷の中。

 落ち葉を踏みしめれば、かさかさと乾いた音がする。侵入者を拒む忍び返しの棘を見上げて、その奥に広がる景色を想像した。

 広い庭。月の光が差せば、植物の影が不思議な模様を描くだろう。

 キンモクセイの匂いに、他の植物の微かな芳香も入り混じり。まるで異空間と化したその庭で、大きな月を見上げたなら。ああ、どんなにか、せつない気分になるだろう。

 なにかを思い出せそうで、思い出せない。

 本当は、知っているはずなのに、と思う。

 きっと背後の洋館の窓には、人影があり。その洋館には大きな柱時計があって。真夜中ちょうどに、鐘は響く。

 磨きこまれた暗い艶の、階段の手すり。敷き詰められた赤い絨毯が、物音を吸いこんでしまう。

 暖炉、ちらちら燃える炎。ロッキングチェアー。

 ぼんやりした灯りの中で、古い本のページをめくる人。その人がふと、視線を窓の外にやると、急に出てきた雲が月を覆い隠して、辺りは一瞬にして、暗くなる。

 そんなイメージです。この曲、いいなあと、しみじみ。

 

 庭には、秋咲きのバラが咲いているかもしれない。月を見上げると、その光に吸い込まれそうで、気が遠くなるだろう。

 >終わらない夢をみている

 という歌詞がなんとも、意味深です。

 時間の感覚は、とても主観的なもの。終わらない夢なら、それは永遠ということで。繰り返し繰り返し、それが楽しい時間ならいいのだけれど。

 何度も悪夢をみるなら、まさに、檻の中の囚人。

 過去の記憶に囚われて、そこから抜け出せない。こんな、残酷な話はありません。

 いつまでも忘れられないなら、それは過去ではなく現在なのだと。

 忘れることができて、初めて過去と言えるのだと、そう思いました。

たとえばそんな、一日の始まり

 目覚ましに頼らず、自然に目が覚めた。今日もそれなりにいろんな夢をみたけど、目覚めたときの気分がよかったので嬉しい。

 窓をあけたら、朝の空気の匂いが清清しい。

 しばらく、空の色を見てた。

 友達から瞑想を勧められてるけど、瞑想というより、このぼーっとした時間が好きだなあ。

 隣のビルの窓に反射する光が、眩しい。今日もいい天気になりそう。

花束の夢

 こんな夢をみた。

 目線よりも高い位置、クリスタルの大きな花瓶にざっくりと活けられた大きな花束。赤白黄色、入り乱れたその色彩がとても美しかった。私はうっとりそれを見つめていた。

 そのとき気付く。

 そうだ、水を換えてあげてない。もう3日くらいほったらかしだ。

 花は、毎日水を換えなければすぐに元気をなくす。それに時々は茎先も切って、切り口を新しくする必要がある。それなのに私はなにもしていなかった。

 しかし目の前の花は生命力にあふれて、まるで手を伸ばすかのように私の目の前に葉を伸ばしている。なにも手を加えていないのに、この元気さといったらどうだろう。世話をしないほうが生き生きしてるなんて、私の今までの知識が間違っていたのだろうか。

 あんまりきれいだから、触ろうとして私が手を伸ばすと、なんと花がするすると縮み始めるではないか。私が触れようとしたのは、中でも一番きれいな黄色のアルストロメリア。斑は少し不気味だけど、その鮮やかな色は一際目を引いた。

 私の手から逃れるように、丈が短くなっただけじゃなかった。見る間に、花弁は茶色く変色し、萎れてしまった。まるで早送りの映画のように。

 まさかね。きっとなにかの偶然だろう。こんなことあり得ないから。

 そうして私が別の花に触れた瞬間、その花も小さくなり、色を変え、無残な姿を晒した。私が触れない花は、対照的にそのまま咲き乱れている。さすがに2度目ともなれば、それが私のせいだということは紛れもない事実で。

 「あの人が枯らせた!」

 すぐ横にいた誰かの、強い非難のこもった声に、言い訳できない。触っただけで花を駄目にするなんて、どんな怪物だよ・・・と自分でも思う。

 何か弁明しようとして、でもできなくて、途方に暮れたところで目が覚めた。

 起きて、あんまりいい気分じゃなかった。

 この頃思うのだけど、夢占いって夢の内容なんかみなくても、起きたときの気分で吉か凶かの判断はできるんじゃないだろうか。

 どんな荒唐無稽なものであれ、直感で気分の良し悪しはあるから。

 最初に見た花束の、鮮やかな色彩がとても印象的な夢だった。

ラピスとその日の夢

 ラピスのネックレスをしていたら、紐が切れた。革紐だから、切れても仕方ないとはいえ、なんだかガッカリ。石は無事なので、さっそくネックレスチェーンを買いにいった。

 今度は金属にしようと決める。その方が丈夫だから。お店でウロウロしてたら、店員のお姉さんが声をかけてきた。

「なにか、お探しですか」

 綺麗で優しそうな人。私のテンションはいきなり上がった。

 こういうのも、運の一つというか。その日会う人がどんな人かで、自分の立ち位置が決まったりすることがある。ツイてる一日は、最初から最後まで、ツイてる。そんなものである。

 お姉さんは色白な人で、胸元にも両手指にも、銀のアクセサリーをつけていて、それがとても似合う。私が買おうと思っていたのもシルバーだから、嬉しくなってしまう。

「石は持ってるので、チェーンの部分だけを探してるんです」

「そうですか。じゃあ、ちょっとあてて感じを試してみましょうか」

 お姉さんがためらわずにさっと持ってきたのは、なんと私が持っているのより一回り大きなラピスの石だった。そして、適当なチェーンをとり、その石にあてて見せてくれた。

「こんな感じになりますね。石だったら、こんな感じのチェーンが似合うと思います」

 偶然とはいえ、またまた私のテンションが上がる。だって、私の石もラピスだから。ラピスは汎用性があるのかな。お姉さんがためらいなくラピスを持ってきたのは、幸運の兆しかな。

 そんなウキウキ気分で、直感でコレと思ったいぶし仕上げのものを買った。銀のキラキラした光沢を、わざと消したもの。最初から、黒っぽくなっているのだが、石の質感には磨き上げた銀色の光よりも、この沈んだ黒色の方が合うような気がした。

 そして、その夜、夢をみた。

 グランドピアノの前に座っている。目の前にある譜面。練習していなくて、弾ける自信が全くない。すぐ後ろに待機している先生が、私に弾くようにと促した。

「できません。無理です」

「どうしてですか」

 ここで、夢の中の私は驚く。今までにも似た夢を何度もみたような気がするが、そのたびに許されてきたから。それ以上追及されることなんて、なかったような気がする。あれ、いつもと違う、と、違和感がわきあがるのを感じる。夢の中の先生は理由を問い詰めるので、私は曖昧にごまかすのは無理と悟り、正直に話す。

「すみません。練習してないんです。あと一日ください。一日あれば、ちゃんと弾けます」

「駄目です。いいから弾きなさい。それが今のあなたです。恥ずかしくても、今弾きなさい」

 先生の強い言葉に、覚悟を決めて弾き始める。不思議なことに、音が異常に小さくて周りにははっきり聞こえない。そのことに、ほっとする。間違った音を出しても、これなら目立たない。音が小さいのはピアノのせい。私はちゃんと弾いてるんだもの。

 だけどそのうち、ピアノの音は自然に大きくなった。私も少々間違えながらも、弾くことに慣れていった。曲は、ボロボロというほどひどい出来ではなかったから、自分でも安心した。これならまあ、許されるレベルかなと。ただ、楽譜は開いても開いても、なぜか折り目で閉じてしまうので、これには苦労した。

 弾き終えると先生は、こう評した。

「あのね、ピアノの上が汚い。ちゃんと片付けなさい」

 ピアノの上には、白いロープが散乱してる。私はそれを見て、ロープを綺麗に巻くんじゃなくて、ロープそのものを捨てなきゃ駄目だ、と確信する。どんなにきっちり巻いたとしても、ロープはロープ。ピアノの上に置けば、乱雑に見えてしまう。さあ、ロープを全部捨てよう。

 決意したところで目が覚めた。

 ラピスのおかげなのかなんなのか、意味深な夢をみたように思う。

 ピアノを弾くかどうかの葛藤がなにを指すのか、目が覚めたとき、自分の中ではよくわかっていた。それは、完璧主義からの脱却。

 完璧にならなければ動く自信がない、というのは昔からずっとそうだったな。それが許されないことのような気がしてた。だから、自分で納得するまでは動かない。周りがいくら、「大丈夫じゃない?」と促したとしても。

 まだ、完璧じゃない、そう決めて動かないのは、自分自身。明日にはもっと、上達するから。今日より明日のほうが、失敗する確率は低いから。そう思って、なかなか最初の一歩が踏み出せない。失敗するのが恐くて踏み出さなければ、傷つくこともないけど、でもなにひとつ変わらない。そしてまた一日が過ぎれば、「明日はもっと」と、永遠に来ない理想の未来に手を伸ばし続けるのだ。

 夢をみて勇気がわく、というのも変だけど。目が覚めたときに不思議と、納得している自分がいて。夢で教えられた通りに、考え方を変えてみようと思ったのだった。

ヤギの夢

 こんな夢をみた。

 ヤギがバスを引く夢である。一匹の白いヤギが、まるで牛車のごとくバスを引っ張っていた。私はその背中に手をあてる。

 そのときの手に感じた、ヤギの骨の感覚がすごくリアルで。皮下脂肪がないから、毛と皮の下はすぐに、骨にあたる感じでごつごつしてた。私はヤギの背を撫でていた。

 ヤギの毛は真っ白ではなくて。柔らかいというより固かった。どこにでもいるような、どこかでみたようなヤギだった。特別大きくもなく、小さくもなく。

 ヤギの引くバスを見送った後、そのバスに運転手がいないのに気付いて、慌てて追いかける。暴走するのでは?という恐れが頭をかすめたけど、心のどこかで、「大丈夫」と思っている自分がいた。結果、運転手がいないというのに、そのバスは進路を外れることもなく、静かに道の端に寄って停まった。

 場面は変わり、私は授業を受けている。

 

 またか、というほど繰り返しみる夢の一つ。学校の夢だ。いつも夢の中で、はて、私の年はいくつだったけ、と思うのだが、思考には曖昧な霧がかかっていて、答えは出ない。ただ、なんとなく学校に通ってる年じゃないよな、というのは自分でわかっているようだ。

 たくさんの人が学ぶ中、私も席について講義を受ける。

 講義が終わって、前方で騒ぎがおこっているのに気付く。

 ささいな勘違いから、暴れだした人がいるのだ。ある2人を殴りつけている。最初は腹立ちまぎれに軽く突いたりしていたのが、次第にその行為はエスカレートしていく。周囲は唖然として、ただ見ているだけ。誰もとめようとしない。

 次第に、その人は理性を失って、狂ったように暴れ始めた。それは私の知っている人だった。その人が、自分でもまずいと思いながら、行動にコントロールがきかなくなっていく様子がよくわかった。

 とめなきゃ。でもそこにいくまでに時間がかかる。周囲の人、とめてくれ、と心で叫びながら私は走っていく。

 遅かった。2人は床に倒れて、ショックのあまり動けなくなってる。肉体的な痛みや怪我というより、その人を理解できない恐怖でガタガタ震えてる。なぜ殴られてるのか、なぜその人の怒りが自分たちに向いているのか、わけのわからなさに脅えている。

 周囲の非難の目が、自分に突き刺さるのをやっと実感したその人が、「大変なことをしてしまった。なぜ自分はこんなことをしたのか」と、一転。今度は自分自身を、滅茶苦茶に責め始めたのがわかる。私は最初、理性を失ってしまったその人に同情してしまうのだが、床に倒れた2人の姿に息をのむ。

 あんまりにも可哀想すぎた。

 2人はただ泣くばかりだったが、ひどい傷を負っているのがわかった。起き上がることもできずに、無残な姿を晒していた。

 この2人の倒れた姿が、あまりにも鮮明で。

 目が覚めたとき、私の心臓は激しく鼓動していた。夢というよりは、さっき目の前で見た現実のようだった。