理想の花見

 新宿の高層ビルには、月がよく似合う。そんなことを思いながら、今日は歩いていたのでした。 三日月はのっぽのビルの上に細く、ぷかりと浮かんで。今週の金曜には、上弦の月。

 今まで見た月の中で、一番印象深いのは。なんといっても、子供の頃に幼馴染と見た月です。あれはたしか夏。暗くなるまで外を駆け回って、2人で見上げた満月。その満月の周りに、雲がもくもくと集まってきて。

 まるで誰かを迎えにきたかのように。空一杯に雲を従えた月の、堂々たるその勇姿。明るい月光が、雲の凹凸を不思議な色に照らし出して、厳粛な雰囲気が漂っていました。

 かぐや姫を守った都の兵は、きっとこんな景色を見たにちがいないと思わせる情景でした。厳かという気持ちは、ふと気がつけば不気味という言葉にたやすく入れ替わり。

 私と彼女は、恐ろしくなって、じっとその月を見上げていました。

「帰ろうか」どちらからともなくそう言い出して、いつもなら、2人でいれば時間を忘れるほどだったのに。それほどあの夜の月は、なにか強大な力を秘めて、下界の人間をじっと見つめているように感じられたのでした。このままここにいてはいけないと、無言の圧力をかけるかのように。

 今年は、月明かりだけで桜を見たいです。誰もいない、山の奥の奥の、そのまた奥。獣道をのぼって頂上へ。そこに咲く古木の桜。月明かりだけが照らし出す儚いその花を、ビニールシートの上に寝転がって、見ていたいなあ。

 なんの音楽もない。ただ、風が花を揺らす音だけ。風が吹くたび、一斉にざわめく、山の葉ずれの音。それをBGMに、桜が咲いたのをただ、見上げて。

 暗い空に浮かんだ月と。その光を受け、生き生きと力を得たようにさえ見える、一面の花を。

 

 なんてぜいたくな時間でしょう。人の声の絶えた、深い山の中。花を愛でるのに疲れたら、そのまま眠ってしまうかもしれません。そして、うとうととまどろんで。また、風が頬をなでるのに気付き、目覚めて。

 一番最初に目に入るのが、一面の花だとしたら。現実が夢か。夢が現実か。

 瞬間、自分がどこにいるのか把握できずに、桃源郷にでも迷い込んでしまったような気分になるかもしれませんね。

高橋尚子さんの挑戦

 名古屋国際女子マラソン。オリンピックを目指したQちゃんの挑戦は、残念な結果に終わってしまった。27位。

 だけど、Qちゃんいい子だな~と思ったよ。

 一番悔しいのは自分だろうけど、笑顔で会見もした。そして、オリンピックに出場する3人の、応援をすると言いきった。これって、周りへの気遣いもあると思うんだよね。

 たとえ心の中がどうあろうとも。もしかしたら悔しかったかもしれないけど。でも、笑顔で、「選ばれた人を応援します」って言うことは、周りの肩の荷を下ろすことになるんだよ。

 ここら辺は想像でしかないけど、Qちゃんはそりゃあ過酷な練習をしてきたわけで。そういうのを見ていたら、きっと周囲は今回の結果に、かける言葉をなくしてしまう。Qちゃんの気持ちがわかるから。

 だけど当のQちゃんが、明るく笑顔で会見をして、オリンピックへ行く人たちへの応援の言葉を口にしたら、周りは救われるよ。

 一人になったら泣くかもしれないけど。でも、公の場では堂々とああいう態度だったQちゃんを見て、すごくいい人だなあって、あらためて感じたのでした。

 例えばQちゃんがショックを受け、号泣の記者会見になったら? 優勝した選手もつらくなってしまうし、周りはもういたたまれないよね。そういうことがわかるから、少なくともQちゃんは大人の記者会見をしたんだなあ。これからもマラソンは続けるとのことで、また私もQちゃんが豪快に走る姿を見たいと思ったよ。

 見ていてほっとする人たちというのは、Qちゃんのかつての恩師、小出監督もそうだった。Qちゃんの対してのコメントがとても温かいんだ。たとえ直接の指導はしていなくても、心ではいつも、弟子の行く末を見守ってたんだなあというのがわかる。

 解説の有森さんは・・・。いつも思うんだけど、有森さんはあんまり解説に向いてないような気がする。どこか冷たい感じがしてしまうから。

 選手としての意識が抜けていないのかな。ライバル心を感じるのだ。いい記録を出したりすることへの、嫉妬のようなもの。

 増田明美さんの解説が聞きたかった。声がいいし、増田さんには選手一人ひとりへの愛情が感じられる。どうして今回は解説が増田さんじゃなかったんだろう。

 Qちゃんは途中棄権をしなかった。そのことだけでも、すごい精神力だと思う。一度はオリンピックで金メダルをとった選手。先頭集団から離され、プライドは傷ついただろうけど、投げ出さずに走りきる姿勢に感動した。

 Qちゃんありがとう。その姿に、元気をもらいました。

夢でジルコニアという言葉を聞く

 3月8日は、私にとって一つの卒業式の日でした。気持ちの上で、ひとつの区切りがついたというか。そんな特別な日の夜に見た夢。

 やたら、ジルコニア、という言葉が出てきたのです。なんでしょう、ジルコニア。なぜにジルコニア(^^;

 ダイヤモンドに似た輝きのジルコニア。

 起きてからしばらく、ぼーっと考えてました。ジルコニアになにがあるんだろうって。あんまり不思議だったので、ブログに書くことにしました。いつか振り返ったときに、あの日見たジルコニアの夢はこれだったのか、と。納得のいく日がくるんでしょうかね。

 夢の中で、ジルコニアを見たわけではなくて。やたら誰かが、ジルコニアって言葉を口にしていた記憶があるのです。どういう意味なんだろう。

女性のコミュニケーション能力

 私がスーパーで会計ををすませ、カゴの中の商品を袋詰めしているときの話。すぐ横のパン屋さんが、閉店間際で、値下げセールをやっていた。パンを詰め合わせして売っていたのだ。

 その特売のワゴンの前に、一人の女性がやってきた。詰めあわされたパンの種類は、袋によって微妙に違う。女性はしばし袋を見比べた後、こう言った。

「奥さん、このパン屋さんのパンて、おいしいの?」

 

 話しかけられたのは、すぐ近くでやはりそのパンを見比べていた年配の女性。

「けっこうおいしいわよ」

「ふーん。それで、これはかなりお得なの?」

「入ってるパンは全部、半額なのよ。絶対お得よ」

 私はこの会話を聞いて、なんだか笑えてきてしまった。そして、女性のたくましさをつくづくと感じたのだった。なぜなら、この2人はまったく赤の他人。ついさっきまで全然接点のない両人が、今はパンを通じて立派に情報交換をしている。

 この能力、女性ならではのものかもしれない。これ、男性だったらありえないものね。おばちゃんパワーというのだろうか。女性のコミュニケーション能力には、卓越したものがある。全く知らないもの同士でもすぐに仲良くなり、親しげに話し始め、互いの情報を有意義に活用するのだ。

 まるで古くからの友人のように、気楽に話し始める女性と、違和感なくそれに答える女性。その様子がおもしろかった。女性は太古の昔から、こうして共同で子育てをしてきたのだろうか。そうした横のつながりで、自分たちの子供を、地域ぐるみで守ってきたのか。

 人間は群れる動物であると思うが、特に、女性は同性同士の壁が薄い。すぐにうちとける傾向があるような気がする。井戸端会議という言葉があるが、2人以上の女性が集まれば、そこには活発な会話がうまれるのだ。

 女性のコミュニケーション力の高さを、実感する出来事であった。

禁煙の温泉宿へ行く

 週末、温泉に行ってきました。

 2泊3日の、のんびり旅です。案内されたお部屋が、素晴らしかった!

 本館と別館がありまして、私が泊まったのは別館なのですが、部屋が6つしかない古い建物。もともと老舗旅館だったものを、経営難からオーナーが変わって、数年前にリニューアル。

 3階建てで、エレベーターがないんです。本館の方が大浴場も近いし、最初は本館の方がいいかなと思う気持ちもあったのですが。チェックアウト時にはすっかり、別館のファンになってしまいました。宿の人に聞いたところ、やはりリピーター客には、別館が人気だとか。

 とにかく、静か。音がほとんど聞こえない。隣室の音も、外の音も。

 6部屋しかないから、廊下に出ても人と顔を合わせることが全くなかった。本館はかなりの客室数なので、大浴場へ行けば当然、それなりに人がいるんですけども。別館をうろうろしている分には、本当に静まり返ってました。

 観光用の温泉というより、湯治場として営業している温泉なのです。だから、子供はほとんど見ませんでした。のんびりしたかったから、それもありがたかったなあ。

 唯一、泊まりではなく日帰り入浴のお客さんと思われる家族連れがいて、その人たちは子供連れでした。かなり周囲から浮いていました。

 子供も、可哀想でね。普通の観光地の温泉なら、子供向けのゲームコーナーとかあるし、お土産コーナーも充実していて、飽きないと思うんですが。

 ここはお風呂がメインの湯治場だから、子供はつまらなかったらしく、駆け回ってそのたびに親に「おとなしくなさい」と怒られていて(^^;

 連れて来る場所が違うような気がしました。

 ここの温泉は、効能が抜群と言われていて、本格的に病気治療に来る人も多いんです。だから、年配の人ばっかりなんです。長期滞在用のプランもあるくらいで。

 子供は、うれしくてはしゃぐのが当然だと思うから、ちょっと場違いで可哀想でした。これは親が、もうちょっと考えてあげた方がいいと思いました。ファミリー向けの温泉は、他にいろいろあると思うので。そうすれば、ある程度子供たちものびのびできるのではないかなあ。

 とはいえ、お風呂場で子供に会ったのは唯一、そのときだけ。私もいろんなところに旅行しましたが、こんなに落ち着いた場所は、初めてです。ファミリーも、カップルもいない。平均年齢60才の静かな温泉宿。

 客層は、年配のご夫婦だったり、おばちゃんの友達同士だったり、そんな感じです。それに混じって、湯治に専念する長期滞在の独り客がいます。

 私はなにが気に入ったって、この宿の落ち着きと、それから建物(別館)の趣ですね。階段に敷かれた赤じゅうたんが重厚な雰囲気で、「千と千尋の神隠し」を思わせるような、不思議な気分になります。

 古い建物だから、リニューアルしたといっても、窓の木枠なんかが年代もので、そこがまたいいのです。部屋の前の廊下の窓を開けたら、そこに広がる景色にうっとり。

 廊下の窓からは、今は使われてない、さらなる別館の姿が見られるのです。廃墟、とまではいきませんが、人の気配の途絶えた背の高い建物が、夕闇せまる空の色をバックに佇んでいるその様は、私の心の琴線に触れました。

 そして、私の泊まった別館から渡り廊下を通じて、離れになっている平屋の一軒家へ屋根が続いているのですが、離れは一つだけじゃないのです。山の斜面に沿って、何軒かの趣の異なる家が見えて。

 ほとんどが、現在は客室として使われていないらしく、人の気配はありません。

 なんといいますか、長らく人が住まない建物特有の、侘しさが漂っていて。私はこの雰囲気が大好きなのです。かつては賑わったという余韻を残した建物の、セピア色の情景。老舗旅館の最盛期には、この離れにも、別館にも、多くの人が溢れたでしょう。そして今、人の気配のないこれらの建物に、静かに時だけが流れていく。

 建物はどれも、凝った作りでした。私の泊まった別館も、ただの長方形の建物ではありません。壁の凹凸や、ドアの向きが変わっていて、廊下を歩くだけで楽しかったです。階段を下りる途中に、いかにも部屋の入り口のようなものがあるのに、そこには壁しか見えず。

 部屋の避難図を確認してみました。それを見れば、建物の全体像、他の部屋のつくりなどもある程度わかります。それによると、階段途中にある壁の向こうには、もう一つ部屋があるということが判明しました!

 改装したとき、一部屋をつぶしてしまったんですね。板で壁を作ってしまった。でも、この向こうにはたしかに部屋がある。開かずの部屋です。この部屋の中は今、どんな状態なんだろう。どんな時間が流れているんだろう。そう考えると、壁の向こうに入ってみたいような気持ちになります。

 この宿のもう一つの特徴は、全館禁煙。なんて素晴らしい! 温泉地で全館禁煙というのは、珍しいのではないでしょうか? でもこれからは、禁煙が当たり前だと思います。たばこ臭い部屋になんて、泊まりたくありません。百害あって一理なしのタバコ。それに悩まされなくてすむのは、本当に嬉しいことです。オーナーは先見の明がある方なんだなあと思いました。

 タバコといえば、東海道新幹線のタバコはなんとかしてほしいです。いまだに喫煙車両があるのはどういうことかと。とっくに全車両禁煙になっているのかと思ったら、喫煙車両の案内があったので驚きました。

 公共の場は、全面禁煙にしてほしい。。

 誰にも迷惑のかからない場所ならともかく、公共交通機関での喫煙が許されるのはどうかなあと思います。

 今まで出会った人を思い返してみると、タバコを吸う人で尊敬できる人は一人もいませんね。逆に、ああ、この人はすごいなあとか、さすがだなあと思う人は、みんなタバコを吸わないです。それがわかると、やっぱりなあと思います。

 吸う人と吸わない人の間には、はっきりした境界線があり。

 喫煙の有無に、人生観が出ているのでしょう。

 素敵な温泉宿で、ゆっくりできた週末でした。