映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」感想

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

もうこの映画、最初のシーンから全力で引き込まれてしまった。

イイ(*^-^*)。主人公の福士蒼汰さん演じる南山高寿(たかとし)が、もっさりしてて、あか抜けない感じでとてもイイ。その純朴な青年が恋に落ちる瞬間が、すごくイイ。一目惚れを映像化した作品の中で、一番だと思う。目が離せなくなっちゃって、戸惑って、困って、ドキドキしたまま彼女をみつめる、心臓の鼓動の音まで聞こえてきそうな演出。

そして高寿の一目惚れの相手、福寿愛美(えみ)役の 小松菜奈さんがこれまたイイ!(^^)! コートを着てるけど、電車の窓から入る陽射しはもう春なのよ。扉の横で立って、本を読む姿がハッとするほど綺麗で、可愛くて、吸いこまれる。もう高寿の気持ちがそのまんま、自分の気持ちになる。愛美ちゃんの姿に、吸いこまれちゃうのよね、魂ごと。

一目惚れです、と初対面の相手に声をかけるなんて、冷静に考えたらできないことだけど、そこが若さ。若さは許される。(^^)高寿の不器用な感じも、いいのよね。もっとシャレた言葉や、上手い言い方はあったかもしれないけどさ。そうじゃない感じがいいのよ。もっさりしてるところがとてもいいのです。

電話番号じゃなくメアドを聞くところも奥ゆかしくて。メアドなら、電話より心理的に遠いもんね。プライベートにずかずか踏み込む感じがない。高寿が、愛美に携帯電話を持ってないと言われて、婉曲に断られたと思ってじわじわと落ち込む感じも微笑ましかった。若い二人の出会いが、可愛いなあ。

初心な高寿に、恋のあれこれを指南する親友役を、東出昌大さんが演じているのも、あまりにピッタリで笑ってしまいました。東出さん、いろいろあった役者さんですけど、実際女性には慣れてるんだろうなあと思いますし。演技というか、素かな?なんて思いながら見てました。

高寿が愛美の秘密を知ったとき、自分達の運命に気付いたとき、その苦しさが一度は二人の関係を壊しかけるけど、すべてを知っている愛美はただ、時間が流れるのを待つしかなくて。逆方向に時間が流れるカップル。いったいどちらがマシなのだろう、楽なのだろう、と考えてしまいました。

結論。やはり、高寿の方が楽だろうな。互いに20歳で会えるのがたった30日間なら。だんだん関係が深まる方が嬉しいし、自然だから。初日がピークで、後はどんどん他人行儀に、遠ざかっていくのはせつなすぎる。

1日が終わるごとに、高寿との思い出が生まれるごとに、泣く愛美の気持ちを思うと気の毒で。どんどん遠ざかるんだもんなあ。まだ高寿の立場の方がましだと思う。途中で真実を知らされたって、まだ先があるもん。一緒に共有できる思いも、時間もさ。愛美は独りで、それを抱えなきゃいけないから。

20歳の30日の、大切さを思いました。25歳と15歳は、男女がどちらであれ、恋人にはなれない。その点、同い年で20歳って、いいですね。夢いっぱい、希望がいっぱい。

福士蒼汰さんと小松菜奈は美男美女ですが、画面から伝わるのは、本当に平凡な、どこにでもいそうな若いカップル。そこがいいんですよ。特別じゃなくて、誰にでもあるはずの、若い日の光景だから。二人の気持ちをまるで自分のことのように感じられる。二人が嬉しそうにしているときはこっちまで嬉しくなるし。悲しんでいるときには自分のことのように心が痛かった。

「ヤバイ、抱きしめたい」

「抱きしめたらいいんじゃないかな。」

この辺の流れも、キュンキュンしますね(*´ω`*)

性的同意書がどうこう言われるこの頃ですけど。性的同意書なんか、意味がない。セクハラや強制がダメなだけで、恋人同士の自然な流れって、古来からあるわけで。セクハラや強制をなくすために性的同意書は全く無意味というか、むしろ害悪では?この頃の若者たち、特に若い男性は、臆病にならざるをえなくて気の毒すぎる。

今の法律では、後で女の子が心変わりをしたら、アウトになってしまうから。「本当は嫌だった」「本当は同意していなかった」女性のその一言だけで、罪を作り上げるのはおかしい。そこにセクハラや強制性があったのかどうかなんて、状況を総合的に、客観的に判断するしかないのにね。

この映画の、二人の初めての一夜を見ながら、そんなことを考えていました。二人の時間が、本当に素敵だなあと思いながら。お互いをとても大切に、拒絶されることを恐れながら、二人がおずおずと近付いていく。

映画のちょうど半分ずつで、「知らない高寿」「知っている高寿」が描かれるのが興味深いです。最後にネタバレして派手に終わり、とかいうのではなく。知ってからの彼が何を考え、どう行動し、最終的にどんな自分を選ぶのか、後半が丁寧に描かれているから。

大好きな人と、どんどん関係が深まっていく。大好きな人と、どんどん関係が離れていく。どっちがつらいのか、それがわかったときに高寿はふっきれて、乗り越えた。不思議なタイトルの意味が、この映画の意味が、わかったときに、ああー、そういうことだたのかと思う。タイトル上手だなあ。

昔、私は映画化されるより前に、原作の小説を読んだ。面白いタイトルだから読んでみただけで、アイデアは面白いと思ったけれど、そんなに感動はなかった。だからこのブログにも、本の感想は書いていない。だけど今日見た映画は、原作の小説を超えてはるかによかった。それは俳優がはまり役だったことと、映画で映像で見る二人のデートが、とっても微笑ましかったから。

伏見稲荷や、鴨川や、もちろん初めてのピザや、事前準備の高寿の緊張っぷりも、笑えた。本人が素で、台本なしで出てるんじゃないかと思える、東出くんの親友っぷりも自然でよかった。

とてもロマンチックな映画だけど、でも人生の半ばを過ぎた私は思った。20歳の30日だから盛り上がるけれど、この先ずっと一緒に暮らせば、もしかしたら別れたかもしれないね(^^;家族になって、最後まで仲良く暮らすのか、それとも長い時間を一緒に過ごしたら、案外相手の嫌な部分が見えて、気が合わない部分に気付いて別れてしまったか。それは誰にもわからない。

高寿にとっての最後の日。愛美を絵に描く高寿が、かつてないほど自信にあふれ、愛美との関係性が逆転していることが面白い。愛美が好きすぎていつも、愛美を気遣っていた高寿が、なぜか上から目線みたいで(笑)愛美は初日だから、すべてを知ってる俺余裕、ということなのかな。

15歳の愛美を演じた、清原 果耶(きよはら かや)さんも、物語に深みを与えてましたね。映画の中で出演時間は短いけれど、15歳の愛美がどれだけ高寿に惹かれたのか、20歳の再会をどれだけ楽しみに待ったのか、わかる映像でした。15歳の愛美が会ういろいろあった末の25歳の高寿は、20歳の時より、ずっと大人で。そんな高寿を好きになってしまう、ちょっと寂しそうな、影のある清原 果耶さんの表情がよかったです。

35歳以降の二人は、どんな人生をたどったのかな? 案外、愛美は高寿のことを大切な思い出としたまま、別の人と別の人生を送っていそう。高寿の方が、愛美を引きずってずっと独身のまま過ごしてそう。エンディングに流れるback numberの「ハッピーエンド」が、映画にぴったりでした。20歳で大好きな人と結ばれて、最高の30日間を過ごし、35歳で別れる運命は、ハッピーエンドでしょうか?

愛くるしい愛美の表情も、優しい高寿の表情も、街の風景も光の加減も、すべてが美しい映画でした。

青いまま枯れていく

あなたを好きなままで消えてゆく

backnumber 「ハッピーエンド」

この曲が流れるラスト、聴き入ってしまいました。

映画「闇の歯車」 感想

映画「闇の歯車」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意下さい。

いや~この映画、瑛太に始まり、瑛太に終わった作品でした。今まで瑛太をイケメンと思ったことは一度もないのですが、佐之助を演じた瑛太の暗い色気が半端ないです。これ、瑛太が佐之助を演ってなかったら、もっと凡庸な作品になっていたんではないでしょうか。

この作品に出ている瑛太は間違いなく、「色男」でした。現代劇より、時代劇の方が合ってるんじゃないかなあ。今まで瑛太がどんなドラマに出ていても、ふ~ん、と流していた私の目が、予告の時点で釘づけになりましたもん。誰、この人?って。

それも、正統派の正義の味方、じゃないところが合っているんですよね。背負う闇が、透けて見えて。やさぐれた影の部分に、思わず目を奪われるのです。

伊兵衛を演じた橋爪功さんも、裏で糸引く感じがなんともいえないドス黒さで、最初の柔和な商人顔からどんどん変わっていく姿に引き込まれました。佐之助とはいいコンビ。

伊兵衛は人の弱さにつけこむんだけど、決してごり押しをしないのね。時間をかけて、相手が自分から「やる」と決意するのを待つ。見事に絡み取られた佐之助。押し込みという悪事を働くのに、どうして素人複数を巻きこむのか。それは、迷った人を流れに乗せるっていうシステムでもあるんじゃないでしょうか。

自分だけじゃない。他にも仲間がいるっていう。そうでないと、少なくとも若旦那の仙太郎さんがなぜ一味に加わってるのか、その意味がわからないもの。腕っぷし弱そうだし、弥十の開錠技術みたいな特技もないし。

弥十を演じた大地康雄さんも凄みがありました。うらぶれてるんだけど、なにか裏がありそうな佇まいだったり。ただの酔っ払いが管を巻いてるのとは、ちょっと違う感じ。

伊黒清十郎を演じた緒方直人さんは、実直な感じが役にぴったりでした。最後、あれはわざと討たせたんですね。それもあっさりではあまりにも相手に無礼だから、それなりに討ちあった後で、というところに繊細な心遣いを感じます。まじめに優しく生きてきただろうに、どうして?という人生になってしまいましたが、あれはやはり、女性に弱かったということなんだろうなあ。すがりつく人を拒めなかった。

映画の中で、私が最後になってやっと気付いた点があるんですが、押し込み後、なぜかきえさんをそっとつけまわす佐之助の真意は、きえさんを守ることにあったんですね。なんだ~勘違いしてた。てっきり未練で追いかけ回してるのかと思っていたよ。おくみさんに逃げられたもんだから、再会したきえさんに執着してるのかと。この佐之助という人も、女性には弱いのですなあ。

それと、伊兵衛が捕まったとき、佐之助を知らないと言い放った場面。私は「あれ、伊兵衛は意外にいい人なんだなあ。佐之助がきえさんを守ろうとする気持ちに感動して、佐之助を助けてあげたのかしら」なんて思ったのですが。

牢屋での賄賂シーンを見てわかりました。いや、これ伊兵衛は生き残る気まんまんなのですね。これで最後なんて思ってない。誰かの気持ちにほだされるほど、やわな神経はしていない。佐之助を知らないと言いきったのは、保身以外のなにものでもない。あそこで佐之助もろとも破滅するのではなく、生き残る可能性に賭けた、ということなのだと。

登場人物のほとんどが破滅する中、真のボスは居酒屋のおっちゃんというところも、意外な感じがしてよかったです。案外、ああいう凡庸な日常の中にとんでもない真実が隠されていたりするんだなあ。

だけどツッコミどころがひとつ。佐之助は元々殺しにだけは手を染めてなくて、それが最後の自分の中での矜持みたいになっていたけど(押し込みも殺しはなしで、という前提だったし)、あれだけためらいもなく人を刺せる人が、殺しにだけは過剰反応するっていうのが解せませんでした。いやいや、人を刺してる時点で殺人と変わらないでしょう。たまたま助かってるだけで、亡くなってもおかしくない。

それと、あれだけの大金、預かってたお金を奪われた商家のその後は、たとえ命を奪われなくても死んだも同然で。自死に追い込まれることがわかりきっていながら、「押し込みでも殺さないからOK」みたいなところが、偽善に思えてなりませんでした。直接手を汚さないから何なの?っていう。結局、やってることは殺人だと思うのです。

映画全体、決して明るくはなくて、みんな幸せにはなれないし、でも引き込まれる作品でした。役柄によって、ものすごく輝く役者さんがいる、ということも知りました。時代劇の瑛太は、一味違います。

映画『昼顔』 感想

映画『昼顔』を見ました。感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 

 

地上波初放送、ノーカット版ということで、興味深く見ました。ちなみにテレビドラマで放映されてたときも見てました。ドラマ版の感想としては、利佳子(吉瀬美智子さん)サイテー、加藤(北村一輝さん)勘違い俺様男、紗和(上戸彩さん)欲望むきだし過ぎ、北野(斎藤工さん)据え膳乗っかり、でした。

映画の感想を一言で言うなら、「乃里子(伊藤歩さん)が離婚に同意してたら一秒で終わった話」です(^^;

不倫は周りを傷つける、というのは本当にその通りなんですけど、不幸な結婚生活も、それと同じくらい罪深いものだと思います。すべての結婚が、うまくいくわけではなくて。互いに永遠を誓っても、その先の生活の中で、「こんなはずじゃなかった」というのが出てきてしまうのは仕方ないことで。

人間は理性があるから動物とは違う社会生活を営み、結婚という契約があるわけですが。本来動物でしたら、「好き」がそのまま繁殖行為につながり、情や制度でカップルを続けることはない。

動物と同じになれ、というわけではないですが、ある程度の相性、というものは、結婚生活に不可欠ではないかと思いました。

なんだか知らないけど好き、だとか。馬が合う。みたいなことです。努力ではなく、一緒にいるのが心地よい、安心する。そしてなにより、相手と一緒にいたい、と自然に思えること。

結婚し、一緒に生活をしてみて、どうしても相手と合わないとわかったら。あるいは、相手以上に好きな人がもしもできてしまったら。離婚もアリだと思うし、むしろその状況で不毛な同居生活を続ける方が、誰の得にもならない。夫や妻、どちらかが「絶対離婚しない」と言ったところで、相手の気持ちが離れてしまったら、意地を張る権利などないと思うのです。結婚は奴隷契約ではない。相手の気持ちを縛ることはできない。

ただし、子供がいる場合は別ですね。子供がいたら、安易に別れるべきではないと思う。離婚は親の都合であって、子供にとって自分の父親と母親が別れることほどつらいことはない。そして、離婚したからといって、親子の縁は切れないのです。夫婦の縁は切れても、親子の縁は切れない。

子供がいるなら、親の気持ちよりも子供を優先すべき、と思います。親にはそれだけの責任がある。だから、産む前に相手との生活をきちんと見極めないといけません。離婚するのなら、子供を授かる前に、です。ただ、あまりにも相性が悪すぎて大ゲンカが日常、というところまできたら、いくら子供がいても別れた方がいいのかもしれない。「子供のために離婚を我慢した」なんて、言われながら育つ子供は不幸すぎます。

要は、結婚は慎重に、出産はさらに慎重に、相手を見極めて、ということですよね。それでも失敗したら、それはもう、離婚するしかない。

ドラマを見ていたときには、紗和の北野先生への好き度合が、とても大きいなあと思っていました。本能で惹かれる感じです。

でもそれに対して、北野先生は同じだけ愛情を返してくれる、というよりも。紗和に流されて据え膳を…という感じに見えました。それは、ドラマで紗和の方から初めてキスしようとしたとき、思いっきり突き飛ばしていた態度で思いました。背徳感からそうした、というよりも、紗和をそこまで好きではなかった、という証拠のような気がして。

背徳感というなら、ふたりっきりで秘密のお出かけという時点でもう裏切ってますしね。その上で、本当に好きな相手といい雰囲気になって、キスされそうになったら、普通はそのまま流されてしまうのではないかなあ。

ドラマで紗和を突き飛ばした、あの瞬間。あれこそ本能のようなもので。迫ってくる相手に言いようのない嫌悪感を抱いた瞬間、にしか見えませんでした。

ただ、紗和の熱量がねえ。北野先生にしてみたら。突き飛ばして傷付けたのをすまなくも思っただろうし、それだけ愛されてるっていうことへの優越感もあっただろうし。最初は、ちょっといいかな、くらいで付き合い始めたものの、紗和の熱情に押されて押されて、不倫の高揚感もあって、妻との生活に感じていた違和感を背景に、どんどん紗和との逢引にのめりこんでいった、というように見えたのです。

ドラマでは、逃避行先の別荘で二人が引き離されるとき、子供みたいに泣きわめいていたのがとても印象的でした。もう結婚すればいいじゃん(^^;と思いましたよ。私が妻なら、そんな夫を見たらドン引きして自分から別れるなあ。そこまで好き合ってるなら、どうぞお好きに、という感じです。子供がいなければ、大人だけの話し合い。

私には、北野先生に執着し続ける乃里子が異常に見えました。あの人と結婚生活続けるのはちょっと厳しい。

ドラマで生木を引き裂くように別れさせられた二人。映画は、その三年後を描いています。三年後、偶然に再会した二人は、当然のようにまた、燃え上がります。そりゃそうだ、という感じで、乃里子に気の毒という感情が一切わかない展開です。

もう、ドラマの時に十分描いてましたからね。北野夫婦の破綻。紗和は離婚しましたが、そりゃそうだろうと思いました。あれだけの大騒ぎがあれば、離婚になるでしょう。その点、紗和の夫は紗和に対しての愛情もちゃんとあったし、常識もあった。壊れた関係を続ける不毛さを、ちゃんとわかっていたのですね。北野夫婦が別れなかったこと。乃里子が意地で、北野先生を奴隷のように自分の思い通りにさせたこと、そこが、悲劇の発端だったような気がします。

映画では、北野先生と紗和のいちゃつきっぷりがなんとも(^^) 北野先生からしたら、紗和は決して自分のプライドを脅かさない存在。その安心感。同じ業界にいるわけではないので、妻とライバル関係にはならないですしね。乃里子との生活に疲れた北野先生にとって、一途に自分を慕ってくれ、家事もばっちりな紗和の存在はどんどん大きくなったでしょう。

自転車二人乗りのときの、紗和の幸せそうな顔。高校生か!と。

その一方、相手の気持ちをつなぎとめるために、自殺未遂をやらかした乃里子。こういうのは最低です。なんなんだこの人。北野先生が送ってきた、目に見えないトゲだらけの夫婦生活、垣間見えました。この人はいつも、こうして夫を支配してきたのかな。おそらく、「あんたは一度私を裏切ったんだからね」という、一段上の態度、無言の圧力が常に存在する、冷え冷えとした夫婦生活だったことでしょう。

映画を見ているうちに、どんどん乃里子が嫌いになり、紗和と北野先生を応援し始める自分がいました。だからこそ、最後のあの事故で、怒りがピークに達しましたね。

もはや不倫じゃなくなってる。この状況で、北野先生との結婚を無理やり続けようとするのは、相手に対する暴力だ。殺してまで自分に従わせようとする傲慢さ。最後、問い詰められて車中で死んだ目をする北野先生が印象的でした。諦めたんですね、すべてを。乃里子は狂ってた。

映画の中で、紗和と北野先生がお互いに疑心暗鬼になるシーンは、よかったです。あれが現実だなと思うから。

紗和の、自分が裏切ったことがあるから相手を信じられない、みたいなセリフがずしりときました。

なにも乃里子がヒステリーをおこすまでもなく。不倫の末に一緒になったカップルは、最初から重荷を負うのです。お互いに、「また不倫をするのでは?」という、答えのでない永遠の枷を。不倫に罰を、というのなら、それが一番の罰なのではないですかね? 解きようのない重い鎖です。一生涯つきまとう不信だから。同じことを、また繰り返すかもしれないという疑惑。

それを乗り越えて結婚生活を送れたなら、二人は本物なんでしょう。

最後の最後で、紗和の妊娠、にはびっくりしました。これは北野先生と紗和、ダメすぎるな~。離婚も成立しないうちに妊娠とか、無責任すぎる。いい大人がなにやってるんだか。

北野先生が乃里子との生活、もうこれ以上我慢できなくなってしまった経緯は理解しますし、同情もするけれど。だからといって紗和と、子供ができるようなことするなよ~と思いました。そこは我慢してほしい。いずれ一緒になる、ちゃんとする、と決意したなら。どうして待てないのか。せめて、それこそが乃里子への誠意であり、紗和への優しさじゃないのかと。いくら紗和が能天気に誘ったとしてもね。

乃里子があまりにもアレなので(^^; 紗和と北野先生を温かい目で見てしまうのですが、結局のところどっちもどっちなのかもしれません。そんな映画でした。

映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』 感想

映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

この作品は、原題が Seeking a Friend for the End of the World なんですけども、日本語のタイトル『エンド・オブ・ザ・ワールド』の方が、原題よりも合っているなあと思いました。だって、主人公は友達を探していたわけじゃないから。彼が探したのは、地球最後の日にふさわしい、心から愛する人とのロマンチックな日々。

結果は、ほろ苦く、でも温かかった。

アメリカ映画なのだから、最後は絶対大団円。もしかして、奇跡が起こって、地球に衝突するはずの小惑星が直前で軌道を変えたとか、そういう大どんでん返しがあるんじゃないかな、なんて私の期待は、あっさり裏切られたわけですが。

うん。なんだろう、この観終えた後の、胸に残るほんのりとした温かさは。二人とも、そこから先を生きられなかったことはわかるのに。それでも、二人はとても幸せな気持ちで、旅立ったような気がして。

『エターナル・サンシャイン』の製作に携わったのと同じ人が、『エンド・オブ・ザ・ワールド』の製作にも名を連ねていました。わかる~(*^-^) この温かさは、同じものだ。同じテイスト。

エターナル・・の方は、異性の愛。そしてこの、エンド・・の方は、友情かな、と、私は思いました。ちょっとだけ表現は違うけど、でもその根底には、深い愛があるのです。だから私もその愛に触れて、ほっとしたし、癒された。

そうか、そう考えてみると、原題の Seeking a Friend の言葉に託された製作者の思いも、わからなくはない。

恋人を求めたけど、それは違うと気付いて、だけれどもかけがえのない、人生最後の日にそっと寄り添ってくれる、大切な友人をみつけました、という話なのかなあと。

私は主人公のドッジとペニーの間に、いわゆる、恋を見出すことはできませんでした。ドッジは、ペニーのことを女性として好きなのではないと思う。ただドッジは、友人としてペニーの幸せのために手を差し伸べたのだと思います。そばにいて、添い寝して「大丈夫だよ」って言ってあげることが、ペニーにとって一番の慰めになると知っていたから。

そしてペニーも。地球最後の日を前に怯えて、緊張して、非日常の中で気持ちが昂って、それを恋だと思ってるけど、冷静になってみたら絶対、ドッジはタイプではないと思う(^^;

二人は元の性格が違いすぎるからね。

ペニーは子供っぽいところがあって、あと数日で命が終わるという極限状態を独りで耐えることはできなくて、誰かを求めた。ドッジはその手をとった。たとえ地球最後の日であっても、彼は泣いている小さな女の子をほっておけない人だったから。そういうことなんだと思いました。

この映画の終わり方が好きです。静かで、穏やかで、優しい空気が流れて。ふっと意識がとぎれる。そんな終わり方。後味がいい。ペニーがどんな気持ちで最後を迎えたのか、よくわかる。

ドッジはたぶん、高校時代の恋人オリヴィアに今手が届く、となったときに気付いてしまったんだろう。ああ、なにもかも幻だったって。思い出のままならずっと、美しい。好きだった気持ちも、好かれていたことも、当時は本当のことだったろうけど、もうあの日の二人はいない。
昔のオリヴィアなら、手紙を寄こさなかった。言外に助けてのメッセージをこめて、離婚を知らせることは決してなかっただろうから。

ペニーが眠っている間に、お姫様だっこして彼女を小型飛行機に乗せる姿がかっこよかったです。
ドッジは嘘をつかなかった。飛行機の約束、ちゃんと守ってあげた。きっと起きてたらペニーはあれこれ言い訳して、ぐずぐずと飛行機に乗らなくて、そしたら時間がもったいないから。黙って飛行機に乗せてあげたドッジの優しさ。そして、限られた時間を、快く息子のために使う父の優しさ。

映画の中には、人生最後の日々を、思い思いに過ごす人々の姿が描かれます。暴動や、略奪もあり。

でも虚しいよね。最後に人を傷つけて、楽しいだろうか。たとえ裁かれないとしても。投石し、火を放ち、雄叫びをあげて。うーん、これはわからない感覚だ。もはやお金目当てではないし、純粋に暴動を愛する、そういう人たちもいるということか。

パーティーで、乱痴気騒ぎ、というのはわからなくもないですが。でもこれも、本当に性格によるでしょうね。ドッジにとっては、むしろこうした大騒ぎは苦痛でしたね。

見終って、私もしみじみと考えてしまいました。残された時間が3週間なら、私はなにをするだろうかと。

旅行で行ってみたい場所はあるのですが、きっと交通機関はマヒしているだろうからそれは無理だろうし、世界が混乱する中で遠出するのは少し怖い。

一番に思いついたのは、庭か、もしくは近所にある、うちの畑で。青い空でも眺めながら、きっと一日中、のんびりゴロゴロするだろうなあと。ピクニックじゃないけど、水筒と、それからサンドイッチなんか持って行って。
そして、夕日の美しさを堪能するのだ。茜色に染まる雲、光と影のバランス。やがて暗くなったら、西の空に金星が輝くのを見る。レジャーシートに寝っ転がって、星座をみつける。この季節は蚊も多いだろうから、蚊取り線香もっていかなくては。

私、たぶん、それを最後の日までずっと続けるね。ときどきは、自転車にも乗るかもしれない。風をきる感覚が気持ちいいから。それでまた庭や畑に戻って。大きく深呼吸したり、咲いてる花を愛でたり。空気に混じるハマユウの香りをかぎ分けたり。

そうか、私の究極のゴールって、そこだったのかと。自分でも少し、驚きました。最後の日にやりたいことって、あんまり大したことじゃなかった。ていうか、今でも休日にはやっているようなことだった(;;;´Д`)ゝ

じゃああれだな、私ってものすごく幸福な日々を送っているんだな、日常で。

そんなことを、気付かせてくれた映画です。

映画『イントゥ ザ ウッズ』感想

 映画『イントゥ ザ ウッズ』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでいますので、未見の方はご注意ください。

 おとぎ話が嫌いな女性はいない・・と思います。私もその一人です(゚ー゚) ということで、おとぎ話の有名キャラが多数出演、しかもディズニー、きっと絵本の世界が現代技術で美しく立体的に再現され、かつハッピーエンドなんだろうなあという期待の元、行ってまいりました。

 結果、私の予想していたストーリーとは、全然違っていました(^^; 

 いえ、嫌いじゃないんですけど。
 映像は確かに美しかったですし。
 でも、予告のCMだと、子供が喜びそうな感じに作られてましたが、これ完全に大人向けです。子供が見たら、ぽか~んで、訳がわからずつまらないだろうなあと思いました。

 大人の目からみた童話、お話の中に隠された数々の暗喩を感じ取る、という映画ですね、これは。

 始まりはいきなりのミュージカル風です。歌が始まってワクワクしましたし、前半は進行もスピード感ありましたが、後半は長すぎ。そして後味も悪いです。

 物語の主人公がみんな、善人ではないところがシュールでした。

 おとぎ話の、めでたしめでたしのその後、ですね。
 後半のメインは、『ジャックと豆の木』に出てきた巨人夫婦VSおとぎ話の主人公達、なんですけども。これが、悪役であるはずの巨人夫婦が気の毒で・・最後巨人の妻が死ぬシーンは、何とも言えない後味の悪さが。

 巨人の妻にしてみれば、踏んだり蹴ったりなんですから。
 地上から小さな男の子がやってきて。可愛がってあげてたのに竪琴や金の卵を盗まれ。あげくに夫がその子に殺された。そりゃあ、復讐にやってくるのも無理ないというか。

 それなのに、総攻撃受けちゃいますからね。死ぬほどの罪を、彼女は犯したのだろうか、という。

 登場人物達はみんな、それぞれ一癖ある童話の主人公。

 特に目を惹いたのは赤ずきんちゃんを演じたリラ・クロフォード。純真無垢な赤ずきんちゃん、という一般的なイメージとは全く違う、オリジナルな赤ずきんちゃんを見事に演じていました。歌がうまく、大人びた物言いや堂々たる振る舞いは、可愛いというよりも、どちらかといえばその逆方向の印象をもたらしていたような。

 ジョニー・デップ演じる狼は、思っていたほど重要な役ではありませんでした。ジョニー・デップである必要があったのかどうか。疑問です。

 そして、私は彼女の演じる赤ずきんちゃんが、映画『エスター』の女の子に見えて仕方なかったです。年齢的に、女優さんが同一人物のはずはないのですが。

 というか、パン屋さんで無銭飲食の赤ずきんちゃんて、どうなんだろう(゚ー゚;
 映画が始まってそうそう、驚かされました。これからどうなってしまうんだろうかと。しかも、おばあちゃんのためだからいいじゃん、という言い訳のあげくに、パン屋の奥さんの好意に乗っかり、さらに多くのパン、そしてそれを運ぶバスケットまで要求って、どれだけ厚かましいんだかわかりません。

 それを許すパン屋の奥さんは、人がいいのを通り越して、詐欺師に騙される典型的な人に思えました。とめる旦那さんの方がまともだと思いますが、奥さんに強く言えないところが優しくて、いまどきの夫ぽいです。

 パン屋さんのお隣には、悪い魔法使いのおばあさんが住んでいます。でも、一応物語上は、悪い魔女になってるんですが、悪いというよりも、気の毒な人で。

 この魔女のメタファーは、いわゆる「毒母」でしょう。親としての権限で、娘の一生を縛り付けようとする、一見、よき母。

 隣人に豆を盗まれたのは、魔女のせいじゃないのに。母親の言葉は魔女を永遠に縛り付ける。縛り付けすぎて、肉体にも変化が起きてしまうほどに。たぶんあれは呪いじゃない。魔女の自責の念が、顔も体も、変えてしまったような気がしました。
 本当は、呪いなんてなかったのかもしれません。母親の言いつけを守れなかった魔女自身の、自傷行為のようなものだったりして。意識的ではなくとも。

 そしてそんな毒母に育てられた魔女自身も、自覚なきまま、立派な毒母に成長します。可愛がって可愛がってラプンツェルを育て、小さなときから教えこみます。私の言葉だけが真実。外には危険がいっぱい。私の言うことさえ聞いていれば、守ってあげる。お前はいつまでも私のそばにいるのだよ、と。

 しかしラプンツェルはあっさり王子様と駆け落ち。魔女はひとりぼっちになり。あげく、王国崩壊の危機に、自分なりの解決策を見出すものの、周囲にそれを全否定され、やけになったあげく自死のような最後。

 あれ、アメリカ映画って最後は必ずハッピーエンドじゃなかったっけ? 魔女が孤独と怨嗟の中で救いもなく消えていくのを、私は気の毒な思いで見ていました。

 うーん、一般的なアメリカ映画だと、ここで救いの手が差し伸べられるか、もしくは生き返るんだけど。結局そのまま・・・。

 王子様二人が、自分の恋こそ悲恋だと、どちらが悲劇のヒーローかを、競うようにして歌うシーンは笑ってしまいました。王子様、かっこいいというより、ちょっとお間抜けな感じです(^-^; そしてシンデレラの王子様は、日本人が思う王子様よりもワイルド系? 西洋だと、無精ひげの王子様がセクシーなのかしら?と。日米の違いを感じました。
 たぶん日本だと、もっとこう、男っぽくないイメージが、王子様にはあると思います。髭はないなあ。

 そして、ねばねばピッチで、シンデレラを捕まえようとする姑息さが、どうにも王子様ぽくない。それに、シンデレラをみつける方法が、靴のみって、ほんと、よく考えてみると激しく変です。顔は?声は?スタイルは? 三日間も踊った相手の判別法が、靴? 靴のサイズさえ合えば、誰でもいいのかと。

 あげく、いきなり不倫シーンが始まってしまうのには驚きました。まさに大人の映画です。ディズニー映画ということで、子供も見るのにいいのか? これはあらかじめ、大きく宣伝しておくべきだと思いました。あくまでも、大人向けの童話ですよ、と。

 そして不倫の代償は。
 王子のあっさり心変わりの描写は、不倫の儚さを見事に描いてますね。あげくの、信賞必罰。罰というのには、あまりにも重いのかもしれませんが。
 こうなって初めてあの人のすばらしさに気付いたの、と、女性がまるで何事もなかったかのように、日常に戻ろうとした矢先、あっさり・・・でした。
 私はここでもやはり、どこかに救いがあるんだろうと思っていて。実は大丈夫でした、とか、魔女の魔法で、とか逆転があるのかと思っていたのですが、本当にそのまま・・だったので、少し驚きました。救いがなくて。

 パン屋の夫婦は、あれだけ子供に固執していたのに。夫婦ともに、いざ子供が生まれたら、あっさりと、子供を裏切るようなことをしていましたね。妻は王子様と。夫は赤ん坊をシンデレラに押し付けて。

 大人のような知恵を持たないジャックを騙し、赤ずきんちゃんやシンデレラ、ラプンツェルから持ち物を強奪した、でも許されると思っていた。なぜなら「子供がほしい」から。そのためなら、許されると本気で信じていた、妻の姿が強烈でした。
 そのために他人を傷つけてもいいと考える時点で、間違っているのになあ。

 ラストは、なんともいえないものでした。
 ハッピーエンド・・・なのか、一応・・・いや、なんか違う、気が(^^;

 後半部分は、要らなかったような気がします。前半のスピード感がよかったです。歌も素晴らしい。

 into the woods, into the woods と何度も繰り返されるフレーズに、期待感が膨らみました。思わず駆け出したくなるような、軽快なメロディ。これからどんな物語が始まるんだろうと、わくわくするような曲でした。