少女漫画的シチュエーション

 昔、「そして誰もいなくなった」の、たしかスチール写真撮影?のときの動画が、公開されたことがあり。そのときのことを思い出しました。

 ヴェラ役の匠ひびきさんとロンバード役の山口さんが、寄り添って写真をバシャバシャと撮られているのですが。そのとき、山口さんが小さな声でこう囁いてるんです。

 「お仕事だから、我慢してね」

 匠さんは笑顔を崩さず、山口さんに顔を向けることもなく、カメラを見据えたままやはり小さな声で、こう返すのです。

 「光栄ですわ」

 もうそのときの映像を見ることはできないし、私の記憶の中で都合よく補完されてしまって、実際とは多少違う部分があるかもしれないのですが。それでも、そのときの光景と言葉は、私の胸にしっかりと刻まれて。それから何度も思い出しては、ほんわかと幸せな気分になったりするのです。

 「お仕事だから・・・」という言葉が耳に届いた瞬間、私ははっとして。そうか、匠さんは震えてたんだなあと。映像を通してだと、全然気付かなかった。山口さんの言葉がなければ、全くそんなこと、考えもしなかった。

 でも、肩に手を置いた山口さんには、その小さな震えが伝わってたのかなあと思ったのです。

 体調が悪かったのかもしれないし、他人に密着されるのが、苦手な方だったのかもしれない。平静を装っても、体は拒否反応をおこして小さく震えていたのではないかと。それがわかった山口さんは、なだめるように、安心させるように呟いた。その言葉の裏には、「もうすぐ終わるから、もう少しの辛抱だから」という思いがあったんではないでしょうか。少なくとも私には、そう言っているように感じられました。

 気丈に「光栄です」と言いきった、匠さんの姿にも感動しました。もしも震えていたんだとしたら、きっと気遣いに感謝しつつも、それを気取られまいと虚勢を張ったはずで。その心意気がすごいなと思いました。仕事となれば、絶対に弱音は吐かないという意志の強さ。

 敢えて山口さんの方をちらりとも見ずに、まるでなにも聞かなかったかのように、優雅に答えてみせた。

 とっさにその言葉が出てくるのもさすがです。震えてるのは相手を拒絶することにもつながるし、人によってはきっと、あまり気分のいいものではないと思うんですよね。そんなに触られるのが嫌なのか、みたいな。でも「光栄です」というのは相手に花を持たせることになるわけで。

 第三者が見ている分には2人ともにっこり笑って、仲良く寄り添っている。少しずつポーズを変えながら、親密な雰囲気を漂わせて、完璧に演じている。震えも、それを気遣う素振りも、全く映像としてはとらえることができないわけです。その実、震えを気丈に隠し通し何ごともなかったかのように振舞う女性と、目に見えないほどの小さなサインさえ見逃さない、繊細な心の男性。

 少女漫画のようなシチュエーションではないですか。

 言葉が、音声として拾われていること。音声がインターネット上で公開されてしまうことを、2人がどれだけ認識していたかは謎ですが。

 なんだか、こういうのっていいなあと思って。

 いつまでも記憶に残るシーンなのです。 

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫—クリスティー文庫)
アガサ クリスティー
早川書房

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そして誰もいなくなった 観劇記 その3

そして誰もいなくなった、千秋楽の観劇記です。ネタバレありなのでご注意ください。

2005年2月15日火曜日18時30分開演

 千秋楽。行こうかどうしようか、本当にぎりぎりまで迷っていた。もう2回見に行ったし、これ以上行くのは贅沢かな~と考えてみたり。でも、やっぱり行ってしまった。再々演がなければ、山口さんの演じるロンバートは見納めなのである。大阪や福岡まで遠征する予定はないし、もう2度と「レクイエム」を聴けないかもしれないと思うと、じっとしていられなかった。

 千秋楽は、やはり特別の雰囲気。ル・テアトル銀座の前には、エレベーター待ちの長い行列ができていた。当日券を買うつもりで並んだけれど、ちょっぴり不安になる。果たして買えるのか。もしかして売り切れだったりして。

 結局、かなり後ろの方だったけれど買えてよかった。前回は3列目、その前は7列目と、前方席でしか見たことがなかったので、後方席は残念だったけど、買えただけでも感謝しなくちゃいけない。なんといっても千秋楽なのだもの。

 劇場はほぼ満席で、なんともいえない空気。たぶん、初めて見に来た人はほとんどいない。何度も見に来たリピーターの人たちが多いはず。友達同士で連れ立ってきている人が多いようだった。ずらりと並んだ補助席は、ずっと後ろの方まで続いている。こんなにぎっしり埋まるなんて、すごい。

 いざ幕が開いて驚いたのは、細かいセリフや動作が、前回と違っていること。アドリブなのか演出なのかわからないけれど、これはかなりおもしろかった。ミステリーだから、犯人がわかってしまうと後はつまらなくなってしまいがち。その点、リピーターが出にくいと思うのだが、実際は少しずつ違うバージョンを見られて、楽しかった。初めて見に来た人に楽しんでもらいつつ、リピーターも飽きさせない工夫。これは素晴らしい。

 「男は30からとでも言いたそうね」これの返しには爆笑した。だって、一瞬沈黙してしまうんだもの。あれは考えていたのかな。それとも予定の行動だったんだろうか。

 見にきてよかった・・・・最初にそう思ったのは、十人の兵隊さんを朗々と歌うシーン。前に見たときには、わざと下手に歌って笑いを誘っていたのだが、今回はオペラ調。だけど、完璧の2、5歩前という感じ。わざと少しだけ力を抜いて、素人っぽくみせていた。「ミュージカル出られるかな」というセリフには笑った。十人の兵隊さんをオペラで聞けたのは、お得だったなあと思う。へなへなに歌っていた前回より、聴き応えがあった。

 レクイエムは、ことさら心にしみた。たぶん、今日が最後だと思う気持ちがあったから、よけいに。これは癒しの曲だ。全身を耳にして聴いていたけど、大満足。ずっとその曲に身を委ねていたかった。ピアノの美しい伴奏に山口さんの声が重なるともう、相乗効果がすごい。空気が清められて、自分も清められて、ここは劇場? それとも教会なの? という気分になる。このときばかりは、十人の兵隊さんとは違い、全力で歌ってくれるからうれしい。

 前回、うえだ峻さん演じるロジャースが、正気を失ってフラフラするシーンがちょっと不自然で気になったのだけど、今回は全然気にならなかった。さすが、という感じ。エセルとの掛け合いが面白い。エセル役の中島ゆたかさんは、初演のときにはすごくヒステリックなイメージがあったのだけれど、千秋楽は少し抑え気味な感じだった。私はその方が好きだ。初演のロジャースとエセルは、「愛のない打算夫婦」に見えたが、今回のうえだ&中島コンビには、口ゲンカの中に愛を感じた。

 中島さん、千秋楽で緊張していたのか、バーカウンターのところで派手にグラス? かなにかを落としてしまってびっくり。どうするんだろうとハラハラした。拾っていると話の流れが変になってしまうし。そのまま出て行ってしまった。すると、うえださんがさりげなく拾ってあげていて、さすが夫婦役。ナイスフォロー。

 でも拾いきれなくて、まだ2つほどなにか落ちてる。(私は後方席だったので、なにが落ちているか詳しくは見えなかった)これ以上それを拾っていると、芝居の流れに影響してしまう。うえださんもやはり、それは感じたのか、そのまま退場。

 その後、そこにやってきた山口さん。ぱっと状況を見たあと、なにげなく2つを拾い上げ、私もほっとした。なにか落ちてると、うっかり踏んで滑ったり、危ないものね。転んだら怪我が怖いし、芝居の流れが中断される恐れもある。

 新キャストの金沢碧さんは、はまり役。本当にそう思う。妥協を許さない厳格さ。自分の決めた範囲以外の世界は全然目に入っていない。金沢さんとうえださん、新しいキャストが2人入って、カンパニー全体の完成度が、また上がったような気がする。初演のときは初演のときで、すてきだなあと思ったんだけれど。組み合わせが変われば、チームのイメージも変わってくるんだなあ。

 山口さん演じるロンバードが、最後に南アフリカでの真実を告白する場面、あまりの迫力に驚いた。今まで見た中で、一番激しい感情の爆発だったように思う。よく通る声が、劇場の最後部まで響いていた。

 結局彼は、心の中ではずっと事件を気にしていた善人だったんだろうなあと思う。自分を犠牲にして助けようとして、でも逆に自分は助かり、部下は死んだ。自分にきせられた汚名を晴らそうともせず、あえて否定もしなかったのは、ロンバードの罪の意識だろうか。だけどヴェラを目の前にしたとき、「君と僕は違う。絶対に違う」そう叫ばずにはいられなかった。実は、登場人物の中ではかなりいい人の部類に入る。

 

 カーテンコール、いつまでも拍手は鳴り止まなかった。最後にはスタンディングオベーション。11人のカンパニーは本当に仲がよさそう。中でも、にこにこしてる山口さんに目が釘付けになってしまう。なんて嬉しそうに笑うんだろう。なんて可愛いんだろう。48歳の俳優さんに、可愛いなどという形容は失礼なのかもしれないけど、でも可愛いのだ。その笑顔を見ていると、自分まで幸せな気分になってしまう。

 帰り道。頭の中で、こっそりレクイエムを歌ってしまった。千秋楽。やっぱり行ってよかったと、つくづくそう思った。

そして誰もいなくなった 観劇記 その2

 昨日に続き、そして誰もいなくなったの観劇記です。以下、思いきりネタバレしてますので、ご注意ください。

2005年2月5日土曜日12時開演

 前日の観劇で全体をチェックできたので、今日は山口祐一郎さんを中心に見ました。そこで気が付いたのですが、ロンバードは1幕で、鋭い視線で周囲の人間を観察してるのですねえ。昨日はそこまで気付かなかった。特にブロアに対しては、最初からうさんくさいと思っているようで、ちらちらと視線を送り、なにかを探ろうとしているかのようです。さすが視線をくぐりぬけてきた軍人。それぐらいの観察力がなければ、危険は察知できないですもんね。

 そういえば、途中で「誰が誰を疑っているか」みんなで話し合ったとき、判事を疑っていたのはロンバードだけだったっけ。真実を見抜いていたのか。

 

 そのわりに、女に弱いというのが弱点なんだろうなあ。劇中、殺人がおこるたびにショックを受けるヴェラに、いつも寄り添って気を遣ってあげてた。倒れないよう座らせてあげたり、そっと手をかけたり。最後なんて、ヴェラと2人きりになって、彼女を殺人鬼と疑っているくせに、いざ目の前で倒れたら思わず助けようとするんだもの、いい人すぎる。しかも、その後リボルバーを奪われて撃たれてしまうなんて。

 それだけじゃありません。たまたま弾が外れたからよかったようなものの、めでたしめでたし、でヴェラと抱き合うなんて甘すぎ。自分を本気で殺そうとした人ですよ? 私だったら、絶対信用なんてできないですけどね。

 まあ、お芝居だしハッピーエンドにしなきゃということで、こういうオチになっているのかもしれません。だけどロンバートがこの先死ぬとしたら、絶対女がらみの事件のような気がする。窮地を切り抜ける軍人としての勘も、女性を前にしたら鈍りまくりって、どうなんだろう? 

 山口さん演ずるロンバードの、飄々とした感じに好感が持てました。緊迫した空気の中でも、冗談を言ったり、いつもと変わらぬ調子で堂々としてた。ときどき、取り乱しちゃうようなときもあったけれど、できればずっと飄々としていて欲しかったです。それで、最後の最後でヴェラと2人きりになったときに取り乱す、というふうになれば、もっとラストシーンが盛り上がったような気がします。

 カーテンコールのときに気付いたのは、カーテンコールの登場の仕方、退場の仕方が、もしかしたらすべて台本通り?ということです。その場のノリとか、客席の拍手に答えるというよりも、動作が厳密に決められているような印象を受けました。そういうところが、アガサ・クリスティらしいといえばらしいカーテンコールだなと、そう思いました。

そして誰もいなくなった 観劇記 その1

 ル・テアトル銀座で上演されている、「そして誰もいなくなった」を見に行ってきました。その観劇記です。ネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。

そして誰もいなくなった(2005年2月4日金曜日18時30分開演)

 再演ということで新鮮味はないかな~と正直思っていたのですが、山口さんの「レクイエム」を聞くために出かけました。初演のときに、ものすごくあの歌には慰められました。

 出演者が2人、初演とは変わっていましたが、これがびっくりするほど効果的に全体の雰囲気を新鮮にしていましたね。初演のとき、それぞれの出演者がぴったり役柄に当てはまっていたので、後で入った人は損だな、大変だなと思っていたのは大間違いでした。

 いい味出してます。まず、エミリー役の金沢碧さん。私は前回の沢田亜矢子さんも好きですが、役としては金沢さんの方が合っていたと思います。ちょっと陰気で、堅物な老婦人の雰囲気がよく出てました。沢田さんの場合、どうしても明るい感じになってしまうんですよね。そこへいくと金沢さんは、なにかギャグでも言おうものならにこりともせずに、切って捨てるような冷たさを感じました。エミリーの融通のきかない頑固さを表現するのが、金沢さんはうまいなと思いました。

 ただ、沢田さんに関して忘れられないのは、「お船を見てるんですか、将軍」のセリフ。独特の言い回しが、妙に耳に残って離れません。金沢さんがそのセリフをいうときにも、私の頭の中では沢田さんの声のセリフが響いてました。ここだけは、本当に沢田さんの個性が光ってましたね。丁寧なんだけど、内心馬鹿にしたような意地悪な声。この一語がこれだけ記憶に残るというのも、すごいことだと思います。

 そして、初演時と変わった出演者の2人目、うえだ峻さん。この方は、前半、エセルが死ぬまでの演技がすごくよかったです。この前半は、前任者の三上直也さんより、うえださんのキャラの方が私は好きですね。背の低さを利用して、ピアノに乗っかるコミカルな演技だったり、恐妻家をうかがわせるようなセリフのやり取りだとか。

 ただ、エセルが死んだあとの放心状態が、今ひとつ不自然に見えてしまって残念でした。妻の死にショックを受けているというよりも、演技してます、という感じになってしまって。歩き方とか、うまくいえないけど不自然な感じに見えてしまうんですよね。ここは、三上さんがうまかった。ショックが大きすぎて、精神を病んでしまったんじゃないか、みたいな恐さを感じさせてましたから。

 ただ、とにかく前半のテンポのある芝居は見事です。思わずひきこまれてしまいました。三上さんのときは、力関係は夫の方が上に見えましたが、うえださんは完璧に、奥さんの方が上ですね。そういうところの見せ方がおもしろかった。

 最初に出演者の一部が初演時と変わると聞いたとき、残念だなという思いがあったんですが、こういうふうに交代があると全体が新鮮になるんですね。今回、劇を見終わってそう思いました。変わった役柄だけでなくて、それを受けて周りも変わってくる。

 山口さんのレクイエムは圧巻でした。これは、曲のよさとの相乗効果もあります。いくら山口さんが歌っても、どうしても響いてこない、また聞きたいと思わない曲というのは確かにあります。

 でもこのレクイエムは、何度でも聴きたくなる。最初の囁くような歌い方が特に好き。死者を悼む歌なわけですが、これを聞くと心が癒されるのを感じます。許しを得たような気分になるんですよ。「大丈夫。あなたは大丈夫」そう言われているようで、へこんだ気持ちが上向いてくる。安らぎを与えたまえ、というのが、私のために祈ってくれてるみたいに感じるわけですよ。ここらへんがファンのイタイところであります。自覚しています。

 その後、声量を増して、朗々と歌い上げる。まさにミュージカルの帝王の本領発揮という感じです。どこまで届くんだろう、この声という感じです。もう体全体を耳にして聞いてます。ピアノの悲しい伴奏にのせて、祈りの声が響き渡ります。

 ミュージカルの帝王、という表現も、この場合ちょっと違うかな。私がこの歌を聴いているときに想像しているのは、オペラの会場です。満員の観客を前にマイクの前に立ち、体全体を使ってダイナミックに歌い上げる山口さんの姿を想像してしまいます。ピアノを弾く演技、というのもけっこうやっかいなもので、歌だけに集中できませんよね。もしも歌だけに集中できたなら。満員の観客の期待をすべてエネルギーに換え、ただ自分の声だけにすべての感情を乗せて歌うことができたなら。どんなすごい歌になるのかな、とワクワクします。

 2003年の公演のとき、この歌をシアターアプルで聴いたときの自分を、まざまざと思い出しました。あれから時間が流れ、私の周囲もずいぶん変わりました。でもこうして聴いているその瞬間は、あのときと変わっていないのです。

 レクイエムへ入るまでの流れは、かなり自然な感じでした。エミリーの死にショックを受け、頭を抱えてピアノに突っ伏すロンバード。ロンバードは、もともと悪い人間ではないです。優しさも、思いやりもある。口が悪いのと照れ屋なので誤解されている部分はありますが、実際には部下のために命を投げ出すような、そういう気概を持った軍人なんですよね。ロンバードはピアノが弾けるから、せめてエミリーの魂よ安らかに、と、ピアノで彼女の死を悼むのは自然なことだと思います。

 これ聴いているときに思いました。山口さんも、曲があればなんでもいいってわけじゃないんだなあと。いい曲に出会ったとき、奇跡のような相乗効果が生まれるのです。曲だけでも駄目、いい声だけでも駄目。その両方が出会わなければ、人の心を動かすような奇跡は生まれない。

 

 

 そして誰もいなくなったの公演で、特筆すべきは書割です。背景になっている空がすごくきれいなのです。照明の加減で、澄んだ青空になったり、真っ赤な夕焼けになったり、凶事を予感させる曇天になったり。雲の様子が本物の空みたいで、きれいだなーと思って眺めてました。同じ空でも、照明によって表情を変える、というのがおもしろかったです。