クロロック伯爵と金の髪の娘~その2

 あっという間に一週間が経ってしまいました。前回書いた、クロロック伯爵と金の髪の娘の物語について語りたいと思います。以下、舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のネタバレを含む可能性がありますので、ご注意ください。

 劇中で歌われる『抑えがたい欲望』の中で、クロロック伯爵は1617年に出会った一人の娘について語っている。「きらめく空を見ていた、遠い夏…」もうこの一節を聞いただけで、私は物語の世界に引き込まれてしまう。なんてことはない一文なんだけれど、この磁力はなんだろう?「きらめく空を見ていた」その言葉に、吸い込まれそうな空を見上げて不思議な感慨で胸がいっぱいになった、自分の小学生時代を思い出したりして。

 一日だけ。本当に特別だった空の色を覚えているのだ。空の色というか、その日の空気というか。なぜそんな気持ちになったのかもわからないが、体育の授業中だった。体操しながら、空を見ていた。体中に不思議な感情が満ちて、生きている意味だとか、宇宙の始まりだとか、とりとめのないことを思った。土曜日の、ゆったりとした穏やかな空。授業が終われば、家へ帰って友達と自転車で出かけよう、そう考えながら、空の青さに胸を打たれていた。

 この歌を聴いたとき、この一節を聴いたときに思った。きっと伯爵の脳裏に蘇る光景も、それはそれはのどかな、光あふれる穏やかな空だったに違いないと。

 「遠い夏」この5文字だけでも、せつない気持ちになってしまう。遠い夏。夏にはたくさんの思い出があり、そのどれもがきらきら輝いているイメージ。

 2006年、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』伝説の前楽(と勝手に私はそう呼んでいる)を観終えてから、何度あの歌を心の中で繰り返しただろう。うっとりしてしまうような平和な情景。その空の下、光の中に見出した娘はどんなに魅力的に映っただろう。

 私はすっかりクロロック伯爵の気持ちになりきって、その娘の輝くような美しさや、初夏の(私のイメージの中では、真夏ではないのです)緑の新鮮な、なんともいえない匂いを想像しました。満たされて、とても優しい気持ちになるのです。

 きっとそこには小川が流れていて、せせらぎの音が心地よく響いていたんだろうな。2人は寝転がって、よく晴れた空を見ていたんだろうな。うとうとと目を閉じてもなお、初夏の陽射しは明るくぼんやりと感じられたんだろうな、などなど。

 どうしてもそのときの情景を、まとまった文章で読んでみたくなりました。ネット上で探してみましたが、なかなかクロロック伯爵の話を書いている文章がみつからず、とうとう自分で書いてしまいました。

 私の想像の中では、このときの伯爵はまだ20代です。吸血鬼化した後、ゆるゆると年をとって、見かけ上40才前後で変化が止まったのではないかと思っています。吸血鬼化した原因は、伯爵の家系に曰く因縁のある女性吸血鬼に噛まれたからで、当初はその出来事を夢だと思い込んでいた伯爵ですが、金の髪の娘を失って初めて、自分の呪われた運命を知ることになります。

 娘の名前は、語感から適当につけました。ドイツ語っぽいかなと。実際にはない名前かもしれませんが。

 娘の事件をきっかけに、伯爵は否応なく吸血鬼としての生活を強いられていきます。普通の食物を受け付けなくなり、代わりに血を飲みたいという衝動に駆られる。その忌まわしい衝動を否定し、必死に人間であるという証明を得ようとするのですが、事態は伯爵の願いとは真逆の方向へ。

 葛藤の果てに、死をも覚悟する伯爵ですが、吸血鬼は不死です。その重みを、伯爵は嫌でも思い知らされることになります。

 あの城の伯爵は、人の生き血を吸って永らえている。

 近隣の村人たちは噂し始めます。お城に行ったきり、帰ってこない若者の話。ある日、家を出たまま帰らなかった娘のこと。静まり返った夜に、お城から舞踏会の音楽が風に乗って、森の中に届いたのを聞いたという者。

 

 人々から恐れられ、避けられた伯爵の心は、自分が人の命を糧にしなければ飢えを満たせないという自責の念と、村人に厭われ、噂話の対象になる恥辱と、早く元の体に戻りたいというあせりで、千千に乱れるのです。そして長い煩悶の月日が流れ、1730年。よりによって、牧師の娘に心を動かされます。

 教会と、それに属するすべてのものは、伯爵にとって苦痛の元でしかありません。聖書の一節を耳にするだけで、焼け付くような痛みと、形容しがたい不快感で気が狂いそうになるのですから。それでも牧師の娘の瞳をのぞきこんだとき、伯爵はそこに希望の光を見るのです。あの、金の髪の娘と一緒にいたときのような安らぎを。

 もし吸血鬼であることが、どんな手段を用いても引き返せない現実なら。

 それでもいい。あの牧師の娘と共に過ごす永遠なら、怖くはない。

 しかし、伯爵の願いは虚しいものでした。

 本当に愛する者の血を吸えば、その相手は死んでしまうのです。渇きを満たすためだけの相手は、遍く蘇るのに。伯爵の心を嘲笑うように、正確に。本当に愛した娘だけは、伯爵の手の届かない場所へ旅立ちます。

 伯爵は、自分が吸血鬼であることを牧師の娘に打ち明けてはいませんでした。娘はあの、金の髪の娘と同じように無邪気に微笑んだまま、冷たくなります。

 3度目。それが、最後の希望だったでしょう。1813年。ナポレオンの軍にいた娘の一人が、伯爵の心を捉えます。でも結果は同じことでした。

 凍りついた伯爵の心を慰めた、唯一の出来事。それは、孤児のヘルベルトを仲間に加えたということです。この辺りの状況については、2006年7月14日のブログに書いてますので、興味のある方は読んでみて下さい。(^^;

 いやー、いろいろ想像(妄想?)し始めたら、止まらなくなってきました。

 「抑えがたい欲望」の歌詞だと、「輝く髪」として表現されていますが、私の想像の中では金髪ですね。これはもう、最初に聴いたときから、それ以外の髪が想像できませんでした。

 黒い髪だって、赤毛だって、健康な髪なら陽射しを受けて輝きますけれども。私はなぜかとっさに、金髪で滑らかな肌を持つ少女を想像していました。

 伯爵はずっと、その金の髪の娘を忘れなかったと思います。伯爵の心に広がる深い深い闇を、最も端的に表すのは、『抑えがたい欲望』の中のこの箇所です。

>残るのは尽きることのない 欲望の海

>虚しく 果てしない 欲望の闇

 これを2006年の前楽で、山口祐一郎さんが歌ったときの空気といったら! 帝劇の舞台が、宇宙とつながりましたね。そこには、本当に果てしない闇が広がってました。

 もしこれまでの私の文章を読んでくださった方で、「お、この人のセンス、自分と一緒かも」と感じて下さったのなら。ぜひ、あの空気を味わってほしかった。当日の空気は、凄いものがありましたよ。あれは山口さんにしか歌えなかった歌だったと思います。あのとき劇場にいた誰もが、それぞれ、無意識の底に眠る、独特の心象風景を見たと思うのです。

 私はといえば。最後の、「みー」という声が、細く長く伸びていく様を、虚無の闇に光る蜘蛛の糸のように捉えていました。あの声を、映像として見るなら銀色の糸です。

 断崖絶壁に立ち、遥か彼方をみつめる伯爵をイメージしました。その恐ろしいほどの孤独を。

 崖の下には、波が打ち寄せていました。そこには伯爵しかいませんでした。

 思い出すと、背中がぞくぞくします。あの日以上の伯爵に出会うことは、たとえ再演があったとしても難しいかもしれないと思ってしまう。それほど、圧倒的で、神がかった舞台でした。 

クロロック伯爵と金の髪の娘~その1

 2006年に帝国劇場で上演されたミュージカル、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』は傑作でした。山田和也さんの演出を尊敬します。オープニングとエンディングの演出は特に、よく考えついたなあと感心するばかりです。

 『抑えがたい欲望』を歌うクロロック伯爵の迫力に触発されて、短編を書きました。歌詞の一部からイメージをふくらませて書いてます。私があの歌から想像したのはこんな情景でした。以下、この演目のネタバレを含んでいる可能性がありますので、舞台を未見の方はご注意ください。

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 ディートリンネの上気した肌を、クロロックはそっと撫でた。目の前にある愛しい存在の不可思議さに触れて、彼の心臓は早鐘を打ち始める。鎖骨の窪み、そして首筋の優雅な曲線。ディートリンネの滑らかな肌は、まるで陶器のように光る。指先でなぞると、薄い肌の下には確かに、命が息づいている。

「ディートリンネ」

何を言おうとしたのか、わからない。ただ、ディートリンネを抱きしめてそう呼ばずにはいられなかった。答えて欲しかった。愛しいディートリンネ。お前は確かに今、ここにいるのだと。

伯爵の腕に抱かれて、陶酔したように目を閉じていたディートリンネだったが、声を聞いてうっすらと目を開けた。

「伯爵さま?」

 太陽は優しい光を投げかけていた。5月の光と風は、恋人たちを柔らかく包み込んでいた。フリージアの甘い香りがする。辺りには人影もなく、ただ、小鳥のさえずりと小川のせせらぎだけが聞こえた。緑が、目に眩しい。全てがエネルギーに満ちていた。やがて花を咲かせようとする植物たちの競演。初夏独特の、命に満ちたその空気。

 この娘を愛している、と彼は思った。確かに、自分は今この瞬間、この娘に心を囚われ、この娘が手に入るならなにを犠牲にしても構わないとそう思っている。この娘が愛しい。愛しくてたまらない。細胞の一つ一つがそう叫んでいる。溶け合いたい。私達は一つの存在だと。

 ブロンドの巻毛に顔をうずめた。太陽の匂い、干草の匂いがする。幼い頃、よく遊んだあの小屋にあった干草だ。寝転がると不思議に安らぐ、あの懐かしい匂い。

 おお神よ! すべてが完璧です。あなたを讃えます。あなたの造り給いし人間の、なんと愛おしいことか!

 あの夜の出来事は、やはり夢に過ぎなかったのでしょう。寝苦しい夜の、幻覚だったに違いありません。私に血の刻印をつけたあの女の邪悪な笑いは、今も心に残っているけれど、だけれど。

 伯爵の脳裏に、消えることのない嫌な情景が蘇った。

 その女は氷のような冷たい肌をしていた。瞳の奥には底知れぬ悪意が見てとれた。女は薄絹の衣を軽く床にひきずっていて、そのかすかな音さえも耳に残るような静寂の中に、2人はいた。

 「冷たいな」

 思わず呟いた不満げな彼の言葉に、女の唇から、フっという嘲笑めいた音が漏れた。

「クロロック。お前は私を忘れないだろうよ。この冷たい温度も含めて、お前は永遠に私を忘れまい。そのことに気付くのはずっと後だろうがね。いつかお前が本当に愛する娘に出会ったときに」

 女は伯爵の手を掴み、すっと自分の心臓の位置に押し当てた。

「確かめてごらん。これが、お前の運命」

そのとき、クロロックの頭にはぼんやりと霞がかかっており、上手く思考をまとめることは難しかった。フワリと突然現れた女が何故、伯爵である自分に横柄な口を利くのか、何故自分は逆らえぬままその女と抱き合っているのか。ただわかるのは、その肌の底なしの冷たさ。触れた部分から容赦なく体温を奪っていく。暑さにうんざりしていたのはつい先刻のような気がするのに。

 女の手に導かれるまま、彼は女の心臓に掌を押し当てる格好になる。すっと、伯爵の血の気が引いた。

 どうしたことだ。

 なにも感じない。人間なら誰しもが持っている命の源。その確かな鼓動が、この女にはない。

「怖くはないよ。怖いものなど、なにもなくなるのさ。もっといいものを手に入れるんだからね。幸せなことだよ」

女の唇は、妙に赤く、艶かしい。

「ようこそ。我々の世界へ」

伯爵は、女の唇が歓迎の言葉を紡ぎだすのを見た。その唇が、ゆっくりと近付いてくる。本能が危険を告げているのに、体は全く動かない。背中を嫌な汗が伝う感覚があった。やめろ、やめろ、やめろ、心でそう叫ぶのに、体は石化したようにコントロールが効かない。これが自分の体なのか?何故動けない?

 首筋に鋭い痛みが走った。

 噛まれたのか? 次の瞬間、意識が遠のいた。視界がぼやけ、色を失う。ただ女の狂ったような笑い声だけが、いつまでも響いていたのを覚えている。邪悪な、地の底から響くような笑いだった。全身が粟立つような感覚があった。そして全てが暗転する。

 嫌な思い出から逃げるように、伯爵は首を振った。

 やめよう。悪夢に捉われてどうする。終わったことだ。あの熱帯夜がみせた夢の一つなのだ。月のない、真の闇夜だった。目覚めたとき、肌に刻まれていた赤い奇妙な紋章。あれも、恐らく単なる痣だ。おおかた寝返りでもうったときに、寝台の端にでもぶつけたのだろう。それが偶然奇妙な形であったから、妙なことを連想してしまったのだ。

 あの夜の、蝋燭の光さえ覆い隠すうっそうとした暗闇に比べて、今日のこの眩さはどうだろう?

 太陽は輝き、私達は祝福の中にいる。私の腕の中にあるディートリンネの温かさ。彼女こそ本物だ。これが真実なのだ、現実なのだ。あのときの夢など、幻想にすぎない。そうだろう?ディートリンネ。

「ディートリンネ、眠いのか?」

伯爵の腕の中で、ディートリンネは目を閉じたままだ。昨日は祭りの準備で夜遅くまで働きづめだったのだろう。

「すみません、私なんだか、あまり心地よくて」

伯爵の言葉に、夢から引き戻されたように、ディートリンネは目を開けた。

「横になろう。その方が体も休まる」

 伯爵の言葉に、ディートリンネは頬を染め、こっくりとうなずいた。2人は、若草の上に各々身を横たえた。抜けるような青い空がどこまでも広がっている。白い雲が、風に吹かれてゆっくりと形を変えていくのが見えた。彼は娘の手を握り、大の字になって初夏の陽射しを心行くまで享受する。

 世界は私のものだ、と、ふいに彼はそんなことを思った。

 やがて、隣から規則正しい寝息が聞こえてくる。ディートリンネは、うとうと眠り込んでしまったのか。伯爵は半身を起こし、午睡の夢の中にいる純朴な娘の寝顔を見詰めた。なんと無防備で、邪気のない表情であろうか。自分を信用しきって夢をみているディートリンネの細い眉、長い睫、柔らかな唇。

 白い肌に、黄金の巻毛がかかっているのを、伯爵は指先で優しく払ってやった。その次の瞬間、どうしても彼女の温かな体を抱きしめずにはいられない欲望が、体中を突き抜けた。その欲望の強烈な力は、伯爵にためらう隙を与えなかった。彼は夢中で、本能のままディートリンネの首筋に牙を立てていた。

 「何をやっているのだ」

 夢中になって娘の血を貪り、どれくらいの時間が経っただろう。

 気がつけば、ディートリンネの体はゆっくりと、体温を失っていこうとしていた。抱きしめれば抱きしめるほど、燃えるような熱さを持ったディートリンネの体が。今ゆっくりと、その熱は失われ、代わりに忍びこむのは紛れもない、死の影。

 伯爵は呆然と、ディートリンネの顔を見た。まさかそんな。いったい自分は彼女に何をしたのだ。ディートリンネを失おうとしている恐怖の中、しかしその一方で、彼は自分の体内に美酒が回り始めるのを感じた。ディートリンネの命が、今私の中にある。それは奇妙な、しかし強烈な快楽。果てのない飢餓感が、やっと報われたという酩酊。

 相反する感情に、心を真っ二つに引き裂かれ、伯爵は自分でも知らぬうちに涙を流していた。

 行かないでディートリンネ。私の知らない世界に行ってしまわないでくれ。

 無意識に、自分の胸に手を当てる。伯爵は色を失った。あるべきはずの鼓動が、ない。一体どうしたというのだ、これではまるで・・・・吸血鬼。

 国に古くから伝わる吸血鬼の伝説。まさかそんなことが。そうさ、よりによってこの身に起こるなどと、馬鹿げてる。

 明るい5月の陽光はそのままに、周囲の温度がふっと、下がった。伯爵は悟った。自分を巡る世界がまるで変わってしまったということを。いや、正確に言うならば、変わったのは自分なのだ。自分はもはや、この暖かい平和な陽射しとは真逆の世界へ、足を踏み入れてしまったのだ。冷たい、氷のようなものが体に巣くい始めた。それはみるみるうちに広がり、やがて伯爵自身を覆い尽くした。

 ディートリンネは、なにもわからぬかのように目を閉じていた。唇に微笑みをたたえて、楽しい夢でもみているように。

「どうしたんです、伯爵さま?」

そう言って起き上がる愛しい娘の姿を、絶望の中で彼は必死に願った。だが現実の娘は、伯爵の腕に抱かれてピクリとも動かない。その腕に、わずかに感じられる温もりでさえ、命の抜け殻に過ぎなかった。もうどこにもディートリンネはいない。誰よりも伯爵自身が、そのことを知っていた。

 物言わぬディートリンネの頬に、伯爵の涙が落ちた。

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長くなったので、続きはまた後日。

たった一人山奥にこもる

 2006年に上演された『ダンス・オブ・ヴァンパイア』。私は山口祐一郎さんのファンになってまだ4年弱なのですが、この作品ほどぴったりのハマリ役はなかったなあと、今もつくづく思うわけです。

 今日は曇り空で月が見えませんが、月のきれいな晩など、どこかでクロロック伯爵も月を眺めているんだろうかなどと、思ってしまったりするわけです。

 なぜハマリ役なのかなあと考えてみましたが、それは山口さんの「独り」オーラのせいかなと。実際の山口さんがどうなのか、そんなことは知る由もありませんが。なんだろう、伝わってくるイメージがずばり、「独り」なんですよね。

 どれだけたくさんの人に囲まれたとしても、同じ感性を理解し合えなければそれまで。たった一人で山奥にこもり、静寂の中で月を見上げているようなイメージが、山口さんとクロロック伯爵にはあります。

 山口さんは自分の声を楽器に例えたりしますが、本当にその声は心地いいです。たぶんファンはみんな同じ思いで、劇場に足を運ぶのでしょう。声が物語る背景があるというか、言葉にはならない気持ちがその音には含まれているような。

 ただ、詞と曲が山口さん自身に近いものであるかどうか、それによって受ける感動も変わってくると思います。

 明るくて影のないキャラを演じるよりも、なにかある、なにかあるんだけどもそのなにかは明らかじゃない、そういう曖昧さがあるキャラの方が合っているような。クロロック伯爵が決して他人にはみせない何か。

 山口さんも似たようなものを、持っているのかなあと思うのです。

 それが全部演技だとしたら。

 舞台の上で、そういう仮面を完璧にかぶっているとしたら、山口さんはすごい俳優だと思います(^^;

 「神は死んだ」という曲の中で、転調する部分が、超絶的に美しいですね。「私は祈り堕落をもたらす 救いを与え破滅へ導く」月の青白い光が、クロロック伯爵の全身を照らしだしているイメージです。まるで神様のように。

 それまでの声に含まれていた退廃的なニュアンス。わずかに滲む苛立たしさ、疲れが浄化され、神々しいベールに包まれてどこまでも研ぎ澄まされていくような。

 吸血鬼なのに、なぜか聖人君子に見えてくる不思議です。同じ楽曲でも、海外の役者さんが歌っているものと全く違うクロロック像。人によって、受ける印象は全然違うんですね。日本でクロロックを別の人が演じていたら、私はこんなにもこの作品に魅かれなかっただろうなあと、そう思いました。

お前こそ許された奇跡だ

 タイトルは、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の中の、お気に入りの台詞です。「お前こそ許された奇跡だ」って、すごいインパクト。でも言いえて妙。

 以下、舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』に関するネタバレの記述も含みますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 

 伯爵がサラに向かって言うこの台詞。サラに心を動かされた伯爵の、素直な気持ちが表現されていると思う。誰かを好きになったとき、それは一つの「奇跡」だから。結果的にサラは伯爵の「運命」ではなかったけれど、伯爵がサラのなかに光るものを見て、血を吸う衝動にかられたのは確か。

 人の心って面白いもので、なにが好きでなにが嫌いか、なにを心地よいと感じなにを不快と思うか、それって、コントロールできないものなんだよね。

 

 誰に強制されるわけでもない。気がつくと好きになってたという事実。どこが、という具体的なものがあるわけではない。たとえば顔だったり、しぐさだったり、それを他人が持ちえたとしても、やっぱり違うんだな。その人にしかないもの。その人特有のもの。空気というか、存在そのものが特別。そんな感情を持てる相手にめぐり合えたら、それはもう奇跡以外のなにものでもない。

 伯爵はだから、意識的か無意識にかわからないけれど、「お前こそ許された奇跡だ」という言葉の中に、神様への敬意をこめていると思う。敵わない存在だと認めてる。敬服と、それから感謝と。許された=神の祝福、恩恵、そして奇跡=貴重な存在、やっと出会えた喜び。

 なんだかとても人間的な伯爵様なのです。その人間臭さに共感する。ヴァンパイアになる前は人間だったのだから、人間らしさが残っていてもおかしくはないのだけれど。

 伯爵は、心と体が乖離する苦しさを抱えていると思う。

 心までヴァンパイアになりきれてしまったら。人間的な心を全部捨てて、完全無慈悲な吸血鬼になれてしまえたら。ロボットのようにすべての感情をなくしてしまえたら。もっと楽に生きられるのに。

 誰かを愛しいと思う心があれば、それは喜びであると共に長い苦悩の始まり。輝く髪の娘を失った罪の意識から、いつまでたっても自由になれない。

 もしかしたら、1617年の娘を失ったのは、伯爵の無意識の力なのかもしれないと思いました。あのとき、伯爵は本当は自ら娘を失うことを望んでいたのではないかと。恐らく、自分が吸血鬼であるという自覚はあったでしょう。そんな自分が恋におちたとしたら。

 相手を自分と同じ吸血鬼にしたいと思うでしょうか?伯爵は吸血鬼である自分の運命を受け入れていた?私にはそうは思えません。ヴァンパイアな自分を認めたくなかっただろうし、永遠の命を幸福と思うほど、単純な人だったとは思わない。

 不幸にしたくない。だけど他の人にはとられたくない。自分だけのものにしたい。ずっと記憶にとどめたい。綺麗な娘。この腕の中で、幸福そうに微笑む暖かな体。自分にはない体温。命のぬくもり。

 伯爵はなにを考えただろう、と思います。

 時は流れて、牧師の娘。1730年ということは、輝く髪の娘の一件から100年以上経ってます。吸血鬼にとってはあっという間かもしれませんが、その気になれば手当たり次第人間を襲うことが可能であった伯爵が、その100年、どう過ごしたかを考えると興味深いですね。

 やっとめぐり合えた牧師の娘。その白い肌に、赤い血で詩を書いた伯爵。なにを書いたんだろう?

 パッと思いついたのは、Don’t go もしくは Don’t leave me alone です。伯爵の母国語が英語ではないのはわかっていますが、なんとなくこの言葉がしっくりくるかなあと。

 もう失いたくない、と思っていたでしょう。寂しさは十分味わっていただろうし、一度手に入れた幸福を失うつらさは、もう経験済みだろうから。

 ただ、なんだろうなあ。きっとあの輝く髪の娘ほどには、愛してなかった気がします。なんとなく。

 「お前こそ許された奇跡だ」という、伯爵の台詞は真摯で、傲慢さを感じません。心を動かされる神秘に、自分ではどうしようもできない衝動に、敬服している。

 サラの赤いドレスを前に、わずかな時間だけでも、伯爵は幸福を感じたのかなあと思います。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を振り返る

 以下、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のネタバレも含まれておりますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 

 8月に、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の公演が終わりました。私は結局、21回通いました。2003年のレミゼ帝劇公演もずいぶん通いましたが、それでも13回だったし、この数字は私にとって新記録。

 本当に素晴らしい公演だったと思います。たくさんのものをもらった気がする。形ではなく、心を動かすなにか。

 今回の公演に関して、観劇記のまとめのようなものを書こうと思っていましたが、どうしてもうまくかけなくて、それはいまだにそうなんだけど、とにかくなにか書いてみることにしました。とりとめのない話になってしまいそうですが、とにかく書く、ということで。

 公演が終わってからずっと、気がつけば頭の中でヴァンパイアの歌をうたってました。満員電車の中、本を読むこともできないような混雑のときはいつも、心の中でヴァンパイアの歌をうたっては、その歌詞の世界に入りこんでいた。公式HPで宣伝のカリスマさんがおっしゃっていたように、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』は哲学的な要素が盛り込まれていた話だったと思うし、だからこそ深くて、どこまでいっても底がみえない。それだけ、惹きつけられ、考えさせられる。

 どうして生きているの? “わたし”はどこから来たの? この世界はなんなの? 生きる目的はなに? 私は最近、そんなことばかり考えています。この『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の公演が終わってからは、貪るように本ばかり読みました。ベストセラーになった『ソフィーの世界』や三島由紀夫、それから宗教や自己啓発関係のものなどなど。その合間に、息抜きになるような軽いエッセイも織り交ぜて。中村うさぎさん著のものです。この方の本は軽く読めるけど、その向こうには果てしない闇が広がっていて、それが魅力。

 

 『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を見た21回。私が泣かなかった回はありませんでした。一幕もニ幕も、いつも泣いてました。もちろん、周りに迷惑をかけてはいけないので、ハンカチを鼻の下にあてて、涙も鼻水も流れるままに音を立てずに、という、明るいところでは決して見られたくない恥ずかしい姿。幸い舞台中の客席は暗いから、周りの目を気にせずに思いきり泣くことができました。

 たぶん、これだけ泣いたのは客席の中でも5本の指に入るんではなかろうかと自負してます。

 たくさん観劇すればそれだけ慣れて、そのうち泣かなくなるんじゃないかと思いましたが、結局のところ泣かなかった回は一日もなく。それどころか、最後に見た前楽の「抑えがたい欲望」ではいつも以上に心を激しく揺さぶられました。山口さんの声自身が、泣いているように聞こえたからよけいに。

 「この私がわからない自分でさえ」「自由にもなれず燃え尽きることもできず」「得られぬなにかを求め続けてる」「永遠の幸福などこの世にはない」

 あの歌の訳詞の素晴らしさには、感服します。

 どの言葉も、等しく胸を打ちます。伯爵に共感するから、その苦しさが自分のものに感じられて、胸が痛いのです。ああ、実際今でも胸が痛いです。その痛さを忘れたいから、癒したいから、私は山口さんの出演するミュージカルを見に行くのです。

 でも、どんな演目でもいいわけではありません。たとえば『エリザベート』。私はトートが好きじゃない。エリザベートの甘ったれっぷり(史実のエリザベートではなく、あくまであの舞台で描かれるエリザベート)には苛々するし、そのエリザベートに興味を抱くトートにはなんの魅力も感じない。

 山口ファンではあるので、公演があればそのうち1度は見に行こうと思うのですが、行くたびに後悔してしまう。エリザベートに恋するトート、「あ、そうなの? ふーん」的な冷たい気持ちになってしまう。

 『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の伯爵は、とても共感の持てる存在です。「答えを探し続ける姿」には、まるで自分自身を見る思いがする。

 私は、すべての出来事に答えが欲しいから。偶然などない、この世のすべては必然であるというのなら、自分が経験してきたことになんの意味があったのか、その答えが欲しいなあと思う。

 ただ、「運のせい」だとか「偶然」とかいう言葉では満足できないのです。だから手当たり次第に本を読んだり、お芝居を見に行ったり、自然の中に答えを見出そうとして必死になる。

 まあ、あんまり深く考えすぎると身動きとれなくなってしまうので、そんなときには仕事にうちこむ。他になんにも考えられないくらい仕事に没頭して、それから仕事帰りには一駅、二駅はわざと歩いて、体をくたくたに疲れさせてすぐに眠る。余計なことなんて、なにも考えなくてすむように。

 伯爵がアルフに「私がその謎を明かそう」と誘惑する気持ち、とてもせつないです。伯爵が一番求めているものは「すべての答え」であるがゆえに、それが一番魅力的な誘惑だと思って、そう言っているんだろうなあと思うから。でもアルフにとっては、そんなものより大事なものは別にあるわけで。

 自分が一番欲しいものを、他人も欲しいとは限らないということですね。

 自信満々でアルフを誘惑する伯爵の姿には、必死さを感じます。

 そうです。私は伯爵は必死なんだと思う。悠然と構えたその姿の裏側で、のたうちまわっているのが見える。あの伯爵でさえ、それだけ必死にあがいてそれでも得られないもの。それが人生の答えというものなのかなあ、と思ったりします。

 欲しいものは単純で、たやすく手に入りそうなのに難しい。

 

 また気が向いたら、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』に触発された自分の気持ちを書きたいと思いますが、今日のところはこのへんでやめておきます。