あっという間に一週間が経ってしまいました。前回書いた、クロロック伯爵と金の髪の娘の物語について語りたいと思います。以下、舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のネタバレを含む可能性がありますので、ご注意ください。
劇中で歌われる『抑えがたい欲望』の中で、クロロック伯爵は1617年に出会った一人の娘について語っている。「きらめく空を見ていた、遠い夏…」もうこの一節を聞いただけで、私は物語の世界に引き込まれてしまう。なんてことはない一文なんだけれど、この磁力はなんだろう?「きらめく空を見ていた」その言葉に、吸い込まれそうな空を見上げて不思議な感慨で胸がいっぱいになった、自分の小学生時代を思い出したりして。
一日だけ。本当に特別だった空の色を覚えているのだ。空の色というか、その日の空気というか。なぜそんな気持ちになったのかもわからないが、体育の授業中だった。体操しながら、空を見ていた。体中に不思議な感情が満ちて、生きている意味だとか、宇宙の始まりだとか、とりとめのないことを思った。土曜日の、ゆったりとした穏やかな空。授業が終われば、家へ帰って友達と自転車で出かけよう、そう考えながら、空の青さに胸を打たれていた。
この歌を聴いたとき、この一節を聴いたときに思った。きっと伯爵の脳裏に蘇る光景も、それはそれはのどかな、光あふれる穏やかな空だったに違いないと。
「遠い夏」この5文字だけでも、せつない気持ちになってしまう。遠い夏。夏にはたくさんの思い出があり、そのどれもがきらきら輝いているイメージ。
2006年、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』伝説の前楽(と勝手に私はそう呼んでいる)を観終えてから、何度あの歌を心の中で繰り返しただろう。うっとりしてしまうような平和な情景。その空の下、光の中に見出した娘はどんなに魅力的に映っただろう。
私はすっかりクロロック伯爵の気持ちになりきって、その娘の輝くような美しさや、初夏の(私のイメージの中では、真夏ではないのです)緑の新鮮な、なんともいえない匂いを想像しました。満たされて、とても優しい気持ちになるのです。
きっとそこには小川が流れていて、せせらぎの音が心地よく響いていたんだろうな。2人は寝転がって、よく晴れた空を見ていたんだろうな。うとうとと目を閉じてもなお、初夏の陽射しは明るくぼんやりと感じられたんだろうな、などなど。
どうしてもそのときの情景を、まとまった文章で読んでみたくなりました。ネット上で探してみましたが、なかなかクロロック伯爵の話を書いている文章がみつからず、とうとう自分で書いてしまいました。
私の想像の中では、このときの伯爵はまだ20代です。吸血鬼化した後、ゆるゆると年をとって、見かけ上40才前後で変化が止まったのではないかと思っています。吸血鬼化した原因は、伯爵の家系に曰く因縁のある女性吸血鬼に噛まれたからで、当初はその出来事を夢だと思い込んでいた伯爵ですが、金の髪の娘を失って初めて、自分の呪われた運命を知ることになります。
娘の名前は、語感から適当につけました。ドイツ語っぽいかなと。実際にはない名前かもしれませんが。
娘の事件をきっかけに、伯爵は否応なく吸血鬼としての生活を強いられていきます。普通の食物を受け付けなくなり、代わりに血を飲みたいという衝動に駆られる。その忌まわしい衝動を否定し、必死に人間であるという証明を得ようとするのですが、事態は伯爵の願いとは真逆の方向へ。
葛藤の果てに、死をも覚悟する伯爵ですが、吸血鬼は不死です。その重みを、伯爵は嫌でも思い知らされることになります。
あの城の伯爵は、人の生き血を吸って永らえている。
近隣の村人たちは噂し始めます。お城に行ったきり、帰ってこない若者の話。ある日、家を出たまま帰らなかった娘のこと。静まり返った夜に、お城から舞踏会の音楽が風に乗って、森の中に届いたのを聞いたという者。
人々から恐れられ、避けられた伯爵の心は、自分が人の命を糧にしなければ飢えを満たせないという自責の念と、村人に厭われ、噂話の対象になる恥辱と、早く元の体に戻りたいというあせりで、千千に乱れるのです。そして長い煩悶の月日が流れ、1730年。よりによって、牧師の娘に心を動かされます。
教会と、それに属するすべてのものは、伯爵にとって苦痛の元でしかありません。聖書の一節を耳にするだけで、焼け付くような痛みと、形容しがたい不快感で気が狂いそうになるのですから。それでも牧師の娘の瞳をのぞきこんだとき、伯爵はそこに希望の光を見るのです。あの、金の髪の娘と一緒にいたときのような安らぎを。
もし吸血鬼であることが、どんな手段を用いても引き返せない現実なら。
それでもいい。あの牧師の娘と共に過ごす永遠なら、怖くはない。
しかし、伯爵の願いは虚しいものでした。
本当に愛する者の血を吸えば、その相手は死んでしまうのです。渇きを満たすためだけの相手は、遍く蘇るのに。伯爵の心を嘲笑うように、正確に。本当に愛した娘だけは、伯爵の手の届かない場所へ旅立ちます。
伯爵は、自分が吸血鬼であることを牧師の娘に打ち明けてはいませんでした。娘はあの、金の髪の娘と同じように無邪気に微笑んだまま、冷たくなります。
3度目。それが、最後の希望だったでしょう。1813年。ナポレオンの軍にいた娘の一人が、伯爵の心を捉えます。でも結果は同じことでした。
凍りついた伯爵の心を慰めた、唯一の出来事。それは、孤児のヘルベルトを仲間に加えたということです。この辺りの状況については、2006年7月14日のブログに書いてますので、興味のある方は読んでみて下さい。(^^;
いやー、いろいろ想像(妄想?)し始めたら、止まらなくなってきました。
「抑えがたい欲望」の歌詞だと、「輝く髪」として表現されていますが、私の想像の中では金髪ですね。これはもう、最初に聴いたときから、それ以外の髪が想像できませんでした。
黒い髪だって、赤毛だって、健康な髪なら陽射しを受けて輝きますけれども。私はなぜかとっさに、金髪で滑らかな肌を持つ少女を想像していました。
伯爵はずっと、その金の髪の娘を忘れなかったと思います。伯爵の心に広がる深い深い闇を、最も端的に表すのは、『抑えがたい欲望』の中のこの箇所です。
>残るのは尽きることのない 欲望の海
>虚しく 果てしない 欲望の闇
これを2006年の前楽で、山口祐一郎さんが歌ったときの空気といったら! 帝劇の舞台が、宇宙とつながりましたね。そこには、本当に果てしない闇が広がってました。
もしこれまでの私の文章を読んでくださった方で、「お、この人のセンス、自分と一緒かも」と感じて下さったのなら。ぜひ、あの空気を味わってほしかった。当日の空気は、凄いものがありましたよ。あれは山口さんにしか歌えなかった歌だったと思います。あのとき劇場にいた誰もが、それぞれ、無意識の底に眠る、独特の心象風景を見たと思うのです。
私はといえば。最後の、「みー」という声が、細く長く伸びていく様を、虚無の闇に光る蜘蛛の糸のように捉えていました。あの声を、映像として見るなら銀色の糸です。
断崖絶壁に立ち、遥か彼方をみつめる伯爵をイメージしました。その恐ろしいほどの孤独を。
崖の下には、波が打ち寄せていました。そこには伯爵しかいませんでした。
思い出すと、背中がぞくぞくします。あの日以上の伯爵に出会うことは、たとえ再演があったとしても難しいかもしれないと思ってしまう。それほど、圧倒的で、神がかった舞台でした。