『ダンス・オブ・ヴァンパイア』観劇記 その24

 昨日の続きです。『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

 「抑えがたい欲望」は、前楽にふさわしい迫力だったと思います。特筆すべきは、「ある者は人間や愛を信じる。金や名誉、芸術勇気を信じる、そして神を信じるのだ」この部分。歌うのではなく、慟哭、叫び、そして悲鳴でした。心の奥底にしまいこんだ一番苦しい部分、痛い部分を、絞り出すようにして言葉にしているのです。

 これを聴いたとき、山口さんはきっとそういう思いをしたことがあるのだと思いました。もちろん、想像にすぎません。ただ、瞬間的に思ったのです。そういう思いをしたことがある人にしかわからないなにか、それを山口さんは知っている。だから、こんな風に歌うのだと。

 乙女チックな妄想と言われればそれまでですが、この瞬間のズキっという痛みは印象的でした。

 今回初めて「抑えがたい欲望」のときの、新上裕也さんのダンスを見ました。前の人の頭で伯爵の姿が見えなかったので、新上さんの踊りの方を見たのです。新鮮でした。

 「苦悩」ですね。伯爵の内面の葛藤、苦しみ。印象的だったのは、伯爵の歌は最後、「神への挑戦」を意図するかのように力強く終わっているのに、ダンスは断末魔を表現しているように見えたこと。伯爵の内面で、その良心が死ぬことを表していたのかもしれません。あのとき、伯爵の中でなにかが終わり、なにかが死んだ。のたうつ伯爵の影は、もう一人の伯爵の誕生を、象徴するものであったのかもしれないと思いました。前の人の頭で舞台が遮られることがなかったら、私はきっと新上さんのダンス(墓場シーン)を見ることがなかったでしょう。一見、運が悪いような出来事でも、見方を変えれば運のよさにつながることもあるのだな、と感慨深かったです。

 カーテンコール。

 実は、今回の観劇で一番印象的だったのは、このカーテンコールでした。舞台本編でなく、なぜカーテンコールなのか。邪道という気もしますが、正直な気持ちです。普段見られないものが見られたから。

 それは、山口さんが市村正親教授を抱きしめた姿です。

 最後、十字架をかざす市村教授に対し、観客はみんな、固唾を飲んで見守っていました。そしたら、山口伯爵は市村教授を思いっきり抱きしめた。吸血鬼だから噛み付いた?のかもしれませんが、私の目にはそうでなく、抱きしめたようにしか見えませんでした。

 

 背の高い、大柄な山口伯爵がガバっと覆いかぶさるようにして市村教授を抱きしめたとき。教授はびっくりして、少し怯えているようにも見えました。2階A席で、しかもオペラグラスなしで見た感想ですから、実際の姿とは違っているかもしれません。そこはご了承ください。あくまでも、私が遠目で見た印象です。

 なんだか、そのときの山口伯爵の気持ちがわかるような気がしました。そして、突然のことに驚いている市村さんの気持ちも。山口さんはマント姿だし、メイクも濃いし、近くで見たらすごい迫力だったでしょう。間近で見た市村さんは、さぞかし怖かったと思います(笑)。

 山口さんは、嬉しかったんですねきっと。今日は剱持サラと泉見アルフの卒業日。二人は立派に、役を務め上げた。そしてチケットも完売。熱狂した満員の客席。オールスタンディング。熱気に包まれた帝国劇場。座長として、役者冥利に尽きる瞬間。カーテンコール時、山口さんは長い牙を装着していてうまくしゃべれません。だから、教授役の市村さんが代わりに、今日で卒業の剱持さんと泉見さんを紹介しました。その紹介がとても真摯で、一切ふざけることない穏やかな声で、好感がもてました。

 いえ、もしふざけていたらそれはそれで面白かったんですが。落ち着いた声で二人の紹介をする市村さんの姿が紳士で、予想外だったのです。もっとおちゃらけた感じの紹介をすると思ったので。

 でも、それは市村さんなりの、二人への敬意だったのかなという気がしました。

 山口さんも、それは感じていたと思うのです。静かに、敢えてふざけずに二人を紹介した市村さんの気遣い。前楽の独特な空気の中で、いろんな思いがこみあげたはずです。

 たぶん市村さんは、山口さんにとって唯一といってもいいくらい信頼できる先輩。不用意に背中を向けても、刺される心配のない人。競争の激しい、自己主張の強い芸能界で、そういう相手と組んで舞台をやれた幸せ。山口さんの代わりに市村さんが司会をしたわけですが、市村さんは黒子に徹するような態度。自分は前面に出ずに、卒業する二人を目立たせようとする。その優しさ。きっと、山口さんも胸がいっぱいだったんではないでしょうか。いろんな思いがごちゃまぜになって、そして市村さんへの感謝の気持ちがあって、あの抱きつくという行為になったと思います。

 山口さんが感情を露にすることってあまりないと思うのですが、今日はそれを見ることができました。市村さんはたぶん、山口さんがそこまで感動したことに、戸惑っていたんではないでしょうか。山口さんがどれだけ感謝しているか、そのことに、本当の意味で気付くことはないと思う。でも観客席にはそれが伝わってきました。市村さん、ありがとうございました。

 それと、あの抱きつき(噛み付き?)にはもう一つ意味があったのかもしれません。それは、教授がカーテンコールの挨拶の中で「3人(教授・アルフ・サラ)は助かると思ったんだけど、結局サラたちは吸血鬼になっちゃって・・・」みたいなことを言ったんですね。考えてみると、吸血鬼にならなかったのは教授だけ。そんな寂しそうな教授のため、山口伯爵は「俺達み~んな仲間だぜ」と言うために、教授を仲間はずれにしないために、抱きついた(噛み付いた)のかも。

 私は千秋楽のチケットを持っていないので、26日ソワレの観劇が最後となります。『ダンス・オブ・ヴァンパイア』。きっと再演はあるでしょう。それだけの魅力も、動員力もある作品だからです。でもこの夏のこの作品は、もう2度と帰ってこない。次に見るとき、私の周りの環境も今とは変わっているはずだし、キャストや演出にも変更があるはず。この夏に、今しかないこの作品を思う存分見ることができて、幸せでした。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』観劇記 その23

 8月26日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 今日は、私の一番好きな組み合わせです。剱持たまきサラに、泉見洋平アルフレート。彼女達はWキャストのため、明日の千秋楽を待たずに、今日が最後の舞台となります。今日が、2人の最終発表日というわけです。どんな解釈をし、どんな人物像、思いを伝えるのか。今日、その完成版を見られるのだと思って、期待に胸をふくらませて座席に座りました。

 2階A席。しかし残念なことに、私の前のお客さんは座高が高く、髪をアップにしていて、しかも微妙に前のめり・・・。三拍子そろってます。もし完全な前のめりなら後で係の人に注意してもらうこともできるのですが、ほんの少しのことなので訴えるほどのことでもなく。でも悪条件が重なった場合、その少しの前のめりが明暗を分けるのですよね。

 私の視界は、舞台中央の一番肝心なところが、前のお客さんの頭で真っ暗になってしまいました。こうなったら仕方ありません。見えにくいからといって私が左右に頭をずらせば、今度は私の後ろのお客さんが見えなくなってしまう。今回は、表情やお芝居を楽しむのでなく、音、そして歌を楽しもうと心に決めました。

 帝国劇場の席では、前の人の影響を最も受けないのはB席のような気がします。傾斜が急なので、前の人が視界の邪魔になることがほとんどありません。1階のS席、そしてA席は、前にどんな人が座るかでその日の見やすさが全然違います。A席の後ろ2列は段差がついていますが、それでも前に体の大きな人がくると、結構見えづらいのです。

 伯爵の登場シーン。「神は死んだ」ですが、最後、セリを降りていく場面「この私の思うままだ」の、「だ~」がよかったです。憂いに満ちていて、長い退屈な時間をもてあます伯爵の日常を垣間見たような。そのたった一言の中に、永遠を生きる苦しみがあふれていたと思います。もううんざり、とでもいうような苛立たしさです。爆発するのではなく、ひたひたとあふれてくる思いが、伯爵の体を満たしているようなイメージでした。

 お風呂場のサラを誘惑するシーン。以前見たときよりも、「元気いっぱい」な伯爵になっていました。下手から上手へ少し移動するとき、表現は悪いのですが「ドスドス」という音が聞こえてくるような感じがしました。ジャイアン歩き、とでも言うのでしょうか。ガキ大将ちっくな伯爵だなあと思いながら見ていました。

 サラの「いいの、もう」は健在。剱持さんのサラは、この言葉にすべてがこめられていると思います。大満足です。私がサラ役に求めるものはこれです(笑)。サラ役最後の日、剱持さんはきっちりと、「いいの、もう」を仕上げていました。

 透明感のある声はいかにも伯爵好みの清純さを感じさせるし、聞いていて心地いい。剱持さんのサラ、私は大好きです。

 お城で伯爵が、教授とアルフを迎えるシーン。「夜は醜いものを隠す影」「闇はあなたを満たす深い海」この詞がいいですね。醜いものを隠す、というところに、夜の世界でしか生きられない異形の者の悲しみがこめられていると思います。夜は、明るくないから優しいのです。太陽の明るさがまぶしい者にとって、夜はどんなにありがたい存在でしょう。海のように、そこにあるすべてを、満遍なく包みこんでくれる。深くて、穏やかで広い海。

 ただ、私はこの「あなた」という言葉にどうも違和感を感じてしまう。ここは「すべて」の方がしっくりくるような気がします。原詞の制約があるでしょうから、勝手に日本語を当てはめることができなかったのかもしれませんが。伯爵が特定個人の「あなた」を指して「闇は深い海」と歌っているようには思えないので、いつもこの言葉で「?」という気持ちになってしまうのが残念です。

 すべての言葉が流れるように心にしみこんできたらいいのに、と思います。細かいことですが、言葉は本当に大事。他の詞が素晴らしいだけに、この「あなた」の違和感が気になります。

 一幕終了後、クコール劇場を見ずにお手洗いへ向かったら、人がほとんどいなくてびっくり。気味が悪いほどでした。クコール劇場、愛されてます。しばらくしたらクコール劇場の終わりを告げる拍手が聞こえてきて、それと同時に一気に、大勢の人が化粧室になだれこんできました。

 ニ幕は、いかにも前楽という展開でした。とにかくアドリブが多い。

 まず霊廟シーン。いつもは弱気で謝ってばかりのアルフが、今日は一方的な教授の叱責に「すみません」(怒)と初めて感情を露に。他にもなにか口答えっぽい台詞があり、思わず教授は「お前も反抗するようになったな」と一言。客席から、どっと笑いがおきました。「私の後を継ぐのは千年早い」と、いつもより900年分多い言葉でお返ししたのは、さすがという感じでまた、笑いがおきてました。

 いつもならプリプリ怒りながら先に行ってしまう教授が、「今日は仲良く行こう」と言いながら去ったのが微笑ましかったです。最後の日、泉見アルフに対する愛情が見えました。

 泉見アルフの、この舞台での答え。それは、「サラへ」という歌に凝縮されていました。熱唱です。サラへのあふれる思いが伝わってきました。2ヶ月かけて泉見アルフが築き上げた答え。これが、泉見さんのアルフレート。私は泉見さんのアルフが大好きです。

 今日一番はじけていたのは、もしかしたら吉野圭吾ヘルベルトかもしれません。そこまで逸脱して大丈夫ですか(^^;と心配になってしまうほど、今日のヘルちゃんは面白かった。アルフが逃げ出し、一周して戻ってからの展開がすごかったのです。オーケストラの指揮者西野さんも、どこから音楽を入れていいものか迷ったのではないでしょうか。あまりにいつもと違う展開だったから。

 泉見アルフは音楽のきっかけを出そうと、何度か叫び声を上げてましたが音楽が始まらない。そこに上手に吉野ヘルが合いの手を入れて、やっと音楽が始まり元の流れへ。

 教授撃退シーンも、いつもに増して激しかった。吉野ヘルベルトは床に倒れこんで悶えてました。逃げ出すときの「父上~!」という台詞がよかったなあ。ヘルベルトはファザコンなのか?

 教授、そしてヘルベルトのアドリブ攻撃ですっかり消耗してしまった泉見アルフ。屋上へ行くシーンで、台詞がとんでしまいました。そこで客席はまた爆笑です。見ていて、アルフの頭の中が真っ白になったのがよくわかったから。フラフラしてましたもん。「もうヘトヘトです」という言葉に実感がこもってました。役の上ではなく、心底疲れきってました。とっさのことに対応しようと、頭をフル回転させたのですね。それがいくつもいくつも重なったから、パニック状態。アルフなんだか、泉見さんなんだか、その境界が限りなく曖昧になっていたのです。

 さんざん笑った後に、「プロフェッサーどこかへおいでか」という伯爵の歌。急に、ぱっと空気が変わりました。伯爵の見せる苛立ち、怒り。そして墓場シーンの、吸血鬼たちのダンス。永遠に生きるということがどんなことなのか、考えさせられました。

 『ダンス・オブ・ヴァンパイア』は何故、何度見ても飽きないのか。それは、シリアスであり、同時にコメディでもあるというバランスだと思います。シリアスなだけなら、見ていてせつなすぎる。かといって、笑ってばかりの舞台なら、すぐに飽きてしまう。

 生きるとはなにか、人生とはなにか、深く考えた次の瞬間、教授やアルフ、ヘルベルトのお気楽さに救われるのです。

 長くなりましたので続きは明日。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その22

 昨日の続きです。『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の観劇記ですが、ネタバレを含んでいますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 教授の「死ぬほど安全だ」の後にいきなり登場する伯爵コウモリ。私はこの歌い方がとても気に入っています。教授やアルフの無力さをおちょくる余裕、自分や息子を抹殺しようとした怒り、そういうものが混ざってとても艶のある歌い方だと思うから。

 サラ入浴シーン乱入時と同じ、クレーンを使った空からの登場なのですが、ここはコメディという感じがしないんですよね。むしろ、伯爵の凄みを感じるのです。

 言葉の一つ一つが圧倒的な力で、教授チームとの力の差を見せ付けるような歌い方をしている。おのれこしゃくな、この私を杭ごときで葬り去ろうとは・・・的な怒りがにじみでていて。でもそれは伯爵のプライドというか美学のために、表面上は貴族的な、慇懃無礼な態度になっていて、そこがゾクゾクするのです。これで歌の下手な人だったらつまらないシーンだろうけど、山口伯爵が歌うからこそ、伯爵の底知れないパワーが感じられて面白い。

 これからどうなるのだろうか。この人はどんなふうに教授やアルフを追いつめるのだろうか。観客はワクワクしながら対決の行方を見守るのです。

 「抑えがたい欲望」は、いつも以上に語っている感がありました。歌というよりも、語りに音楽が付いてきたというイメージです。歌うというよりも、台詞をしゃべっているような印象を受けました。そして、予言をし、歌い上げた後、全身で「どうだ!!」訴えかけているのがとにかく力強くて。もう迷わないと決めた人間の覚悟を見た思いです。

 ところで、二幕最初の吸血鬼肖像画シーン、墓場、舞踏会などに、東京ディズニーランドのホーンテッドマンションを連想してしまったのは私だけでしょうか? ホーンテッドマンションの雰囲気、私は大好きです。ディズニーランドに行ったのはもう何年も前のことなのでそんなに詳しくは覚えていないのですが、洋館好きな私の好みにぴったりマッチしてました。

 特に、ホーンテッドマンションの中で、亡霊たちがダンスを踊っているというのがとても物悲しくて印象に残っているのです。もう体はこの世に存在しないのに、それでも魂だけが毎夜毎夜、踊り続けるというのが、とても哀しい話だと思いました。

 今回の美術担当の方は、やはり頭の隅でこのホーンテッドマンションを意識されていたんでしょうか。

 中でも、私が好きなのは肖像画です。たくさんの肖像画が並んでいるのをみると、一瞬意識が別世界に飛ぶというか、その一枚一枚の背景を思ってしまうのです。吸血鬼として永遠の命を生きるまでのその人の人生。赤ん坊だった頃には、どれだけ多くの人が可愛がってくれたんだろうかとか。大人になるまでには、いろんな毎日があったんだろうなとか。

 肖像画が並んでいるのをみると、人生の重みに圧倒されます。一人の人生だって振り返れば本当にいろんなことがあっただろうに、それが何人も何人も積み重なるとよけいに。

 伯爵が城の吸血鬼達を煽る、電飾の階段シーンはエレクトリカルパレードですね。初めてディズニーランドでエレクトリカルパレードを見たときの感動が蘇りました。夢の国というか、別世界にいる気持ちになります。その夢のような舞台の壇上で、独特のリズムで体を揺らしながら吸血鬼達を扇動する伯爵の姿。いつ見ても心を打たれます。もう、転がりだしたボールは止められない。伯爵は人の血を吸い、欲望のままに生き続ける。その伯爵の覚悟が伝わってくる。もう神様など信じない。もう神様には頼らない。欲望こそが最後の神になる。そう言い切った伯爵だからこそ、迷いがない。

 フィナーレ。踊っているときに一番目立つのは吉野圭吾ヘルベルト。華があるって、こういうことを言うんでしょうか。すごく目立つ。前にいるからではありません。多分舞台上のどこにいても、吉野さんは目立つ。つい視線が吉野さんに吸い寄せられてしまう。

 

 劇中、ダンスで目立つといえば、ミニスカでブーツの女性吸血鬼も動きがきれいで、いつも目を奪われてます。「悪夢」のシーンもそうだし、教授たちが城を訪れる直前のシーンのソロも、楽しみにしてます。あの方はなんて名前の人なんでしょう。「悪夢」ではブリッジ状態でベッドの下から這い出してくるのでびっくりしました。細い体だけど、全身に筋肉がしっかりついてるのですね。あれはなかなかできるものじゃありません。私もつい家で、ブリッジのまま移動にチャレンジして挫折しました。相当筋力がないと無理です。よたよたしてるところを見せず、百パーセント成功させないといけないのだからプロだなあと思いました。

 「悪夢」では新上裕也さんにも注目してます。伯爵の化身として踊るのですが、とにかく全身に神経がゆきわたっている感じで、見ごたえのあるダンスだなあと思います。指先をカクカクさせるのは非人間的な動きで伯爵の怖さを感じさせるし、アルフとの対決、サラとの絡み、どれを見てもワクワクする踊りです。長い足をぐるっと回転させるシーンでは、いつもその長さに感動します。もともとの体型というのも、ダンスには必要なのだなあと。足の長さは、後からどう努力しても伸びないですから。その天性の体型に鍛錬した肉体。無駄な肉が全然ついてない。少しでもあれば、それはもう客席からまる見えです。

 どこからどう見ても、贅肉がない。ダンサーでプロなのだから当たり前といえばその通りなんですが、でもすごいと思いました。ただ痩せてるだけでも駄目だし。きっちり、美しい筋肉をつけて見せることに徹する。プロの技を見せてもらいました。

 カーテンコールの伯爵。本当に嬉しそうでした。補助席も全部埋まってたし、観客の熱狂が広い帝劇を一つにまとめていて。「さあ、立って」という伯爵の合図で、オールスタンディング。私、ちらりと後ろを振り返ったら、二階席を含め客席のほぼ全員が立ち上がって手拍子している姿が見えて、圧巻でした。これは舞台上の出演者から見たら、壮観だと思う。誰も立たずに終わっていた回も以前はあったのだから。

 伯爵をはじめ、本当に一人一人がヴァンパイアとして力を尽くした結果だなあと思いました。全員ががんばったから、この作品がどんどん命を吹き込まれていったんだと思う。こういうのは、表面的なことではありません。うわべだけなら、そういう空気には観客は敏感だし、シビア。立たない人は立ちません。

 でもこれだけ多くの人が立ち上がり、券も完売で補助席も全部売れて、みんなが最後には嬉しそうな顔をして手拍子している。こんなに一体感が味わえる作品は、なかなかないと思います。

 今日のソワレの出来はよかったのでしょう。それは伯爵の笑顔にも表れてました。今日は穏やかというより、ギラギラした笑顔。パワーがあるというか、聖者でない笑顔です。

 最後、教授のかざした十字架を前に、伯爵が派手にぶっ倒れた瞬間、キャストからも歓声というか笑い声がおきていて、それがすごくカンパニーの仲のよさを感じさせて、好感が持てました。お互いに認め合っているカンパニーなのですね。そしてあの倒れる勢いのすごさ、よほど、山口さんはノリノリだったと思われます。腰と頭は大丈夫だったかしら(^^;

 こういう舞台は、いったん裏にまわると嫉妬や足のひっぱりあいがあると聞きますが、今日のこの一瞬のエピソードで、カンパニーの仲の良さがわかって嬉しかったです。だから作品がよいものに仕上がったのだと思います。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その21

 8月17日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 今日の席はS席前方の上手です。前方席で見るのは今日で最後なので、舞台の映像をしっかり記憶に焼きつけておこうと気合を入れて出かけました。

 本日は剱持たまきサラ&泉見洋平アルフレートという私の好きな黄金コンビ。特に泉見さんが絶好調でした。この舞台が始まったばかりの頃は、ここまで熱く演じてはいなかったと思うのですが、発散するエネルギーがすごかった。

 前の方で見るとよくわかるのですが、表情がくるくる変わる。教授の横でニコニコしてたかと思うと不安な目をしたり、大げさにおどろいたり、サラにぽーっとなったり。とにかくひとときもじっとしてない。落ち着いてない。飽きない演技です。

 教授を吹雪の中で探す場面、新聞記事の見出しを想像して自分のことを「優秀な助手、アルフレート」といって喜んでいるときの表情がおもしろかった。能天気というかなんというか、自分も教授も命の危険にさらされてるのに、それでいいんかい!と突っ込みたくなりました。

 そんな駄目駄目くんな泉見アルフを見ていたら、彼を誘惑する伯爵の気持ちが少しわかったような気がしました。たぶん、伯爵はアルフのだめっぷり、お人よしっぷりに苛立たしさを感じたと思うのです。特に、教授に対する盲目的な信奉ね。教授は自分で思っているほど優秀な学者ではないのに、泉見アルフはもう、疑うことを知らない。インプリンティングされたアヒルの子供みたい。

 もしもし?君ね、わかってんの?君の信じるあのお人はね、君が思っているようなお偉い学者さんなんかじゃないのよ。

 伯爵の心中に、そんな言葉が浮かんだことは想像に難くありません。

 教授と一緒に楽しげに踊っているアルフを見て、私もそう思ってしまいました。

 以上のような状況をふまえて、伯爵のアルフ誘惑の歌を聴くと、また一味違う感慨があるのです。「老いぼれに頼るな 愚か者に従うな 決して奴には理解できない」これは、伯爵の本心だと思いました。ところでスポンジを扱う伯爵の手つきが妙に妖しくて・・・。これってそういう意味?暗示なのか?だとしたら、本当に大人な舞台ですね。要所要所にいろんな意味がある。

 伯爵が歌うときの独特の手の動き。これは批判の声の方が多いみたいですね。しかし私はこの動きが好きなのです。逆に、この動きがないと落ち着かない。あの歌とあの手振りはセットでないと嫌なのです。一幕の最後、「解き放て今つかめ自由を」のところなんて、あの手が催眠術の役割を果たしていると思う。目が釘付けでした。手が、言葉を語ってる。あの手の動き、説得力があります。

 伯爵の手と言えば、もう一つ私の大好きなシーン。それは、教授とアルフがお城で伯爵やヘルベルトと初対面する場面です。伯爵は、息子を彼らに紹介した後くるりと後ろを向きます。そして右手だけを水平に近い高さに上げる。その伸ばした指先の美しさ、です。これは前方席ならではの味わいでした。揃えた指先。伯爵が下手に移動すると同時に、その指先がゆっくりと空気を撫でていく。うっとりして見つめていました。

 伯爵の、サラ入浴乱入シーンですが、久々に笑いました。だって、近くで見るとコメディですよ、やっぱりこれ。いきなり乱入して大真面目な顔で歌ってる。コウモリの羽は、なぜか安っぽく光ってるし。しっかりと裸のサラを見つめながら、「まやかしだぞ 戒めなど」とか、顔だけ見てるとその真面目なところがおかしくて、おかしくて。あなたのやってること、のぞきですから(^^;「私こそ待ちわびた天使」だなんて、天使はお風呂場を覗きません!!

 周りの観客が全員、真剣に伯爵の歌に聴き入ってる状況がまた、笑えました。真剣なのぞき。そしてそれを真剣に見つめる観客。

 歌だけ聴いているとたしかに、すごく魅力的で、聴きほれてしまうのも無理はないと思います。でもあの状景を見たら、歌とのギャップがすごすぎて笑ってしまう。山口さんも、意識してわざといつも以上に真面目な顔をしているのではないかと思いました。あそこは、山口さんの中で、コメディという位置付けなのだということを確信しました。

 

 

 二幕で特筆すべきは、泉見アルフの「サラへ」。今まで見た中で、一番の熱唱だったかも。一幕であんなにも子供っぽく、頼りない存在だったアルフが、全身全霊で歌い上げるサラへの思い。感動してしまいました。成長してます。演出家の山田さんが、この舞台を「少年の成長物語」と位置づけていたのは、このことだったのかなと思いました。今日の「サラへ」を歌っていた泉見アルフは、立派な青年でした。頼もしいと思ってしまった。

 誰かを守ろうとするとき、きっと人間は強くなるのですね。自分ではない誰かを意識して、その人のためなら命をかけるという決意をするとき、少年は男になる。あの歌は女性には歌えない歌だなあと思いました。最後の絶唱なんて、アルフの全身が燃えているように見えてしまった。体の奥底から、アルフの激しい思いがあふれて、それがライトに照らされて燃え上がっているようで。鳥肌が立ちました。

 

 剱持サラは、声と雰囲気の透明感は素敵なのですがもう少し声量が欲しい。泉見アルフの熱唱を見てしまうと、伯爵とサラのデュエットが物足らなく思えてしまって残念でした。声量があれば、もっと迫力が出ます。表現力はあるのに、声量が追いついてない。肺活量や声帯といった、先天的なものだから仕方ないのかな。これは、練習でどうにもならない部分なのだろうかと考えてしまいました。

 伯爵とサラのデュエットといえば、「いけない理性を持て」と言った次の瞬間、サラに顔を寄せる伯爵が面白かった。この早業。自分で言ってるのにね、理性を持てってさ。言ってから一秒もたたないうちにもう、欲望に負けそうになっているところが笑えます。そんなに面白い伯爵なのに、サラをすっぽりマントで包み込んで去っていく姿は非常にかっこいい。なんなんだ、この人は。そんな伯爵だからこそ、サラも、そして観客も引き込まれてしまうのですね。

 ちょっと長くなりすぎましたので、続きはまた明日書きます。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』リー君の心意気

 ついに「ダンス・オブ・ヴァンパイア」CD発売決定です。当初は発売の予定がなかったそうですが、リクエストの多さに東宝が動いたのですね。すごい。DVDや、再演もこの先、もしかしたら実現するのかも。

 第一幕は大塚サラ・浦井アルフレート。第二幕は剱持サラ・泉見アルフレート。という組み合わせだそうです。ただし、主なナンバーは、ボーナストラックとしてもう一つのペアのものも収録するとか。

 私は、このペアの組み合わせに感動しました。「愛のデュエット」と「サラへ」は、それぞれ剱持さんと泉見さんが一番だと思っていたからです。だから第二幕がこのペアであることは、偶然ではないと思いました。私と同じように感じた人が、この組み合わせを選んだのでしょう。

 愛のデュエット。伯爵と一緒になって歌う前、最初はサラが1人で苦悩を吐露するのですが、このシーンの表現力は剱持さんが抜きん出ていますね。本当に苦しんでいるのが伝わってくる。伯爵の誘惑に、なぜ抗えないのか説得力があります。

 思春期というのは精神的にものすごく不安定な時期で、わけもなく落ち込んだり、腹を立てたり、泣き出したり、自分で自分をコントロールしかねるときがあります。それは、体の成長に心がついていかない戸惑いだったり、周囲が自分を大人として扱うことへの違和感だったり、そりゃあもういろんなことがあるわけです。そういう感情の揺れを、剱持さんはうまく歌い上げていると思います。最初の頃に見たよりも、後になるにつれてこの「愛のデュエット」を激しく歌うようになった気がします。先日、剱持サラを見たときに、「あれ、こんなに苦しみながら歌ってたっけ?」とびっくりしました。それだけ、サラ役になりきって、役を自分のものにしたんだと思います。

 泉見さんもまた、熱さにかけては剱持さんに負けていません。「サラへ」を歌うとき、アルフの心はサラのことでいっぱいになっていて、どんな敵にも立ち向かうのだと体中で叫ぶように訴えます。たしかにアルフは臆病だし、抜けてるところがあるし、傍から見たら頼りにならない情けない青年なのですが、この「サラへ」を真摯に歌い上げる泉見アルフを見ていると、アルフが好きになります。アルフには、体面もなにもないのです。傍から見てどんな姿に見えようとも、彼は大真面目にサラを愛し、守ろうとしているのです。その姿がいかにも若者らしい純粋なものだから、好感が持てます。

 計算などない。ただ激しく愛を歌う。歌わずにはいられない、あふれだす感情。若いっていいなあ、そうだよね、この激しさ、この単純さが若さなんだよね、としみじみアルフをみつめてしまいます。

 公式HPのリー君のセンスが気に入りました。予想ジャケットその1とその2。その1はいつもの写真かと思いきや、伯爵の顔の向きが微妙に違う。そうです。サラではなく、正面のこちらを向いている写真なのです。これは初めて見ました。今回の舞台を宣伝するにあたり、何百枚と撮ったうちの1枚なのですね。実際広報に使われるのは一部だけだから、日の目を見ずに没になった写真は山のようにあるんでしょう。その貴重な1枚。ただ、顔の向きが違うだけなのに、それだけでまったく印象が違います。小さな写真なのに、伯爵の目力の凄さ。いいものを見せてもらいました。リー君、ありがとう。この写真を使ったのは、リー君の心意気ですね。

 その2のセンスに関してはもう、言うことはありません。もし、その1とその2が発売されて、私がそのうちの1枚を買うとしたら、絶対こちらのジャケットを買います。全然怖くない伯爵の牙写真。吸血鬼がこんなに怖くなくていいのか?という疑問はさておき、この表情を撮ったカメラマンに拍手。

 伯爵の優しさと、気弱さが伝わってくるこの写真。(中森明菜の歌を思い出しました)。リー君の「まあ、ないな、これは」という言葉に笑ってしまいました。PCの前で本当にそう呟いてる姿が、リアルに想像できたから。

 海外の吸血鬼は不気味で恐ろしいのに、日本版の伯爵の愛らしさといったら! なんなんでしょうこの人は(笑)

 どちらのジャケットにも、ちゃっかりリー君が写っているところがいいですね。

 ただ。これだけジャケットを誉めておいてこう言うのもなんですが、CDよりも実際の舞台を見る方をお勧めします。CDを買って、何度も聞くよりも舞台の生の音に触れた方がずっといいです。私は今のところ、CDを買うつもりはありません。その予算で、チケットを買いました。

 8月が終われば、もう帝劇に行ってもあの音楽に浸ることはできません。それは寂しいけど、この舞台をこの時期に見られたのは、本当に幸運でした。感謝です。