ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記その15

 7月29日(土)マチネ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 本日のサラ:剱持たまきさん、アルフレート:泉見洋平さんでした。

 今日は大ハプニング有り。伯爵と息子が眠っている間に、杭を打とうとするシーン。杭が・・・・出てこない。客席も異様な雰囲気を感じ取って、固唾を呑んで見守っていたのです。どうする、どうなる?これ以上引き伸ばしたら芝居のテンポが台無し。

 でも下手なことをすれば、後の流れがぶった切りになる可能性有り。泉見アルフの真価が問われる場面だったと思います。これぞ生の舞台。毎日同じようにいくとは限らないもの。そんなとき呆然と立ちすくむだけなら、素人と同じです。

 泉見アルフはとっさに、教授の靴?を手に取り、「これでやります」と宣言。劇場はどっと笑いに包まれました。本日はVISAの貸切公演でしたが、この笑いを見る限り、相当のリピーターがいると思いました。初見の人に「おかしい」と思わせないギリギリのタイミングまで、アルフは杭を探していましたから。初見の人は、ああいう笑い方はしないと思う。

 もうそこからは、見事、の一言。一度これでやると決めた以上は、揺れたり迷ったりすればすべてが台無しになってしまいます。泉見アルフは堂々とやり通しました。そして市村さんもすごかったなあ。泉見アルフの芝居に合わせて、とっさにアドリブを連発。

 杭ではなく靴であったことから「新しい試みだな」とか、「今日はいつもより長く吊られてた」とか、笑いのツボをちゃんと心得てる。最後アルフと一緒に去っていく場面で「帰ろう」とヨロヨロしていたのが面白かったです。さすがに冷や汗かいたんだろうなあと思わせられました。

 その後、ヘルベルトに迫られたアルフにお説教する場面で、教授とアルフのペアは座り込んで話していました。よほど疲れてるんだなあと苦笑いしてしまいました。あそこは、いつもなら立っているシーンだと思います。

 泉見さんの偉いところは、靴を手にしっかり持ち、それを教授に見せ付けるようにして「これでやる」ということを知らせたところです。自分がこれからどう動くつもりなのか、それを相手役の市村さんと、それからオーケストラの指揮者にちゃんとアピールしていた。あのアピールの間があるおかげで、周囲は泉見さんの意図が予想できたし、それに対応するこちらの準備もできたと思うのです。

 いくら泉見さんがうまいやり方を考えたとしても、周りがそれについてこられなかったら駄目ですもんね。

 今日の伯爵の歌に関しては・・・ちょっと微妙かな。「目眩く陶酔の世界へ」のブレスが少し気になったのと、「抑えがたい欲望」最後の細い声が、乱れていたような。その後は見事に歌い上げていましたが。声量を限界まで落とし、かつ良質の声を出し続けるって難しいんだろうなと思いました。頭の中で計算した声と、実際にマイクを通して聞こえる声は、その日のいろんなコンディションで違ってくるのでしょう。だから、自分で自分の声を確認しながら素早く修正を加えていかなくてはならなくて、修正後の歌はいつも一定のレベルを保っているけれど、第一声がどう響くかというのはその日によって変わってくる。

 私がダブルキャストで一番好きなのは、剱持・浦井コンビです。これはもう、二人の天性のもの。おっとりした王女様王子様キャラがいいのです。

 特にサラに関しては、私はどうしても大塚サラが苦手ですね。

 大塚さんは歌もうまいし、可愛いし、実は公演が始まるまでは剱持さんより期待してました。剱持さんは痩せすぎな感じがしたし、大塚さんの「若い娘オーラ」が眩しかった。

 でも実際に舞台で見た感じ、それから歌を聴いた感想なのですが、大塚さんはいかにも現代っ子という感じがしてしまってちょっと。渋谷を歩いているお嬢さんを思わせるものがあります。

 無邪気でうぶ、無防備な危うさを感じないのですよね。もう完成されているというか。

 大塚サラなら、心配しなくても新しい街でたくましくやっていくんじゃないかなあ、と思う力強さがあるのです。それに、伯爵の誘惑をも、冷静に計算していそうなクールなしたたかさが伝わってくる。

 お城でアルフと対峙したときにも、アルフが気の毒になるほど冷たい。それが、伯爵に洗脳されているというより確固とした自我の主張に思われて、その強さがちょっときつすぎるような。

 

 サラには揺れていてほしい、と思うのです。伯爵に惑わされるサラも、アルフに心引かれるサラも、どちらも本物。その揺れ具合を表現してほしい。浮世離れした夢見る少女が見たいのです。この話全体を、サラの妄想と捉えることもできるくらいに。

 剱持さんのサラには幻想的な雰囲気があって、そこが気に入ってます。生々しくなく見ていられる。変な色気を感じさせないところがいいのです。それがないのがサラだと思うし、だからこそ伯爵は舞踏会へ誘いに来たんだと思う。

 二人のサラの違いを一番認識するのは、「いいの、もう」という台詞です。これは、二人の違いが、一番よく現れてると思う。大塚サラは小悪魔的だと思うし、剱持サラは完全に幻惑されてる。剱持サラの悲鳴のような、精神の高ぶりがそのまま言葉になったような声が好きです。走り出さずにはいられなかったんだろうなあと思います。ブーツなんて履いていなくても、あの雪道を裸足であってもサラは飛び出していったと思う。それくらい追いつめられた果ての、あの台詞。

 コアなマニアでなく(笑)普通の初見の人を連れて行くとしたら、大塚サラと泉見コンビは最高だと思います。表現がすごくわかりやすいと思うから。ただ、何度もリピートしていてかつ、ちょっとマニアな私としては剱持・浦井ペアの表現に惹かれますね。飽きない。

 帰り、余韻にひたりながらぼーっと歩いていたら、交差点を向こうから渡ってきた誰かに声をかけられてびっくり。山口ファンの友人でした。彼女はソワレを見るとのこと。後からメールが来ました。「放心状態で歩いてたね。本当にVが好きなんだね」

 放心状態・・・・。自覚はあったけど、傍からみてもそうだったのかと思い苦笑いでした。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その14

 7月23日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未見の方はご注意ください。

 演出の山田さんて、すごいなあと思いました。2点において、私は山田さんを大絶賛します。ともかくこの2点が素晴らしい。

 まず1つ目は、VAMPIREのタイトルが最初は青いのに、音楽に合わせて突然真っ赤になるところ。ここはいつ見てもハっとさせられる瞬間なのです。意表を突かれるって、こういうことかなあと思う。トランシルヴァニアの雪と氷を思わせるような静かな青が、急に燃えたぎる血潮の色に変わるんだから、そりゃドキドキもするってものです。赤は、血液の色であると同時に欲望を表す色でもあり、その色の向こうで手ぐすね引いて待っている吸血鬼達の息遣いが聞こえてくるような。舞台に命の火が吹き込まれる瞬間を目撃した気分です。これから始まるドラマに対する期待と恐怖が、自分の中で一気に高まります。

 そして2つ目。これはもう脱帽です。すごい。最後の巨大垂れ幕。舞台いっぱいに広がる伯爵のあかんべえ写真。この顔の持つ意味とその効果には、ただただ感服。どうしてこんなこと思いつくんだろう。すごすぎる。そして、垂れ幕の登場は最後の最後で、しかもほんの数秒だけで、一気に会場の空気を盛り上げてそのまま照明が落ちる。

 山田さんがご自身のブログでクンツェさんに褒められたって書いていらっしゃいましたが、わかるような気がします。あの垂れ幕を使うセンス、クンツェさんには通じたんじゃないでしょうかね。永遠だったり、喪失だったり、新世界への探求だったり、欲望だったり、いろんな哲学的要素を備えたこの作品。一度迷い込んだら地の底の暗闇の中でずっと考え込んでしまいそうなのですが、そんな観客をがしっと掴んで地上に引き戻してくれるのが、あの伯爵なのです。

 あの垂れ幕がなかったら、この作品は全然違う味に仕上がっていると思う。

 「俺様大勝利!! してやったり!!」単純で明快な答えです。人類は負けてしまったのですね、吸血鬼に。でも明るい気分になれるのはなぜ(笑)。

 今日は久しぶりに上手前方席で見ました。前方のなにがいいって、やっぱり表情とか雰囲気がダイレクトに伝わってくること、それとダンスの迫力です。

 「抑えがたい欲望」は、伯爵の姿がぼーっと浮かび上がった瞬間に、胸にせまるものがありました。まだ歌ってもいないのに、そこに立っているだけで訴えてくるものがあります。

 「いつの日か世界が終わるそのとき」というフレーズ。これを聞いた瞬間、伯爵の後ろに宇宙空間が広がるのを見たような気がしました。あと50億年経てば、太陽は膨張して地球はそれに飲み込まれる。世界が終わるそのとき、やっと伯爵は自由になれるんだろうか。墓石に座り、幸せだった過去を回想することでやっと痛みに耐えている伯爵の体は、そのとき粉々になって、意識だけはあの輝く髪の娘と結ばれるのだろうか。

 

 今から100年後、この劇場にいる人は全員存在しなくなっている。それでも、命は受け継がれて次世代の人間が生活を営み、いつもと同じように太陽は昇り、誰かがミュージカルを見て笑っているのかな。などと、そんなことを考えてしまいました。

 「自由にもなれず燃え尽きることもできず」この言葉が胸に沁みます。伯爵に、自分自身をオーバーラップさせてしまいました。精神的に動けなくなる状態というか、もう前にも進めない、後戻りもできない。途方にくれて、ただそこに存在するしかできない真っ暗闇。辺りには誰もいないし、道しるべもない。

 それでも時間は流れていくのですよね。伯爵が、鐘の音に導かれて城へ戻るように。

 「そして神を信じるのだ」という言葉に含まれる苛立ちには、共感します。たぶん伯爵自身も、神様に救いを求めていた。でも救われなかった。だから同じように神を信じる人間の愚かさに我慢がならないのだろうと思います。救われたい、信じたい。その一方で、救われなかった、報われなかったという怒り。

 複雑な感情が山口さんの声に乗って、激しく心が揺さぶられました。

 

 今日のダンスで注目したのは、伯爵の化身として踊る新上裕也さんの指。カクカクした動きが非人間的で、まさにヴァンパイアという感じでした。指先にまで神経を集中して、全身で踊る姿は鳥肌ものです。遠くから見ると全体の動きしか見えないけど、近くで見たら指が気になってしまって。今日はずっと指を見てました。恐ろしい怪物の動きなんだけど、美しいのです。

 残りチケットを数えるのが寂しい。毎日でも見たい舞台だと思いました。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その13

 7月20日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレも含んでおりますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 7月19日のブログに書いた教授の「早く私を・・・」の台詞。あれは、もしかしたら私の勘違いで、最初から2回同じような台詞があったのかもしれない。今日も2回言っていた。あのシーンは全体的に、その日によって多少言葉が違うことが多い。だから私の記憶もおぼろげで、自信がない。変なこと書いてしまって、市村さん、すみませんでした(^^;

 

 アドリブは、どこまで役者の自由裁量に任されているのかなあと、考えてみた。あんまり台本から逸脱してしまうと、注意を受けたりすることもあるんだろうか?脚本を書いたクンツェさんは、言葉の細かいところにこだわりがありそう。この話自体も、いくらでも深読みできるように、きっちり計算された構成の上に成り立っているように思う。

 聞いた話だが、脚本家の橋田壽賀子さんは、台詞に関して一文字も逸脱することを許さないとか。演技力を求めるよりも、いかに正確に台詞をしゃべるか、を重視するという。この場合、役者さんは大変だ。感情にまかせて演技をしたら、多少は台詞が違ってくることもあるだろうに。大筋で間違っていなければ、意味が通じればそれでいいと素人の私なんかは思ってしまうのだが、脚本家だから「言葉に対するこだわり」が人よりは余計にあるのかなあ。

 霊廟シーンは、市村正親さん演じる教授が、上手に場を支配していて楽しい。その日のお客さんによって笑いのポイントは違うし、アルフレートの移動の速さも微妙に違うから、教授がそれに合わせて台詞を変えたり、間を変えたりするのはさすが。かっちり毎日同じことをやっていたら、ああいう楽しい雰囲気は出ないと思う。

 アドリブといえば、ヘルベルトがアルフレートに迫るシーンも見逃せない。毎回、少しずつ趣向が違うから笑える。お風呂のカーテンが開いたとき、どんなポーズでいるか、というのがまずポイント。あの長く、美しい足が露になったとき、客席から笑いがおきるのは、毎回共通しているけれど。

 ちなみに今日は、教授に撃退されて逃げていくとき、負け惜しみっぽくお尻ペンペンをしていた?ように見えた。これは新パターン。B席から肉眼で見てるから、あんまり細かいところはわからなかったけど、そんなふうに見えた。

 山口さんにも、もっと弾けてほしい場面があります。それは、一幕の最後。クコールが伯爵にすりすり甘えるシーンです。もっともっとぶっ飛んじゃっていいと思うのですが、駄目ですか(笑)。あの場面は、消化不良なんです。あんなにクコールが甘えてるのに、比べたら伯爵は冷静すぎ。初めて見たときは甘い声だと思ったけど、日が経つにつれてクコールとの感情の差が明らかになってきた感じ。もっと思い切り、こっちが引くくらい甘~い声で、そしてしぐさで「くぅこぉおおおる」とやっちゃってください。あの甘さじゃ足りません。最近は、あっさり気味でクコールが可哀想。あれだけ派手にパフォーマンスしているんだもの、それ以上に乗ってあげないと気の毒だし、見てるほうも暴走する伯爵を見るのが楽しみなので。

 あっさりにしたい気持ちはわかりますが。だって、「昼間は何もできません」だって、このところずっと、変なアクセントをつけずに普通に言ってますもんね。その後の流れを考えて、敢えて笑いに走らない方向へ行っているのでしょう。

 でも、いいんですよ。行っちゃってください。あそこは思いっきり笑うシーンでいいと思う。その後、「アルフレート」と鋭く呼ぶ一言だけで、空気は真剣なものになるから。もう、そこから先は息をするのも勿体無いくらいの勢いで集中して聴いてます。

 

 「老いぼれに頼るな」のときのポーズが好き。ロングトーンをこれでもかとばかりに披露して、悠然と歩き去る姿が好き。そして、振り返ったときの力強さが好き。

 伯爵にはすっかり心を奪われてしまいました。 

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その12

 7月19日、ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレも含んでおりますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 再演がないことも、CD発売の予定がないことも、伯爵のかっこいいポスターがないことも、すべて許せる気持ちになってきました。この作品は、今、この瞬間を楽しむためのものだなあと思うからです。再演がないということは、出演者の心境にそれなりの影響を及ぼしているでしょう。8月が終われば、2度とこの歌を歌うことも、踊ることもないのです。そう思えば、1回の公演それぞれが、すごく貴重で愛おしいものになるはず。CD発売・・・発売されても私は買わないですね。そのお金で、1回でも多く通う。劇場で体感するものと、CDで聞くのとでは、全然違います。

 伯爵のポスター。あの、入口の柱に貼ってある巨大ポスター、発売されれば欲しいなと思ってましたが、やっぱりいらない。その分、1回でも生の歌を聴いて、その空気を胸に吸い込みたい。最後に出てくる「俺様大勝利!!」顔のグッズも、前は欲しいと思ったけど、今はいらない。いいんです。舞台の映像を、心の中に焼き付けるから。絶対忘れないと思う。

 舞踏会の夜、吸血鬼達を見下ろしながら「それで満足か?」と煽る伯爵が素敵でした。微妙にリズムをとって、体を揺らしているんですよね。それが決して大きな動きではなくて、だからこそ目が離せない。なんだか妙に気になる。

 そして、「抑えがたい欲望」は圧巻でした。私はこの歌詞のセンス、最高だと思います。「この私がわからない自分でさえ」というところで、いつも胸がいっぱいになるのです。

 自分を知るって、本当に難しいことだと思うから。幸せも不幸せも、自分を知ることから始まるのではないかと思います。

 伯爵がこの言葉を叫ぶその背景に、どれだけの苦悩の時間が流れたんだろうと思うと気が遠くなる。

 幸せが輝けばそれだけ、失ったときの影は深くなる。その落差の前に、呆然と座り込んでいる伯爵が痛々しかったです。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その11

 7月18日マチネ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレも含んでいますので未見の方はご注意ください。

 仕事の調整をしながら連日の観劇、さすがに疲れがみえてきました(^^;今日は少し体調が悪く、一幕の途中で帰ることを検討するくらいでした。でも久しぶりの良席。一階前方下手で見られるのは限られた日しかありません。

 見ているうちに、だんだん私の体調も回復。恐るべし、ヴァンパイア効果。カーテンコールの頃には、8割方回復です。最後まで見られて本当によかった。「抑えがたい欲望」が聞けて本当によかった。

 今回気付いたのは、教授の台詞違い。わざとなのか、アドリブなのか、うっかりなのかは不明。いつもと違うところが少なくとも3箇所。その1つで特にドキドキしたのが霊廟シーン。「早く私を・・・」の台詞を、本来言うべきタイミングよりずいぶん早く言ってしまって。その言ってしまったタイミング自体は、話の流れからいって全然おかしくはないのだけれど、そこでその台詞を言ってしまうと、本来言うべきタイミングのときに空白ができてしまうわけで、作詞するのかな?と注目して見守りました。

 結局、先ほどと同じ台詞を少し装飾するような形で言っていました。違和感なし。さすがプロです。

 プロと素人の差って、なにかアクシデントが起きたときに現れるのかなあと思いました。前回の山口さんもそうだけど、台詞がとんで頭が真っ白になった状況でも、全然慌てない。その場で登場人物になりきっていれば、なんらかの言葉は勝手に出てくるわけです。もちろん、台本にはない、自分というフィルターを通したものですけど。堂々と、観客に気付かせることなく演じきるというのは、さすがプロの技だと思いました。

 山口さんは、「抑えがたい欲望」の最後、ブレスを入れずに一気に歌いきっていました。ここ、ブレスを入れるパターンと入れないパターンと、その日によって変えてるみたいなんですが、私は入れないパターンが好き。限界まで細くなった声が、途切れることなくふわーっと広がって豊かに爆発する、その一連の流れが好きです。これができるのは山口さんしかいないから。

 久しぶりの前方席ということで、表情がよく見えました。やっぱり「粉々になって」「お前を呼んでる」のときの表情は素晴らしいですね。あと、牧師の娘のときに下手からよく見えるお顔が・・・極上でした。噛み付き前後にサラを抱きしめる腕や手の動きは、あんまり色っぽくなくて、いかにも「お仕事です。きれいにみえるようにがんばってるよ!」というのが伝わってきて、微笑ましかった。遠くから見るとセクシーですが、近くで見ると計算がみえる。感情におぼれず仕事に徹する、これもプロの仕事ですね。まあ、いちいち若い娘さんに反応していたら、役者の仕事なんてやってられないとは思いますが。

 サラと見つめあうシーン、かすかに首を傾ける顔がこの日の一番の衝撃だったかもしれません。もうね、なんて顔するんだ・・・というくらい優しいお顔。下手はその顔がよく見えるので、釘付けでした。

 同じ事を考えていたのは、私だけではなかったはず。なぜなら、伯爵がニコッと微笑んだ瞬間、私の周囲の観客から(複数)ため息のような、悲鳴のような小さな声が漏れたから。あの表情をまともに見てしまったら、みんな同じこと思うんだろうな、という実感がありました。

 不気味だの、恐怖を与えるだの、そういう従来の吸血鬼像とは全く違う。なんて明るく優しく笑うんだろう。その一方であの「抑えがたい欲望」を歌うんだから、内面に抱える闇はどこまでも深い。先にあの歌を聴いてしまっているからよけいに、あんなふうに微笑む伯爵を見てせつない気持ちになるのです。

 「昼間は何にもできません」は、やっぱりさらっと流してました。これからはこのパターンでいくんだなあと思いました。あそこは、遊び過ぎないようにしているのかも。その後のアルフレートへのお説教へつながる流れを作るために。

 スポンジを取ろうとすがる、アルフレートをはねつける動作が好きです。格の違いを見せつけている感じで。あの動作一つを見ても、伯爵とアルフの勝負の行方がわかる。あの伯爵に勝てるわけがない。サラもアルフも、伯爵の手の上で踊らされる。

 「欲望に従え」という言葉、今の私にはずっしり響く言葉です。変な意味でなく、自分が本当に好きなこと、やりたいことはなんだろうなあ、て考えるのです。今年に入って、運命の流れがずいぶん変わってきたことを実感するけれど、今この時期に、こういう作品が上演されて、それを見ることができる状況。

 これも一つの必然かなあと思うのです。我慢することは得意だしずっとそうしてきた。欲望に従う、なんてもっとも自分がやってはいけないことのような気がしていた。でも、それは違うんじゃないか?

 日々「欲望に従え」という伯爵の甘い歌声を聴き、フラフラと帝劇に通いつめながら、真剣に考えています。