2005年3月30日(水)18時 帝国劇場にて 1階A席
山口さん演じるバルジャンに、涙・涙の観劇となりました。泣きすぎて、疲れきって、家へ帰ったらバタンキューで眠りました。
今回の司教さま、なんとなく迫力がないなあと思ったら、高野さんじゃなかった。残念。あの独特の迫力は、高野さんにしか出せないものなのか。今回演じていた方も、決してだめではないんだけど、あの高野さんの声にある「説得力」がないのだ。
エポニーヌ。見ているときに、「あれ、ANZAさんうまくなったなあ。女の子らしい甘さと同時に気の強さが出てきた?」と思って、後で香盤表を確認したら、新妻さんだった。新妻さんの演じるエポはやはりいい。
リトルコゼット。今日の女の子は、正直、それほど歌がうまい子ではなかったと思う。でも、そこがよかった。不安そうな、警戒心を秘めた声。リトルコゼットの場合、歌がうまいと逆にダメなんだなあということを再認識した。一生懸命うまく歌おうとすると、その姿勢がコゼットのキャラから逸脱してしまう。
考えてみると、幼いながらも、テナルディエ夫妻ではなくバルジャンを親として選ぶ決断は、勇気のいるものだ。初めてあった大男のバルジャン。優しい言葉をかけてはくれるものの、彼女はバルジャンを、最初から全面的に信頼していたわけではないと思う。
テナルディエの元で暮らすことに、限界を感じていたということ。そこが出発点だ。
山口バルジャンがリトルコゼットに歌う歌は、優しさにあふれていてうっとりしてしまう。森から宿へ帰ってくるとき、慈愛に満ちた声が、テナルディエの姿を見て嫌悪感に変わっていく。取引を終え、「~どこか二人の空」と歌うときの、バルジャンの幸せそうな声。不器用な手つきで、コゼットに旅支度させるときは、いつもどきどきする。間に合わないのではないかとハラハラしてしまう。
コゼットを抱き上げ、ぐるぐると回転するシーン。いったん下ろして、仲良く手をつないで、それから向かってくる人々の群れから守るように、また抱き上げて去っていくあのシーン。大好きです。
コゼットを抱き上げて、まっすぐに歩いていくバルジャンの背中が、ことさら大きく見えます。背中で語っているのです。「この宝物を、絶対に守り抜く」と。
このレ・ミゼラブルという舞台。出ている方々はみな、さすがと思う人ばかりなのですが、舞台というのは不思議なもので、うまさだけではない、なにかキラリと光るものを持った人が目立つのですね。その「キラリ」は、練習すれば得られるものではなく、天性のものなのだと思います。芸術の神様が微笑んだ人には、なにか特別な力が宿るのでしょうか。
その「キラリ」は心にズシンと響きます。