オペラ座の怪人(映画)を語る その11

日劇で、再び「オペラ座の怪人」が上演されている。4月30日から5月6日まで。短い期間だけど、こうしてまた映画館であの重厚な音楽に浸ることができるのは、なんて幸運なことなんだろうと思う。

 さっそく行って来ました。以下、感想です。ネタバレ含んでいますので、未見の方はご注意ください。

 結局これで6回見たことになる。今回は、クリスティーヌを抜きにして、ラウルとファントムに注目して見ました。「ラウルの方が、ファントムよりも歌がうまい」という意見を耳にすることがあったので、本当にそうかな?と考えながら見た結果・・・・。うん、確かにそうかも。

 ラウル役のパトリック・ウィルソンには、余裕があります。どこをどう歌えばいいか全部わかっていて、自分の持ち味も全部わかっていて、優しくクリスティーヌを包み込む感じ。All I ask of you の場面などは、ラウルだってファントムに負けない音楽の天使ぶりを発揮しています。

 ファントム役のジェラルド・バトラー。決して下手ではないんだけど、音楽の師匠としては、少し物足りない感じもするかなあ。何度も見ているうちに、見方が厳しくなってきたかもしれない。声だけで、音楽の技術だけでクリスティーヌを魅了できるかどうか。それは疑問。

 ただ、クリスティーヌが映画の中で、どんどんファントムに惹かれていくあの気持ちは、本物だと思った。それは、音楽というよりもファントムの魂そのものに、彼女は魅入られていったと思う。ジェラルド・バトラーが持つ心の痛みや苦しみに、クリスティーヌ役のエミー・ロッサムが触れて、母性本能が芽生えていったのかもしれない。

 ジェラルド・バトラーがアルコール依存症だったと聞いたとき、「ああそうだったのか」と思いました。あんなにかっこよくて、歌もそこそこ歌えて、だけど彼は彼なりの痛みを抱えた人だった。だから、クリスティーヌを見つめる目が、悲しかったんだ。マスカレードのシーン。小さな子供のような、寂しい目をしていたのには、それだけの背景があった。

 ジェラルド・バトラーに対してパトリック・ウィルソンをキャスティングしたのは絶妙です。まさに、陰と陽、光と影。どこかに満たされないものを抱えた男と、順調にスター街道を走ってきた男。この対照が物語に色を添えるのです。

 この映画は、ジェラルド・バトラー版「オペラ座の怪人」です。音楽の魔人としてのファントムではないけれど、ジェラルドが演じたファントムの悲しみは、観客の心を十分に捉えるだけの力を持っていた。また別の人が演じたら、それはそれで、全然また別の物語になっていたはず。

 例えば。私は映画よりも舞台よりも先に、劇団四季のCDで「オペラ座の怪人」を聞きました。それは山口祐一郎さんがファントム役でした。ファントムとラウル、そしてクリスティーヌがそれぞれの心情を歌う最後のクライマックスシーン。これでもかとばかりに妖しく美しく、ラウルにみせつけるかのように、余裕たっぷりに歌い上げるファントムに対し、ラウルの歌は無骨でした。歌や芸術のことでは、到底ファントムにはかなわないラウル。だから彼は、ただ大きな声で、精一杯の気持ちをこめてクリスティーヌへの愛を歌いました。その対照がとても印象的で、私の心に深く残りました。

 今回の映画は、そういう意味ではCDとは全く違うファントム像、ラウル像だったと思います。何度見ても、すばらしい映像でした。映画でなければ描き出せなかった世界です。また少し時間をおいて、劇場で見ることができればいいなあと思います。オペラ座ファンのリピーターはたくさんいると思うので、興行的にも成り立つと思うのですが・・・。この時期に、こういう作品に出会えたことに、感謝です。

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