マリー・アントワネットを自分が演出するとしたら(妄想篇その3)

 前回の続きです。舞台『マリー・アントワネット』のネタばれを含んだお話ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 後、気になるのは、最後のギロチンの場面。巨大なギロチンと、血のりを連想させる赤い塗料。これはあまりに不気味すぎるし、その下に横たわったマリーの姿も生生しくて、観劇後の気分が真っ暗になる。

 そのものずばりを舞台上に再現する必要は、あるのだろうか? たぶん、衝撃の大きさを観客に伝えようとしてのことだろうが、あまりにも残酷すぎるように思う。

 私だったら敢えて、ギロチンの刃は使わないだろうなあ。処刑台に向かう、後ろ姿で終わる、とか。後は想像力におまかせします、みたいな感じにしてしまうかも。刃や、そこに横たわるマリーの図は、見る側がきつい。ショッキングすぎるように思うから。

 それよりも、宮殿のパーティーシーンをもっと華やかにできないのだろうか。見ている側が、うきうきしてくるような楽しげな宴ならよかったのに。衣装が、地味に感じてしまった。娼館の女性たちの衣装の方が、派手だったような気がする。

 もちろん、高貴な衣装だからこそけばけばしい色合いを使わないという理屈もわかるのだが、それにしても。

 マリー・アントワネットというタイトルから、華やかな舞台を想像して見に行く観客も多いと思うので、もし私が演出するならもう少し、貴族たちの衣装を濃い色にすると思う。

 そして、その中でも主役のマリーは特に、目立つようにしたい。遠くから見ても一番目をひくように。

 民衆の場面は逆に、茶色や黒で統一して、その落差を強調する。華やかな世界を支える民衆の、虐げられた生活。その代表となるマルグリットの悲しみや怒りは、2つの世界の落差が大きければ大きいほど、観客の胸に迫ると思う。

 私は、『エリザベート』より『マリー・アントワネット』の音楽の方が好きだ。「幻の黄金を求めて」や、「100万のキャンドル」「すべてはあなたに」が特にお気に入り。今挙げた3曲のうち、後ろの2曲は東宝の公式HPで聴ける。

 『エリザベート』があれだけ人気なのに、どうしてMAはいまいち受けが悪いのだろうかというと、やはり、演出と脚本に改良の余地があるからじゃないかという気がしてならない。

 「すべてはあなたに」なんて、すごく美しくて聴いているとうっとりしてしまう。静かな曲の中に、熱い思いがこめられているのが伝わってくるのだ。井上芳雄フェルセンの熱さが、涼風真世マリーの熱さを若干上回っているところがまたいい。お互いを思う気持ちが均等でなく、フェルセンが追いかける形なところがドラマチック。

 この曲を最大限効果的に使って、マリーとフェルセンの世界を作り上げたら、かなり女性好みの舞台になると思う。

 この公式HPで笹本玲奈さんと新妻聖子さんの歌声を聴き比べてみた。私は断然、新妻さん派である。笹本さんも歌はうまいけど、爆発するような感情の流れが直に胸に響くのは新妻さんだ。マルグリットという役に、新妻さんはぴったり。

 「その目を逸らすなら神の天罰を」と歌う純粋さ。なんの迷いもないその正義感がそのまま、強いエネルギーになって体全体からあふれだす。マルグリットはそういう女性だと思うし、そういう女性だからこそ、この物語が成り立つのだ。

 帝劇の凱旋公演で、カリオストロの新曲が追加されると発表されて数日。私の周囲の山口祐一郎ファンはみんな、怒っている。怒りながら、それでもチケットを追加しようと考えている(苦笑)

 私もそうだ。実は凱旋公演には行かないつもりだったが、追加曲があるなら1度は行こうと思い直した。

 怒っているのは、広告に「山口さんが歌うならあなたたち買うんでしょ?」的なメッセージを感じたから。否定はしないけど、(実際私は、追加曲があるからこそチケットの購入を決めたわけだし)やはりいい作品を見たいのですよ。急に追加なんて、それで作品全体のバランスはどうなってしまうんだろう?

 もともとお休みだったところにお稽古が入るのも気の毒だし、全体的なバランスを考えたら不安の方が大きい。全体的に変更があるとしたら、山口さん以外のキャストも休日返上でお稽古するだろうし、全員の日程が確保できるんだろうか?

 山口ファンの友人は、演出の栗山さんに不満をもらしていた。でも私は、栗山さんというよりも東宝に対して、もうちょっとうまくやってほしかったなあと思った。だって、栗山さんには栗山さんの世界観があると思うのだ。なにも、駄作を作ろうと思ってやっているわけではない。栗山さんの考える最高の舞台が、今回のMAだったわけで。100人いれば100人のセンスがあるし、それはそれでいいと思う。

 ただ、なるべくたくさんの人の共感を呼ぶ、また来たいと思わせる舞台という意味では、今回はちょっと、向いてなかったのかも。

 せっかく日本発のミュージカルということで、構想期間が長かったのなら。もう少し慎重に作れなかったのかなあと思う。プレビューを設けて、お客さんの反応やアンケートを見ながら改良する時間を用意しておくとか。

 音楽も素晴らしいし、描こうとする世界も普遍の真理。日本を代表する素晴らしい俳優がそろっているんだから、もっともっと、いい作品にできたんではないだろうか。もったいない気がする。

 そして私は複雑な思いを抱えながら、なんのかんの言いつつも結局、凱旋公演には行くのである。ただし、1回ね。もしいい舞台だったら、またチケットを追加するかもしれない。去年の帝劇を上回る、素晴らしい舞台に進化していることを、祈っている。

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