『マリー・アントワネット』観劇記 その6

 帝国劇場で凱旋公演中の、『マリー・アントワネット』を観劇してきました。以下、ネタバレを含んだ感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 博多、そして大阪での公演を経て、再び東京へ帰ってきたこの舞台。カリオストロの新曲も加わったということで、どんな曲かな?と、期待半分・心配半分の気持ちで行ってきました。

 新曲「ILLUSION−或いは希望−」の感想は・・・・。

 はっきりいって、がっかりでした・・・・。正直、この曲が入る必要性を、全く感じなかった。なぜここでカリオストロがこの曲を? しかも歌詞の意味がよくわからない。

 人間たちを、実験材料にして操る不思議な存在、カリオストロ。

 人智の及ばぬ世界に生きている、超越的な雰囲気が魅力だったのに、この先のことは自分にもわからない、みたいなことを歌っていて。

 わからないならわからないで、それを楽しむ不敵なところがあればまだいいのですが、なんだかとても「人間的」になっていたような。

 カリオストロが、ごく普通の人間的価値観で動くようになったら、面白くもなんともないんじゃないかと思いました。

 真剣に考えましたよ。

 この作品に、果たして彼は本当に必要なのかと。カリオストロも、運命の神の手先に踊らされる小さな存在だとしたら、カリオストロがカリオストロである存在理由はなんなのかと。 

 この舞台の中で、あまりにも浮いた存在になっていたような気がします。

 折々に、ちらりと姿をみせては人間たちを操るようなしぐさを見せるのに。あれは一体なんだったんだろう。今までの存在理由を、自分で全否定するような「新曲」だったような気がしました。

 聞けば聞くほど意味不明な歌詞は、とてもクンツェさんの作とは思えず・・・。あのダンス・オブ・ヴァンパイアの見事な吸血鬼像を描き出した人と、同一人物? 哲学も、深みも感じませんでした。

 曲に関しては、難しい曲だなあと思いました。それも、張り上げる系の箇所が後半たくさんあって、喉への負担が大きそう。

 無理に見せ場を作ろうとして、たくさん並べてみました・・・みたいな。

 名曲ならともかく、あの歌詞で、あの曲で歌うのは・・・・歌い手が可哀想だと思いました。これは別に私が山口ファンだから言うのではなく、誰が歌っても同情したと思います。負担が大きいわりに、心に響かないから。そのことは、歌ってる本人が、一番わかっているのではないかな、と思いました。

 とりあえず今日はあまりにも脱力してしまったので、この続きはまた後日。

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