『マリー・アントワネット』観劇記 その8

 帝国劇場で現在上演中の舞台『マリー・アントワネット』についての感想です。ネタバレも含みますので、未見の方はご注意ください。

 

 そういえば、主役のマリー・アントワネットに関してあまり書いてなかったなあと思ったので、涼風真世さん演じるマリーについて、感想を少し。

 私は涼風さんの演技と歌、素敵だと思いました。そして、『エリザベート』を涼風さんで見たいなあと思ってしまいました。一路真輝さんが演じたのとは、また違うシシィが見られると思います。

 涼風さんの持ち味は、天真爛漫さでしょうか。少女時代のマリーの無邪気さが、心地よく伝わってきます。嫌味がないというか、天然というか。去年の帝劇公演時より若返っているような。

 無理に子供っぽく演じようとするあざとさがないのは、涼風さんご自身の持ち味かなあと思いました。元々大人っぽい人が無邪気さを表現しようとすると、どうしてもわざとらしさが出てきてしまうけど、涼風さんは大人っぽいというより少女のイメージ。

 

 だけど裁判所のシーンで、母として毅然と法廷に立つ姿は凛々しかった。その落差に、感動がありました。ただ笑っていただけの少女時代とは違う、成長したマリーの姿がそこにはあったと思うので。

 井上芳雄さんがフェルセンを演じていたとき、実際にはかなりの年齢差があったのですが、2人とも若々しくてよく似合っていたと思いました。今拓哉さんの演じるフェルセンを見たとき、初めて井上フェルセンのよさに気付いたといってもいいかもしれません。ああ、そうだったのか・・・みたいな。

 2人とも無邪気で、太陽のように明るくて、恵まれた環境に育ってきて。お互いがお互いの、そういう暖かな部分に惹かれあったのかなあと。若いから、一度炎がついたら、感情が燃え上がるのもよくわかりますし。

 今さんの、大人の男なフェルセンを見たとき、「こういう人がマリーを愛するかなあ。マリーも、こういう人に惹かれるかなあ」と、少し疑問に思ったのです。

 MAという作品。私はあまり好きではないのですが、不思議なことが一つあります。それは、私にとっては、MAもエリザベートも、同じように感じるのですが何故か、『エリザベート』は人気の演目なのですよね・・・・。

 私が『エリザベート』が苦手な理由は、主役のエリザベートに共感できないからです。見ているうちに、腹立たしくなってしまうのです。そのあまりのわがままっぷりに。

 宮廷に自由がないと嘆くけれど、実際庶民になったら、それはそれで文句タラタラだったような気がする。贅沢はしたい。特権は手放したくない。美貌に執着する。その一方で、子供の気持ちは放ったらかし。

 私は一路真輝さんの演じるエリザベートは苦手です。なぜかというと、一路さんの真面目さとか、聡明さが歌ににじみ出ていると思うので。そんな分別のある女性が「私は自由にやりたいの」みたいに歌うと、単なるわがままに思えてしまうというか。

 本当に自由が好きで、自由が得られるなら地位も名声もお金もいらなくて、ボロボロの服でも馬に乗って草原を走り回っていればそれで幸せ。そんなエリザベートなら、宮廷で暮らさざるを得ない状況に同情もするのですが。

 ちょっと言葉は悪いのですが、無邪気=愚か=ただひたすらに自由を求める、というエリザベート像と、一路さんのイメージが合わないような気がするのです。一路さんが演じると、賢明なお姫様に見えてしまうから。賢明なんだから、もっとちゃんと考えなよ、考えればわかるでしょう?という気分になってしまう。

 

 

 もしこれが、涼風さんだったら。まっすぐにひたすらに、自由を愛するエリザベート像になるんではないかと思いました。それこそ、真っ黒に日焼けして、貧乏でも構わない。だけど、誰かに指図されたり、窮屈な暮らしはまっぴら、みたいな。

 そういうエリザベートなら、きっと感情移入してしまうだろうなあ。彼女の前に、死の象徴であるトートが現れる意味もよくわかるし。

 なんでも演じるのが役者、とはいうものの、やっぱり持ち味が生きる役というのは、あると思うのですよ。その人が演じると、他の人の何倍も光輝く、というような。私は涼風さんのエリザベートが見たい。あと、花總まりさんのエリザベートも。花總さんは宝塚の娘役在位年数が異例だったんですよね。その個性が、舞台上でエリザベートという衣装をまとったら、どんなふうになるんだろう。

 一路さんで似合うだろうなあと思うのは、『風と共に去りぬ』のメラニーですね。タイプでいったら、スカーレットではなくメラニーだと思う。スカーレットは、やはり大地真央さんかな。

 なんだかMAの話から脱線してしまいましたが。

 MAに話を戻すとして、私がMAを苦手とする理由。華やかさにかける・・・というのも一つです。絢爛豪華な貴族たちのパーティー等々、想像していたのと実際に見たものとが違いすぎた。

 もう少しドレスや舞台装飾など、豪華に(実際はまがい物でも)できなかったのかなあ、というのが残念です。せっかく帝劇での公演なのに。帝劇に見に来る観客は、『マリー・アントワネット』というタイトルに、そういうキラキラしたものを求めていた人が多いと思う。

 ドレスの色を、もっと鮮やかにするだけでもずいぶん印象は違ったでしょう。「楽しさ」というエンターテイメントの部分がもう少しあったらなあ。残念です。

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