舞台俳優、山口祐一郎さんの話。
あくまでも私の個人的な人物評です。
「オペラ座の怪人」CDを聴いている。やはり山口さんはラウルではなく、ファントムだよなーと思う。つくづくそう思う。
私が山口祐一郎さんのファンになったのは、「女神の恋」がきっかけだった。最初は、うす暗いキッチンの、どこか異国風な空気の漂う中で、食べ物に法外な値段をふっかける嫌~な奴という印象しかなくて。
ちっともカッコいいと思わなかった。それどころか、嫌悪感さえ感じた。それが、ドラマが進むにつれ、どんどん惹きつけられてあっという間に大ファンに。
ただね、別にそれだけなら、それで終わっていたと思う。その後見に行った「レ・ミゼラブル」が凄かったのよ。
「先も見えない闇を這い出そう」「ジャンバルジャンは死んで生まれ変わるのだ」このときの、怨嗟と絶望の中に光を見出した生命力、みたいなもの。
山口さんの人生にも、そういう瞬間があったんだなあと思いました。理屈じゃなくてね、伝わってきたものがあったというか。
いや、俳優さんだからわからないですけどね。そういう演技なのかもしれないし。それは私が勝手に思っただけのことですが、でも私はそう感じたのです。その迫力に心を打たれました。
それは2003年の夏です。そして2007年のレミゼ。私は初日しか観てませんが、ああ、変わったなあと思いました。
4年の月日が確かに流れて、山口さんは激しさというより、受容や悟り、そういうものを身につけたのかなあって。
激しさよりも、怒りよりも。そこを通り越した穏やかさがあったような気がします。それは2003年にはなかったバルジャン像でした。
年を、とったんだなあと思いました。山口さんも、それを観ている観客の私も。
演劇は、見る側の心境によっても、全く違った空気を生み出すと思うのです。あれから確実に4年の月日が流れて、もう、2003年のときのバルジャンも、それを観ていた私もいないなあと、そんなことを思うと少し寂しかった。
私は正直、2003年のバージョンの方が好きです。
それは、高野二郎司教の存在も大きかったと思います。2003年から今までに見たレミゼのキャストの中で、一番いいなあと思ったのが高野司教。
バルジャンを導くだけの強さがあったから。声量も技術も、山口さん以上のものがないと、バルジャン改心につながる流れの、説得力がなくなります。それに、山口さんも、相手とのバランスを大切にする人なので。
声が弱い相手だと、それに合わせた声量になってしまって、迫力に欠けてしまう。
銀の食器を持って逃げたバルジャンを、諭し導くだけの厳しさがあるかどうか。これって、司教様の腕にかかっていると思います。高野司教はよかったなあ。まさに、理想の配役でした。あの場を征していたのは確かに、高野司教でしたもん。
山口バルジャンが呆然として言葉を失ったのは、優しくされたからじゃありません。その優しさの源である、圧倒的な力に包まれたからだと思うのです。
強くなければ優しくなれないっていうのは本当だと思う。
高野司教に出会ってからの、山口バルジャンの改心シーンが好きでした。「何ということをしたのだ・・・」に始まる激しい感情のうねり。
高野司教に触発されなければ、出てこない独特のものがあったと思います。
そして今私は、「オペラ座の怪人」CDのまだ若い山口ファントムの声を聴きつつ、今こそファントムをやってほしいなあと、そう願うのです。
昔、劇団でファントムを演じていた時代から10年以上の月日が流れて。もう若手ではなくなった山口さんのファントムが聴いてみたいです。
ファントムに若さは必要ない。むしろ邪魔。
ラウルの若さに嫉妬する要素が、ファントムには欲しい。
今だからこそ、歌える曲ではないかなあと思いました。ぜいたくを言うなら、5日に1度くらいの出演で。そうすれば、一つの舞台に集中できるから。ファントムの歌って、連日歌い続けられるほど軽いものではないと思います。本当に全力投球したら、終演後には立ち上がれないほど消耗するのではないかと。
ファントムを演じるのに必要な要素は、挫折体験と悲しみだと思いました。
劇団に所属して、意気揚々と主役を演じていた若き日の山口さん。そのときの山口さんがファントムを演じても、なんとなく「自信満々」という部分が勝ってしまっていたような感じです。実際、少なくとも仕事(作品)には恵まれた人だったと思うし、一番勢いに乗っていた時代のような。
今の山口さんにこそ、歌って欲しいと思いました。今から10年後でも、10年前でもなく。今、50歳の今だからこそです。
劇団を去った一連の出来事が、山口さんの心に大きな影を投げかけ、それは今も山口さんの一部となって存在し続けていると思う。
そして流れる年月のこと、その行き先にあるもの、そういうものを冷徹にみつめて理解している山口さんだからこそ。今ファントムを演じたら、きっと素敵だろうなあと思うのです。
そして、これは本当に個人的願望なのですが。クリスティーヌには、歌の上手い、山口さん好みの子を配役してくれたら最高だなあと。
歌が上手いというのは、とにかく最低条件で。
クリスティーヌが歌えなかったら、「オペラ座」の世界に酔えないです。顔は別に、特別美人でなくてもいい。歌は、光るものを持っている子で。
最初はおずおずと不器用に、それからファントムに導かれるまま、どんどん高音に挑戦し、それを次々にクリアし。そんな自分に驚き、自信をつけ、みるみる変わっていくその奇跡を、舞台で観られたらどんなにいいでしょう。
役者も人間なので。クリスティーヌ役に山口さん好みの子がきたら、熱の入り方もまた、違うだろうなと想像してます。ぜひ、ぎりぎりの擬似恋愛をしていただきたい。クリスティーヌ役の子が、最初から山口さんを好きである必要はないですけど。
何故なら、たぶん歌が上手い女の子で、光る才能を持っていたなら。恋愛感情などなくてもきっと、山口さんに憧れの気持ちを持つだろうと思うので。山口さんの歌、凄いですから。その芸の部分に尊敬と憧れの気持ちを持つのは、自然な流れだと思うのです。だから特に、男性としての好みが一致しなくてもそこはいいかなあと、勝手に思ってます。
愛情というなら、クリスティーヌがファントムを思うより、ファントムがクリスティーヌを思う方がよほど、大きいでしょう。
大きくて、痛くて、悲しくて、報われない。それが、ファントムの愛です。
ファントムは陰。ラウルは陽。音楽の天才であるファントムが、どうしようもない劣等感にとりつかれ、叶わぬ恋を歌うところに、「オペラ座の怪人」の真髄があると、私は思っています。だから、山口さんが恋するところが見てみたいなあ。残酷かもしれないけど、本当に恋愛してほしいです。それで、思いっきり歌って欲しい。
仕事とか舞台とか、そういうものを忘れるくらいの境地で。
ああ、でもこれが実現するとしたら、上演期間は1ヶ月が限度かなあ。あれだけの歌を、感情移入して歌い続けたら、精神的に相当参ってしまいそう。しかも5日に1度のみの出演だったら・・・すごいプラチナチケットになりそう。
山口さんは、影のある役者さんだなあと思います。ラウル役は、その立ち姿と声の美しさで「三国一のラウル」と言われたのだと、昔からのファンの方に聞きました。山口ファンの友達と話していても、「ファントムよりラウルの方が合ってると思う」という人が多かったです。
でも私は、ファントムの方が山口さんには合ってると思います。なにごともなく、太陽の当たる道を歩いてきたラウルに我が身を重ねるのではなくて。ファントムの方をこそ、より深く理解し、共感する役者さんではないかと、そう思っています。
同じバルジャンという役を演じても、2003年と2007年ではずいぶん違うのだから。今ファントムを演じたら、きっと以前とは違う怪人になるでしょう。そんな山口さんを観てみたいです。