『複雑な彼』三島由紀夫著

久しぶりに『複雑な彼』を読み直してみる。昔、夢中になって読んだ本。

おもしろいもので、本は時間を経てから読み直すと、全く違う感想を持つことがある。ついこの間も、10代の頃に大好きだったあるシリーズ物を読み直し、愕然とした。あの頃、あんなに魅力的に見えたヒーローが、無残なまでに色あせて見えたから。

そのシリーズの新刊を買うために、凍りつきそうな冬の日、お小遣いを握り締めて本屋さんまで自転車を走らせたのを覚えている。その日の風の冷たさ。体は冷えきっていたけど、続きの読めるうれしさで心は熱く燃えていた。ペダルを踏む速度が、もどかしいくらいだった。「早く読みたい」その一心で、本屋さんへ一直線。

『複雑な彼』に対する見方は、変わったかな?と自分でも興味津津でページをめくっていったのだが。

非常に面白かった! 最後どうなるのか、自分でも忘れていたのだが、この終わり方もすごくよかった!

直前に、同じ三島由紀夫の『剣』を読んだばかりだったが、とても同じ著者が書いたものとは思えない文体の違いに驚く。『複雑な彼』の方がかなり読みやすくなっている。そして安部譲二さんがモデルといわれる主人公の宮城譲二。

あまりのかっこよさに惚れてしまいました・・・。

以下、ネタバレ含みますので、未読の方はご注意ください。

強くて繊細な人が好きです。

三島さんの描く宮城のキャラクターが素敵すぎて、一気に読み終えました。

複雑な過去を持つ宮城譲二と、いいとこのお嬢様、冴子との出会いから別れまでの一連の流れを描いた作品です。安部さんがモデルになったのは事実でも、エピソードのほとんどは、三島さんの空想の産物だと思いました。

あまりにも美しく、夢のような物語だったからです。

少しだけ、私は「オペラ座の怪人」のファントムのことを思いました。砂漠の国の若き未亡人との一夜の場面など。なぜかと問われてもうまく答えられないのですが。

本の中の宮城の気持ちも、冴子の気持ちもどちらにも、痛いほど共感しました。お互いを探り合いながら、どんどん惹かれていく瞬間。興味のないふりをしながら、本当は背を向けて去りたいプライドがあるのに、それを許さない熱情。

読んでいく中で、一番好きな場面はここです。

>……なかんずく彼の手が彼女の手首の骨の突起に触れたときに、

>あまりいたいたしい気がして控えてしまったのだ。

宮城と冴子が一番近付いた瞬間で。しかしこれが最後でしたね。

もちろんその後も会う場面はありますが、2人の関係が一番高まった瞬間だったと思います。後はもう、落ちていくだけ。実質的には、それが2人にとってサヨナラの時だったのでしょう。

このときの宮城の気持ち、わかりますよ~。その優しさにうっとりです。三島さんの感性は、女性っぽいのかもしれない。もしくは私が、オヤジっぽいのかもしれない。

そのときの宮城の気持ちが、胸にしみました。

まるで自分が冴子を目の前にしたときのように。なんだかねえ、愛しくて愛しくて。あまりにも大事すぎて、自分なんかが触ったら、ひょっとして全てが夢で、その瞬間に全部消え去るんじゃないだろうかとか。

不安になってしまうのですよね。あんまり好きだから。

目の前に存在する人の存在に、どうしようもなく憧れて、賛美して、そして恐れずにはいられない、その感覚。

宮城がもう少し鈍感で大胆な人だったら、また違う結果になっていたかもしれません。でもそんな宮城だったら、私は好きにならなかっただろうなあ。

所詮、生きる世界の違う恋人だったのだと思います。長続きはしなかったでしょう。むしろ、同じ道を無理に歩こうとすれば、傷つくことばかり多かったはず。だから、結果としてはこれでよかったのです。

あくる朝。

約束を違えて現れない宮城と、泣き崩れた冴子。

自暴自棄になった宮城は、昔の彼女ルリ子に会いに行きますが、このときの淡々とした描写がなんとも言えません。

たくさんのことが書いてあるわけないけど、どうしようもなくせつない。状況がよくわかるから。

宮城とルリ子はどんなに近付いても、そこに心はなくて。

ルリ子は冴子の代わりにはなれない。ルリ子はそれを察して宮城を脅しますが、その嫉妬心の醜さがまた、せつないのです。

そんなことしても、手に入るわけがないのに。

そして宮城も、むなしさがわかっていてルリ子に会う愚かさ。それでも、一人ではいられなかったんだろうなあと思うと、冴子を失った喪失感の深さがうかがわれますね。

この作品はなんと、田宮二郎さん主演で映画化されたらしいのですが、これは映像化には向かない作品だなーと思いました。『複雑な彼』は、文章が醸し出す味を楽しむ作品ではないでしょうか。超絶二枚目が宮城を演じたとしても、それはこの、三島さんの文章以上の宮城にはならないはずです。

何度も読み返してしまう、名作でした。

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