「青い壺」 有吉佐和子 著 感想

「青い壺」有吉佐和子 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未読の方はご注意ください。

ずいぶん昔に出版された本だけれど、再ブームだと聞いて読み始めた本。時代を経て、新たに評価されたということは、それだけ本物だという証ではないだろうか。

読んでみて、これが、「偽物」の話だということが、感慨深かった。

高そうな壺、時代物の壺、という人の思いこみによって、次から次へと売られていく青い壺。でも、結局のところ、誰からも本当の意味で大事にされることはなく、結局は偽物のまま、壺の作者の目前へ舞い戻るのである。けれど、そのとき、壺の作者である省造は、今まで信じていた古美術鑑定の目利き、評論家の園田の鑑定能力が、お粗末であることを思い知る。

自分が作った壺を、中国の十二世紀初頭の作品と言い切る園田は、哀れですらある。その瞬間これまでの、牧田が園田に寄せていた信頼や尊敬の念は、ガラガラと崩れ落ちたであろう。園田がこれは本物だとむきになればなるほど、己の審美眼がお粗末であったと自白しているようなもので、二人の間の微妙な空気は、読んでいていたたまれなかった。

本の中で、印象的なエピソードを挙げてみる。

まず第二話の寅三。定年後の悲哀がせつなすぎる。奥さんに疎まれる描写もかわいそうだったが、副社長に歓迎されてない寅三も悲しい。そして、半年前まで勤務していた庶務課へ行き、元の椅子に座り、判を押し始める狂気の寅三。向けられる憐みの視線。臨場感があって、胸が痛くなってしまった。

とてもまじめに頑張ってきた人だろうに。こうしたことは、珍しい話じゃないんだろうなと。

しかも第四話で「この家に置くことはならん。僕は見るのも嫌だ」とまで、副社長に嫌われてるのがなんとも。そりゃプレゼントに青磁の壺って相手の好みを無視する暴挙かもしれないが、そこまで嫌うことはないだろう。そこまで嫌うってことはつまり、それは送り主である寅三への嫌悪であり、寅三が軽んじられている証拠なわけで。

寅三気の毒だなあ。同情してしまう。

第九話の、弓香の京都の話にも引き込まれた。女性同士の旅で、大勢だから皆のやりたいことがバラバラなのも、よくある話。

私は三恵子の怒りが当然だと思ったが、ただ高齢者の旅にいろいろ訪問先を詰め込みすぎるのも、失敗なんだよね。疲れちゃうから。

高くていいから、雰囲気のいい料亭でおいしいものを少しだけ食べたい。量は食べられない。あとは豪華な旅館の部屋で、日常を忘れて同年代の友人とおしゃべり三昧。

それが、御一行様の多数派意見だったんだろうなあ。そもそもお金に余裕のない人は来てないだろうから、安くしなくちゃという気遣いは無用。みなさん、いいお年なのだし、お金は持っているのだろう。

でもそんなお金を持っていて、運転手までついてくる弓香が、安さにつられて別に欲しくもないであろう青磁の壺を買ってしまうところに、人間の業を感じる。

欲しくないけど安いから買った壺は、あっさり孫の悠子へ。そりゃそうだ。弓香にとって青磁の壺は、思いのほか安く買えた掘り出し物、以外の何物でもなく。思い入れはないのだから。

第十二話のシメが、実は一番幸せで、物の価値がわかっている人間なのかもしれない。シメは青磁の壺ではなく、バラに夢中。バラの花びらで枕を作るだなんて、優雅な作業だなあと思う。

きらびやかなタレントも、お金を持っているであろう弓香も、気難しい老人(後に出てくる評論家の園田)も、健康を害して病院のベッドの上では幸せそうには見えない。

シメの朴訥な方言、まじめな働きっぷり、そしてその上に築かれたささやかな幸せが暖かい。園田が青磁を手に入れながらも、終始ピリついて幸せそうに見えない一方で、本当に好きなもの(バラの花びらの枕)を作る幸福なシメの姿が対照的だ。物の価値を、一番わかって享受しているのって、全編通して、実はシメじゃないかと。

青磁の壺を、美しいと皆ほめたたえるけれど。みんな、その美しさの向こうにある、お金という価値(時代物で高い)にとらわれて、その幻を美しいと思い込んでいるのではあるまいか。その証拠に、皆、たやすく青磁の壺を手放してしまう。大事に眺め、大切にしまっている人が誰もいないんだよなあ。

だから青磁の壺は落ち着かない。人から人へ、次々と持ち主が変わっていく。本当に壺を愛している人はいないから。

あげく、最後の「自分もこれからは作品に刻印するのはやめておこう」という省造の宣言は、これからも偽物を作り続けます宣言で、いかにも肖造らしい。究極の美しさを求める本物の芸術家なら、絶対に吐かないセリフ。

だが、そんな省造が作った青磁の壺だからこそ、同じような「偽物」の魂をもつ人たちの琴線に触れたのだろう。

とても面白い本でした。

「地球大暴露」スタントン菜穂 著 感想

「地球大暴露」スタントン菜穂 著 を読みました。以下、感想を書いていますがネタバレ含みますので、未読の方はご注意ください。

私は元々精神世界に関心があり、これまでも浅見帆帆子さんや奥平亜美衣さんの本を読み、もちろんロンダ・バーンさんの「ザ・シークレット」も読みました。引き寄せの法則も、なるほどーと目から鱗でしたし、本当にたくさんの精神世界の本を読んできて納得したり、ときには首を傾げたり。

玉石混交のこの世界で、私が「地球大暴露」を読んだ素直な感想は、がっかり、でした。私はkindleで購入したんですが、(地元の図書館は怪しげな本は一切入れてくれないので)、読み終わって、残念、と思ってしまいました。買うんじゃなかった。

内容が、他のスピリチュアル本の焼き直しで、使っている言葉は違うかもしれないけど、説いている内容は似たようなもの。

地球メタバース説も、特別目新しい概念とは思いませんし、なにより、本の内容にいちいち違和感を感じて、なかなか読み進めるのが大変でした。

7つの使命って、少なすぎません?カテゴリーに分ける必要性も感じないし、自分が当てはまるものってあんまりピンとこなかった。よくある占いと一緒。少しずつ、いろんな点が当てはまるから、どれと決められない感じ。

地球でいろんな経験をすると決めてきたのなら、7つに分ける必要性もなければ、7つに分ける意味もない。みんなそれぞれ、細かくいろんな要素をもっているのでは?7つ全てを少しずつもっているのが、人間じゃないかと思うのです。

本体はどこか別にあって、この地球が仮想空間、的な感じは、映画のマトリックスもそうだったし、面白い考えだと思いますけど、宇宙人と交信は私にはできなかった(^^;パラレルシフトもできませんでした。

いや、大真面目に呼びかけてみたし、やってみましたよ。でも結果はなにごともなし。

それと、思ったのが、地球がゲーム場なのだとしたら、暴露したら駄目じゃない?すごい根本的な話になってしまいますが、そもそもネタバレしたらいかんのではないかと。ゲームに行き詰った人個々に、そっと助けが入るならわかるけど、この本は何回も増刷されて大ベストセラーですよね。当然、宇宙人は菜穂さんを排除するのでは?だって、困るじゃないですか。ネタバレしたら。ゲームを楽しんでる大勢に影響が出てしまう。

地球に来れることは、宝くじよりすごい確率の幸運なのに、それをぶち壊すようなこと、宇宙人が黙ってみているかなあ。

「地球大暴露」は、全編通して、私にはピンときませんでした。商業用の本だなあと思います。

スタントン菜穂さんはどういう人なのかと思って調べたら、世界屈指の名門校ル・ロゼに通われていたとか。とても特別な方なんだと思います。学費は年間2000万円ですよ。もちろん学費以外も余裕がなければ通えませんし、友人ともお付き合いできませんよね。かなりの資産家の娘さんなのでしょうが、いじめ、ストーカー問題、離婚、シングルマザーなどで苦労されたそうです。

でも違和感。いじめは経済的に裕福な子弟であってもつらかったでしょうが、ストーカー??

理不尽なストーカーに対しては、かなりの部分、お金で解決できたと思いますが。SPを雇うことも、弁護士をつけることも。お金があれば困らないです。もし相手が本当におかしな人で、逆恨みで、どんな対策も意味がないというような大変さなら、名前を出してベストセラー作家として登場するのは危険です。まして顔を出すのはまずいのでは?

離婚もシングルマザーも、経済的に裕福なら、相当解決できることが多いと思うのですが、そんなに苦労されたのかなあ。精神的な面で、というなら、そのとき宇宙人のアドバイスはなかったのかな。スタントン菜穂さんは、子供のころから宇宙人と会話できたのでは?

浅見帆帆子さん、奥平亜美衣さん、スタントン菜穂さん。3人の、スピリチュアル世界では有名な女性たち。ふと気づいたのですが、皆さん離婚している・・・。

離婚した方が幸せ、という結婚ももちろんあるとは思います。でも、幸せな家庭をつくるというのは、幸せというものの基本中の基本じゃないかなあ。まして、3人ともお子さんいらっしゃるんですよね。そりゃもう、お子さんにしてみたら、実の両親が仲良くしている家庭で育つのが、一番幸せだと思うのです。

独身なら、なんでも経験だと笑い飛ばせるし、ひとりで好きなことに挑戦する人生もありだと思うけど。もし子供がいるなら。できれば、両親仲良く、育てられた子供は幸せだと思う。

浅見帆帆子さんは、最初の結婚離婚のことは語らないし、再婚に関しては旦那さんが離婚後1年もたたずに入籍というのは訳アリなんだと思うし。奥平亜美衣さんは、離婚して、とても寂しそうに見える。スタントン菜穂さんは、今は著書がベストセラーで張り切ってる感じがするけど、本当に幸せで満たされてたら、この内容を本にして売ったりセミナーにしなくても悠々自適で暮らせるんじゃ?と思ってしまう。なんだか、お金お金って感じが見えてしまって。

精神世界を求めるのは、ほとんどの人が現実世界にさまざまなトラブルがあって、なんとかそれを打破できないかともがくからだと思う。なのに、教えてくれる本人があんまり幸せそうじゃないと、その教えは本当かな?って思ってしまうよ。

浅見帆帆子さんの本も、最初出会ったときは衝撃でした。こういう考え方があるんだ!と。でもその後、離婚や再婚、前妻の子供への配慮などを見ていると、うーん・・・帆帆子さん自身が、自分が説いた考えに沿ってないんじゃないかなあ。

奥平亜美衣さんも、だんだん人気が出て経済的に余裕が出たら離婚・・・たまたまそのタイミングだったのかもしれないけど。奥平さん自身が今、あまり幸せなように見えない。なんとなくですが。

スタントン菜穂さんも、電通出身と聞いて、ベストセラーはやはりマーケティングの勝利かなと。評判が評判を呼んだ。

でも新入社員で会長秘書は、ちょっと盛りすぎでしょ(^^;小さな会社ならともかく、いきなり新入社員で会長秘書はないよなあ。正規の秘書のアシスタント、だったのでは?どんなに優秀な人でも、入社後すぐに会長秘書って、あり得ない気がする。他の会社で秘書経験後ってわけでもなく、新卒で電通に入社しているようなので。私、「地球大暴露」をkindle購入する前にこの経歴を知ってたら、買わなかったですよ。経歴盛るのは信用できないので。

さすが電通と思うのは、「地球大暴露」に関する悪い評判が、ほとんどないことです。私は読んでみてかなりがっかりしたので、他の人のレビューが気になってみてみたら、批判はほぼないのでびっくり。単に私に合わなかっただけなのか、それとも、悪い評判がネットに載らないようになっているのか。

ところで「地球大暴露」って、最初見た時「「地球大爆笑」だと見間違えて、面白そうなタイトルだなあと思っていました。私だけか(^^;「ドリフ大爆笑」的なものを想像してしまいました。

「暗殺」柴田哲孝 著 感想

「暗殺」柴田哲孝 著 を読みました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

読み終わって、「すごい。よくここまで書いたなあ」というのが、まず一番の感想でした。陰謀論という言葉で上手に真実を隠してきた手法が、今後はもう通じない世の中になっていくんではないかと、そう思います。

インターネット上では膨大な情報があって、玉石混交ですが、中には必ず真実のものも含まれているわけです。昔なら、怪文書など広める手段は限られていたけれど、今は一瞬で世界に広がる。安倍首相の暗殺について様々にささやかれてきたネット上の憶測の中にも、必ず真実のカケラはあったはず。けれどネットに触れない世代にはそれは届かなかった。それが、今回は書店に置かれる本という形で、ネットに触れない層に向けて発信されたんです。その意義は大きい。

フィクションを謳うこの本の、どこまでが真実で、どこまでが虚構か。それを知ったら、これからの政治を見る目が変わるかもしれない。

私はもう、「田布施」の文字を見ただけで、ものすごい衝撃を受けました。日本の政治の歴史の中で、「田布施」の謎は大きく、闇は深い。田布施についてささやかれる様々な噂が、いっきに頭の中によみがえってきました。その「田布施」を、元首相の名前に使うというこの意味!

田布施という名の首相、もちろん暗殺された安倍晋三元首相がモデルですよね。私は安倍さんについて元々詳しいわけではないし、安倍マスクの配布のときなどは感謝してこのブログでも記事にしたぐらいですが、その後、安倍元首相の暗殺があり、暗殺をめぐるさまざまな情報に触れて、田布施の地名もその中で知って、興味を持っていました。

この本の中では、統一教会とおぼしき宗教団体の話もでてきますが、重く深くうならされます。安倍元首相が暗殺されなかったら、きっと出てこなかったつながり。岸信介時代からの秘密。

ケネディ暗殺におけるオズワルドが、山上被告だとしたら、その背景にあるのは何か。

たしかに、山上被告が宗教二世で辛酸をなめてきたという背景は、暗殺の動機としてはおかしくはないけれど、素人が作った手製の散弾銃が周囲に全く被害者を出さず、安倍元首相「だけ」をピンポイントで死に至らしめるのかと言うと、疑問が残りますね。

撃たれた角度の話、消えた銃弾、急きょ変更された応援演説の地。

仕組まれた暗殺計画で、内通者がいて、山上被告がオズワルドに仕立て上げられたとすれば、全部辻褄が合ってしまう。

ネット上では当然のように語られていたことが、出版して本という形になったということが、凄い。

陰謀論なんて嘘でしょ、陰謀論なんて怪しい、そう思っている人にこそ、読んでもらいたい本です。

『狼の牙を折れ』門田 隆将 著 感想

『狼の牙を折れ』門田 隆将 著 を読みました。以下感想を書いていますが、ネタバレ含みますので、未読の方はご注意ください。

テロというと、アメリカやヨーロッパ、そして中東のイメージが強い。日本はテロとは無縁な感じもするけれど、考えてみればあのオウム真理教の事件などは、国家転覆を本気で狙った、本格的なテロだったなあと思う。内乱罪も外患誘致罪も適用されないのが不思議だった。オウム事件で適用がされないなら意味がないし、適用が無理なら無理で、新しい法律を作らなくてはいけない大事件だった。

そして、オウムの事件よりさかのぼること20年あまり。東京駅前のオフィス街が爆破されるという信じられない大惨事があったという。今の駅前の繁栄を見ると、まるで夢のようというか、本当に?という気持ちになる。

事件当時私はまだ幼児だったので、どんな報道があったのか、などは全く覚えていない。ただ、事件としてそういうものがあった、という事実だけは、なんとなく知っていた。テレビか雑誌か、後年、なにかで知識を得たのだと思う。

今回、私はこの本を読んで事件の凄惨さに驚き、犯人グループに対しては怒り、そして公安警察の地道ながんばりには、尊敬の念を覚えた。

特に、公安の仕事というのは大切だけれども決して表に出ないというところが、ちょっと気の毒な気もした。どんな手柄をあげたところで、名前が知れて世間から賞賛を浴びることはないから。

警察内部にも派閥はあって、その中での権力争いはあるだろうけど、犯人を絶対に捕まえる、という強い思いだとか、犯罪を憎む気持ちは共通のものだ。日々、こうした警察のおかげで日本の治安はしっかり守られているんだなあと、あらためて感謝の気持ちがこみ上げてきた。

犯人グループには、全く共感できなかった。もちろん、どんな政治思想を持とうとも、それ自体は自由だけど、自分たちの思い通りにしたいから一般人を巻きこんでテロをする、というのは許されないことだ。すごく不思議なんだけど、理想の社会を思い描くところまではいいとして、グループを組んだとしても、そのとき「ビルを爆破しよう」という話になったら、反対する人はいなかったのかな。だって、そこのビルで働く人は労働者だよね? そこに資本家階級はいないと思う。いくら犯人グループが気に入らない企業だったとしても、そこで働く人たちがターゲットになるのは、意味がわからない。

また、仮に、そこで働く人をエリートとだとして憎んだとしても、ビルには大勢の人が働いているわけで。そこの会社以外の人も存在する。たとえば日雇いで、すごく安い時給で単純作業をしている人もいるかもしれなくて。生活のために必死で働いていたり、子供を食べさせるために休み返上で働いてる人もいるかもしれない。その人たちも巻き込んでしまうのか。

また、その会社とかビルとか全く関係なく、ただ道を通りがかった人も犠牲になってしまった。その人の人生、奪う権利は誰にもどこにもない。どんな立派な思想であったとしても、無関係の人を巻きこんでいいわけがない。

一人、二人ではなく。組織として、こうしたテロを容認し推進する団体が、現実に存在するということが恐ろしかった。

最も印象深かったのは、警察がやっとのことで犯人を逮捕しようとする、その日の朝。逮捕を報じる朝刊が販売されてしまったこと。読みながら、あまりの展開についていけず、「ええ~~!!」と声に出してしまったほどです。

考えられません。ジャーナリズムってなんなんでしょう。その新聞を犯人が読んで、逃げてしまったらこれまでの努力は水の泡です。もちろん、それを知った土田警視総監は記事をとめるように、輪転機をとめるように頼むのですが、産経新聞の福井(警視庁クラブ詰めの記者で、まとめ役のキャップ)は断ります。

もちろん、土田警視総監は、とめなければならない理由を丁寧に説明したのですよ。「もし(犯人に)気づかれたら、捜査官だけでなく、一般市民にも被害が及ぶ可能性がある」と。

これだけ言われて、その意味がわからないわけはありませんよね。新聞記者なのだから、言葉に対しての感覚は人一倍鋭敏なはず。なのに。とめないのです。産経新聞…

この産経新聞の記者を軽蔑します。こんなことがあっていいのか、と思いながら読み進めました。読んでる私ですら、苛立ち、怒鳴りつけたいような気持ちになったのですから、その場にいた土田警視総監の気持ちはいかばかりか、と。裏切られた気持ちになったでしょうね。全部秘密にしてきたわけではなく、出せる情報は出すし、お互いさまで協力できるところは協力してきた関係だったでしょうに、一番肝心なところで、これは裏切りです。

>「明朝、現場での特ダネ取材を産経だけに約束しましょう。だから、報道は夕刊からにして欲しい。お願いします」

>土田は、福井に頭を下げた。

この描写を読んで、胸がいっぱいになりました。きっと土田警視総監も、怒りはあったと思います。だけどその怒りはぐっと押し込んで、頭を下げたんです。そして、低姿勢で頼んだのです。とにかく、逮捕前に逮捕を朝刊が報じるなんてこと、あってはならないんですから。どうしてこの産経新聞の記者にはそれがわからないのか、私にはまったく理解できませんでした。

>「一般市民の命」と「スクープ報道」との鬩(せめ)ぎ合い

と、文中では表現されていましたが。

これ、どう考えても「一般市民の命」の方が重いです。どんなスクープであれ、一般市民の命を危険に晒していいわけがありません。逮捕に失敗したら、グループはどんな反撃にでるかもわからない。そのリスクを考えるとぞっとします。なぜこの記者は平気だったんだろうか。逮捕が失敗に終わったら、後日、最初の事件よりもっと大規模な、もっと残酷なテロが起きるかもしれない。そのとき平気でいられるのでしょうか。自分には関係ないと?

福井の上司である、産経新聞の青木編集局長と藤村社会部長は、「容疑者の名前と住所は掲載しない、容疑者の住む地域には当該朝刊を配らない」というような配慮を提案しますが、そのとき、同席していたスクープ記者たちはなかなか納得しなかったそうです。

もちろん、実名を知るためにものすごく大変だった、その努力が報われない、紙面に載せられない、という記者の悔しさはわかります。でも。こんな大事な逮捕前の局面で、なお「実名を載せろ」と言いきれるその神経。

私は福井の言動にもかなりびっくりだったのですが、新聞社の中では彼はまだ、良識派のほうだったのですね。もっともっと過激な、現場の記者たちがいた。容疑者の実名を朝刊に載せて何が悪い、という考え方があった。

結局、産経新聞は、容疑者が住むエリアの配達を遅らせて、本人が逮捕以前に記事を目にしないようにする遅配作戦を行ったそうです。

でもさー、そのエリアに配らなくても、他では配るんでしょ? 容疑者の仲間が他の地域に住んでて、新聞見て容疑者に電話して知らせたら終わりなのでは? マスコミが警察の捜査の邪魔をする(それも逮捕という、一番の大事な局面で)というのは、やっぱりひどい話だと思いますし、ちょっと考えられない事態です。

一方、土田警視総監は、NHKに電話をして、自ら明日の逮捕情報を伝えました。そしてNHKの報道解禁を午前八時半とし、それまでは一切報じないという協定を取り付けました。

(ちなみに民放に関しては、たとえ新聞に記事が出ても、裏どりに手間取るだろうから、早朝からの放送はないに違いないと考えたそうです。しかし取材力のあるNHKはそうはいかないと)

警視総監から電話を受けたNHKが、良識ある判断をしてくれてよかったです。ここで、「知った以上、ジャーナリストとして報道しないわけにはいかない」とか言い出したらとんでもないことになります(^^;

産経新聞は、逮捕を朝刊で報じるだけでなく、逮捕の瞬間のスクープ写真まで撮ろうとするのですが、私は最後まで、「なんなんだ(怒)」という気持ちで読み進めました。容疑者が記者の不審な動きに気付いたらどうなるのか。なんでこう、最後まで警察の邪魔をするのでしょうか。逮捕してからなら、いくらでも取材すればいいし、その情報は社会の役に立つだろうけど。逮捕そのものを危険にさらすような行動は、許されないと思います。

本は最後の最後まで、驚くべき展開でした。逮捕した7人のうち3人の、想像もできなかった形での出国…

そのうち浴田由紀子は国外で逮捕され日本に送還されましたが、佐々木規夫と大道寺あや子の2人は、現在も逃走中だということです。

すべてが、ドラマでもなく映画でもない、実際の話。ノンフィクションであるという事実が、読後、重くのしかかってきました。

最後の最後まで、引き込まれて一気に読み終えました。事件に関わった人たちの人生が、それぞれぎゅっと詰め込まれた、中身の濃い本だと思いました。

『はいからさんが通る』 大和和紀 著 感想

『はいからさんが通る』のアニメ映画が公開、ということで、『はいからさんが通る』ブームが再び起きているみたいです。

上野公園近くの弥生美術館で、展覧会があるということで行ってきました。原画の展示、懐かしいセリフの数々に、自分が小学生だった頃の、感動が蘇ってきました。

初めて読んだのは、小学校6年生だったかなあ。夢中になって、何度も読み返して、しばらくは少尉のことで頭がいっぱいになっていたっけ。

二次元の世界の人を、初めて好きになりました。それが少尉でした。伊集院忍。もう名前が異次元だもんね~。伊集院光さんとか、伊集院静さんとか、もう、名前聞いただけで、ドキドキしたものです。少尉の面影を重ねようとして、実際の姿を知ったときには勝手に衝撃を受けたり(^^; 勝手に期待して、勝手にがっかりするのも失礼かとは思いますが。でも伊集院という姓をつけた背景には、お二人ともそれなりの思いがあったのかと、想像します。

以下、漫画の感想を書きますがネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

「はいからさんが通る」には4人のイケメンが登場します。帝国陸軍少尉、伊集院忍。主人公紅緒の幼馴染、藤枝蘭丸。出版社編集長、青江冬星。少尉の部下、鬼島森吾。

一般的に誰が一番人気があるのかというと、少尉が一番で、次点が編集長。二人から大きく票が離れて、鬼島と蘭丸かなあ、という感じだと思いますが。

私の個人的な好みでいうと、少尉一択です。少尉しか見えません。 だから、紅緖が編集長と結婚しようとした気持ち、わからないんですよね。今、あらためて読み返してみても、やっぱり編集長は編集長で、職場の上司という存在にしか見えなくて、紅緖が惹かれる気持ち、わかりません。

一応、紅緖も編集長に、異性として惹かれる部分が少しはあったわけですよね。それがあっての結婚で。

紅緖も、基本的には色恋で結婚しようとしたわけではないですけども。伊集院家を助けるために編集長が自分の生き方を変えた、その男気に報いるために、というのが結婚の裏事情ですけども。

なんだかなあ、今読み返すと、紅緖も編集長も、それでいいんですか?と問い詰めたくなります。紅緖に関して言えば、結婚式当日にも、少尉の幻を見てるくらいですし、全然気持ちをふっきってなどいないわけで。他の人への消えない思いを抱えたままの花嫁。お礼の気持ちで夫婦になる。男女の愛情でなく。

そして編集長も。平気なんだろうか。愛されていないことを知りつつ、お礼の気持ちで結婚する花嫁を、迎え入れるということ。編集長の性格からすると、紅緖から何を言われようとも、結婚とか拒みそうだけども。「お前さんに憐れんでもらわなくとも結構」そう言って、紅緖にはそれ以上何も言わないまま、伊集院家を助けて身を引きそうなんだけどなあ。

さて、この漫画には、小学生の時と、40代の大人になって読み返したときと、感想が違ってきた部分がいくつか存在します。以前のブログでも少し書いた記憶があるのですが、まず、ラリサの夫として暮らした過去を理由に、記憶が戻っても紅緖の元へ戻らなかった少尉の行動について。

これは、大人になったらわかる。子供の時は無邪気に、「なんだよー、ラリサと暮らしてようが別にいいじゃん」なんて思ったけれど。

ラリサと暮らした日々の重さ。そしてラリサの病。そりゃ、紅緖の幸せを考えれば考えるほど、このまま波風を立てずサーシャのフリをし続けようと思いますわな。少尉が少尉であると声を上げるには、少し時間が経ちすぎてしまった。少尉がいない状態で、時が流れてしまったから。少尉不在という世界が、ゆるやかに固まりつつある中で、それをすべてひっくり返せば傷つく人がいる。

それと、私も。もし紅緖の立場だったら、やっぱりちょっと、抵抗あるかもしれないと思ってしまいました。ラリサの夫として暮らした月日を。全然平気、とは言えないかもしれない。なにかあれば、そしてことあるごとに、そのことが胸の奥で深く、静かに痛みそう。

お互いに相手を思いやれば、別離は賢明な選択で。もちろんスパっと割り切れないからこそ、苦しみながらも。

もし関東大震災がなければ、二人がもう一度結ばれることはなかったんだなあと、そう思います。

そして、そもそもこの漫画で一番ひどい人というのが、実は少尉のおばあさまではないかと気付いてしまった今日この頃。

だって、自分が想い人と結婚できなかったから、自分たちの孫同士を結婚させようって、単純にひどい話で。じゃあ孫の気持ちは? 結ばれなかった悲しみと同じものを、孫に背負わせるわけですよね。そのせいで、孫は自分が好きな人と結婚できないわけだから。

しかもおばあさまの夫、おじいさまは生きているのに。自分の妻が、自分ではない元恋人との約束を、生涯忘れず果たそうとしているのを知って。どんな気持ちになるでしょう。私だったら、裏切られたと思うだろうな。一緒に暮らした長い月日を、全部否定されたような気持ちになるでしょう。

『はいからさんが通る』には数々の名場面がありますが。中でも印象深いのは、政治犯の疑いをかけられて拘留された紅緖を助けるために、少尉が大河内中将に会いにいくシーン。

>うっかりはずすのを忘れていた

>帝国軍人ともあろうものがこんなものを

そう言って、軍服姿の少尉が、耳のピアスを外すのです。ロシアの亡命貴族サーシャから、伊集院忍に戻る瞬間。ジグソーパズルの最後のピースが、ぴたっとはまるように。そのとき、紅緖のために少尉に戻ったその姿を、本当にかっこいいと思いました。

紆余曲折、ドラマチックな二人の恋。改めて読んだけれど、展開も結末も知っているのに、読みながら涙してしまいました。それぐらいパワーのある作品です。コメディで茶化してるところも多いのに、真剣なシーンではさっきまでのおちゃらけが嘘のように、ぐぐっと強い力で引き込まれます。

ストーリーもいいけど、絵柄の力も大きいと思いました。なぜなら、アニメ化された映画の予告を見て、まったく心惹かれなかったからです。少尉も紅緖も、漫画原作通りでないと、まるで別作品のようで。同じストーリーをたどっても、違う作品のようになるだろうと想像しました。

思えば、1987年の実写版の映画も、原作漫画からは大きくかけ離れていました。南野陽子さんの紅緖、阿部寛さんの少尉、やっぱり原作とは違う。

弥生美術館での「はいからさんが通る」展、大盛況でした。次から次へと入館者がひっきりなしです。ほぼ女性で、みんな懐かしそうに展示に見入っていて。きっと、あの原画を見たら、一瞬で、みんな少女の頃に戻るんだと思います。

私もそんな一人でした。