『火の粉』雫井脩介著を読みました。以下、ネタバレ有の感想ですので、未読の方はご注意ください。
すごい本を読んでしまった。一気に読み終えてため息。人物の描き方が非常にリアル。「あーいるいる、こういう人」と思った。
ある事件の被告人に、無罪判決を出した裁判官。はたしてその被告人は、本当に冤罪だったのか?というお話なのですが、主人公の裁判官とそれをとりまく家族・友人・仕事仲間、みんな個性的で、きれいごとではない人間の腹黒さがうまく描かれてました。
話全体にいろんな要素が盛り込まれていて、それを掘り下げていくと、枝分かれしたたくさんの話が書けると思います。その一つが介護問題。
主人公の勲。その妻である尋恵は、夫の母である義母を懸命に介護するのですが、報われません。たまにやってくる小姑の満喜子は、尋恵の介護が気に入らず嫌味を言います。
読んでいて、これはどこにでもある問題だなあと思いました。たまに来る人なら、いくらでも綺麗ごと言えるわけですよ。でも毎日、自宅で介護する人の大変さを知っていたら、そんなこと言えた義理じゃありませんよね。尋恵はいつか姑に、最終的には認めてもらえるのではと思って意地でも完全な介護を成し遂げようとがんばってるようですが、思わず声をかけたくなりました。
たぶん無理。
介護されてることに感謝の気持ちがない人が、臨終間際に「感謝してる。ありがとう」なんていうのは滅多にないことです。尋恵は満喜子への意地もあって、隙をみせないようですが、どんどん頼っていいんだと思います。
満喜子が尋恵の介護を気に入らないというなら、「すみませんお義姉さん。それじゃお義母さんも喜ぶと思いますんで、しばらくお義母さんをお願いしますね」ってやらせてみればいいんです。
姑も尋恵が気に入らない。満喜子も尋恵が気に入らない。だったら、気にいったもの同士、思うようにやってもらったらいいではないですか。
勲に無罪判決をもらった武内が、尋恵に急接近したのはわかるような気がしました。尋恵の真面目さだとか、純真さが武内には心地よかったのでしょう。
この武内の描き方がまた、秀逸です。
これ、実際に存在するタイプの人間だと思います。天性の嘘つき。詐欺師。嘘をつくことに、なんの罪悪感も感じないという人間。
武内を中心に、周囲の人は面白いように振り回されていきます。
まさか、こんなに真剣に話してるんだから嘘のはずはないだろう。まさか、そうまでして嘘をつくことはないだろう。まさか、まさか・・・。
自分を中心に考えると、大きな穴に落ちてしまいます。
世の中には、想像もできないような天性の悪人というのがいるわけで。
たぶん、普通の人は、嘘をつく行為に、自動的に罪悪感をもつんですよね。ところが世の中には、それをまったく感じない人間がいる。「罪悪感なしに、自在に嘘をつける」人間がいることを知らなければ、たやすく騙されます。
武内に殺された被害者の遺族、池本夫妻が、武内と直接対決するシーンはせつなかったです。武内の罪の意識のなさは、周囲の人間の信用を勝ちとり、まるで池本夫妻が被害妄想を持っているかのようになってしまって。あせればあせるほど、腹を立てれば腹を立てるほど、その感情の揺れを武内が利用していく。池本夫妻が歯軋りするほど悔しくても、周囲は誰も理解してくれない。
この本の凄さは、最後の最後まで気が抜けない展開です。
本当にドキドキしっぱなしでした。どっちに転がるのかわからなくて。いくつもあるチャンスが、そのたびにつぶされ、もうダメかと思った瞬間にまた、光明が射す。
まるでドラマを見ているように、そのときの情景が目に浮かぶのです。読み手は危険がわかっているので、思わず「逃げて~」と言いたくなってしまいました。
最後の1ページに至るまで、一気に読ませる力量はすごいと思いました。この作者の、別の作品も読んでみたいです。