静けさという贅沢を

 音楽は好きですが、静けさの中に浸りたいときもあります。そんなときはテレビをつけなければそれでOK。私の部屋は、とても静かなのです。車の音も人の声も、ほとんど聞こえない。

 それは、今の部屋を選ぶときに、一番優先していた条件。

 ともかく、騒音のない部屋で、ということです。隣の部屋と構造上、どのように接しているか。周りの環境はどうか、など。そこは重点的にみました。私は今までの引越し回数がかなり多いのですが、過去に一番住んでてつらかったのは、音の問題で。

 同じような人たちが住むところなら、問題はないのかもしれませんね。たとえば、ピアノを弾く人たちだけが住むピアノマンション。重低音の、激しいロック音楽愛好者だけのマンション。パーティー好きの人たちだけが住む、にぎやかマンション。

 みんなが同じなら、問題ないですもんね。住み分けって、大事だなあと思いました。

 今住んでいるところは、本当に静かです。静けさは、贅沢ですね。一歩外に出て少し歩けば、都会の賑やかさがあるのに。

 外の喧騒が嘘のような、静かな部屋の中で。私はある、美しい文章を、読みふけっていました。

 時間も場所も、自分が誰かということですら、忘れてしまうような静寂の雪景色。目の前に広がる月の光の妖しさに、魂を抜かれるかのように立ち尽くしている人の、その人の目を通した情景です。

 その人は一瞬、自分がどこにいるのか忘れてしまうくらいに。圧倒的な静けさに包まれて。

 私はまるで自分がその場にいるかのように、景色を想像してしまいました。

 それで、つい先日、読んだ本のことを思い出したのです。こんなことが書いてありました。

 人間の感覚は、過去の経験に基づいて作られている。では、全ての過去の記憶を失い、体も失い、ぽんっと宇宙空間に放り出されたら。そのとき人はなにを考えるのだろう、と。

 いったい私は何者なのか。そんな疑問すらわかずに、ただ存在し続けるのかな。なにかを疑問に思うことも、悩むことも。苦しむことも喜ぶこともなくて。意識だけが存在する状態。なんだか、ゾクっときました。

 音のある世界にうんざりきたら。静けさに包まれたいと願うわけで。でも完璧な静寂に包まれたら、まるで自分を見失ったような、なくしてしまったような、不思議な感覚にとらわれる。

 その人の言いたいこと。そのとき感じた気持ちを少しだけ、追体験できた文章でした。

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