自分がもし舞台『レベッカ』の演出をしたら、というのを考えてみました。以下、ネタバレにつながる記述もありますので、舞台を未見の方はご注意ください。
前半の、すべてがわかる前のマキシムをもっと、謎めいた、暗い人物に描くだろうなあ。いつもなにか、他のことを考えてるみたいな。なにか悪いたくらみで「わたし」に近付いたんじゃないかとさえ疑えるような、不思議な沈黙。
「わたし」の、小鳥のさえずりみたいな澄んだ歌声。無邪気な、新婚の喜びを隠しきれないそんな歌のすべてに、マキシムはいつも、一定の間を置く。冷静な仮面をかぶり続けて答えるのだ。
そう、一定の間って、けっこう効果的かも。一瞬、考えるという。絶対即答しない。新婚の夫として、この答えは適正だろうか、「わたし」が不審に思わないだろうか、マキシムは十分に計算しつくされた差し障りのない答えを、必ず機械的に返すのだ。
観客はその、一瞬の間の不自然さを感じ取り、「わたし」と一緒にマキシムに疑いを抱く。
そして、声はずっと低く。山口さんの声って、基本、ちょっと高め?な気がする。感情が激したときにも、つい甲高くなってしまうような。
激したときには、甲高い声も、それが山口さんの自然の表現ならいいんだけど。ただ、普段「わたし」に対して話しかけるときには、徹底して低い声であってほしい。それは、マキシムが「わたし」に対して装ってると思うから。
「わたし」と結婚した本当の目的。触れてほしくない、レベッカの思い出。そうしたことから自分を守るために、マキシムは、「わたし」の前では努めて、低い声を心がけてるといいなあ。あくまで穏やかに。その裏に流れる、恐怖や、憤りや、悲しみを決して出さないようにとするマキシム。でもときどきちょっと、仮面が剥がれるという(^^; つい激昂したり、苛立った様子をみせたり。
これ、絶対不気味だと思います。この人なに考えてるだろうって。
私が見たときの一幕マキシムは、明るすぎかなあという感じでした。ヴァン・ホッパー夫人とのやりとりに関しては、それでパーフェクトです。そのときだけはマキシムも、過去を忘れて笑っていたと思うし。だからこそ、「わたし」と向き合ったときには、高めの声だとちょっとイメージが違うかも。
それと、「わたし」に対して愛情を感じちゃったのですよね、一幕。普通に、新婚夫婦みたいな。それはいらないと思いました。マキシムは普通ではないので。「わたし」を利用していること、マキシムはわかってる。だから、完璧な夫を演じる、その、不自然な愛情が見たいのです。たしかに言葉や態度では「わたし」を妻として扱うけど、本当は違うんじゃないかと、観客に不審を抱かせてほしい。
あと気になったのが、「わたし」がベアトリス夫婦と踊るシーン。ここ、もっともっと、ぎこちなさがほしい。「わたし」が一生懸命になればなるほど、ベアトリス夫婦とはズレていく、みたいな。もちろん、実際見た舞台でもそれは表現されていたのですが、もっと強調してもいいかなと思いました。
理想としては、ダンスが終わったあと、観客の胸に悲しみがこみあげてくるような。「わたし」の哀れさが浮き彫りになるような、ダンスシーンになるといいなと思います。
イギリスは日本以上の階級社会で。そもそも、「わたし」がマキシムと結婚するのはありえないことで。だからこそ、「わたし」はがんばるんだけども、けなげなほどに、そこに染まろうとあがくんだけども、滑稽なほどにダンスのリズムがずれて。
「わたし」の、張り付けたような笑顔。ベアトリスの、必死な仲良しごっこ。しかしそれを、観客が見たときには、彼らが努力すればするほど、その異質さが際立つ、みたいな形だといいですね。
現状だと、見終えた後の滑稽さと悲しさが半々くらいでしたが、もっと、悲しさの配分が大きくなってもいいかなと思いました。
前半が変わると、その分、後半の見方がかなり変わってくると思うんですよね。後半、一気に物語を盛り上げるためにも、前半、一幕での種まきが大事だと思いました。