6月21日ソワレ。シアタークリエで上演中の舞台、『レベッカ』を観てきました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。
初めての前方席。
エピローグの、山口祐一郎さん演じるマキシムの目が、印象的でした。虚ろな目。顔には、わずかな微笑みすらありません。
そうか・・・やっぱり・・・と思いました。
マキシムの心は、たぶんマンダレイと一緒に燃え尽きてしまったのでしょう。
最初から最後まで、私はマキシムの表情に、大塚ちひろさん演じる「わたし」への愛情を見なかったのでした。若くて可愛らしく、ただひたすらにマキシムを追い求める、子犬のような目。その目に賭けたマキシムだったのでしょうが、レベッカを愛したようには、「わたし」を愛することはなかったんですね。
「わかってた わかってた 彼女の勝ちと」というマキシムの言葉は、その通りだったのだと思います。レベッカは勝った。ハッピーエンドではない話なのだと、解釈しました。
もしもマキシムが本当に「わたし」を愛し大切に思っていたなら。ダンヴァース夫人は、脅威になんてならない。彼は全力で「わたし」を守り通したでしょう。「わたし」は自信を持ち、彼の傍に寄り添ったでしょう。でも違う。
マキシムは、「わたし」を愛していないのに妻にした。
愛されないのに妻になった「わたし」は、そのことに気付いてた。だから必死だった。すべてが明らかになり、二人きりの秘密を共有し、十数年の時を経てそれでもなお。「わたし」がマキシムの心を手に入れることはできませんでした・・・・そういうお話なのかなあと。
大塚さん演じる「わたし」と、山口マキシムのデュエットの声は本当に素敵です。透明感があって、お互いに引き立てあっています。だけどその歌が「愛」という歌詞を強調するたびに、言葉とは裏腹の必死さが漂うのです。
本当はない「愛」を、二人して取り繕っているような。
マキシムも「わたし」も、実際にはそれを知っているくせに。
きっとマキシムは、誰かに許しを請いたかった。すがる胸が欲しかった。抱きとめて、甘えさせてくれる女性の愛情を求めてた。それは別に、「わたし」じゃなくてもよかったはずで。ただ、知り合ったから、傍にいたから、その「わたし」に手を伸ばしたのだと思いました。
一方、「わたし」は、どうでしょう?
ヴァン・ホッパー夫人と二人きりの狭い世界から、飛び立つことを望んでいたところに、現れた白馬の王子様。
ためらわず、その手をとった。その選択に、きっと後悔はなかったはずです。たとえ、マキシムから真実の愛情が得られなかったとしても。
だから、ある意味幸せだったと思います。もちろん、マキシムの心すべてを手に入れられない苛立ちはあったでしょうが。それでも初老のマキシムと過ごす穏やかな日々は、以前の不安定な天涯孤独の身からすれば、どんなにか幸せなものだったでしょう。
弦楽器のビブラートがよかったです。まるで、「わたし」の心そのものだと思いました。その震えが、私の胸にも伝わってきました。まるで息遣い、心臓の音のようです。わずかな期待と、愛しさと、そして得体の知れない不安。
オープニングの歌、いいですね。マンダレイの人々の影が、「わたし」の心をよぎる。お屋敷を覆いつくすような、ツタの意匠。月明かりのような緑の光。「わたし」の心にくっきりと刻まれた、マンダレイの記憶。
「わたし」にとっては、まるで夢のような現実。広大なお屋敷で、レベッカの影と戦った日々の懐かしく、苦い思い出。でもそれは同時に、奇妙な陶酔感にも通じているような。だからあのオープニングの歌は、甘く聴こえます。
山口マキシムが「朝食」という言葉を口にするたび、漢字の「朝食」ではなく、カタカナの「チョーショク」を思い浮かべてしまいました。独特の言い方をしますね。
その言い方が、不意に昔の記憶とリンクしました。
私が高校生のときの話です。ある日、家に塾の案内のハガキが届きました。よくあるダイレクトメール。ただ一つ違ったのは、それが個人塾で、宛名が印刷ではなく手書きだったということ。私はその字の美しさに心を打たれました。
説得力のある字、というのでしょうか。その人の手で書かれた私の名前は、まるで自分の名前ではないかのように完璧な配置で、目を奪われました。
これを書いた人は、誰なんだろう。会ってみたい。
きっと塾長が書いたんだろう。それだけの理由で、塾に入りました。その字を書いた人に会うのだけが目的だったので、半年後には辞めようと、入塾の時点で決めていました。
美しい字を書く塾長は、当時の英語の教科書に載っていたある単語を、ひどく特徴的に話す人でした。なぜかその単語だけ、奇妙な発音なのです。
山口マキシムの、「チョーショク」の発音を聞いて、その塾長のことを思い出しました。
森の中にあるその個人塾は、窓の外に見えるのが木だけで、ときには野生のリスも見ることができました。私はその塾を、当初の予定通り、半年で辞めました。辞める理由を聞かれたとき、うまく答えられなくて、気まずかったのを覚えています。勉強を習いに来たのではなく、あの字を書いた人を見てみたかったのだとは、最後まで言えませんでした。
『レベッカ』を観るのは、これが最後です。山口さんの演じるマキシムと、大塚さんの演じる「わたし」の心のすれ違いが、印象的な舞台でした。