変な人じゃなきゃ、好きにはならなかった

グリーンノートってどんな香りだろうって気になっていて。それは以前の日記にも書いた『変な探偵』のヨモギさんがその香りだって書いてあったから。

ヨモギさんの、カタカナな名前もいいなあ。敢えて普段は、「蓬」ではなく「ヨモギ」と表記するこだわり。こういうセンス、けっこう好き。

カタカナにすることで、生生しさがなくなる感じがある。透明感が増すというか。「蓬さん」は「蓬さん」としてとらえる。そこには生活の匂いがある。だけど「ヨモギさん」になると、急に遠い人になる。敢えて断ち切ってるって感じで。いろんなものを。
カタカナの名前って、なんとなく一旦、全てが白紙になったイメージがあるんだ。
そのカタカナの名前は、うり坊の見た探偵さんの姿、そのものなんだろう。

漢字の名前は、見た瞬間、聞いた瞬間、そこからすぐにイメージが広がる。だけどひらがなやカタカナの表記は、相手を一瞬、戸惑わせるようなところがあるかも。私はよく、音を幾種類かの漢字に当てはめて、「こうかな? それともこんな感じ?」なんて、とっさに試してしまう。イメージの広がり方に、両者は違いがある。
目の前に広がる、真っ白な空間。そこを埋めていく作業が始まるのだ。
何の情報も与えない。他と区別するための、最小限のメッセージ。何者でもない。何と思われてもいい、ただ自分はここにあり。他とは違った存在だということ。

グリーンノートって活字を、漫画の中に見たとき。私はとっさに、芝を刈った後の匂いを思ったのでした。あれ、大好きなんだよね。清清しいような、懐かしいような。あの匂いをかぐと、思わず深呼吸してしまう。そして、思い出すのは、教室にいる自分で。

記憶が、学生時代に戻ってしまう。遠くで聞こえる、運動部の声。机の木目。窓の向こう、銀杏の並木。芝を刈る、機械の低音が静かに響いてる。

ああ、そうだなあ。あの頃は学校で定期的に、芝を刈る人がいた。それは夏で、機械のモーター音と共に漂う、芝の独特の香りが私は大好きだったっけ。夏の空は青く晴れ渡って。入道雲がぽっかり浮かんでたっけ。

ヨモギさんによく似合う。グリーンノートって言葉自体が。草とか森とか、自然の風ってイメージだから。

そして私は、その名もずばり、エステバンの『グリーンノート』というルームスプレーを捜し求めてデパートへ。かなりワクワクしていた。だって、この『グリーンノート』のキャッチコピーが素晴らしいんだから。期待は高まるというものです。

>プロヴァンスの森で見つけた
>みずみずしいシトラスグリーンの香り。

このコンセプトを読めば、気分はもう南仏です。変に甘ったるくない爽やかな草原の風を想像していた。そして匂いを試してみると・・・。
あれ。想像してたのと違う。

期待が大きかっただけに、拍子抜けした感じ。すくなくとも、「コレだ!!」的なものではなかった。

私はむしろ、都内のとある神社に出かけたときの木の匂いに、ヨモギさん的なものを感じた。その神社の森、吹き抜ける風の匂い。湿気を含んだ夏の暑い空気。決して強い匂いじゃなくて、植物の清浄な香りが、ふっと鼻先をかすめる、みたいな。
これを香水にするのは、難しいかもね。植物のいろんな成分が渾然となって醸し出すものだから。

境内は、小さな森だった。そこを歩いて上空を眺めると、空を覆う木の葉の切れ間から、太陽の光が射してきて、それがとてもきれいで。何度も立ち止まって、深呼吸した。体中の毒が抜けていくような。

山に行きたい、とは前々から思ってるけど、その代替地としてこの小さな森が、今の私のお気に入りなのだ。中でも、1本のクスノキを「私の木」と決めている。勝手に。

ときどきここに来て、両手をクスノキに当てて、心の中で会話してみる。「元気にしてた?」みたいな、他愛もない事柄。離れるときには、「またね」と心で呼びかけながら帰る。こういうことを繰り返していると、ただのクスノキが自分にとっては特別な、大切な木になってくる。

ヨモギさんは人間というより、なんとなくここの木みたいな人なんだな。私のイメージの中では。普通に黙って、ふらりと境内を散歩してそう。なんにも話したりしないで。それで、ふらっと消えそうなんだな。ある日突然。なんにも言わないで。
その人が暮らした痕跡も、生きてきた歴史も、なにもかもなくなって。まだらに思い出だけが残りそう。それでときどき、ヨモギさんに縁のあった人がこういう場所を歩いて、不意に思い出すの。

ああ、ヨモギさん、今どうしてるんだろうなって。

そんなことを、つらつらと考えたりしました。

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