ジュモーとの再会

 三連休も今日で終わり。連休中には思いがけない再会がありました。

 ある人形作家さんの展示を見にいったところ、そこにジュモーの人形があったのです! 私はアンティークドールの中でも、ジュモーが一番好き。そのジュモーと、こんなに近い距離で再会するとは、嬉しいサプライズでした。

 3年ほど前、熱海にある美術館で、初めて本物のジュモーを見ました。ガラス越しに見たその人形は、目が大きくてとても可愛らしかった。美術館だから、飽きるほど眺めることが許される場所で。たくさんある作家さんのお人形の中でも、やっぱりジュモーは特別でした。

 いつか、ガラス越しでなくジュモーを見たいなあって。漠然とそう思っていたのですが、まさかこんなに早く会えるとは。それも、出会えた場所がまた、素敵なところでした。

 古い日本家屋です。直射日光の射さない薄暗い部屋。人工の灯りが照らす多くの人形たち。その中に、ぽつんとジュモーは座っていました。

 正確に言えば、あの熱海の美術館で見たジュモーとは別のものなのですが。あのときのお人形は、今も美術館に展示されているのでしょうし。

 ただ、作家が熱意をこめて作り出した人形はどれも、作家の分身だと思うんですよね。同じ魂がこめられている気がするのです。持ち主が可愛がって愛情を注げば、年月を経て次第に、その持ち主の人形、固有のものへと変化を遂げていくだろうけど。

 私が直接、至近距離で見ることができたアンティークドールは、少なくとも100年以上前に、フランスの工房で丹精こめて作られて。それが時をへて海を渡り、こうして日本の某所で静かに休んでいるのでした。

 私はその、建物の雰囲気も気に入りました。展示は、美術館のようにガラスケースに納められているのではなく、人形と人間を隔てるものは空気だけ。そして建物全体が、歴史を感じさせて、どこか懐かしくて。

 夜になって誰も居なくなったら、並べられた人形は動き出しそうです。そして、人形同士がおしゃべりを始めそうな雰囲気なのです。

 展示会場に流れるのは、異国の音楽。シャンソン?のような感じでした。その音楽のゆったりとした響きと、どこか憂いを含んだ女性の歌声が、またちょうどいい音量なのです。

 外界と隔絶された、特別の空間のように思いました。そこにいつまでも座りこんで、ゆったりと流れる空気に身をまかせ、ただぼーっとしていたなら。この空間の中だけ、時間が止まっているような錯覚にとらわれてしまうでしょう。

 ふと思い出したのは、いつか見たテレビの映像。

 人形をコレクションしている、年配の女性が映っていました。大きなお屋敷にひとりきり。たくさんの人形に囲まれて、その人は着物姿でカメラの前に立っていました。

 私はそれを見て、不思議な感慨を覚えました。

 家の様子から察するに、その女性は相当のお嬢様で。小さな頃には、お屋敷には大勢の家族や使用人が賑やかに暮らしていたはずで。彼女の願いはいつもたやすく叶えられていたのでしょう。「お父様、お人形が欲しいの」。小さな彼女は甘えた声で、いつも父親に人形をねだる。

 娘に弱い父親は、そのたび古今東西の人形を、求められるままに与え続けて。彼女の部屋はいつしか、人形のお城となったのです。

 いつか時が流れ、時代は変わり。隆盛を誇ったそのお屋敷も、時代に取り残されたまま風化して。父母も使用人も、誰もいなくなったそのお屋敷の中で、年をとったお嬢様は、それでもその場では、今でも少女なのです。大好きだったお人形に囲まれて。彼女の中では、時間がとまっているのだと思いました。

 ジュモーの人形を見て、そんなことをふと、思い出したりしました。

 それにしても、願いは思いがけない形で叶うものです。ガラス越しでないジュモーに会いたい、その願いが叶って、大満足の連休でした。

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