『twilight』Stephenie Meyer 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
映画『トワイライト~初恋~』の原作です。日本語訳はティーン向けの小説となっているそうですが(私はまだ未読)、この原作の方は、大人が読んでも十分に楽しめる内容だと思いました。
吸血鬼もの、というところにまず、私は心惹かれて本に手を伸ばしたんですよね。映画のタイトルに「初恋」とつくところがまた、せつなくて。
ヴァンパイアに恋した人間の女の子。それが初恋だったら、きっと泣けるなあと。ぜったい、叶うはずないし。でも初恋なら、どんな計算もなくただただ突っ走って、転んですりむいて、痛くて泣いて。それでも何度でも立ち上がって、その人の影をいつまでも追いかけるのかなあって。
日本語訳でなく原書を選んだのは、日本語訳のタイトルがまず、あまり好みではなかったからです。「愛した人はヴァンパイア」。う~ん、まあ、そういうお話なのだけれどあまりにストレートすぎて、う~ん。このタイトルだと、コミカルな香りもしますね。それと表紙のイラストが、やっぱり十代向けなので、私にはあまりぐっときませんでした。
ということで、原作本。これはまず、装丁のセンスが抜群です。『twilight』『new moon』『eclipse』『breaking dawn』の4冊で完結しているのですが、それぞれに描かれた表紙の画像が美しいのです。
すべての始まり、『twilight』は、赤いリンゴを両手でそっと包みこみ、こちらに差し出す誰かの腕を描いています。差し出す腕は白く、頼りなげで細いのですが、りんごだけが現実感のある赤さを放っていて。これは主人公の高校生、ベラの純粋な気持ちを表しているのかなあと思いました。
そこには顔も体も描かれていない。ただ腕しかないのですが、だからこそ闇の向こうに、読者は自由にベラを想像することができるのです。
読み終わった後に思いました。ベラはやっぱり、眩しいほどに若いのです。だから本当に、まっすぐなんだなあと。りんごを差し出す手に、迷いはないのです。逆に、自分がもしヴァンパイアのエドワードだったら、こんな風に気負いなくりんごを差し出されたら、その純粋さに感激するだろうなあって思ったのです。
私が一番心を打たれたのは、やはり本の最後の部分ですね。瀕死のベラを、必死で蘇らせようとするエドワードの描写です。
ベラはぼーっとした頭で、それを最初はエドワードではなく、天使の声だと思うのですが。
いかにも純愛というシーンだなと思いました。ベラはわりと達観してる部分のある女の子だと思いますが、いつもは冷静で本当はベラよりずっと長い時間を生きているエドワードのほうが取り乱して、乱れた感情をとりつくろう余裕もなく、ただただ彼女の生還だけを祈る。
この時点だけを取り出してみれば、相手へ向ける愛情度は断然、エドワード>ベラ です。
ベラの愛情は、このときにはまだ薄かったのか・・・その後はともかくとして、この時点ではあまり、エドワードに対する執着は感じられないような気がします。
>And please, please don’t come after him.
(お願いだから、彼を追わないでね)
ベラに万一のことがあれば、エドワードは怒り狂って「彼」をどこまでも追いかけるだろうに。それをどこまでわかっているのか、ベラはあっさり、上記のようなメモを残すわけです。そのへんの幼さが、なんとも言えません。たぶんベラ自身、この時点ではそこまでエドワードを想っていないのかなあ、とさえ思ってしまうような文章。
読みながら、「そんなの絶対無理でしょ」と、思わず心の中で呟いてしまいましたもん。目の前にありありと想像できましたよ。ベラを失い、自分に残されたエネルギーの全てを、復讐に変えるエドワードの姿が。怒りの蒼い炎がゆらゆらとエドワードを包んで、きっと彼は自らの存在意義を賭けて、ベラを奪った「彼」と対決したでしょう。決して、「彼」を許さなかったでしょう。ベラが懇願することがどれだけ無駄か、それがわかっていないところがまた、ベラの幼さだなあと。
ベラを失いかけたエドワードの悲痛な叫びが、印象的な『twilight』でした。しかしこれは始まりにすぎず、次の『new moon』では、また驚きの展開が、2人を待っていたのです。
ということで、『new moon』についてはまた後日書きます。私は、『twilight』以上に、『new moon』が好きになりました。