『ガラスの仮面』44巻を読みました。以下感想を書いていますが、ネタばれしていますので、未読の方はご注意ください。
43巻の発売から1年も経っていないハイペースでの出版。張り切って本屋さんに飛び込み、大量に平積みされた44巻の1冊を手にして、お会計の後、ウキウキで店を出ました。一気に読み終えて一言。
桜小路くん。きっとどんなに待っても、マヤはあなたのことを好きにはならないと思う。たぶん(^^;
一方、ますます輝きを増す真澄さまでありました。悩む姿がまた、なんとも。マヤとマスミンはどっちも積極的に動かないので、話がちっとも進まないのがちと、アレですが。
いつになったら完結するのかなー。紅天女、マヤと亜弓さんの差は、ますます広がってきたような。もちろん、亜弓さんは素敵な女優さんではありますが、マヤは紅天女を演じるために生まれてきたようなもので、それと勝負しなくてはならないのは、あまりにもハンデがありすぎ、と思いました。まあ、物語としてはライバルがいなくては盛り上がらないので、亜弓さんがいなければつまらないことになってしまうんですが。
でも、やっぱり紅天女はマヤでしょう、と改めて思いました。
いやいや、でも44巻で読者にそう思わせているということは、またこれからも一波乱、二波乱、十波乱くらいあるのでしょうか。
マスミンとマヤは、やっぱり似てるんですよね。感性というか、センスが同じで、一緒にいても無理を感じない。もうこれは、二人が二人以外と結婚したら、絶対後悔するだろうなと思いつつ、読んでました。
二人とも、あれこれ理由をつけては、この想いは叶わないと決めつけてますが。いやいや、その気持ちを押し殺して別の人と結婚したら、それこそ一生、苦しみ続けるわけで。
お互いに好きなのに、ここまで鈍感というか、両思いなのに気付かないのはもう、読んでてもどかしいですね。
漫画の中で眺望抜群の社長室が出てくるたび、なんとなく、日比谷の某ビルを思い浮かべてしまいます。あそこがモデルなのかなあって。
大都芸能って、私のイメージだと東宝なんですよねえ。
ということは、マスミンは松岡修造さん・・・いや、松岡さんだとちょっと熱すぎるから違うか。
マスミンは熱いとはいっても、限りなく氷点下に近い、蒼い炎って感じですね。静か~に、でも、仕事やマヤにかけるエネルギーは、半端ないです。
紫織さんは、マスミンのことを好きなのはわかるけど。もう諦めたほうがいいと思う。
だって、人を好きになるのって、理屈じゃないもんね。マスミンのマヤへの想いは、もう他人がどうにかできる域を超えちゃってるから。こっちを振り向かせようとすればするほど、きっとマスミンは紫織さんを嫌いになっちゃうというか、うざったく感じるはず。
そこがドラマといえばドラマなのですが、別荘での紫織さんは、愚かでしたねえ。
こういうの、本当に理解できないです。
自分に気持ちがない人に、どうして執着するんだろうって。だって、他の人を好きなのがはっきりわかったのに、どうして?って。
それで結婚して幸せになれるわけがない。どっちもつらい思いをするだけなのになあって。意地? 片思いでも恋は恋ってこと?
私が紫織さんなら、別荘へ行った後、マスミンへの気持ちは冷めてしまうと思う。動揺もするし、悲しくなって泣くだろうけど、でも、諦めがつくなあ。
そうですか・・・・よくわかりましたって、納得する。よくわからない人を好きになって、その人は自分に理解できない世界を持っていて、だからよけいに、その人は魅力的で。
でもその人が、その「よくわからない世界」を共有できる人をみつけたなら、それはよかったねえとも思うし、その人にはかなわないって思うだろうなあ。努力以前に、自然にわかりあえるって、無敵だもんね。
紫織さんには紫織さんの、固有の世界を共有できる人が、きっといるんだから。それこそ、その世界は、きっとマヤにもマスミンにも理解できないものなんだから、と言ってあげたいです。
私は大和和紀さんの『はいからさんが通る』という漫画も大好きなのですが、ガラスの仮面と、関係性が似ている部分があるなあと思っていました。伊集院忍(少尉)はマスミン、ラリサは紫織さん。どちらも、決して悪い人じゃないんですけど、がんじがらめの状況で、どうにもならなくなってしまうのがせつないです。
思いやりとか、無理やりの諦めとか、ここまできたら引き下がれないとか、絶対に恋とは違う次元での、愛情とか。
ラリサの下した決断。果たして、紫織さんも同じような決断をするんだろうか。登場人物たちを結びつける糸は、ますますもつれて目が離せません。
45巻の発売が、楽しみです。