ドラマ『流れ星』感想

 毎週月曜日に放送しているドラマ『流れ星』の感想を書きます。ネタバレしているので、未見の方はご注意ください。

 ふたご座流星群を見ていたら、『流れ星』のことを書きたくなりました。

 このドラマ、私はそんなに熱心に見ているわけではなく、初回の放送は見逃してしまっています。来週は最終回ですが、今週も冒頭の10分は見逃しました(^^;

 なぜって、主人公の健吾(竹野内豊)に共感できないから・・というのが、一番大きいかな。竹野内さんは好きだけど、健吾のキャラはちょっと。

 健吾の妹のマリア(北乃きい)ちゃんが重い肝臓病で、彼はその肝臓移植のドナーになってもらうために、梨沙(上戸彩)と契約結婚をするんです。肝臓をもらうために。

 梨沙には両親がなく、たった一人の身内の兄、修一(稲垣吾郎)は、妹に借金を押し付けるようなロクデナシ。一生この兄貴にたかられ続けるのかと人生に絶望した梨沙が、自殺をはかったところを助けたのが、健吾です。

 死ぬくらいなら、肝臓をくれ、というのは、わかるといえばわかる論理で、それでもやっぱりヒドイ、と思ってしまう。

 健吾は37歳。梨沙は26歳。

 肝臓移植のドナーになることの意味を、危険性を、きっと梨沙は本当にはわかっていないと思うのです。でも少なくとも健吾は、わかってるよね。梨沙より11歳年上っていうことは、そういうことだと思う。

 その場限り、ということではなく。それは、リスクは一生ものだと思う。決して、安易に引き受けられるような、簡単な手術ではないはず。

 自殺未遂をするほどの精神不安定な若い女子、しかも、保護する身内のいない人間に、契約でドナーを持ちかけるというのは、どうも私には納得いかないというか、モヤモヤするものがあって。

 健吾は妹を大切に思い、愛しているんだろうけど。

 梨沙だって、大事な一人の人間なわけで。そこのところを、健吾はあえて見ないふりしてるんでしょうね。

 健吾は、もしマリアが梨沙の立場だったら、ドナーになることに賛成するだろうか?と。

 

 まあいろいろありつつも、結局手術は行われ。そして梨沙は、健吾や、健吾の母、そしてマリアと擬似家族としての、つかの間の時を過ごし。

 家庭の温かさに飢えた梨沙が、岡田家の家族になることに喜びを感じてしまうところが、すごくせつないです。

 どうしても、肝臓がちらついてしまう。

 ドナーになったから、健吾の母は梨沙に優しい。

 ドナーになったから、健吾は梨沙に優しい。

 つきつめてしまえば、そういうことかなあって、傍から見ていてそう思うから。

 梨沙はきっと、自分が手術を受けることで岡田家の一員になれたことが、嬉しかったんでしょうね。それがわかるだけに、見ていて可哀想というか、せつなくて。健吾に恋していく様子も、それも無理ないよなあとわかるだけに、なんともいえない気持ちになります。

 健吾はマリアに対して優しい兄なんですよね。梨沙の兄とは全然違って。それで、マリアに対しても、優しいわけですよ。マリアが風俗嬢だと知っていても、それに対して嫌悪感とか表さないし。素のマリアを、そのまま受けとめてくれるわけで。それでもって、マリアをあの、ヒドイ兄貴からかばってくれようとさえする。

 天涯孤独のようなもので。ひとりぼっちをずっと生きてきた梨沙が、健吾に惚れてしまうのも無理はないというか。健吾に惚れてしまった梨沙にしてみたら、もうドナーになることはお金の問題ではなく。本当に、本心からの提供だったと思います。そうすることで、岡田家の一員になれる、という。そういう気持ちは深層心理にはきっと、あったと思う。

 最初は、契約で。お金の取引だったわけですが。

 300万。成功報酬でプラスアルファ。

 この金額にしても、37歳の健吾にとっての300万と、26歳の梨沙にとっての300万は、ずいぶん価値が違うでしょうね・・・・。

 26歳の梨沙にとっては大金。手術のリスクなど霞んでしまうほどの法外なお金。たやすく手には入らないもの。

 でも健吾には? そのお金で、契約結婚・・・・。うーん。やっぱり健吾、ひどいと思う・・・。お金が高ければいいって話でもないですが。

 ドラマ見てるとね。梨沙は本当に、健吾が好きだなあって思うんですよ。どんなに蓮っ葉な言い方をしても、好きだって気持ちが画面を通して伝わってくる。好きで好きで、でも自分なんかは健吾にふさわしくないって、そういう自制のジレンマも痛いほどに、伝わってくるわけですよ。

 対する健吾は。私には、梨沙に惹かれてるようには思えないんですよね。手術を受けてくれた感謝、その勇気に対する尊敬、それから、修一という兄貴を持ったこれまでの人生への同情、そういうものが混ざり合っているようにしか、思えない。

 好きかもしれないけど、それって恋愛じゃないよねっていう。

 梨沙に対して、「いい子だな~」という思いはあると思うけど、じゃあそれが、恋人としてとか、夫婦としての愛情かと問われたら、それはどうかなあと。

 来週は最終回です。

 今週のクライマックス。それは梨沙のこんな言葉だったと思います。

>私、どこに帰ればいいの。

>また1人にするのかよ。

 これ、どんなシチュエーションかと言いますと。梨沙の兄貴が、ドナーのことを臓器売買だとしてマスコミに密告しまして。契約結婚のことがばれたら梨沙までもが罪に問われると危惧した(と思います)健吾は、新聞記者に「契約結婚ではない。自分が梨沙を騙して結婚し、肝臓をもらったのだ」と言っちゃったわけですよ。

 一人で悪者になればいい、と思ったのかもしれませんが、これは最悪の選択だったと思います。

 すでに健吾に恋している梨沙。すでに手術を終えてしまっている梨沙。これがまだ、手術前であったならともかく、手術が終わった今、健吾が「俺が騙したんだ」なんて世間に向かって訴えるなんて、梨沙はどんな気持ちになることか。

 梨沙は悲しいと思う。堂々と、世間に向かって、「僕たちは愛し合っている夫婦なんです」って言ってほしかったと思う。本当は愛されてないこと、梨沙はわかってると思うけど、それでも、今の梨沙にはどんなにか、それが嬉しい言葉だったろうって思う。

 手術が終わってしまった今、健吾が梨沙にしてやれることはそれくらいしかなかったのに、どうして・・・。

 優しさのつもりだったかもしれないけど、それは違~う、と強く思いました。

>私、どこに帰ればいいの?

 あー、ほんとに、その通りだよねえ、と思ってしまう。守れないなら、梨沙が家を出て一人で暮らすといったときに、引き止めなければよかったのに。最初は寂しくても、つらくても、いつか傷は癒えたし、健吾のことを忘れたかもしれないのに。

 気持ちを揺さぶるかのように、引きとめて。そしたら梨沙だって、期待しちゃうよね。残酷すぎ。

 なんのかんの言いつつ、これだけ書くということは、このドラマにはまっているということなのでしょう。

 最終回、どんな結末になるのか、しっかり見届けたいと思います。

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