速水さんにとっての、幸せな結末。その定義とは。

『ガラスの仮面』美内すずえ著 に登場する速水さんの八方塞がりっぷりについて、今日は語りたいと思います。文中、ケースその○、に記載のセリフや心情等は、あくまで私が勝手に予想した ものです。実際に原作にあるセリフ等ではありません。また、いろいろ暗い予想などもしておりますので、そうしたものが苦手の方はご注意ください。

速水さんに、果たして出口はあるのだろうか? ということを、考えていました。
幸せな結末、納得のハッピーエンド、状況が揃えば、それは可能だろうか? と。
たとえば、ちょっと前の速水さんなら。『別冊花とゆめ』2011年3月号より前の、速水さんだったらこんな感じ。

ケースその1

マヤ☆速水さん、あたしあなたが好きです。
速水☆(なっなにを言い出すんだ。これは罠か?)

ケースその2

マヤ☆速水さん、あたしあなたが好きです。
速水☆(チビちゃん、今きみはきっとひどく混乱して、自分を見失っているんだ、正気じゃない。)

ケースその3

マヤ☆速水さん、あたしあなたが好きです。
速水☆(もう憎んでいないと、許したと言いたいのか。フッ。ようやくマイナスからゼロへ格上げされたようだな)

ケースその4

マヤ☆速水さん、あたしあなたが好きです。
速水☆(気の迷いか? だがきみはおれを知らない。本当のおれを知れば、きっと熱は冷めるだろう)

これがたとえばあの社務所シーンで。あれだけ究極の、他に誰もいない二人だけの空間が一定時間確保されたあの場所で、もし、マヤがストレートに「好きです」と愛の告白をしたとして。
虚勢を張る必要のない速水さんが、マヤの告白をどう受けとめるか・・・。
私にはどうしても、上記4ケースのように、愛されてる事実を全力で否定する速水さんの姿しか見えてこないのですよね。

ケースその1では、なにかの計略だとマヤの真意を疑い。
その2ではマヤの正気を疑い。
その3では言葉の解釈をねじふせ。
その4では、愛されるはずはない、その価値もないと自嘲する。

どこからどう攻めても、速水さんが両思いを喜び、幸福感に包まれる展開が見えてこないんですよね~(^^;

では、『別冊花とゆめ』2011年6月号以降ではどうでしょう?
二人の距離はかつてないほど急接近しましたが、速水さんに変化はあらわれるのでしょうか?

ケースその5

マヤ☆速水さん、あたしあなたが好きです。
速水☆(おれもだ。だが今きみの手をとれば、きみはスキャンダルに巻き込まれ、紅天女の夢を失う。舞台に立ち続けられるかもわからない。おれにはそんなことは、耐えられない。)

さすがに、6月号以降で、マヤの心を疑うということはないでしょうけども、焦点は「マヤの幸せ」に絞られてくるような・・・・。
速水さんと一緒になることが、マヤの幸せなのか、ということ。
このことについて、実は誰より疑念を抱いているのは、速水真澄本人その人なのではないかと想像しました・・・・。

マヤが無邪気に「好き」と愛情を口にすればするほど、両思いが幸せであればこそ、速水さんはより一層強い気持ちで、マヤを守ろうとするのではないのかと。
そして、マヤが愛を主張するごとに、速水さんは追いこまれていくのです。

根底にある、「自己否定」の気持ちに。

自分と一緒になることが、マヤにとって本当の幸せなのか?と。速水さんはそれを、信じていないと思うから。疑問形ではなく、実は深層心理では強烈に、思いこんでいる部分があるのではないかと。

やっと踏み出した一歩。
迷いながら、それでも初めての感情の濁流に飲み込まれて、速水さんが蓋をしていた自分の気持ちに素直になった次の瞬間、現れてた現実は、紫織さんの自殺未遂。
マヤに、近付いてはいけない。彼女を不幸にするから。
ほら、やっぱりそうだったじゃないか。
マヤと歩こうと決めたって、やはり現実はそれを、許さないじゃないか。

マヤには若さがある。未来がある。
不幸をしかもたらさないような自分と、一時の盛り上がり、気の迷いで結ばれたとして、彼女がそれを後悔しない日がこないと、誰に言えるのか。
たとえばあの桜小路となら、お似合いの二人。きっとマヤは絵に描いたような平穏な幸せが手に入るのに。

なーんて。
速水さんの頭の中、いろんな思いが渦巻くでしょう。

速水さんにくらべたら、マヤの視野は狭い。それはまあ、誰が考えてもそうでしょうね。
彼女が彼女なりに本気で、「あたしは平気。なにがあっても平気」なんて、速水さんを抱きしめたとしても。
彼は、自分自身に問うでしょう。
「マヤはただ、この後におこる現実の厳しさを知らないだけなのに。それでも判断を委ねてしまえるのか? きみが選んだことだと責任を逃れて、己の欲望さえ遂げられたら、お前はそれで満足なのか?」

まったくの予想なのですが、上記のように考えてみると、あの4月号の、マヤちゃん抱擁シーンがまた、伏線のように思えてきます。こんなセリフがありましたよね。

>あたし大人になりますから・・・! 早く大人になりますから・・・!
>待っていてください・・・! 速水さん・・・!
>あたしのこと待ってて・・・!

マヤちゃん渾身の言葉、魂の叫びを、速水さんは結果的に、裏切るような形になるのではと。そうすることが、彼女のためになると信じて。
あるいは・・・そうした動きの中で、彼はマヤと、永遠の別れをすることになるのかもしれないと思いました。

紅天女は、そういうお話だと思うのです。
死と再生。つながる命。一度失わなければ得られない、気付けない真実。捧げられた思い。

4月号で、マヤが必死になって追いかけた速水さんの背中。
それは、その先の悲しい別れを、象徴する幻像のようなものかもしれません。マヤが思わず、ためらいを投げ捨てて追いかけずにはいられなかったその背中。
彼はいつも、なにも言わずに先に行ってしまうから。

残された者は、幾度もその背中を思い出すでしょう。

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