実りの秋。
ずっしり実った米の粒。ゆさゆさと風に揺れる稲穂を眺めながら、川沿いに自転車を走らせるのは最高に気持ちいいです。
お米の収穫ももうすぐね~♪、ふんふんふーんと、鼻歌気分で走っていると、一面茶色く枯れ果てた荒地を発見。
米が収穫間近のこの時期に・・・・そのすぐ隣の土地で、なぜ除草剤をまくのか。謎です。謎というか、その神経が理解できないというか、除草剤に関してはなにかの規制が必要ではないかと、つくづく思ったのでした。
この荒地。元は畑でした。田んぼに隣接してるんですけども、半年前くらいまではおばあちゃんがよく、手入れをしていました。そのおばあちゃんが亡くなったと聞いた頃から、誰の手も入らない畑は荒れ放題になり、雑草が跋扈する単なる草むらに変わってしまいました。
草の丈がある程度高くなると、それでも2度くらいは、誰かが草刈りをしてたんですが。すぐに草はまた生えてくる。
夏の草の繁殖スピードには、凄まじいものがあります。
でもだからといって、一面その草を枯れさせるほどの薬剤をまいて植物は皆、茶色く枯れ果て。そのすぐ隣では稲が収穫を待っている・・・・この光景は相当シュールです。
アスファルトのわずかな隙間にさえ蔓延る緑が、まったくなくなってしまった土地を目にすると、その不自然さにぞっとします。
田んぼも除草剤は使いますが、この、収穫間近の時期にはありえないですよね。いくら隣の畑といっても、地理的につながっているわけで、その成分は容易に流れ込みますよ。そんなこと、わかりきってるのに。
自分の土地だから、除草剤をまこうがなにをしようが、関係ないというのでしょうか?
除草剤は、毒なんだけどなあ。人間にとっても、有害でないわけはない。
作物を育てる上で、どうしても必要だというのならともかく、今この時期に除草剤で草を根絶やしにする、という行為。そこに緊急性は見出せません。
荒れて雑草がはびこると、近所から苦情がくる、というのもわかりますが、この「除草剤使っておけばいい」という考え方は、なんとかならないものなのでしょうか。
この荒地とは別に、その近くにもやっぱり荒れている一画があるのですけれど。
もう数年来、そこは除草剤を使い続けてますね。
人を頼んで草刈りをさせるのと、除草剤で草を一掃するのと、交互にやり続けてます。
自然の回復力はたいしたもので、除草剤で根絶やしになった緑も、数か月たてばまた少しずつ回復していくのですが。
繰り返される除草剤の散布は。
数年間で、いったいどれだけの薬剤がこの土地にしみこんだのだろう、と心配になります。
まったく、なんの利用もされていない土地。
ただ草が生え、そして除草剤を撒かれる。その繰り返し。
うちの近所、今、開発が盛んなので。やがてその土地も、宅地として買い取られる日がくるかもしれません。買う人は、その土地に何年も除草剤がまかれたこと、知らないでしょう。
その土地で、小さなこどもが庭遊びをするんだろうか、と考えると恐い話です。そこで、家庭菜園なんかもやっちゃうかもしれないわけで。
草刈りが、一番いい方法だと思うんですけどね。除草剤使うよりも。
ただ、経費の問題なのかな。人を頼むと、お金がかかるから。
除草剤だったら、高齢者でも簡単にできるから、そっちのほうを選ぶのか。やはり、除草剤は規制してほしいです。農業をやっていて、どうしても必要な場合を除いて。単に荒地の管理目的で、除草剤を使ってほしくないです。
というか、荒地で自分が管理しきれないのなら、手放す道も考えるべきなのではないか、と思いました。ただ放っておいて草を生やすなんていうのはもったいない。利用されてこそ、土地の価値はあるのではないかと。
先祖伝来の土地に対する執着、というのは、気持ち的にはわかりますが。土地は使わなければ意味がないし、まして管理のために果てしなく除草剤をまき続ける行為、というのはひどく有害だと思うのです。
私が、その荒れ地の隣にある土地オーナーなら。
隣地は、除草剤で定期的に綺麗にするより、むしろ草をぼうぼうに生やしてくれていたほうがいいです。薬剤が流れてこないぶん、その方がまし。
匂いもなく、まかれた直後は除草剤の存在に気付けない、というのも除草剤の恐さです。草が一斉に枯れ始めて、その時初めて、「撒いたのだ」と気付きます。
せめて、ガスのように臭い匂いが、薬剤についていたらなあと思います。
見えない、わからないことが、危ないのです。