思い出すのは。
住宅街の散歩。
いい天気で、太陽が心地よくて。
写真を撮ったのだ。なんでそんなありふれた場所で写真など、と。今考えると、本当におかしな話なのだが。
高さのある坂を上っていった。
あたりの住宅を、あれがいいこれがいいと批評しながら。いつか家を建てるなら、こんなのがいいな、などと話しながら。
坂の向こうには、きっと素敵な光景が広がっているだろう、と私は予感していた。
坂の上に立ったとき、その人は振り返った私を写真に撮った。
「なんで写真?」と訝しむ私に、「撮りたかったから」とその人は言った。
そして立て続けに、数枚の写真を撮った。
特に観光名所でもない場所で。ありふれた散歩道で、写真を撮る行動はとても不思議に感じられたけど、できあがった写真の私は、うれしそうに笑っていた。
芥子色の服を着ていた。
その写真は、今はもう手元にはない。
昔の写真は、処分してしまったから。
たったそれだけの話なのだが、あのときの空気は、深く心に残っている。
同じように、よく晴れた天気には、思い出すことがある。光の色。素敵な庭。建ち並ぶ家々の意匠。
そのときの私が考えていたことや、未来や、よく立ち寄った喫茶店の指定席、窓から見える風景。
寒い日には、ローズヒップティーを頼んだ。
透明なティーポッド越しに、赤い色を見つめていた。口にしたときの酸味が、新鮮だった。
書店にも寄った。雑貨屋にも寄った。
新しくできたレストランに興味津々で、思いきって入ってみたら案内された席のすぐそばに、謎の、鉄製大扉があったこと。
古い蔵を借りて、内装を整えた店内。果たしてその扉はオブジェなのか、本物か。
私は、その扉は本物だと想像した。
客には公開されない開かずの部屋が、向こうにはあるのだと。扉の向こうには、歴史ある数々のアンティークが、ひっそり眠りについているのだと。
いろんなものがまとまって蘇ると、心は不思議な感情で満たされる。
懐かしくて、少し痛い。
それに、意味はあるのだろうか。と考えたりする。
どうして写真を撮ったのかな。
どうして私は、あんなに素直に笑っていたのかな。
今の私が写真を嫌いなのには、少しだけあのときのことが関係しているのかもしれない、と考えたりもする。
写真を撮られるのは嫌いだけど、散歩は今でも好きだ。
昔より、早足になったのだけが、違いといえば違いである。