『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ 著が、音楽座ミュージカルで舞台化されていたことを知り、ちょっとびっくりしました。
おおー。あのお話を舞台化ですか・・・。
そして思い出したのです。あの本を読み終えた後の、なんともいえない胸苦しさを。心に重さが残る小説でした。でも奇妙に印象深くて。ずっと覚えてます。
といいつつ、結末は覚えてないんですけどね(^^;
覚えているのは、キャプテン・コックがムーシュに憎しみを募らせ、その無垢さに苛立ち、暴挙に出たショッキングな場面。
最低だ・・・と思ったし、読んでいてつらかった。でも驚くことに、このキャプテン・コック。反省しないのだ。暴挙は何日も、続くのだ。
もうその時点で、なんなんだこの人・・・ひどすぎる・・・と思ったし。逃げないムーシュにも、苛立ったりした。たしかにムーシュには他に行き先もなく、人形一座を出れば生きていけないのかもしれないけれど、それでもここに、この場に居続けるよりはましなのではないかと。
翌朝、とても優しい人形たち。
読んでいるうちに混乱した。この人形には、別に魂が宿っているわけではないのよね? それにムーシュは、幻覚を見ているわけでもないのよね? だったら何? これはキャプテン・コックの本心?
なんとなく。一度だけの過ちなら、わかるような気がしていた。
やりきれなくて。キャプテン・コックがムーシュに抱いた、挑戦のような気持ちが、わからなくもなかった。
こんなにも汚い自分を、受け入れられないだろう?って。
自分を卑下するキャプテン・コックは、傷付く前に防御の殻をかぶったのだと。
わざと嫌われるようなことをして。そして嫌われて。
そうしたら、もしかしたら愛されるかもしれないという最後の夢を、いつまでも未練がましく持ち続けなくて済むから。
それを持ち続けることは、いつ失うかという恐怖との、隣り合わせだから。
でも。
読んでいて本当にわからなかった。
それを続けることの意味が。
たった1度で十分じゃない? どれだけムーシュが傷付いたか、傍にいてそれがわからないのか? 2度3度と重ねるなら。そこに愛なんて、ないんじゃないかと。残酷な喜びだけ、のような気がした。
もし私がキャプテン・コックの立場なら。たった1度だけでもう、吐き気がするほど自分にうんざりして、居たたまれなくなったと思う。感情に流された1度目はあっても2度目はさすがに・・・。
人形たちが優しいから、ムーシュは出て行かなかったのだろうか。
読んでいて、胸が苦しくなる場面でした。でも、忘れられなくて、ずっと覚えている小説でした。
あのお話を舞台かあ。
どんな感じだったんだろう、と思います。
久しぶりに、小説をもう一度読んでみたいと思いました。時間がたてば、また感想も違ってくるのかもしれません。