うちの近所に、数年前から耕作されなくなった田んぼがあります。
畑にしようと思ったのか、中途半端に土が入ったものの、すべてを埋める前に工事はストップしてしまい。そのまま季節が幾度か巡りました。
低いところには、低いなりの。
埋め立てが終わったところには、それなりの。
雑草が生い茂りました。
年に数回は刈り取られて、その直後はすっきりしているものの。雑草の生命力は凄いです。またいつの間にか、元通り。
高く背を伸ばした草の葉が、風にゆらゆらと揺れています。
その光景が、私は好きでした。ススキに似た草が、一斉に揺れる風景や、葉の擦れるささやかな音。つい見入ってしまいます。
幾重にもキリのない波紋みたいに、延々と波打つ草の画は。通りかかるたびに、つい覗きこんでしまうものだったのですが。
今日は面白いものを見ました。
近所の飼いネコが一匹。放棄地の脇でぴしっと背筋をのばしたように、容易く触れられないような威厳を漂わせて、座りこんでいるのです。
顔を真っ直ぐに、草原に向けています。
背中は真っ直ぐに、道路を向いています。
まるで人間が、瞑想しているようにも見えました。猫の目には草の波が映ってはいるのでしょうが、だからといって猫の心はその草の波そのものにはなく。さらにその、向こう側にあるような。
微動だにしないその佇まいからは、まるで修行僧のような清冽さを感じました。
まるで人間が、物思いにふけっているようにも見えます。あまりにも集中していて、心がまるで、別次元に飛んでいるようです。
こんな猫の姿をみるのは初めてで、私は猫を驚かせないように、足音を忍ばせるようにして、その傍を通り過ぎました。
用事をすませて、30分後に、再び同じ道に戻ってきたとき。私は信じられないものを見ました。
なんとあの猫が、まったく同じ姿勢で、同じ場所に座りこんでいたのです。猫は30分も、その場を動かないままでした。眠っているのとも違います。目はしっかり開いて、ぼんやりと草むらを映し出しているようでした。
けれど、こんなことってあるのでしょうか。物思いにふける猫。瞑想する猫。無我の境地に至る猫。
私はやっぱり、出かけた時と同じように、猫を驚かせないよう、そーっと抜き足、差し足。
心がのぞけるものならば。あの猫の心をのぞいてみたい。そこに映る風景を見てみたい。そう思った、一日でした。