ひまわりを見上げる

 夏ですなあ。
 二メートルを超えるひまわりが咲きました。青空によく映えます。

 それにしても、これだけ背が高くなると、支柱を立ててもらわないと自立できないのですね。それって自然の植物としてはどうなの?(^-^; と思ったりして。

 あーそうか。自然のやつは、別に見てくれがどうでも、次世代に続いていきさえすれば、構わないのか。直立してないと、なんとなく気持ち悪いっていうのは人間の勝手な感想なのであって。

 自然界だったら、たとえ45度に傾いていようが、枯れなければそれでオッケーですもんね。なるほどなるほど~。

 支柱を立てる手間はかかるかもしれませんが、ひまわりはやっぱり背の高いのが好きです。見上げたいから。夏って感じがするなあ。

 ひまわりといえば、『ひまわり』を作詞作曲した福山雅治さんですが。あの曲は最初の歌詞が、いろんな情景をぎゅっと凝縮していて、あれだけで、ひとつの広大な世界を構成している、と思います。

>夢を見ていました あなたと暮らした夏

 これですよ~。この言葉だけで、記憶がぎゅーっと強制的に引き戻されるような錯覚を覚えます。もう、その他の歌詞や後のメロディは、おまけといってもいいかもしれない。

 時間がさかのぼると、夏の風景が鮮やかによみがえってきますね。本当に一瞬だなあと思う。一瞬で、過去の映像の中に自分自身がいるようで。

 私が福山さんを初めてテレビでみたのは、かなり昔。なにかのドラマの宣伝です。番組中に、新番組のドラマの紹介ということで、そのドラマの出演者が勢ぞろいしてました。

 今となっては、なんのドラマだったか、さっぱり覚えていません。
 共演者が誰だったか、主演は誰だったのかすら、記憶にないです。

 けれど、そのときの福山さんの表情があんまり印象的で、後に彼がブレイクしたとき、「あ、あのときの人だ」とすぐにわかりました。

 なぜかというとですね、そのときの福山さんはまだ知名度もない新人で、役もそんなに大きなものではなかったのですが、顔に「なんで俺が主役じゃないの?」と書いてあった(ような気がした)から( ̄○ ̄;)!

 すみません。そんなの勝手な思い込みだろうと言われてしまえばその通りなのですが、私には、おでこにそう書いた紙が貼ってあるくらいはっきりと、福山さんの不満が伝わってきたような気がしてしまい。
 もちろん、ご本人はもしかしたら体調不良などで、少し顔をしかめていただけ、なのかもしれないのですが。というかそもそも、ただ無表情なのを私が勝手に、そう解釈してしまっただけかもしれませんが。

 そのとき私は少し驚いて、まじまじとテレビ画面をみつめてしまったのです。
 不満が顔に出てるけど、でも全国ネットのドラマに出るだけで、本当はすごいことなのになあ。なにがそんなに気に入らなかったのかな。と。

 整った顔立ちでした。
 そうか~。もしかして、地元ではモテモテだったのかな。それで自信をもって芸能界に入って、そしたら主役じゃなかったから、アレ?という感じなのかな。でもドラマは、全国から集まった美男美女がたった一つの主役を競い合う場だからなあ。競争激しいよね。いきなり主役というのは難しいかもしれないけど、勝負はきっとこの先だね。

 などと、私は勝手にいろいろ思ったのでした(゚ー゚)

 目に力があって、「俺はやってやるぜ」的な意気込みを感じたので、それが印象に残っていたのですが。

 後にブレイクしたとき、「あ、あのときの人だ~」と思いました。同一人物で、間違いないと思います。確証はないですけど。
 今では、歌にお芝居に大活躍ですね。湯川教授の役も、ぴったりです。

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