映画『容疑者Xの献身』のテレビ放送がありました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未見の方はご注意ください。
東野圭吾さんの原作も読んだことありますが、映画も素敵だなあと思いました。福山雅治さん演じる湯川先生が、いかにも理系の変人(褒めてます)(^^)という感じで、湯川先生がみつめるからこそ、堤真一さん演じる石神の悲しみが、より一層胸に迫ります。
湯川先生の目線が、いいんです。
同情に似た、でも同情とは違う、悲しみに似た、でもそれとも違う、なんだかわけのわからない、でも、温かいもの。
石神は、自分を救ってくれたと感じた花岡靖子(松雪泰子さん)に、恋していたんですね。一方的で、どうしようもない、終わりの見えてる思い。
靖子の知らないところでもう一つの殺人を犯し、同じ立場、殺人者となることでひそかな陶酔にひたっていたのだろうか、と思いました。あの殺人は、必要のないものだったような気がします。
完全犯罪を目論むなら、もっといい方法があったはずなのに。なぜ彼は、ひそかに殺人者になったのだろうと。
春琴抄の佐助のことを、思い出しました。そうすることでしか、同じ舞台に上がれなかったのかな、と。
靖子は、石神に犯行を隠蔽してもらったことで、彼に負い目を感じることになります。その負い目がある限り、石神が夢見たであろう、対等な関係の二人にはなれない。
キャスティングに関しては、松雪泰子さんはあまりに明るくて、翳がないように思えました。暴君の元夫から逃げ出した悲壮感がないというか。元ホステスにも見えなかったな…。
やさぐれ感がもう少しあると、石神との関係ももっと、複雑になったのかもしれないです。
石神が靖子を見初めたのには、彼女の持つ暗さも、一因ではないかと思うので。これはもう完全に、私見ですけど。
もちろん、親子のにぎやかな明るさに惹かれつつも、その一方で、靖子の苦労の過去や、苦い後悔を、どこかで嗅ぎつけたからこその恋、だったのではあるまいかと。
ただ明るくて楽しいだけの人だったら、石神はあそこまで、親子に執着したのかどうか、疑問です。
そしてもう一人。キャスティングが合わないかもと思ったのが、工藤邦明役のダンカンさん。
すみません、私の目には怪しい人にしかみえない~(^^; 画面の中にいるダンカンさんの雰囲気は、誠実というよりも得体のしれない不安をかきたてるもので、その人に靖子を託そうとする石神の天才性には大いなる疑問がわいてしまうわけです。
いいの? あの工藤さんを見て、本当に大丈夫って思ったの?と。聞きたくなってしまいました。
目が笑ってない怖さがあるというか。役作りだったのかな? でも工藤は、石神が認める「花岡親子を幸せにできる器のでかい男」であるわけで、そうするとちょっと、雰囲気違うかなと思いました。
この映画、以前にもテレビ放送されていて、私はこれ見るの2度目だったんですが。最初に見たときは、結末を見たときに、号泣する石神の心にはほんの少しの、嬉しさみたいのもあったんじゃないかな、と思ったんですね。
いや勿論、すべてを墓場までもっていくつもりで組み立てた、完璧理論ではあったんだけれども。湯川のおせっかいで靖子が自分の真心を知ってくれた、そのことに対する嬉しさも、ほんの一かけらだけ、存在していたんじゃないかと。
でも2度目に見た今回。違った感想を持ちました。石神は、あのような謎解きを、全く望んでいなかったんではないかと。
それは、すべてに完璧を求める人だったから。自ら組み立てた理論の、ほんの小さな綻びも見逃すことはできない、完全なる美を求める性格の人だったから。
心から愛する人のために、人生をかけて作りあげた壮大な脚本。それを完璧に演じることで、ある意味、石神の恋は成就していたんだろうなあと思いました。一生、本当のことが靖子にわからなくても、それでよかったんだと思います。真相を知っているのが自分だけでも、そのことを思うだけで、長い刑務所での生活を幸福に送ることのできる、自信があったのではないでしょうか。
私も罪を償いますからと靖子に泣かれたとき、計画が崩れたショックと、とうとう彼女を守れなかったという絶望で、石神の精神は限界を迎えてしまったのでしょう。
だって、石神が求めていたのは単純に、靖子の愛だと思うんですよ。でもそれが無理だとわかったとき、彼が次に目指したのは、靖子を守る騎士の役だった。決して知られることのない思いで構わない、それが石神の美意識だったわけで。
助けてくださってありがとう。私たち親子のためにそこまでしてくださってありがとう、と二人に感謝されること。そして、申し訳ない、石神さんにそこまでさせてしまった、と親子の心に一生消えない影が生まれること。それは最も、石神が望まない結末だったのではないかなあ。
石神は、感謝なんて要らなかっただろうし。(愛なら欲しいけど)(^^;
靖子の心に負担をかけるようなことなど、したくはなかっただろうし。だって、目指すはナイトですから。
殺人を犯すことで、歪んだ共犯者意識に、酔っていた部分はあるのかなあと想像しますが。完全犯罪が湯川によって崩されたのも、勧善懲悪の観点からみれば当然かな。
もし殺人ではない別の方法で、石神がその身を生涯、密かに靖子のために捧げたなら。湯川もその秘密を、きっと守ってくれただろうなあと思います。
主題歌の『最愛』もいい歌ですね~。
>愛さなくていいから
>遠くで見守ってて
なんだかここの、つよがりが泣けます。愛さなくていいからなんて、絶対思ってないくせに~っていう。言えば言うほど、別の思いがあふれだしてしまうような。
ここの「愛さなくていいから」っていうところがいかにも石神の気持ちを彷彿とさせるのです。
石神のその後…。きっと最後まで、自分の計画の破綻を、認めることはないだろうなあと思いました。それを認めることは、靖子を永遠に失うことだからです。