ドラマ『愛していると言ってくれ』 感想

ドラマ『愛していると言ってくれ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

1995年に放送されたドラマです。当時は見ていなかったのですが、主題歌の『LOVE LOVE LOVE』が大ヒットしたのはよく覚えてます。街のあちこちで流れていたから。

本当にそうだなあと納得する歌詞。
好きっていう気持ちは不思議なものです。理由なく心が震える。

昔のドラマだけど、今見ても面白かった~。なにより、榊晃次を演じる豊川悦司さんが美しいのです。

なんだろうなあ。繊細で影があって、目が離せなくなる魅力があります。今とイメージが全然違いますね。今も素敵な俳優さんですけれど、このときのトヨエツはまた特別だと思います。
時間の創り出した一瞬の煌めきみたいなものを、ドラマ映像で堪能することができます。

このドラマ、主役は常盤貴子さん演じる水野紘子(ひろこ)だと思うのですが、紘子から見た晃次と、晃次から見た紘子、二人の心のすれ違いがせつないです。

年の差、とかね。晃次の耳が聞こえないという事実に対しての、二人の認識のずれ、とか。

紘子は23才位で、晃次は30才くらいの設定だと思いますが、このときの感覚的な年の差は大きいな~と思いながら見てました。年齢上がれば上がるほど、年の差は縮まっていくと思いますが、20代だと大きいな。
80才と87才だったら、もはや同い年みたいな感覚かもしれないですが、20代の一年は大きいかも。

晃次が常に上から優しく紘子を見守っていて、紘子はそれに追いつこうと、ぴょんぴょん飛び跳ねてる、というイメージでした。オープニングの、りんごを取るシーンみたいに。

物語の中で、ずーっとそうだったような気がします。
紘子には晃次がわからない。大好きだけど、自分が知らないことを一杯知っていて、いっぱい知らない過去があって。そういう自分のわからない部分に嫉妬して、疑心暗鬼になって、勝手に怒って、という繰り返しだったような。

晃次は晃次なりに、年長者として紘子に責任も感じるし、誠意をもって付き合おうとするんだけど、それがうまく伝わらない。誤解されて、怒られて、そして結局は紘子に逃げられてしまう。

うん。私は結局、紘子が去って行ったのだと思いました。晃次を捨てて。
最初の頃、多少強引に晃次に迫って来る紘子に対し、「君のセンチメンタルの道具じゃない」みたいな厳しい言葉で拒絶しますけども、結果的には彼が危惧した通りになったわけで。気の毒に思ってしまいました。かき乱すだけかき乱しておいて、去っていくなよ~と。
紘子みたいに可愛くて純粋な女の子に、好き好き攻撃をかけられて平静でいられるわけないのにね。絵の具や絵をあげたりしたところからして、そもそも晃次は、無意識の部分でも紘子はタイプであったように思います。
でも長い目で見たときうまくいかないのはわかってたから、防御反応でそれ以上は近付かないように、一定の距離を保つようにせっかく理性を保ってたのに。
その壁を、ひょいひょいのぼって来られて、ぐいぐい心の扉を開けられて、あげくにふいっと、また去っていくのですからたまったものではありません。

個人的な感想ですが、私はもうこの後、晃次は誰かと付き合ったりすることなく、一生過ごしたんじゃないかな~と想像してしまいました。最終回では、数年後の二人の再会、後は御想像におまかせします的な感じで終わってるんですけども、お茶飲むくらいはあっても、また付き合うことはないだろうなあって。

また同じことの繰り返しのような気がします。
人はそんなには変わらない。根本的な部分は一緒だし、そこを変える必要性もなくて。それが個性というものではないかと思いました。
変えられる部分と、変えられない部分がある。
一緒にいれば、傷付け合う相性、というのもあるのではないかと。

紘子と晃次は合わないと思いました。
どっちにとっても、一緒にいることは不幸なんじゃないかなあ。楽しくて、刺激的な部分はあるけど、それ以上に反発しあう部分があって。

紘子は若いから、晃次のいろんな部分が気になって仕方ない、笑って見過ごせない、という面もあるとは思いますが、じゃあ年をとって紘子が鷹揚になるかというと、それも多少、というレベルじゃないかなと。二人がぶつかりあわず、冷静に話し合えるような関係になるには、あまりにも紘子が神経質すぎるような。

決定的だと思うのは、喧嘩したときに紘子が言い放った言葉。一緒にいてもつまらないとか、手話が疲れるとか、CDを一緒に聞けないとか言ってましたね。

これはね~。いくら喧嘩したからといって、ありえないひどいセリフです。たとえ思っても、思ったのと、口に出して言うのには大きな差がある。というか、こういう人が、晃次と付き合っていくの、無理だと思う。いつか必ず、また傷付ける日がくる。(まあ、実際11話で、また晃次を泣かせてましたし)

紘子がいいとか悪いとかではなく、紘子はそういう人だから、です。そして、紘子は自分の言葉を反省はするけれど、また晃次と付き合おうとする、その行動が、私には理解できなかったなあ。
ああいうこと言っちゃった自分っていうのも、本当だと思うんですよ。まるっきり心にないことを言っちゃったわけじゃなくて。普段思っていても、口にはしなかったことがぽろっと、飛び出しちゃったわけで。
喧嘩して、相手を憎いと思って。傷付けてやりたいと思ったからこそ、口にできた言葉。

そしたらもう、諦めるしかないのにな。
だって、また同じことは起きるから。きっとまた、怒ったときには言ってしまう。一番晃次を傷付けてしまう言葉を。

喧嘩でも、言っていいことと悪いことが、あると思うので。紘子は、相手を大切に思うなら、この喧嘩の時点で、別れるべきだったんじゃないかと思います。本当に相手を好きだと思うなら。

それに喧嘩の理由も、なし崩しに女優をやめようとする紘子を、晃次が諌めた、という、晃次に非のないものでした。お説教かと反発した紘子でしたが、いやいや、それは晃次の誠意だろうと。
自分と付き合うことで、相手が堕落したら嫌だという気持ち、わかりますもん。年上ということで責任も感じていたのだろうし。

最終的に、紘子と晃次が別れる決定的な原因になったのは、晃次の元彼女である、光という女性に関する誤解ですけども。この人じゃなくても、きっと他の誰かのことでも、紘子は嫉妬したんだろうなあ。だから光がいなくたって、時間の問題で二人は別れていたんだろうなあ、なんて想像しました。

この光っていうのも嫌な人でしたね。
そもそも、元彼氏に頼りすぎだし(^^; 自分がつらいからって、そこまで寄りかかるのはあまりにも、甘えすぎかと。
元彼には元彼の、新しい人生があるわけです。新しい彼女と、幸せに暮らしてるなら、そこに入りこまないのは最低限のマナーじゃないのかと。

雨に濡れて元彼の家に行くかな~っていう。しかも断わられて、自殺未遂とか迷惑すぎる。どうしてそこに、元彼を巻き込むのか。

晃次を責めるのは、酷だと思いました。最初はきっぱり、元カノを家に上げるのを断ってる。それも、ここは自分だけの家じゃない(恋人と住んでるから)という意味のことを、ちゃんと言ってるのに。
自殺未遂までして、放っとけないと思った元彼の優しさにつけこんで、家に上げてもらう。しかも、置き土産に、今の恋人へのあてつけに、こっそり指輪を残していくとか、どんだけ性格が悪いんだ( ̄Д ̄;;

たとえ自殺未遂されようがなにしようが、きっぱり断れない晃次が悪いんだ、という人もいるかもしれませんが、私には晃次が可哀想に思えました。あそこで「俺には関係ないね」と知らんぷりできる人じゃないところが、晃次の良さだと思うので。

じゃあどうすればよかったのか。
あの場で紘子にFAX打てばよかったのか。これから元カノを家に泊めます。でもなんにもないから、心配しないで、って?
それは逆に、残酷というものです。事情のわからない紘子に、無駄な心配をかけるだけ。だから直接会って話すまでは、黙っていようと思ったのは、賢明な判断だったと思いますが。

あの指輪がねえ。
うん。怒れるのはわかるけれども。まずはちゃんと、晃次の話を聞いてあげればよかったのにな。目の前にいて、説明しようとしている相手に聞く耳もたないなら、付き合う価値はないと思うのです。人に聞いた話じゃなくて、ちゃんと本人の話を聞くべきだと思う。別れるにしても、ちゃんと説明だけは、聞くべきじゃないのかなあ。

そして、晃次と元カノの仲を誤解した紘子が、何をしたかといえば、腹いせに幼馴染のけんちゃんの家に一泊。

なにやってんだよと\(*`∧´)/
そんな幼稚な嫌がらせで、大事な人を傷付けるな~と。ドラマとはいえ、思わずため息が出てしまうような展開でした。
思えば、なにかあるたびに、けんちゃんを利用する紘子。けんちゃんは紘子が好きだから、紘子に求められれば絶対に拒絶しない。それがわかってて、けんちゃんに甘え続ける紘子。
書いてて思ったけど、紘子だって光(元カノ)とたいして変わらないなあ。相手の優しさを利用してるから。

そして紘子がひどいのは、自分が秘密を抱えているのが苦しいから、けんちゃんの家に泊まったこと、晃次に言っちゃうんですよね。相手に対する誠意というより、自分の罪の意識から逃れるために、言ってしまったような気がします。どうせ別れる気でいるのなら、墓場までもっていけばいいのに。そんなこと知っても、晃次が傷付くだけなのに。そのときの晃次の表情がすごく印象的でした。そりゃこういう顔になるよな~っていう。そういう顔以外の、なにができるの?っていう。

紘子は若いから、なのかもしれませんが。追いかける愛なんですよね。押し付ける愛、といってもいいかもしれない。自分の気持ちを相手に投げるだけ。投げられる側の気持ちや事情は、考慮しない。自分が好きだと思えば、そうしたいと思えば躊躇しない。

晃次のは、追いかけない愛なんだなあと。相手を追いかけないのも、また愛なのです。
たとえば最終話で、紘子といい雰囲気になっても、紘子がけんちゃんを思い出して泣きだせばもう、それ以上は踏み出せない、みたいなところ。バスで去っていく紘子を追いかけ、強引にでもひきとめるようなまねが、できないところ。

そういえば、同じような引く愛をもっていたのが、画廊のマネージャー、余貴美子さん演じる神崎さんではないかなあと。あの人、晃次のことを好きだったんじゃないかなあ。ほんのりと気持ちが描かれていたように思いました。
冗談めかして、ちゃんと逃げ道残した上で、晃次にそっと愛情を告げていたような。それで晃次からなにも返ってこなければ、諦めてそれ以上は追いかけない。だって追いかければ、彼が困ってしまうだけだから。

トヨエツがとにかく美しく、常盤貴子さんの若さが眩しいドラマでした。

「ドラマ『愛していると言ってくれ』 感想」への2件のフィードバック

  1. 初めまして。
    昨日、TBSオンデマンドで12話をいっきに観てしまいました。
    昨夜は榊さんが夢に出てくるし、まだドラマの余韻にどっぷり浸かっています。
    3年後に再会した二人のその後が気になります。
    わたしはハッピーエンドであって欲しいなぁと思ってます。

  2. えるさんはじめまして(◎´∀`)ノ
    3年後に再会した二人がどうなったか。私はきっと、紘子が榊さんを思いっきり無邪気にお茶に誘い、晃次は笑顔で、でもあっさり、首をふったんじゃないかなと思います。
    想像し始めたら、かなりの長文になってしまいました。コメント欄に書ききれないので、ブログの本文の方にまた、ドラマの感想書きますね。

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