2013年を振り返る

 2013年も後少しで終わりです。

 今年はどんな年だったかと振り返ると、前に踏み出せた年だったなあと、そんなことを思います。

 臆病だったり、不安だったりする気持ちを抑えて、一歩前に歩き出せたような。

 年末には、初めてのディナーショーを楽しんできました。8センチのヒールを履いた自分にびっくりです。ちゃんと歩けました(^^;

 そして、振り返ってみると、預言カフェの言葉が当たっているのに驚きます。後で音声を文字に起こして書いたのですが、直後よりも後から読み返したときのほうがびっくりですね。最初は意味のわからなかった言葉が、後になって大切な意味を持つことに気付いたり。

 私自身も忘れていた事実を指摘されていました。

 2013年は、自分の中の自信を、少し取り戻せた年でもありました。こういうところは、自分のいい点なのではないか?というところに気付けたから。

 2014年は、一生懸命「生きる」年にしたいです。今年も一年、ありがとうございました。
 ブログを読んで下さる皆様も、よいお年をお迎えください。

映画『永遠のゼロ』 感想

 映画『永遠のゼロ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 この映画も泣きました。
 原作の小説を読んだ時にも泣きましたが、映画も握りしめてたハンカチが重たくなるほどに泣きました。

 戦闘シーンや零戦の映像はさすが、映画ならではの迫力で、小説では想像できない部分も見事に描かれていました。

 ただ、全体的な感想としては、やはり小説には敵わない、と思います。無理ないことではありますが、小説のエピソードをたくさん削ってしまっているんですよね。すべてを描けば長時間になりすぎてしまうので、仕方ないことだとはわかっていますが。

 それと、この映画はエンドロールが流れ始めても、誰も席を立ちませんでした。私が今まで映画を見た中でも、こんなことは初めてで、驚きました。同時に少し、嬉しかったです。みんなが同じ思いを共有していたのだと思って。

 よかったのは、なにより宮部久蔵を演じた岡田准一さん。まさに宮部のイメージでした。優しくて丁寧な言葉遣いがよく似合う。キャスティングした人はいい仕事したな~と思います。なにより、宮部が小説のイメージ通りの人でなかったら、他がどんなに完璧でも、この映画は失敗していたと思います。
 岡田さんは宮部久蔵、そのものでした。

 そして景浦役の田中泯さん。あまりにもハマりすぎていて、もしかして本当にそういう経歴のある人なのか?と思ってしまうくらいでした。
 死線をくぐり抜けてきた凄みと影を感じます。

 ただ、小説と違うのは、健太郎は景浦邸を二度訪ねているんですね。私は小説の描き方の方が好きです。映画と違って、小説では

>俺は奴を憎んでいた

 と、宮部に対する反感や憎悪をはっきりと口にする景浦ですが、景浦がそういう男だからこそ、その過去の行為がまた際立つと思うので。
 映画だと、最初から宮部に対する好意が浮かび出て、それがちょっとどうかなと思いました。
 あと、小説にあった、景浦の用心棒の青年が、「いい話を聞かせていただきました」と深々と頭を下げるシーン、これも大切な情景だと思うのですが、映画だと省かれていたのが寂しかった。
 とどめに、映画では、健太郎が借りた名簿を雨に濡らすのが、ありえない~と思いました。景浦が何十年も大切に保存してきた名簿を借りておいて、あの扱いは失礼すぎます。いくら驚いたとしても。自分が雨に濡れたとしても、あの名簿を雨に濡らしてはいけない。
 健太郎は若いですが、それくらいの礼儀はわきまえた青年だと思います。あの演出はどうかと思いました。

 若い頃の景浦を演じているのは新井浩文さん。景浦の荒れた心をうまく表現していたとは思うのですが、惜しいのは、宮部に対する敬服や懺悔、言葉にならない激しい感情が、少し弱かったような。
 荒ぶる心は見えたけれど。そこから変化していく宮部に対する気持ち、というのが見えづらかったです。
 私が思っていた景浦の表情とは、少し違ったかなあと。

 松乃役の井上真央さんは、ミスキャストだと思いました。美しさは松乃にぴったりなんですが、なにより汚れていなさすぎます。髪も肌も、貧しい暮らしには似つかない輝きで、違和感がありすぎです。
 女優さんなので、あまり汚い荒んだ姿をさらすのは、事務所的にNGだったのかなあと想像しますが、だったら松乃役はやれないです。
 あのように、ちっとも生活に疲れていない姿で松乃を演じたのは、気の毒にも思いました。作品から浮いてしまっているようで。本当はご本人も、もっと髪を乱してでも、ちゃんとした松乃をやりたかったのではないかな。

 松乃が生活に疲れ果てていない、という点で。大石が訪ねてくる場面の感動が、半減してしまっていました。
 艶やかな肌、ふっくらした頬、きらきら輝く瞳。それで松乃の追いつめられた暮らしぶりを描こうとしても、無理があります…。
 どん底の中で、もし宮部の外套を着て現れた大石を見たら、彼を宮部と見間違うシーンはもっと、激しいものになったのではないかと、そう思います。暗く沈んだ瞳が、激しい歓喜で見開かれる瞬間。松乃の爆発的な喜びは、一層、観客の胸を打つものになったのではないかと思うのですが。

 あと、この映画の中で一番「これはない」と思ったのは、「許して下さい」と頭を下げる大石に対して、松乃が「帰って下さい」というシーンです。

 

 これは本当に、あり得ないと思いました。
 宮部が心から愛した松乃です。その松乃が、夫が命を託した青年から夫の最後を聞いて、いくら動揺したからといって、このような冷たい言葉を吐けるでしょうか。
 大声で泣いてしまうかもしれない。取り乱して、みっともない姿をみせるかもしれない。それはわかります。けれど、自分を責める青年に対し、「帰ってくれ」などという言葉は、決して投げつけない女性だと思います。

 あれでは大石が気の毒すぎです。

 慶子と、新聞社に勤める高山のエピソードは、映画ではごっそり削られていて残念でした。その代わりに、三浦春馬さん演じる健太郎と、仲間たちの合コンシーンが撮られていました。
 三浦春馬さんには岡田准一さんの面影があって、健太郎の感じた憤りが、画面からストレートに伝わってきました。
 祖父を、そしてあのとき命を落とした日本人を、侮辱する発言。席を立って当然です。私が健太郎でも、席を立っていたと思います。

 エンドロールの背景には、美しい雲の映像。宮部が飛んだ空を、観客も疑似体験する演出なのでしょうか。飛行機から撮ったと思われる雲の姿は、まるで夢のような美しさでした。この雲を抜けて、空を自由自在に駆けた宮部の生涯。彼は最後の出撃のときも、この雲を見たのだろうかと、そんなことを思いました。

 そして流れるのはサザンオールスターズの『蛍』という曲。

 サザンは好きですが、この曲は映画には合っていないかなと思いました。曲はいいのですが、この映画と合っているかと聞かれたら、それは違うかなと。

 零戦は蛍ではないし。宮部も蛍ではないと思うからです。
 じゃあどんな曲がよかったかと言われると、難しいのですが…。
 空をイメージした曲がよかったかなあと思ったりします。せっかくあれだけ美しい雲の映像があるのだから、それに似合う、空の曲がいいなあ。穏やかで、温かくて、壮大な曲。
 空の曲だったらよかったのにと思います。

 映画は素晴らしかった。そして、原作の小説は映画よりさらに、素晴らしかったです。
 日本人であることを誇りに思います。

『永遠のゼロ』百田尚樹 著 感想

『永遠のゼロ』百田尚樹 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未読の方はご注意ください。

この本は、とにかく泣きました。涙が流れて、何度本を濡らしそうになったことか。知らないうちに泣いてました。いつの間にか、涙は勝手に流れて、とまりませんでした。

百田さんの本を読むのは二度目です。最初に読んだ『モンスター』にはあまり心惹かれなかったので、この『永遠のゼロ』は全く期待せずに読み始めたのですが、同じ作者の方が書いたとは思えない内容に、ぐいぐい引き込まれました。

終戦間際、特攻で死んだ宮部久蔵という男を巡る物語です。久蔵の孫である健太郎が、祖父である宮部の足跡をたどり、彼がどんな男であったかを知るのですが、すべてを知ったとき、健太郎の人生は変わります。

この本には。日本人の血の中に流れるなにかを、目覚めさせるものがあるのではないか、という気がします。
もちろん、モデルはあっても、宮部久蔵はあくまで架空の人物です。
でも、健太郎が変わったように、そして姉の慶子や、久蔵の戦友、教え子たちが変わっていったように、これを読む日本人のほとんどが、久蔵という人物に心を打たれて、目覚める部分があるのではないかと、そう思いました。

死にたくない、生きて帰りたいとあれほどまでに願った凄腕の戦闘機乗りがなぜ、最後に特攻で死んだのか。

宮部が最後に特攻を受け入れた気持ちは、わかるような気がします。
教官として大勢の予備士官を教え、その優秀な教え子たちが絶望的な作戦で死に赴くのを何度も目の前で見送ったら。
「生きたい」と言えなくなってしまうのも、無理ないと思いました。
一番命輝く時代の若者たちが、目の前で死んでいくのです。それも、敵艦に体当たりする前に、迎撃機や対空砲、機銃の攻撃の中、空母にたどりつくことなくなぶり殺しになるのを、毎回目の当たりにしたら。

エンジン不調の機を、大石に譲った行為。
宮部は、大石に一度命を救われたことを、忘れてはいなかったでしょう。あのとき、本当なら死んでいた。それなら一度失ったこの命を、大石に託そう。大石には生きてほしい。

そう考えるのも自然な流れのような気がしました。

自分の教え子を含む多くの前途ある若者たちが、次々と十死ゼロ生の作戦を遂行する毎日は、想像を絶する状況です。その中で、宮部がどんな気持ちでいたのか。

今の私の生活も、日本という国の今も。日本の未来を願った無数の宮部のような尊い犠牲の上にあるのだと、あらためてそう、思いました。

この小説の中で、健太郎の姉の慶子は、最後の最後でやっと、新聞社の高山と別れることを決めますが。
私は読みながら、「遅~~い!!!」と思わず心中でそう叫んでいました。そうです、見切るのが遅すぎるのです。高山が他の点でどんなに優れていようとも、私なら、元海軍中尉の武田と高山の会話、あの場に同席した時点で高山を見切ってます。彼に他にどんな美点があろうとも、あのときの高山の言葉で、心は一億光年離れますね。

失礼極まる言葉の数々を口にした後、武田に帰れと言われた高山は憮然として去りますが、それを慶子が追いかけるというのも腑に落ちませんでした。
追いかけるだろうか…。
久蔵の孫ですよ。武田と高山の論争を聞いた上で、それでも高山を追う、というのは、ちょっと考えられない行為です。
やがて戻ってきて、再び武田の話の続きを聞きたがる慶子。

おじいさんのことを、何も知らなかったときならまだわかりますが。何人かのインタビューを終え、その人となりを知って、その上での武田と高山の論争。慶子はなにも感じなかったのかな?

私は読みながら、高山もですが、慶子も軽蔑しました。あれを聞いて、まだ高山を追いかけるとか、理解不能です。
そして、そんな慶子と結婚するであろう藤木のことも、気の毒に思ってしまったり。すべてを知って、それでも藤木は慶子を選ぶかなあ? 私だったら、気持ちが冷めてしまうな。

小説の中では、景浦のエピソードにも心打たれました。もしかしたら、景浦が裏街道を生きていくきっかけになったかもしれない、あの出来事です。景浦は大きな犠牲を払いました。そして、恩人の家族を救いました。それは、誰も知らない、誰にも宣伝することのない美しい行為だったと思います。

>幸せな人生だったか

そう問いかけた景浦の心中は、いかばかりだったでしょうか。

>奴の家族には何の興味もない

その誤魔化しがまた、景浦の優しさです。一生秘密を抱えたまま、彼は黙って目を閉じるのでしょう。話さないことがまた、健太郎の祖母を守ることにもつながるから。

この本が売れるということは、日本が大丈夫な証拠かな、と思いました。日本人に読んでもらいたい本です。2013年、私が一番だと思った本です。