『永遠のゼロ』百田尚樹 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未読の方はご注意ください。
この本は、とにかく泣きました。涙が流れて、何度本を濡らしそうになったことか。知らないうちに泣いてました。いつの間にか、涙は勝手に流れて、とまりませんでした。
百田さんの本を読むのは二度目です。最初に読んだ『モンスター』にはあまり心惹かれなかったので、この『永遠のゼロ』は全く期待せずに読み始めたのですが、同じ作者の方が書いたとは思えない内容に、ぐいぐい引き込まれました。
終戦間際、特攻で死んだ宮部久蔵という男を巡る物語です。久蔵の孫である健太郎が、祖父である宮部の足跡をたどり、彼がどんな男であったかを知るのですが、すべてを知ったとき、健太郎の人生は変わります。
この本には。日本人の血の中に流れるなにかを、目覚めさせるものがあるのではないか、という気がします。
もちろん、モデルはあっても、宮部久蔵はあくまで架空の人物です。
でも、健太郎が変わったように、そして姉の慶子や、久蔵の戦友、教え子たちが変わっていったように、これを読む日本人のほとんどが、久蔵という人物に心を打たれて、目覚める部分があるのではないかと、そう思いました。
死にたくない、生きて帰りたいとあれほどまでに願った凄腕の戦闘機乗りがなぜ、最後に特攻で死んだのか。
宮部が最後に特攻を受け入れた気持ちは、わかるような気がします。
教官として大勢の予備士官を教え、その優秀な教え子たちが絶望的な作戦で死に赴くのを何度も目の前で見送ったら。
「生きたい」と言えなくなってしまうのも、無理ないと思いました。
一番命輝く時代の若者たちが、目の前で死んでいくのです。それも、敵艦に体当たりする前に、迎撃機や対空砲、機銃の攻撃の中、空母にたどりつくことなくなぶり殺しになるのを、毎回目の当たりにしたら。
エンジン不調の機を、大石に譲った行為。
宮部は、大石に一度命を救われたことを、忘れてはいなかったでしょう。あのとき、本当なら死んでいた。それなら一度失ったこの命を、大石に託そう。大石には生きてほしい。
そう考えるのも自然な流れのような気がしました。
自分の教え子を含む多くの前途ある若者たちが、次々と十死ゼロ生の作戦を遂行する毎日は、想像を絶する状況です。その中で、宮部がどんな気持ちでいたのか。
今の私の生活も、日本という国の今も。日本の未来を願った無数の宮部のような尊い犠牲の上にあるのだと、あらためてそう、思いました。
この小説の中で、健太郎の姉の慶子は、最後の最後でやっと、新聞社の高山と別れることを決めますが。
私は読みながら、「遅~~い!!!」と思わず心中でそう叫んでいました。そうです、見切るのが遅すぎるのです。高山が他の点でどんなに優れていようとも、私なら、元海軍中尉の武田と高山の会話、あの場に同席した時点で高山を見切ってます。彼に他にどんな美点があろうとも、あのときの高山の言葉で、心は一億光年離れますね。
失礼極まる言葉の数々を口にした後、武田に帰れと言われた高山は憮然として去りますが、それを慶子が追いかけるというのも腑に落ちませんでした。
追いかけるだろうか…。
久蔵の孫ですよ。武田と高山の論争を聞いた上で、それでも高山を追う、というのは、ちょっと考えられない行為です。
やがて戻ってきて、再び武田の話の続きを聞きたがる慶子。
おじいさんのことを、何も知らなかったときならまだわかりますが。何人かのインタビューを終え、その人となりを知って、その上での武田と高山の論争。慶子はなにも感じなかったのかな?
私は読みながら、高山もですが、慶子も軽蔑しました。あれを聞いて、まだ高山を追いかけるとか、理解不能です。
そして、そんな慶子と結婚するであろう藤木のことも、気の毒に思ってしまったり。すべてを知って、それでも藤木は慶子を選ぶかなあ? 私だったら、気持ちが冷めてしまうな。
小説の中では、景浦のエピソードにも心打たれました。もしかしたら、景浦が裏街道を生きていくきっかけになったかもしれない、あの出来事です。景浦は大きな犠牲を払いました。そして、恩人の家族を救いました。それは、誰も知らない、誰にも宣伝することのない美しい行為だったと思います。
>幸せな人生だったか
そう問いかけた景浦の心中は、いかばかりだったでしょうか。
>奴の家族には何の興味もない
その誤魔化しがまた、景浦の優しさです。一生秘密を抱えたまま、彼は黙って目を閉じるのでしょう。話さないことがまた、健太郎の祖母を守ることにもつながるから。
この本が売れるということは、日本が大丈夫な証拠かな、と思いました。日本人に読んでもらいたい本です。2013年、私が一番だと思った本です。