雨の日、小さな教会をみつける

 とあるお城の跡地にある、博物館へ。

 雨がひどくなり、ゴールデンウィークだというのに、辺りには人影もない。博物館へ向かう石畳の上、雨がすごい勢いで跳ねている。レインシューズ履いて来ればよかった(;ω;)

 駐車場から、博物館までの入り口が長い。しかも途中に神社が二つもあって、寄り道をしていたら、ますます到着が遅くなってしまった。
 しかし、素晴らしい立地である。

 山全体が整備され、神社も綺麗に掃き清められ、新緑の森の匂いが清々しい。

 雨に混じって、香りが届く。何種類もの植物の匂いが渾然となっておそらく、この瞬間のこの香りは、今しかない絶妙の調合。刻一刻と、装いを変える。

 深呼吸しながら進んで、ふと道路の向こうをみると不思議な建物が。

 ああ、この建物、好きだな。一目見て、そう思う。

 学校だろうか。それとも老人ホーム? 大勢の人が暮らす建物のようにみえる。荘厳なたたずまい。デザインがいい。

 個人の建物ではないだろう。大きくて、だけど人の気配がない。窓から見えたのは、ロッカー。やはり、多くの人が使う建物のようで。

 興味をひかれたので、私はその建物をもっとよく観察しようと、道路を渡った。博物館は後回し。ひとまずここが何なのかを知りたい。

 すぐ近くまで来て、門になにか書いてないか確認してみたが、看板などはない。裏手のようだ。表に回ってみたら、なにかわかるかもしれない。

 私は、ぐるっと建物に沿ってまわってみることにした。道は直線ではない。そして建物はとにかくだだっ広い。

 車一台がやっと通れるほどの細い道を歩いていくと、建物の反対側で、立派な家が朽ち果てているのを発見。

 元は、さぞかし豪華な家だったと思う。門構えでわかる。生い茂った草が、すべてを飲み込もうとしていた。門から見える家の窓ガラス。破れたカーテン。広い庭を覆い尽くす草の波。これだけの家が、土地が、なぜ放置されているのだろう。主がいなくなったとしても、まったく親戚がいないというわけではなかろうに。放っておかれる理由がわからない。

 廃屋の隣には、普通に家が建っていて。住宅街が続いていた。この辺りは、田舎ののんびりした雰囲気もありながら、発展もしている。建て売りの住宅らしきものが、四棟建築中だ。雨で人気はあまりないが、活気のある街なんだと思った。

 それぞれの家が個性的だ。色も、デザインも。多くの家が、それぞれに花を飾っているのを見て、心が和んだ。

 それにしても。道は奇妙に続いていた。建物に沿って回り込むつもりだったのに、なんだか私有地のようなところがあったりして、遠慮して入りこめず。いったん建物から遠ざかってしまったりして。

 ぐるりと大回りして歩いていると、すこし先に十字架が見えて。近寄ってみると、そこは小さな教会だった。どこにでもある、街の小さな教会。だがその庭に、強く惹かれた。

 広い庭は、花畑だった。丁寧に植えられた花が、道行く人を眺めていた。教会には低い塀があったが、門はない。大きく開かれた空間は、まるで「お入りなさい」と誘っているかのよう。

 一面に揺れる、花と雑草。そうなのだ。この庭には雑草がたくさん生えていて、それが独特の彩りだと感じた。なにもかもが自然で、優しい。

 もちろん、植えられた花には、人の手が加わっている。だけど、自然に生えた雑草もまた、主人公のように美しかった。妙な話だが、雑然としているわけではなく、それはとても、当たり前のような存在感で。

 道路側に掲示板があって、聖書の一節が書かれている。

>すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

>わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 なんて温かな言葉だろう、と思った。そしてその言葉通りの庭。掲示板には、牧師さんの電話番号が記載されていた。この家には、普段は住んでいないから、会いたいときには電話してくださいと。

 こんなに素敵なお家が、普段は空き家だなんてもったいないなあ。そう思いながら、道路に佇んで、目の前の家や庭をしげしげと眺めた。とにかく、とてもウェルカムな家だと感じた。来る者を決して、拒まないのだ。むしろ両手を広げて、にこにこと迎えられているような感覚。

 庭には高い木がほとんどなく、見通しがいい。さまざまな植物が共生している。手が入っていないわけではないが、その手をかけすぎないほどよさが、なんとも心を打った。まるで楽園だ。牧師さんは不在なのに、門は閉ざされるどころか、そもそも存在すらしていない。

 お庭を見学させてもらいたいなあ、と思ってしまった。実際、あの場所に立ったらどんなに心地いいだろう。信者の方は、その子供たちは、この天国のような庭でお茶をしたり、遊んだりするのだろうか。

 優しく、温かく、夢のように心惹かれる場所だった。

 そしてその近くに、私が目指していた建物の正門があった。やっと、そこがなんなのかわかった。…小学校だった( ̄▽ ̄) それにしても、なんて広い学校だろうか。グラウンドだけではなく、建物も広く、幾棟もあって複雑に入り組んでいる。

 敷地沿いの道路を進んでいくと、講堂なのか正面ホールなのか、立派な柱と吹き抜けが見えた。柱はまるで、古代ギリシアのような、異国風で。ため息がでるような芸術作品だ。こんな学校で学べる小学生は幸せだなあと、そう思った。

 学校は。小学校も中学校も高校も大学も。学校と名のつくものすべて、見ると郷愁のようなものを感じる。懐かしさと、戻れない痛みと。誰もがそこに留まらず、いつか巣立っていくからだろうか。

 

 雨の中、雰囲気のいい街で散歩を楽しんだ。雨もまた、いいものである。

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