三浦春馬さんへの寄せ書きに思う

勝村政信さんが、三浦春馬さんへの寄せ書きに書いたあの言葉。

勝村さんの事務所のHPに謝罪の言葉が載りましたが、勝村さんは本当の問題に気付いていないなと思いました。

勝村さんは、春馬さんと元々親しく愛称で呼び合っていたけど、それを知らない一般の人には驚かせたり不快に思わせたりして申し訳なかった、というようなことを書いていましたが、問題はそこではなく。

あれは愛称ではなく蔑称だったということが一番の問題です。なぜなら、勝村さんは先輩や、自分の尊敬する人にはああいうニックネームをつけないと思うからです。そして、春馬さんは、つけられたニックネームが嫌でもそれを勝村さんには言えない立場でした。27歳上の芸能界の先輩だから。それに、座長をやる以上もめ事はおこしたくなかったでしょう。嫌でも受け入れざるを得なかったと思います。

亡くなってすぐに追悼という名目で飲み会をするのも、ちょっと考えられないことです。ああいうニックネームをつけて、それをからかうような言葉も色紙にはありました。こういう環境で座長をやっていたんだと思うと、三浦春馬さんは本当につらい立場だったんだろうなあと、胸が痛みました。

蔑称はいじめです。ああいうニックネームを反論できない後輩につけて、「親しみ」というのは間違っていると思います。これが、勝村さんと対等に話ができたり、喧嘩ができたりする同期ならまだわかります。あるいは大先輩だったら、勝村さんのいう「親しみ」も信用できます。でも、春馬さんは勝村さんより27も年下ですよ。私はあのニックネームに悪意とからかいを感じました。

親しいんだから、本人が納得してるんだから蔑称でもいいだろう、というのはやめてほしいです。蔑称は明らかにいじめだから。反抗できない下の立場の人には、どうすることもできません。

三浦春馬さんのことを、いろいろネットでみていたら、亡くなった理由がなんとなくみえてきたような気がします。いろいろな噂がありますが、私はそのどれをも、ある程度真実だろうなあと思っていて。全く事実無根のものはないだろうという気がするのです。

複合的に追いつめられて、しかも逃げ場がなかったのかなという気がしました。そして、本来は味方であるはずの人が、助けにならないという悲しさ。逃げ場がない、というのは本当につらかっただろうし、一息つきたくても仕事が追いかけてくる状態では、休まる時間もなく。

芸能界でないところで生活できていたら、違う人生があったかもしれないと、そんなことを思いました。でもやめられない事情があれば、もうこれ以上どうしたらいいのか…。

人を蔑称で呼ぶのは、よくないです。心からそう思うし、それが当たり前の世の中にはなってほしくないです。自分が呼ばれて嫌な名前は、つけちゃだめです。

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