たった一人山奥にこもる

 2006年に上演された『ダンス・オブ・ヴァンパイア』。私は山口祐一郎さんのファンになってまだ4年弱なのですが、この作品ほどぴったりのハマリ役はなかったなあと、今もつくづく思うわけです。

 今日は曇り空で月が見えませんが、月のきれいな晩など、どこかでクロロック伯爵も月を眺めているんだろうかなどと、思ってしまったりするわけです。

 なぜハマリ役なのかなあと考えてみましたが、それは山口さんの「独り」オーラのせいかなと。実際の山口さんがどうなのか、そんなことは知る由もありませんが。なんだろう、伝わってくるイメージがずばり、「独り」なんですよね。

 どれだけたくさんの人に囲まれたとしても、同じ感性を理解し合えなければそれまで。たった一人で山奥にこもり、静寂の中で月を見上げているようなイメージが、山口さんとクロロック伯爵にはあります。

 山口さんは自分の声を楽器に例えたりしますが、本当にその声は心地いいです。たぶんファンはみんな同じ思いで、劇場に足を運ぶのでしょう。声が物語る背景があるというか、言葉にはならない気持ちがその音には含まれているような。

 ただ、詞と曲が山口さん自身に近いものであるかどうか、それによって受ける感動も変わってくると思います。

 明るくて影のないキャラを演じるよりも、なにかある、なにかあるんだけどもそのなにかは明らかじゃない、そういう曖昧さがあるキャラの方が合っているような。クロロック伯爵が決して他人にはみせない何か。

 山口さんも似たようなものを、持っているのかなあと思うのです。

 それが全部演技だとしたら。

 舞台の上で、そういう仮面を完璧にかぶっているとしたら、山口さんはすごい俳優だと思います(^^;

 「神は死んだ」という曲の中で、転調する部分が、超絶的に美しいですね。「私は祈り堕落をもたらす 救いを与え破滅へ導く」月の青白い光が、クロロック伯爵の全身を照らしだしているイメージです。まるで神様のように。

 それまでの声に含まれていた退廃的なニュアンス。わずかに滲む苛立たしさ、疲れが浄化され、神々しいベールに包まれてどこまでも研ぎ澄まされていくような。

 吸血鬼なのに、なぜか聖人君子に見えてくる不思議です。同じ楽曲でも、海外の役者さんが歌っているものと全く違うクロロック像。人によって、受ける印象は全然違うんですね。日本でクロロックを別の人が演じていたら、私はこんなにもこの作品に魅かれなかっただろうなあと、そう思いました。

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