舞台『レベッカ』に関しての話ですが、ネタバレにもつながるような記述がありますので、ご注意ください。
うわー、やられました。舞台『レベッカ』のHPで見られる、山口さんの動画です。イギリス貴族マキシムの扮装で、宣伝用写真をとっているとき、傍からこっそり(といっても別に隠し撮りではありませんが)撮ったようなアングルで。
そのしょっぱな。写真を撮られるうちにさまざまな表情をみせる山口さんですが、私の心にずっしり重く刺さったのは、その一番最初の表情。なにかを見つめるマキシムを、斜め横から見た図。
マキシムが浮かべたその表情に、どきりとさせられました。
マキシムはきっと、レベッカの不品行を見ているんじゃないかと。そんな気がしたのです。目の前にいるレベッカは、不遜な笑いを浮かべている。その横で、黙ってタバコをふかしてる、投げやりなファベル。
レベッカはきっと、笑ってる。そして、まっすぐにマキシムを見てる。どう? 傷ついたでしょう? 妻の不貞を目の前にして、あなたは無力で惨めな、負け犬にすぎない。
そんな挑発的で、でも十分に美しいレベッカを見下ろして。マキシムの目に浮かんだのは哀れみ。可哀想に。そんなことをして、君が本当に楽しいのかどうか、僕にはわかっている。ちっとも、嬉しくなんてないくせに。
僕に見せることが、一番の目的? そうやって自分を傷つけて、僕を傷つけて、そしていったいなにが残るんだろう。
マキシムの目に浮かぶ、哀れみの色。レベッカへの蔑みというより、あれは哀れみの色ですね。痛ましいものをみるような。慈愛すら感じるような。
優しさを感じました。人は優位に立ったとき、相手を許してしまうのかもしれません。自分を傷つけた相手が、怯える小さな動物だったと知ったとき。
もちろん、「レベッカ」の原作の中には、そんなシーンがありません。レベッカが奔放な女性であったという描写はありますが、直接それをどうのこうのという記述はない。
ただ私は、HPの動画の山口さんの目を見たときに、一瞬で、レベッカとマキシムの世界の中に入り込んでしまったような錯覚を覚えました。
レベッカはたぶん、マキシムを愛していたんでしょうね。彼女なりに。ひどく歪んだ、いびつな方向性で。愛の反対は、憎しみではなく、無関心だといいます。
レベッカは、マキシムの関心を自分に向けたかったのでしょう。そして服従させ、自分を請う姿を見たかった。最後に笑いたかったのでしょう。勝ったのだと。
自分の体も精神も尊厳も、自ら傷つけていることにまったく気付かない女性。そして、その女性に愛情があった自分。夫婦という立場。
マキシムがまだレベッカと言う女性を、よく知らなかった頃。彼はたしかにレベッカを愛したのでしょう。だからレベッカは、彼を傷つけることができた。嫌いな人がなにをどうしようと、マキシムならびくともしない。でも愛した人にひどい仕打ちをされたら。
レベッカの本質が悪女であっても。マキシムの中には、最初に恋したときの、無邪気なレベッカの幻想が息づいていたような気がします。もう存在しないことはわかっていても、その無垢なレベッカはいつだって、マキシムに微笑むのです。だから、マキシムの心が痛いのです。
レベッカも可哀想で、自分も哀れで。ああ、どうか神よ。この小さく弱く、愚かな我らを救いたまえ。
山口さんのマキシムには、そんな気持ちを感じました。
後半の意味不明なターンには笑ってしまいましたが。宣伝がんばってますなあ。「山口祐一郎でーす」というときの、やわらかな雰囲気が好きです。「4月・・」の後、記憶を確かめるかのように少し首をかしげ、左下を見る視線の動きも。
最後の、「凄いって!」は恐かった。山口さんて迫力あるというか、凄みがあるというか、目の前で一対一で接していてああいう豹変されたら、心臓がとまりそうです。冗談でやってるのかもしれないけど、正直、恐いと思いました。